玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

2013年07月

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

寄舊詩與元微之 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-243-109-#99  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597

薛濤《寄舊詩與元微之》  耀くブラッドストーンは誰にもわからない奥深い所に何時までも大事にしておくもの、女性の大切な物、たいせつな男には與えるもの、そして詩䇳に書きつける詩というものの全ては、大胆に思うままに、風流に詠うものです。

2013年7月31日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

寄舊詩與元微之 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-243-109-#99   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597


寄舊詩與元微之
(昔作った詩を元稹におくる。)
詩篇調態人皆有,細膩風光我獨知。
詩篇というものの形態・雰囲気は、人それぞれ違うものであるが、きめの細かさややわらかな自然のすがたについて、わたくしひとりだけが、よく知っているつもりでいます。
月下詠花憐暗淡,雨朝題柳為欹垂。
明月が影を落す時、花の趣きをうたうのは、その暗く静まりかえっているところを、こよなくうれしいと思って詠うものです。雨に煙る朝の柳のありさまを詩題に詠うと、その枝がまっすぐに垂れてしずかに動かない状景を、風流をとらえるのです。
長教碧玉藏深處,總向紅箋寫自隨。
耀くブラッドストーンは誰にもわからない奥深い所に何時までも大事にしておくもの、女性の大切な物、たいせつな男には與えるもの、そして詩䇳に書きつける詩というものの全ては、大胆に思うままに、風流に詠うものです。
老大不能收拾得,與君開似好男兒。
年をとるまでどんどん詩を作っていくと、作品を集めまとめることが、できないほどにもなってしまうでしょう。でも、そのときになったら、将来の夫と二人して、それを二人の間にできた息子に示し、詩のお手本にさせようというつもりでいるのです。

(舊詩【きゅうし】を寄せて元微之に與う)
詩篇の調態【ちょうたい】は 人 皆有るも、細膩【さいじ】の風光は 我 濁り知る。
月下に 花を詠じては暗淡を憐み、雨朝に 柳に題しては欹垂【きすい】を為【おも】う。
長へに 碧玉をして深處に蔵せしめ、總て 紅箋に向っては自隨を寫【しる】さん。
老大 收拾【しゅうしゅう】し得ること能はざらんも、君と與【とも】に 開き似【しめ】して 男兒【だんじ】に教へん。


『寄舊詩與元微之』 現代語訳と訳註
kagaribi00(本文)
詩篇調態人皆有,細膩風光我獨知。
月下詠花憐暗淡,雨朝題柳為欹垂。
長教碧玉藏深處,總向紅箋寫自隨。
老大不能收拾得,與君開似好男兒。


(下し文)
(舊詩【きゅうし】を寄せて元微之に與う)
詩篇の調態【ちょうたい】は 人 皆有るも、細膩【さいじ】の風光は 我 濁り知る。
月下に 花を詠じては暗淡を憐み、雨朝に 柳に題しては欹垂【きすい】を為【おも】う。
長へに 碧玉をして深處に蔵せしめ、總て 紅箋に向っては自隨を寫【しる】さん。
老大 收拾【しゅうしゅう】し得ること能はざらんも、君と與【とも】に 開き似【しめ】して 男兒【だんじ】に教へん。


(現代語訳)
(昔作った詩を元稹におくる。)
詩篇というものの形態・雰囲気は、人それぞれ違うものであるが、きめの細かさややわらかな自然のすがたについて、わたくしひとりだけが、よく知っているつもりでいます。
明月が影を落す時、花の趣きをうたうのは、その暗く静まりかえっているところを、こよなくうれしいと思って詠うものです。雨に煙る朝の柳のありさまを詩題に詠うと、その枝がまっすぐに垂れてしずかに動かない状景を、風流をとらえるのです。
耀くブラッドストーンは誰にもわからない奥深い所に何時までも大事にしておくもの、女性の大切な物、たいせつな男には與えるもの、そして詩䇳に書きつける詩というものの全ては、大胆に思うままに、風流に詠うものです。
年をとるまでどんどん詩を作っていくと、作品を集めまとめることが、できないほどにもなってしまうでしょう。でも、そのときになったら、将来の夫と二人して、それを二人の間にできた息子に示し、詩のお手本にさせようというつもりでいるのです。


(訳注)
寄舊詩與元微之
(昔作った詩を元稹におくる。)
・旧詩 旧作。処女時代の作品であろう。
・與元微之 元微之は元稹。元稹が監察使として蜀の地にあった頃、薛濤は厳司空(当時は東川節度使)の命によって、その旅情を慰むるために、身辺に侍した〔妓女であり、詩人であった彼女は、両方の意味で奉仕したのであろう。そこでふつうなれは、一贈」の字を使うべきところを、「与」の字を使ったのではないだろうか。もっとも年齢からいえば、辞藩の方が十二歳年長(薛濤が大暦三年に生まれたとして)であるが、身分の高い元稹に「与ふ」 の字を使ったのは、元稹から贈ったものとすれば当然であろう。

詩篇調態人皆有,細膩風光我獨知。
詩篇というものの形態・雰囲気は、人それぞれ違うものであるが、きめの細かさややわらかな自然のすがたについて、わたくしひとりだけが、よく知っているつもりでいます。
・調態 詩のふり。詩風。
・細膩 きめがこまかく、かつ光沢があること。
・風光 自然の姿。風や光のおもむき。
百舌鳥02
月下詠花憐暗淡,雨朝題柳為欹垂。
明月が影を落す時、花の趣きをうたうのは、その暗く静まりかえっているところを、こよなくうれしいと思って詠うものです。雨に煙る朝の柳のありさまを詩題に詠うと、その枝がまっすぐに垂れてしずかに動かない状景を、風流をとらえるのです。
・暗淡 あざやかでなく、うすぐろいさま。くらくてしずかなさま。
・爲 念う。
・欹垂 欹はそばだつ意。垂はたれる。まっすぐに条を垂れていること。

長教碧玉藏深處,總向紅箋寫自隨。
耀くブラッドストーンは誰にもわからない奥深い所に何時までも大事にしておくもの、女性の大切な物、たいせつな男には與えるもの、そして詩䇳に書きつける詩というものの全ては、大胆に思うままに、風流に詠うものです。
・碧玉 処女の語に対応する女性の局部を意味するもの。微細な石英の結晶が集まってできた鉱物(潜晶質石英)であり、宝石の一種。 不純物 を含んだ石英は種類が多く、それゆえに様々な呼び方がある。3月の誕生石になっているブラッドストーン(血玉髄)も碧玉の一つである。薛濤『上王尚書』(王尚書にたてまつる。)「碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。手持云篆題新榜,十萬人家春日長。」(碧玉の雙幢【そうとう】白玉の郎、初めて天帝を辞して 扶桑に下る。手に雲篆【うんてん】を持して 新榜【しんぼう】に題す、十萬の人家 春 日長し。)
碧玉はエメラルド色の玉。尊いものを意味し、破瓜とあわせて、処女をいう。結句の「君」は、この孫絆の詩を踏んで、嫁いだ相手、すなわち将来の夫をさしていると思われ、男児は、従って夫婦の問に生まれた男の子の意であろう。
・紅偶 赤い色の詩儀。詩を書く囁く
・白随 自分の気まま。

老大不能收拾得,與君開似好男兒。
年をとるまでどんどん詩を作っていくと、作品を集めまとめることが、できないほどにもなってしまうでしょう。でも、そのときになったら、将来の夫と二人して、それを二人の間にできた息子に示し、詩のお手本にさせようというつもりでいるのです。
・君 将来の夫を指す。
・男兒 男の子。息子。ただしこの作を元稹のものとして、その方にも収めている「全唐詩」では、末句を、「君と与に間に好男児に似さん」となっている。
★この詩も中唐期の男性が艶閨詩で使う語で歌われており、薛濤の七言絶句では見られない表現であることから、元稹が薛濤に贈ったものと考えるのが妥当であろう。

謁巫山廟 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-242-108-#98  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592

薛濤《謁巫山廟》 猿の鳴き聲がみだれてきこえるあたり、宋玉の詠った「楚王の高唐の夢にあらわれて、王と一夜の契りをむすんだという紳女を祭ってある巫山廟」をたずねると、路は霞の奥にわけ入り、かぐわしい草や木の香りが、心をすがすがしくひきしめる。

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孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

謁巫山廟 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-242-108-#98   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592


謁巫山廟
亂猿啼處訪高唐,路入煙霞草木香。
猿の鳴き聲がみだれてきこえるあたり、宋玉の詠った「楚王の高唐の夢にあらわれて、王と一夜の契りをむすんだという紳女を祭ってある巫山廟」をたずねると、路は霞の奥にわけ入り、かぐわしい草や木の香りが、心をすがすがしくひきしめる。
山色未能忘宋玉,水聲猶是哭襄王。
巫山十二峯の山々の色には、詩人宋玉の「高唐賦」のことがしきりに思い出され、足もとに渦をまいて流れくだっている三峡の急流の音は、秦の白起の軍の侵入によって都を奪われた楚の襄王のことを、あわれみ泣いているように聞こえてくる。
朝朝夜夜陽台下,為雨為云楚國亡。
朝、その朝、神女はこの巫山の南の高い石山のあたり、美しい色どりの雲となり、夕には雨に化身したというが、楚王はこの美しい神女に心を奪われて、ついに國をほろぼしてしまったのだ。
惆悵廟前多少柳,春來空斗畫眉長。
悲しみ歎きの廟の前には、たくさんな柳の木が、新しい葉をつけている。柳のほっそりとした葉の形は・美人のかき眉の長さをきそっているのであろうか。春が来たというのに、神女の夢のなかの契だけは、いたくあわれに思わずにはおれないのであった。

巫山廓に謁す
乱猿【らんえん】啼く處に 高唐を訪へば、路は煙霞に入って 草木香し。
山色 末だ宋玉を忘るること能はず、水聲 猶は是れ襄王を哭す。
朝朝 夜夜 陽臺の下、雨と為り 雲と為って 楚國亡ぶ。
惆悵す 廟前 多少の柳、春来 空しく畫眉の長きを 闘はす。


『謁巫山廟』 現代語訳と訳註
(本文)
謁巫山廟
亂猿啼處訪高唐,路入煙霞草木香。
山色未能忘宋玉,水聲猶是哭襄王。
朝朝夜夜陽台下,為雨為云楚國亡。
惆悵廟前多少柳,春來空斗畫眉長。


(下し文)
巫山廓に謁す
乱猿【らんえん】啼く處に 高唐を訪へば、路は煙霞に入って 草木香し。
山色 末だ宋玉を忘るること能はず、水聲 猶は是れ襄王を哭す。
朝朝 夜夜 陽臺の下、雨と為り 雲と為って 楚國亡ぶ。
惆悵す 廟前 多少の柳、春来 空しく畫眉の長きを 闘はす。


(現代語訳)
猿の鳴き聲がみだれてきこえるあたり、宋玉の詠った「楚王の高唐の夢にあらわれて、王と一夜の契りをむすんだという紳女を祭ってある巫山廟」をたずねると、路は霞の奥にわけ入り、かぐわしい草や木の香りが、心をすがすがしくひきしめる。
巫山十二峯の山々の色には、詩人宋玉の「高唐賦」のことがしきりに思い出され、足もとに渦をまいて流れくだっている三峡の急流の音は、秦の白起の軍の侵入によって都を奪われた楚の襄王のことを、あわれみ泣いているように聞こえてくる。
朝、その朝、神女はこの巫山の南の高い石山のあたり、美しい色どりの雲となり、夕には雨に化身したというが、楚王はこの美しい神女に心を奪われて、ついに國をほろぼしてしまったのだ。
悲しみ歎きの廟の前には、たくさんな柳の木が、新しい葉をつけている。柳のほっそりとした葉の形は・美人のかき眉の長さをきそっているのであろうか。春が来たというのに、神女の夢のなかの契だけは、いたくあわれに思わずにはおれないのであった。


(訳注)
謁巫山廟
bijo02・巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。
巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。
西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。
楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。
・巫山廟 宋玉『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,崪兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。’旦朝視之,如言。故爲立廟,號曰朝雲。」
・謁 おまいりすること。


亂猿啼處訪高唐,路入煙霞草木香。
猿の鳴き聲がみだれてきこえるあたり、宋玉の詠った「楚王の高唐の夢にあらわれて、王と一夜の契りをむすんだという紳女を祭ってある巫山廟」をたずねると、路は霞の奥にわけ入り、かぐわしい草や木の香りが、心をすがすがしくひきしめる。
・亂猿啼處 独特の啼き方をする猿。高適『送李少府貶峡中王少府貶長沙』「嗟君此別意何如、駐馬銜杯問謫居。巫峡啼猿数行涙、衡陽歸雁幾封書。青楓江上秋天遠、白帝城邊古木疎。聖代即今多雨露、暫時分手莫躊躇。」(李少府の峡中に貶せられ、王少府の長沙に貶せらるるを送る)詩に、「巫峡の啼猿数行の涙」の句がある。この附近は猿が多い。李白『早發白帝城』「朝辭白帝彩雲間,千里江陵一日還。兩岸猿聲啼不住,輕舟已過萬重山。」(早に白帝城を発す)の詩にも、猿声の句がある.
・高唐 宋玉の「高唐賦」」にうたわれた楚の雲夢の沢にある台観の名まえであるが、ここではその賦にうたわれている神女を祭った巫山廟をさす。
・煙霞 かすみ。

oborotsuki02h
山色未能忘宋玉,水聲猶是哭襄王。
巫山十二峯の山々の色には、詩人宋玉の「高唐賦」のことがしきりに思い出され、足もとに渦をまいて流れくだっている三峡の急流の音は、秦の白起の軍の侵入によって都を奪われた楚の襄王のことを、あわれみ泣いているように聞こえてくる。
・宋玉 あざなほ子測。周末の楚国の詩人。屈原の弟子といわれ、楚国の大夫となった。その折屈原が放逐されたのをかなしみ、「九弁」を作ったといわれ、また「神女賦」「高唐賦」の作者でもある。
・裏王(じようおう) 宋玉の「高唐拭」で神女と契ったという楚王。宋玉の「夙賦」に、「楚の某王、蘭台の官に遊ぶ。宋華崇差侍す」とある。


朝朝夜夜陽台下,為雨為云楚國亡。
朝、その朝、神女はこの巫山の南の高い石山のあたり、美しい色どりの雲となり、夕には雨に化身したというが、楚王はこの美しい神女に心を奪われて、ついに國をほろぼしてしまったのだ。
・朝朝夜夜陽台下 「高唐賦」のなかの句「朝朝暮々陽台の下」をつかい、ただ暮々を夜々に改めたもの。陽台→男女のひそかな戯れ。陽台不帰の雲→一度契りを結んだだけで二度と会うことができないことで、
「巫山の夢」、「巫山の雲雨」、「朝雲暮雨」、「雲となり雨となる」これはみんな一緒の意味。男女が情交すること。
・為雨為云 おなじく「高唐賦」のなかの「且に朝雲と為り、碁に行雨と為る」からきている句。なおこの賦によって、男女の性交のことを「雲雨の交わり」という。雲は男、雨が女。詩に男女をあらわす語は沢山ある。


惆悵廟前多少柳,春來空斗畫眉長。
悲しみ歎きの廟の前には、たくさんな柳の木が、新しい葉をつけている。柳のほっそりとした葉の形は・美人のかき眉の長さをきそっているのであろうか。春が来たというのに、神女の夢のなかの契だけは、いたくあわれに思わずにはおれないのであった。
・惆悵 なげくこと。
・多少 多い意。
・畫眉長 唐代には、女の眉は長いことを美人の条件にした。眉をえがくならわしは、すでに漢代からあり、漢の張敞が妻のために眉をえがいてやったことは一つの故事になっている。なお「柳眉」という言葉もあるように、柳の葉の形は、女の眉の形として考えられている.白居易の「長恨歌」に、「芙蓉は面の如く、柳は眉の如し」の句がある。
・この詩は、韋荘の作かもしれないとされている。全唐詩ではこの作品を韋荘、薛濤のどちらも載せている。わたしは、作風から韋荘と考える。
 

江月樓 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-241-107-#97  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2587

薛濤《江月樓》 悲秋を感じさせる風が吹き始め、簡州の江月楼からの眺めは、あたかも江南の江を眺めているようななのだ。川辺にかもめやさぎがいり乱れてあちこちに、この風景でわたしは夕陽の残光の中に、じっと動かないでいるのです。
  

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


江月樓 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-241-107-#97   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2587
 

江月樓
秋風仿佛吳江冷,鷗鷺參差夕陽影。 
悲秋を感じさせる風が吹き始め、簡州の江月楼からの眺めは、あたかも江南の江を眺めているようななのだ。川辺にかもめやさぎがいり乱れてあちこちに、この風景でわたしは夕陽の残光の中に、じっと動かないでいるのです。
垂虹納納臥譙門,雉堞耽耽俯漁艇。 
小雨のあとに、まるい虹がかかり、その裾は城門の望楼のあたりで消えていて、城のめがきの上からは、魚をとる小舟がいくつか見おろせるのも江南の景色でしょう。
陽安小兒拍手笑,使君幻出江南景。 
そこでこれを見た簡州陽安の子どもたちは手をたたき、よろこび微笑んで、州長官さまが、魔法を使ってこんな景色をあらわしてくださったんだなどと申しております。(よい政治、あたたかい政治をしておられることの表れでしょう。)

ani0071秋風 吳江の冷しきに仿佛し,鷗鷺【おうろ】 參差【しんし】 夕陽の影。
垂虹【すいこう】 納納【のうのう】 譙門【しょうもん】に臥し,雉堞耽耽俯漁艇。 
陽安の小兒 拍手をって笑う,使君 幻出し 江南の景と。
 


『江月樓』 現代語訳と訳註
(本文)
秋風仿佛吳江冷,鷗鷺參差夕陽影。 
垂虹納納臥譙門,雉堞耽耽俯漁艇。 
陽安小兒拍手笑,使君幻出江南景。 


(下し文)
(江月樓)
秋風 吳江の冷しきに仿佛し,鷗鷺【おうろ】 參差【しんし】 夕陽の影。
垂虹【すいこう】 納納【のうのう】 譙門【しょうもん】に臥し,雉堞耽耽俯漁艇。 
陽安の小兒 拍手をって笑う,使君 幻出し 江南の景と。 


(現代語訳)
悲秋を感じさせる風が吹き始め、簡州の江月楼からの眺めは、あたかも江南の江を眺めているようななのだ。川辺にかもめやさぎがいり乱れてあちこちに、この風景でわたしは夕陽の残光の中に、じっと動かないでいるのです。
小雨のあとに、まるい虹がかかり、その裾は城門の望楼のあたりで消えていて、城のめがきの上からは、魚をとる小舟がいくつか見おろせるのも江南の景色でしょう。
そこでこれを見た簡州陽安の子どもたちは手をたたき、よろこび微笑んで、州長官さまが、魔法を使ってこんな景色をあらわしてくださったんだなどと申しております。(よい政治、あたたかい政治をしておられることの表れでしょう。)


(訳注)
江月樓
簡州簡陽県の地にある。簡陽(中国歴史地図唐e-2)現在、成滝鉄道の沿線の都市で、汶江に臨んでいる。古の簡県の地で、西南三里に、三国時代の陽安関があるので、別に陽安ともよばれている。その陽安の南三十歩に赤水というのがあり、また際水というのも流入しているが、その赤水と雁水の中間にあるのが江月榛だと「九州要記」に記され、薛濤のこの詩も載せられている。


秋風仿佛吳江冷,鷗鷺參差夕陽影。 
悲秋を感じさせる風が吹き始め、簡州の江月楼からの眺めは、あたかも江南の江を眺めているようななのだ。川辺にかもめやさぎがいり乱れてあちこちに、この風景でわたしは夕陽の残光の中に、じっと動かないでいるのです。
・秋風 悲秋を感じさせる風。
・彷彿 はっきり見分けにくいさま。そこで、さながら、さも似たりの意となる。
・呉江 今の呉淞江。ただしここでは、江南の呉地方の河というていどの意。それは江南地方の温暖平穏な川の風景を想像させる。
・鷗鷺 鷗:かもめと鷺:きざ。
・参差 いり乱れている形。
 

垂虹納納臥譙門,雉堞耽耽俯漁艇。 
小雨のあとに、まるい虹がかかり、その裾は城門の望楼のあたりで消えていて、城のめがきの上からは、魚をとる小舟がいくつか見おろせるのも江南の景色でしょう。
・垂虹 空から地へ半円を措いてとどい に.している虹。
・納納 物を包み入れるさま。まるく包むように虹がかけているありさま。
・譙門 物見やぐらのついている城門。
・雉堞 城上のひめがき。女墻に同じ。
・耽耽 見おろすさま。


陽安小兒拍手笑,使君幻出江南景。 
そこでこれを見た簡州陽安の子どもたちは手をたたき、よろこび微笑んで、州長官さまが、魔法を使ってこんな景色をあらわしてくださったんだなどと申しております。(よい政治、あたたかい政治をしておられることの表れでしょう。)
・陽安 今の四川省の簡陽県。唐代に簡州ともいう。(d・e―
・小兒 こども。
・使君 刺史(官名)をいう。州の長官。
成都遂州00

和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什 薛濤関連  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-240-106-#96  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582

和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什」(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)李徳祐と薛濤の詩に和した劉禹錫唯一の詩である。一生を地方めぐりにであった。しかし詩名は高く、白居易(欒天)と多くの詩を酬和し、七十二歳で沒した。彼の詩集のなかには、剣南西川節度使であった武元衝や李徳祐に贈った詩がのこっている。

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謝靈運詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

劉禹錫 《和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什》
 草木が枯れ始める中で木芙蓉は朝露に咲いている,これを私の生き方としてきたが、涙が頬を數行ものくやしい淚があふれることばかりで、清々しいすんだ池になみだを滴らせたものか。

和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什 薛濤関連  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-240-106-#96   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582



薛濤 『和劉賓客玉蕣』(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)この時の劉禹錫の詩をみてみる。薛濤との唯一の接点である。詩題・内容に劉禹錫が人間的好人物であったことがうかがえる。
和劉賓客玉蕣
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
・玉蕣 玉は詩語として冠したもの、蕣は、むくげ、木模。銭葵料の落葉濯木。枝の繁るのを利用して生垣につくる。あさがおの国訓もある。

・劉賓客はこの時、大子賓客の官位であった。劉は姓、禹錫が名である。劉禹錫(772~842年)白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。中唐の文学を構成する人物である。彼の作品は以下に示す。いずれこのブログでも解説する予定である。作品
秋風引(何處秋風至)  浪淘沙(八月濤聲吼地來)  楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱)  石頭城(山圍故國週遭在)  浪淘沙(九曲黄河萬里沙)  再遊玄都觀(百畝庭中半是苔)  烏衣巷(朱雀橋邊野草花)  與歌者何戡(二十餘年別帝京)  秋詞(自古逢秋悲寂寥) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來)  杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣)  詠紅柿子(曉連星影出)   逢舊    憶江南

貞元元年の進士で、監察御史となったが、王叔文に利用されて連坐し、連州(廣東省にある)の刺史におとされ、途中でさらに郎州(貴州省にある)司馬に左遷された。十年後、やっと召しかえされたが、有名な『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」玄都観にて花を看る」

紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回,
玄都觀裡桃千樹,盡是劉郎去後栽。

の詩が執政の怒りにふれ、すぐに播州の刺史に出され、裴度の救いにょって遠州に改められ、その後、夔州(現四川奉節)・和州の刺史をへて、やっとよびもどされて中央の主客郎中になった。しかしまたも「再遊玄都觀」重ねて玄都親に遊ぶ」

百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。 
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。

という詩を作って問題を起こし、東都洛陽の分司に出された。その後また裴度の力添えによって長安に帰ることができ、禮部郎中・集賢直學士となったが、裴度が宰相をやめると、蘇州・汝州・同州と刺史をつとめ歩き、開成三年にまた中央へもどり、太子賓客となってまたも東都に分司した。まったく一生を廉い中国の地方めぐりに歩かせられたようなものであった。しかし詩名は高く、晩年には白居易(欒天)と多くの詩を酬和し、會昌二年、検校値部周書のとき七十二歳で沒した。(「新唐書」巻一六八)彼の詩集のなかには、剣南西川節度使であった武元衝や李徳祐に贈った詩がのこっているが、ことに李徳祐と薛濤の詩
李徳祐と薛濤の詩に和した「和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什」(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)と題したつぎの詩である。



和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什
(剣南西川の李尚書の作られた『傷孔雀』と『薛濤の詩篇』に唱和してつくる詩)
玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
輝きをはっする青年もいつの間にか、出世も諦め棺桶に足を突っ込みそうな年になった。若くて力強い翼でもって飛び立っていたのに、秋草の枯れていくのにも従っていくように思うのだ。
唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
唯だ、草木が枯れ始める中で木芙蓉は朝露に咲いている,これを私の生き方としてきたが、涙が頬を數行ものくやしい淚があふれることばかりで、清々しいすんだ池になみだを滴らせたものか。

(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)
玉兒 已に 金鐶の葬むらるを逐い,翠羽 先づ 秋草の萎えるに隨う。
唯 見る 芙蓉 曉露を含むを,數行の紅淚 清池に滴る。


『和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什』 現代語訳と訳註
木芙蓉01
(本文)
玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
(下し文)

(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)
玉兒 已に 金鐶の葬むらるを逐い,翠羽 先づ 秋草の萎えるに隨う。
唯 見る 芙蓉 曉露を含むを,數行の紅淚 清池に滴る。


(現代語訳)
(剣南西川の李尚書の作られた『傷孔雀』と『薛濤の詩篇』に唱和してつくる詩)
輝きをはっする青年もいつの間にか、出世も諦め棺桶に足を突っ込みそうな年になった。若くて力強い翼でもって飛び立っていたのに、秋草の枯れていくのにも従っていくように思うのだ。
唯だ、草木が枯れ始める中で木芙蓉は朝露に咲いている,これを私の生き方としてきたが、涙が頬を數行ものくやしい淚があふれることばかりで、清々しいすんだ池になみだを滴らせたものか。


(訳注)
和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什
(剣南西川の李尚書の作られた『傷孔雀』と『薛濤の詩篇』に唱和してつくる詩)
・李尚書 李徳祐はまもなく西川(せいせん:現在の四川省)節度使に移された。ここでの彼の働きは秀抜だった。
まず、辺境平定をはかるという意の「籌辺楼」なる楼台を築いて、そこに南は南詔(なんしょう)を含め、西は吐蕃との境界に達する蜀全体の地図を描いた。そして連日、国境地帯の地理に通じた老練の古参兵を呼んで、実際に現地を調査してきたのと変わりなしと、自分で納得できるまで反復習熟した。同時に、防備を固め、兵士を訓練した。やがて、維州城を守っていた吐藩の悉たん謀という将が投降してきた。維州城は、吐藩が漢から奪って、無憂城と称していたほどの要害の地である。李徳祐は、戦略上きわめて有利と喜んだが、中央では牛僧孺が対外紛争の種になると反対し、城もろとも吐藩に返還させた。吐藩は、悉たん謀をこれ見よがしに惨殺した。牛僧孺と李徳祐、この両者の反目は,これを境にますます深刻さを加えていくことになる。


玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
輝きをはっする青年もいつの間にか、出世も諦め棺桶に足を突っ込みそうな年になった。若くて力強い翼でもって飛び立っていたのに、秋草の枯れていくのにも従っていくように思うのだ。
・玉兒 輝いている青年。
・鐶:① 机・たんすなどの引き出しにつける金属製の取っ手。② 切れ目の入った鉄の輪で、茶釜の両耳に差し入れて釜の上げ下ろしに用いるもの。③ 紋所の名。1の形を図案化したもの。鐶桐(かんぎり)・鐶雀(かんすずめ)・四つ鐶菱(かんびし)などがある。ここでは出世の道というほどの意味。


唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
唯だ、草木が枯れ始める中で木芙蓉は朝露に咲いている,これを私の生き方としてきたが、涙が頬を數行ものくやしい淚があふれることばかりで、清々しいすんだ池になみだを滴らせたものか。
・芙蓉 アオイ科フヨウ属の落葉低木。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。7~10月始めにかけてピンクや白で直径10~15cm程度の花をつける。朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。花は他のフヨウ属と同様な形態で、花弁は5枚で回旋し椀状に広がる。先端で円筒状に散開するおしべは根元では筒状に癒合しており、その中心部からめしべが延び、おしべの先よりもさらに突き出して5裂する。
・紅淚 くやしなみだ。

再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

劉禹錫《再遊玄都觀》 この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。


2013年7月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

再遊玄都觀  劉禹錫
ー序 
海棠花011余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。重遊玄都觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。

余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。

私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。

再遊玄都觀
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 

(再び玄都觀に遊ぶ。)
百畝【せ】の庭中 半【なか】ば是れ苔,桃花 淨【ことごと】く盡【つ】き 菜の花開く。
桃を種えし道士 今 何【いづこ】にか歸り,前度 劉郞 今 又た 來【きた】りける。


『再遊玄都觀』 現代語訳と訳註
(本文)
百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。
種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。


(下し文)
(再び玄都觀に遊ぶ。)
百畝【せ】の庭中 半【なか】ば是れ苔,桃花 淨【ことごと】く盡【つ】き 菜の花開く。
桃を種えし道士 今 何【いづこ】にか歸り,前度 劉郞 今 又た 來【きた】りける。


(現代語訳)
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 


(訳注)
再遊玄都觀
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
★初めて玄都観に訪れたときの詩、(816年)『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」には、「諷刺がある」とされて、そのために、再び地方に出された原因となったいわく付きの詩。それ故、この「玄都観の詩」にも、含みがあると見るかどうか。 
再遊 二度目の訪問。一度目の訪問とは、以前(元和十一年:816年)に、十年ぶりに都へ帰ってきた作者の耳に、玄都観の桃の花がみごとであるとの評判が入った。それでお花見に行き、『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』を作った時。その第一回目の時から数えて、今回(太和二年:828年)が二度目の訪問になる。桃の花はなくなり、すっかりと荒れ果てた道観の姿に、今昔の感を抱いた。 
・玄都觀 長安の朱雀街にあった道教寺院。

百畝庭中半是苔、桃花淨盡菜花開。
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
・百畝 約5.8ヘクタール。1畝≒5.8アール。 
・半是 なかばは…である。半分は…である。
・淨盡 すっかり無くす。 
・菜花:野菜の花。序に「兔葵燕麥」(うさぎあおい、えんばく)等の野生の草。
★詩序で「蕩然無復一樹」(あとかたも無く、一本も残っていない)と述べている。先の詩から(816年元和十一年)、この詩の828年太和二年までの十二年間のおそらく初期の段階で有名で、人気のあった劉禹錫の詩が流布したことで、諷刺の対象となった官僚・宦官によって伐ってしまうように命令したのだろう。 そうした反響があるからこそ、劉禹錫がこの詩を書いたということなのだ。


種桃道士今何歸、前度劉郞今又來。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 
・種桃 桃を植える。 ・種:植える。動詞。去声。 
・道士 道教の僧。方士。 
・今何 今はどこに…。 
・歸 本来落ち着くべき場所(自宅・故郷・墓所)にかえる。死ぬ。
・前度 前回の。元和十一年(816年)に訪れたときのことを謂う。 
・劉郞 仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である作者、劉禹錫をいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、朝廷のメンバーも全く変わっていたのだ。 
・今 太和二年:(828年)三月を謂う。 
・又 またしても。またもや。「獨」ともする。その場合は「(阮肇を連れないで、劉晨)ひとりだけで」の意。
★劉禹錫の反対の相手側からすると、『俺は妥協などしない、見たまま感じたままのことをしっかり発言するよ。』と宣戦布告のようにとらえたのかもしれない。それほど、長安で、劉禹錫の詩が人気があったのであろう。


海棠花05劉禹錫・『晩笑堂竹荘畫傳』
代々儒学者として名があった家に生まれた。793年(貞元9年)進士に及第した。淮南節度使であった杜佑の配下で書記を務めた。その後、中央政界で同じ年に進士となった柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、徳宗末期の貞元年間から順宗期を経て政治改革を推進した(永貞の革新)。なかでも劉禹錫は財政面を担当し、王叔文・王伾・柳宗元らとともに「二王劉柳」と並称されるほど重要な役割を果たした。急激な改革だったため彼らは武元衡のような政敵を多くつくってしまう。宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、王叔文は失脚、劉禹錫も連州(広東省連州市)刺史に左遷を命じられ、その途次で朗州(湖南省常徳市)司馬に降格となった。このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷された(八司馬事件)。朗州での約9年間、劉禹錫は文学に没頭するようになり、古来楚であった当地の風俗に取材した詩をつくったり、民衆のために祭祀用の歌詞をつくった。
815年(元和10年)、ようやく都長安に召還されたが、玄都観(道教の施設)で詠んだ詩が政府の主流派を揶揄する内容だったためその怒りにふれ、連州刺史に逆戻りとなった。それから数ヶ所の刺史を経たあと、828年(大和2年)に長安に戻り主客郎中を拝命した。そこで劉禹錫はまたも玄都観で、前回の続編となる詩を詠んだ。このときは宰相裴度のおかげでどうにか左遷を免れていたが、その裴度が引退すると洛陽にやられた後、832年(大和6年)蘇州刺史にされた。このように劉禹錫は、狭量な性格ゆえにその地位が安定しなかった。その後も太子賓客となったり刺史となったりを繰り返した。
晩年は白居易と親交が深まり、元稹亡き後も詩を唱和し、その神妙さを讃えられた。最終的には検校礼部尚書・太子賓客で生涯を終えた。

詩風
左遷を経験したことから、楽府体の寓言詩で諷喩色の強い詩を詠んだ。例えば、蚊を小さい存在ながらも夏にはうるさく飛び回っては人を傷つけるさまを中央政界にいる佞臣に喩えた。いずれ冬が来れば蚊が絶えるように佞臣達も時の利を失って凋落するであろうとの意味を込めている。
また、各地で歌われていた歌曲に新たな歌辞をつくった。虁州(重慶市奉節県)刺史として赴任中には、この地の歌謡であった竹枝をもとにして「竹枝詞」を多く作ったことは有名である。

儒学
『天論』は柳宗元の『天説』に呼応するもので、天に関する考え方を変革する先鞭となった。従来の天人相関説に異議を唱え、天は万物を生成するだけであり、人は法によってそれらを制御することができると説いた。

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再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737

劉禹錫《再遊玄都觀 序文》私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。



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李商隠詩 
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再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737


元和十一年(816年)に朗州(現・湖南省常徳市)より召還され、長安に戻ってきて、戯れに花見をしている諸賢に詩を贈る。 
永貞元年(805年)に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、足掛け12年、都へ呼び戻されたとき(元和十一年:816年)、このページの詩を作ったのである。それが政敵に知られることとなり、「この表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。やがて、この詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄都觀』とその序に、その間の事情が説明されている。


再遊玄都觀   序
余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。

そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。



再遊玄都觀
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
・玄都觀 道教寺院の名。長安の東西を春明門と金光門、延興門と延平門に大通りがあり、南北通り朱雀門と明徳門、が交差するあたりにあった。

燕麦01











『再遊玄都觀 序』 現代語訳と訳註
(本文)
再遊玄都觀

余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
居十年,召至京師,
人人皆言,有道士手植仙桃,
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。


(下し文)
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。


(現代語訳)
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。




(訳注)
再遊玄都觀  序


燕麦003余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
・貞元二十一年(805年=永貞元年 正月德宗が亡くなり、順宗が待望の即位をしたがすでに重病であり政務を満足に取ることができなかった。そこで側近の王叔文が、王伾・劉禹錫・柳宗元・程异など少壮官僚達とともに新政に乗り出した。宦官軍權の排除や停滞した政治の改革が矢継ぎ早に指令された。しかし抵抗勢力が強くなかなか浸透しなかった。
順宗の健康は悪化していくばかりであり、皇太子の即位を望む声が強く、八月には順宗は退位して上皇となり、憲宗が即位した。憲宗は宦官吐突承璀の影響を受け、宦官の軍權を元に戻したが、政治改革については精力的におこなった。しかし前帝の側近王叔文や取り巻きの少壮官僚は左遷され姿を消した。また八月には対吐蕃の重鎮西川節度使韋皐(薛濤のパトロン)が亡くなり、その幕僚の劉闢が自立した。憲宗は即位早々この対策に逐われることになった。
・屯田員外郎 古代の官職。主税助の別称。前漢の武帝は、辺境地帯を防衛する兵士に農耕を行わせた(軍屯)。後漢末期に徐州の陶謙が陳登を典農校尉に任じて屯田のことを行わせ、続いて196年には魏の曹操は、韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。


是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
・牧 地方長官。前漢・後漢代に於ける州の長官のこと。刺史:前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。


居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。


人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
・仙桃 会稽郡(浙江省)の劉晨と阮肇という人が、薬草を採りに天台山へ入ったところ、道に迷ってしまった。谷川のほとりに女が二人立っていて絶世の美女たちである。女は二人を自分達の家へ連れて帰った。女達の家は見事なもので、屋根は銅の瓦、広間の南側と東側の壁際に立派な寝台、紅い薄絹の帳をめぐらしてある。帳には金糸銀糸で精緻な縫い取りが施され、四隅に懸けられた鈴が風が吹くたびにチリンチリンと可愛い音を鳴らしている。 寝台の脇にはそれぞれ侍女が十人ずつ居並んでいた。女達と一緒に暮らすようになって十日経った時、二人が家へ帰らせてくれと言うと女達は、「あなた方がこちらにおいでになったのは、前世からのご縁に引き寄せられたからです。どうして帰りたいなどとおっしゃるの」と言って涙を落とした。そして二人はそのまま女の柔かな抱擁を受け、すべてを忘れた。二人はそれから半年ほどの間、昼は酒宴を開き、夜は女達と共に歓楽に耽る日々を過ごした。不思議なことにここには四季がなく、いつも春の気候で花が咲き乱れ鳥が囀っていた。しかし、山を下りた二人が故郷に戻ってみると、村の様子は一変していた。親戚や知人が一人もいないのである。何とか自分の家に帰り着いて当主という人物に会ってみると、何と七代目の子孫であった。


滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。


旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。


重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。


唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
・兔葵 (ウサギアオイ)はアオイ科ゼニアオイ属の一年草である。 原産地はヨーロッパである。 日本では1948年に帰化が確認されている。 畑の縁などに生える。
・燕麥 イネ科カラスムギ属の穀物。一年草。別名、オートムギ、オーツ麦、オート、マカラスムギ。また、同属の野生種 A. fatua と同名でカラスムギとも呼ばれる。


因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
・二十八字 七言絶句
・太和二年 劉禹錫は主客郞中となる。ついで東都に分司となる。


劉晨遇仙 東漢。劉晨和阮肇國二人入山採藥。遇二仙女。 招至成親。半年後二人回家。怎知至家已過百年。 無人認識二人。二人返山找仙女。終不可得。 喻有心花開花不發。無心插柳柳成蔭。 2.燕昭王為郭隗築黃金臺. 燕昭王是燕王噲的兒子,名子叫平。

自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732

劉禹錫《自朗州至京戲贈看花諸君》玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕


2013年7月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732


元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子:自朗州至京戲贈看花諸君:(玄都觀看花)」玄都観にて花を看る

劉禹錫(りゅう うしゃく、772年 - 842年)は中国の唐代(中唐)期の詩人、政治家。字は夢得(ぼうとく)。自身は中山(河北省定州市)出身と称したが、彭城(江蘇省徐州市)出身とも伝えられる。詩豪と呼ばれた。

劉禹錫・『晩笑堂竹荘畫傳』
代々儒学者として名があった家に生まれた。793年(貞元9年)進士に及第した。淮南節度使であった杜佑の配下で書記を務めた。その後、中央政界で同じ年に進士となった柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、徳宗末期の貞元年間から順宗期を経て政治改革を推進した(永貞の革新)。なかでも劉禹錫は財政面を担当し、王叔文・王伾・柳宗元らとともに「二王劉柳」と並称されるほど重要な役割を果たした。急激な改革だったため彼らは武元衡のような政敵を多くつくってしまう。宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、王叔文は失脚、劉禹錫も連州(広東省連州市)刺史に左遷を命じられ、その途次で朗州(湖南省常徳市)司馬に降格となった。このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷された(八司馬事件)。朗州での約9年間、劉禹錫は文学に没頭するようになり、古来楚であった当地の風俗に取材した詩をつくったり、民衆のために祭祀用の歌詞をつくった。
815年(元和10年)、ようやく都長安に召還されたが、玄都観(道教の施設)で詠んだ詩が政府の主流派を揶揄する内容だったためその怒りにふれ、連州刺史に逆戻りとなった。それから数ヶ所の刺史を経たあと、828年(大和2年)に長安に戻り主客郎中を拝命した。そこで劉禹錫はまたも玄都観で、前回の続編となる詩を詠んだ。このときは宰相裴度のおかげでどうにか左遷を免れていたが、その裴度が引退すると洛陽にやられた後、832年(大和6年)蘇州刺史にされた。このように劉禹錫は、狭量な性格ゆえにその地位が安定しなかった。その後も太子賓客となったり刺史となったりを繰り返した。
晩年は白居易と親交が深まり、元稹亡き後も詩を唱和し、その神妙さを讃えられた。最終的には検校礼部尚書・太子賓客で生涯を終えた。


薛濤『和劉賓客玉蕣』
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
(劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す)
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。

劉禹錫 
七言絶句。來・囘・栽(平声灰韻)。
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看て仲間の諸君にこの詩を贈る。)
紫陌紅塵拂面來、無人不道看花囘。
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
玄都觀裏桃千樹、盡是劉郎去後栽。

玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕
(朗州より京に至いたり、戯れに花を看る諸君に贈る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】 面を払って来きたる、人の花を看て回ると道わざるなし。
玄都観の裏 桃千樹、盡【ことごと】く是れ 劉郎去って後に栽えたり。


『自朗州至京戲贈看花諸君』 現代語訳と訳註
(本文)
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回,
玄都觀裡桃千樹,盡是劉郎去後栽。


(下し文)
(朗州より京に至いたり、戯れに花を看る諸君に贈る)(玄都観にて花を看る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】面を拂うて來る,人【ひとびと】は無く  花を看回るを道わず,
玄都觀の裡 桃千樹,盡く是れ 劉郎 去りて後 栽うるものなり。


(現代語訳)
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看て仲間の諸君にこの詩を贈る。)
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕

長安城図 座標

































(訳注)
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看ている仲間の諸君にこの詩を贈る。)
・朗州 湖南省にかつて設置された州。現在の常徳市一帯に相当する。 魏晋南北朝時代. 南北朝時代の560年(天嘉元年)、陳により荊州天門郡、義陽郡、南平郡及び郢州武陵郡に設置された武州を前身とする。
・自朗州至京 816年元和十一年に朗州(現・湖南省常徳市。洞庭湖西岸の地名。「武陵桃源」の武陵。)より召還され、長安に戻ってきて、戯れに花見をしている諸賢に詩を贈る。805年永貞元年に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、足掛け12年、都へ呼び戻されたとき(816年元和十一年)、この詩を作ったのである。それが政敵に知られることとなり、「この表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。やがて、この詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄都觀』とその序に、その間の事情が説明されている。

再遊玄都觀

余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。重遊玄都觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。
(再遊玄都觀:本文)
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
・玄都觀 道教寺院の名。長安の東西を春明門と金光門、延興門と延平門に大通りがあり、南北通り朱雀門と明徳門、が交差するあたりにあった。(長安図 f-3付近


紫陌紅塵拂面來、無人不道看花回。
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
・紫陌 都の市街。帝都の郊外の道路。 
・紅塵 賑やかな街の埃(ほこり)。市街地に立つ土ぼこり。繁華な市街地。また、空が赤茶けて見えるほどの土ぼこり。また、浮き世の塵。煩(わずら)わしい俗世間。俗塵。反対意見は握りつぶされていることを示す。
・拂面 顔を撫(な)で払う。
・無人 …という人はいない。誰もが…でない。 
・道 言う。動詞。 
・無…不… …しない…はない。全て…だ。(結果として)二重否定。
・回 戻る。めぐる。かえる。


玄都觀裏桃千樹、盡是劉郎去後栽。
玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕
・玄都觀 道教寺院の名。長安の朱雀街(f-3付近)にあった。 
・裏 (…の)中。 
・桃千樹 千本の桃の木。この語に寓意があるとされた。「新・官僚」。
・盡是 ことごとく…だ。 
・劉郎 仙桃を味わった劉晨、中国版・浦島太郎伝説中の人物。であり、12年ぶりに帰ってきた作者・劉禹錫であるということは誰もが容易に理解した。
・去後 去っていったあと(で)。 
・栽 植える。栽培する。


(玄都観にて花を看る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】面を拂うて來る,人【ひとびと】は無く  花を看回るを道わず,
玄都觀の裡 桃千樹,盡く是れ 劉郎 去りて後 栽うるものなり。
海棠花04

和劉賓客玉蕣 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-236--#92  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2727

薛濤《和劉賓客玉蕣》   玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。


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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

和劉賓客玉蕣 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-236--#92   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2727


和劉賓客玉蕣
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。

千畳敷0010劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。


『和劉賓客玉蕣』 現代語訳と訳註
(本文)
和劉賓客玉蕣
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。


(下し文)
劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。


(現代語訳)
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。


(訳注)
和劉賓客玉蕣
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
・劉賓客 賓客は大子賓客の略、官名。劉は姓、劉禹錫をいう。劉禹錫(772~842年)白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。 
秋風引(何處秋風至)  浪淘沙(八月濤聲吼地來)  楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱)  石頭城(山圍故國週遭在)  浪淘沙(九曲黄河萬里沙)  再遊玄都觀(百畝庭中半是苔)  烏衣巷(朱雀橋邊野草花)  與歌者何戡(二十餘年別帝京)  秋詞(自古逢秋悲寂寥) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來)  杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣)  詠紅柿子(曉連星影出)   逢舊    憶江南
貞元元年の進士で、監察御史となったが、王叔文に利用されて達坐し、連州(廣東省にある)の刺史におとされ、途中でさらに郎州(貴州省にある)司馬に左遷された。十年後、やっと召しかえされたが、有名な「玄都觀看花」玄都観にて花を看る」
紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回,
玄都觀裡桃千樹,盡是劉郎去後栽。
(原註:後魏元樹,南陽王禧之子。南陽到建業,數年後北歸,愛姬朱玉兒脫金指鐶為贈。樹至魏,卻以指鐶寄玉兒,示有還意。)
の詩が執政の怒りにふれ、すぐに播州の刺史に出され、裴度の救いにょって遠州に改められ、その後、夔州(現四川奉節)・和州の刺史をへて、やっとよびもどされて中央の主客郎中になった。しかしまたも「再遊玄都觀」重ねて玄都親に遊ぶ」
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
という詩を作って問題を起こし、東都洛陽の分司に出された。その後また裴度の力添えによって長安に帰ることができ、禮部郎中・集賢直學士となったが、裴度が宰相をやめると、蘇州・汝州・同州と刺史をつとめ歩き、開成三年にまた中央へもどり、太子賓客となってまたも東都に分司した。まったく一生を廉い中国の地方めぐりに歩かせられたようなものであった。しかし詩名は高く、晩年には自盾易(欒天)と多くの詩を酬和し、會昌二年、検校値部周書のとき七十二歳で沒した。(「新唐書」巻一六八)彼の詩集のなかには、剣南西川節度使であった武元衝や李徳祐に贈った詩がのこっているが、ことに李徳祐と薛濤の詩に和した「和西川李尚書傷孔雀及薛濤之あさがお003什」(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)と題したつぎの詩は、注意されなければなるまい。
玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
・玉蕣 玉は詩語として冠したもの、蕣は、むくげ、木模。銭葵料の落葉濯木。枝の繁るのを利用して生垣につくる。あさがおの国訓もある。


瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
・瓊枝 瓊はたま。美しい赤玉。ただし物の美称として上に冠する語。ここはたんに朝殊のつるをいったもの。
・玓瓅 あざやか、鮮明なさま。きらきらと輝くさま。
・珊珊 膝に帯びる玉の鳴る形容、ここははらはら。
・抜 開く、また衣を肩にかけること、ここは後者をとる。
・玉彩寒 玉彩は、美しいいろどり。それをもって女の衣をいったもの。寒は、涼しい。

閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
・朱房(しゅはう) 赤い花房。
・偏映 偏はかたよる。山に入りかけている日光。
・日輪残 沈みかけた太陽。
落日、花弁がちぎられた朝顔、妓女である女性の過去から現在の年を取っていく様子を云うのである。朝顔に玉の露というのは女性性器を表現している。年増芸妓の下ネタの詩という見方もできる。



30 劉禹錫(りゅううしゃく) 772~842年 劉禹錫:中唐の詩人。772年(大暦七年)~842年(會昌二年)。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。 
秋風引(何處秋風至)  浪淘沙(八月濤聲吼地來)  楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱)  石頭城(山圍故國週遭在)  浪淘沙(九曲黄河萬里沙)  再遊玄都觀(百畝庭中半是苔)  烏衣巷(朱雀橋邊野草花)  與歌者何戡(二十餘年別帝京)  秋詞(自古逢秋悲寂寥) 同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)  元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來)  杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣)  詠紅柿子(曉連星影出)   逢舊    憶江南

22 武元衡(ぶげんこう) 758~815  字は伯蒼。河南の人。建中四年(783)、進士に及第した。徳宗に才能を認められ、華原の令から比部員外郎・右司郎中・御史中丞を歴任。順宗のときに、王叔文に従わなかったため降職されて太子右庶子となった。憲宗の時代になって御史中丞・戸部侍郎を歴任し、元和二年(807)には門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)に至った。淮西節度使・呉元済が叛乱を起こしたとき、憲宗から委任されて討伐を準備したが、呉元済派の朝臣の放った刺客に暗殺された。  題嘉陵驛(悠悠風旆繞山川)

棠梨花和李太尉 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-235--#91  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2722

薛濤《棠梨花和李太尉》 李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
  

2013年7月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

棠梨花和李太尉 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-235--#91   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2722


棠梨花和李太尉
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。

「棠梨の花」 李太尉に和す
吳鈞の蕙圃 嘉木に移し,正に東溪春雨の時に及ばんとす。
日晚れて 鶯啼き 何所にか為さん,淺深【せんしん】にして紅膩【こうじ】繁枝を壓す。

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『棠梨花和李太尉』 現代語訳と訳註
(本文)
棠梨花和李太尉
吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。


(下し文)
「棠梨の花」 李太尉に和す
吳鈞の蕙圃 嘉木に移し,正に東溪春雨の時に及ばんとす。
日晚れて 鶯啼き 何所にか為さん,淺深【せんしん】にして紅膩【こうじ】繁枝を壓す。


(現代語訳)
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。


(訳注)
棠梨花和李太尉
(「棠梨の花」という題で、李大尉さまがお作りになった詩に、唱和申し上げます。)
・大尉 官名。軍事をつかさどる。三公の一で、今日の国防長官。中央官庁の重職である。(官名) にまでなり、著述も多かった。ここでは、李大尉をその呉均になぞらえた。


吳鈞蕙圃移嘉木,正及東溪春雨時。
李大尉さまのお花園は、六朝梁の詩人呉均の花園のように、名木をお集めておられるというが、そのなかに蜀の名花の棠梨の木を、新しく移された。今まさに春で、春水も豊富なよい時節はこの花園にも及んで、その棠梨の木も、花を一面につけたことでしょう。
・吳鈞・吳均(469—520)字は叔庠。吳興故鄣(今浙江安吉縣西北)の人。南朝梁文學家。寒微の出身ではあったが,学問がすきで、すぐれた才をもっていた。梁の天監の初め、柳博が呉興の刺史となると、郡の主簿に迎え、毎日、詩を作りあったので、それにならう者が多くあらわれ、彼らの詩風を「呉均体」といった。仕えて奉朝詰・棠梨花 棠梨はアマナシの一名。薔薇科の落葉喬木で、新暦の四月ごろ、帝紅い花を咲かせる。
・蕙圃 蕙は香り革。圃は庭、圃場。
・嘉末 よい木。ここでは棠梨の木をさす。
・東渓 東の谷。春は五行思想で東、青。春の渓谷の意。
・及 間にあう。春の景色がその花園にいきわたる。


日晚鶯啼何所為,淺深紅膩壓繁枝。
春の日ぐれ、春の盛りを過ぎようとしているのに、春を告げるうぐいすが何のためにどこでさえずっているのでしょう。繁った棠梨の枝に、薄く濃く紅色花が枝もたわむように、咲きあふれているからでしょう。
・紅賦(こうじ) 脱は化粧するあぶら。紅脂のこと。

籌邊樓 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-234--#90  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2717

籌邊樓 薛濤 この成都平野に、秋峯に高くそびえている籌邊樓の四方に開いている八つの窓から、雲や鳥が、眺められます。その威風堂々たる建物は、西川地方四十州を圧倒しているのです。
  

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孟浩然の詩
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

籌邊樓 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-234--#90   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2717

 
籌邊樓
(剣南西川の平穏を臨む籌邊樓の詩)
平臨云鳥八窗秋,壯壓西川四十州。
この成都平野に、秋峯に高くそびえている籌邊樓の四方に開いている八つの窓から、雲や鳥が、眺められます。その威風堂々たる建物は、西川地方四十州を圧倒しているのです。
諸將莫貪羌族馬,最高層處見邊頭。
わが西川の国境を守る諸将たちよ、羌族の馬を略奪など貪ってはならない、それが、侵攻してくる口実を輿えることになるのです。すべての統治の象徴である籌邊樓の最高層から、じっと国境地帯をにらんでおいでになります。
  
籌邊樓【ちゅうへんろう】
平に云鳥に八窗の秋に臨む,壯んに壓す西川 四十州。
諸將 貪ること莫れ 羌族の馬,最高層の處 邊頭を見る。


DCF00209













『籌邊樓』 現代語訳と訳註
(本文)
籌邊樓
平臨云鳥八窗秋,壯壓西川四十州。
諸將莫貪羌族馬,最高層處見邊頭。


(下し文)
籌邊樓【ちゅうへんろう】
平に云鳥に八窗の秋に臨む,壯んに壓す西川 四十州。
諸將 貪ること莫れ 羌族の馬,最高層の處 邊頭を見る。


(現代語訳)
(剣南西川の平穏を臨む籌邊樓の詩)
この成都平野に、秋峯に高くそびえている籌邊樓の四方に開いている八つの窓から、雲や鳥が、眺められます。その威風堂々たる建物は、西川地方四十州を圧倒しているのです。
わが西川の国境を守る諸将たちよ、羌族の馬を略奪など貪ってはならない、それが、侵攻してくる口実を輿えることになるのです。すべての統治の象徴である籌邊樓の最高層から、じっと国境地帯をにらんでおいでになります。


(訳注)
籌邊樓
(剣南西川の平穏を臨む籌邊樓の詩)
・籌邊樓 文宗の大和三年に、前剣南西川節度使の悪政から、ついに南詔の侵入をまねき、成都は掠奪の憂目にあった。その後始末に、兵部尚書であった李徳拓が翌四年、着任し、新鋭の気塊をもって、着々と軍備を回復し、その一施策として建てたのが、この縁辺楼である。当時の簑辺榛の位置は、成都府治の西に建てられたというが、宋の陸游(放翁)のころには、すでにその位置がわからなくなってしまい、淳熙三年、制置使知府(成都の長官)であった范成大が、子城の西南隅に重建し、その完成とともに、みずから「水調歌頭」の詞を作ったが、その後、都院の東掖に移ったという


平臨云鳥八窗秋,壯壓西川四十州。
この成都平野に、秋峯に高くそびえている籌邊樓の四方に開いている八つの窓から、雲や鳥が、眺められます。その威風堂々たる建物は、西川地方四十州を圧倒しているのです。
・雲鳥(うんちょう) 雲や空を飛ぶ鳥。
・八窗 四方に各二窓ずつ、都合八つの窓があり、四方を見わたせた。 
・西川四十州 四川省西部の称。唐の粛宗の時、成都を改めて南京といい、剣南に東川と西川の二つの節度使を置いた。宋の西川路。今の四川西川道。


諸將莫貪羌族馬,最高層處見邊頭。
わが西川の国境を守る諸将たちよ、羌族の馬を略奪など貪ってはならない、それが、侵攻してくる口実を輿えることになるのです。すべての統治の象徴である籌邊樓の最高層から、じっと国境地帯をにらんでおいでになります。
・羌族 東漢時代に東西羌にわかれ、晋のときには五胡の一で、その後、今の甘粛省の臨潭、岷県、四川省の松潘・茂縣などの地にいた。すなわち甘粛の南部から四川の西北部にいた異民族。
・最高層(さいこうそう)
・邊頭 国境の端のあたり。
成都遂州00

酬吳使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-233--#89  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2712

薛濤《酬吳使君》 長官のお宅は、東晋時代の僧支遁の別荘とおなじようにお庭の花園の出入口につながって、風流なお住居だというし、そのうえ、前の山もお手にお入れされたといいではないですか。それなのに、そこまで行ったことはないというお話は、よほど廣いお敷地ということですね。
  

2013年7月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

酬吳使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-233--#89   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2712


酬吳使君
(呉使君から贈られた詩にお返しする詩。)
支公別墅接花扃,買得前山總未經。
長官のお宅は、東晋時代の僧支遁の別荘とおなじようにお庭の花園の出入口につながって、風流なお住居だというし、そのうえ、前の山もお手にお入れされたといいではないですか。それなのに、そこまで行ったことはないというお話は、よほど廣いお敷地ということですね。
入戶剡溪云水滿,高齋咫尺躡青冥。

お部屋のなかにはいったら、剡渓の美しい自然の雲や水が、いっぱいに感じられることでしょう。そして書斎からは、すぐ目の前に青空へふみ出せる景色が広がるのでしょう。

(吳使君に酬ゆ)
支公の別墅【べつしょ】 花扃【かけい】に接す,前山を買い得たるも 總て未だ經【よぎ】らず。
戶に入るの剡溪【えんけい】には 云水【うんすい】滿ち,高齋は 咫尺【ししゃく】に青冥【せいめい】を躡【ふ】むならん。


幻日環01












『酬吳使君』 現代語訳と訳註
(本文)
酬吳使君
支公別墅接花扃,買得前山總未經。
入戶剡溪云水滿,高齋咫尺躡青冥。


(下し文)
(吳使君に酬ゆ)
支公の別墅【べつしょ】 花扃【かけい】に接す,前山を買い得たるも 總て未だ經【よぎ】らず。
戶に入るの剡溪【えんけい】には 云水【うんすい】滿ち,高齋は 咫尺【ししゃく】に青冥【せいめい】を躡【ふ】むならん。


(現代語訳)
(呉使君から贈られた詩にお返しする詩。)
長官のお宅は、東晋時代の僧支遁の別荘とおなじようにお庭の花園の出入口につながって、風流なお住居だというし、そのうえ、前の山もお手にお入れされたといいではないですか。それなのに、そこまで行ったことはないというお話は、よほど廣いお敷地ということですね。
お部屋のなかにはいったら、剡渓の美しい自然の雲や水が、いっぱいに感じられることでしょう。そして書斎からは、すぐ目の前に青空へふみ出せる景色が広がるのでしょう。


(訳注)
酬吳使君
(呉使君から贈られた詩にお返しする詩。)
・呉使君 使君は、州郡の長官。呉という人物については、「全唐詩」巻七七四、呉商浩『塞上即事』という作品を残している人物といわれる、以下の詩にあるように故郷は浙江省東部、天台山の近所である。
卷774_5 《巫峽聽猿》吳商浩
巴江猿嘯苦,響入客舟中。孤枕破殘夢,三聲隨曉風。
連雲波澹澹,和霧雨濛濛。巫峽去家遠,不堪魂斷空。

卷774_7 《塞上即事》吳商浩
身似星流跡似蓬,玉關孤望杳溟蒙。
寒沙萬里平鋪月,曉角一聲高卷風。
戰士歿邊魂尚哭,單于獵處火猶紅。
分明更想殘宵夢,故國依然在甬東


支公別墅接花扃,買得前山總未經。
長官のお宅は、東晋時代の僧支遁の別荘とおなじようにお庭の花園の出入口につながって、風流なお住居だというし、そのうえ、前の山もお手にお入れされたといいではないですか。それなのに、そこまで行ったことはないというお話は、よほど廣いお敷地ということですね。
支公 東晋時代の僧支遁のこと。陳留(河南省陳留県)の出身とも,河東林慮(河南省林県)の出身ともいう。本姓は関、字は道林。二十五才で剃髪して僧となり、剣藻に入って寺を建てて修業した。都の建康(南京)と会稽の剡山(えんざん)で活躍。おもに般若(はんにや)系統の仏典を研究し,かれの般若の“空”の解釈は〈即色義〉とよばれたが,そこには老荘思想の影響がつよくみとめられる。洒脱で闊達な人柄は貴族社交界にむかえられ,清談の好手としても有名であった。父祖の代からの仏教徒であり、幼い頃に已に西晋末の華北の動乱を避け、江南に移り住んでいたが、25歳で出家した。『道行般若経』などの教理研究に専心した。また、老荘思想や清談にも精通しており、『荘子』「逍遥遊篇」に注釈を加え、独自の見解を述べている。
その後、江蘇の支山寺に入ったが、王羲之の要請によって会稽(浙江省)の霊嘉寺に移った。以後も、各地で仏典の講説を行い、弟子百人あまりを率いていた。哀帝の招きにより、都の建康に出て、東安寺で『道行般若経』を講ずるなどした。王羲之のほか、孫綽・許詢・謝安・劉恢らの東晋一流の文人らと交遊したが、東晋の太和元年(366年)、余姚(浙江省)で病死した。
・別墅 別荘。
・花扃 扃は出入ロ。花園の入口
・接 接近の接。つづくの意。
・経 経過。いったこと。


入戶剡溪云水滿,高齋咫尺躡青冥。
お部屋のなかにはいったら、剡渓の美しい自然の雲や水が、いっぱいに感じられることでしょう。そして書斎からは、すぐ目の前に青空へふみ出せる景色が広がるのでしょう。
・戸 へや。
・剡溪 浙江省の曹蛾江の上流の谷川。源は天台山に出るという。王子猷が雪の夜に戴達を訪ねたことで有名なところ。
・高齋 高いところにある書斎。相手の書斎であるから、高の字をつけたものとしてもよい。
・咫尺 咫は八寸。八寸か一尺はかりということは、きわめてわずかの距離を意味する。つい目の前の意。「左伝」に、「天成、顔を違らざること間尺」とある。それはすぐ目の前に天子がいるの意。
・躡 ふむ。ふまえる。足の下におしつける。「史記」 の推陰侯伝に、「漠王の足を蹄み、困って耳を附けて語る」とある。一本に按としてあるが、按の字は第一句にすでに用いられているから、とらぬ。
・青冥 青空。「楚辞」の「九章」に、「靑冥に拠って、虹を撼ぶ」とある。

天台山 瓊臺

吳商浩 作品集
-----------------------------------------------------------------------------
卷774_5 《巫峽聽猿》吳商浩
巴江猿嘯苦,響入客舟中。孤枕破殘夢,三聲隨曉風。
連雲波澹澹,和霧雨濛濛。巫峽去家遠,不堪魂斷空。


卷774_6 《長安春贈友人》吳商浩
繁華堪泣帝城春,粉堞青樓勢礙雲。花對玉鉤簾外發,
歌飄塵土路邊聞。幾多遠客魂空斷,何處王孫酒自醺。
各有歸程千萬裏,東風時節恨離群。


卷774_7 《塞上即事》吳商浩
身似星流跡似蓬,玉關孤望杳溟蒙。寒沙萬里平鋪月,
曉角一聲高卷風。戰士歿邊魂尚哭,單于獵處火猶紅。
分明更想殘宵夢,故國依然在甬東。


卷774_8 《宿山驛》吳商浩
文戰何堪功未圖,又驅羸馬指天衢。露華凝夜渚蓮盡,
月彩滿輪山驛孤。岐路辛勤終日有,鄉關音信來年無。
好同範蠡扁舟興,高掛一帆歸五湖。


卷774_9 《北邙山》吳商浩
北邙山草又青青,今日銷魂事可明。綠酒醉來春未歇,
白楊風起柳初晴。岡原旋葬松新長,年代無人闕半平。
堪取金爐九還藥,不能隨夢向浮生。


卷774_10 《秋塘曉望》吳商浩
鐘盡疏桐散曙鴉,故山煙樹隔天涯。
西風一夜秋塘曉,零落幾多紅藕花。


卷774_11 《水樓感事》吳商浩
高柳螿啼雨後秋,年光空感淚如流。
  滿湖菱荇東歸晚,閑倚南軒盡日愁。


卷774_12 《泊舟》吳商浩
身逐煙波魂自驚,木蘭舟上一帆輕。
雲中有寺在何處,山底宿時聞磬聲。


卷774_13 《湘雲》吳商浩
□滿湘江雲瑩空,紛紛長對水溶溶。
日西遙望自歸處,盡掛九疑千萬峰。

酬杜舍人 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-232--#88  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2707

《酬杜舍人》 薛濤 どうしてわたくしのところへ、玉詩を賜わり、とても恐れ多いことに存じ、深く感激いたしております。その書かれた便箋はお筆の跡も新しく、一字一句が美しい霞でもあるかのように感じられました。

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


酬杜舍人 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-232--#88   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2707
  
 
酬杜舍人
(杜舎人さまにご返事申しあげる。)
雙魚底事到儂家,扑手新詩片片霞。
どうしてわたくしのところへ、玉詩を賜わり、とても恐れ多いことに存じ、深く感激いたしております。その書かれた便箋はお筆の跡も新しく、一字一句が美しい霞でもあるかのように感じられました。
唱到白蘋洲畔曲,芙蓉空老蜀江花。
あの私の住まいする「白いかたはみの花の咲いている河の隈の洲のほとりで」というおことばのところは、まったく恐縮の限りで、若いころにいわれた「蜀江の花、芙蓉」にもたとえられましたが、今は老いてしまっており、お気を遣わせ痛み入ることです。

杜舍人に酬ゆ
雙魚【そうぎょ】底事【なにごと】ぞ 儂【わ】が家に到る,手を扑【う】つ 新詩 片片の霞。
唱って 白蘋【はくひん】洲畔【しゅうはん】の曲に到り,芙蓉 空しく蜀江の花も老るのみ。

白蘋005
















『酬杜舍人』 現代語訳と訳註
(本文)
酬杜舍人
雙魚底事到儂家,扑手新詩片片霞。
唱到白蘋洲畔曲,芙蓉空老蜀江花。


(下し文)
杜舍人に酬ゆ
雙魚【そうぎょ】底事【なにごと】ぞ 儂【わ】が家に到る,手を扑【う】つ 新詩 片片の霞。
唱って 白蘋【はくひん】洲畔【しゅうはん】の曲に到り,芙蓉 空しく蜀江の花も老るのみ。


(現代語訳)
(杜舎人さまにご返事申しあげる。)
どうしてわたくしのところへ、玉詩を賜わり、とても恐れ多いことに存じ、深く感激いたしております。その書かれた便箋はお筆の跡も新しく、一字一句が美しい霞でもあるかのように感じられました。
あの私の住まいする「白いかたはみの花の咲いている河の隈の洲のほとりで」というおことばのところは、まったく恐縮の限りで、若いころにいわれた「蜀江の花、芙蓉」にもたとえられましたが、今は老いてしまっており、お気を遣わせ痛み入ることです。


(訳注)
酬杜舍人
(杜舎人さまにご返事申しあげる。)
・酬 返事する。
・杜舎人 杜は杜元穎をさすと思われる。舎人は官名。中書舎人の昭。
杜舎人は、中書舎人になった杜元頴のこと。剣南西川節度使として成都に赴任している。杜元頴は初唐の名臣杜如晦の五世の孫にあたり、徳宗の貞元十六年の進土、空詞科にも及第し、右補闕で翰林學士をかねたが、文章が巧みであったことから、憲宗に愛されたという。つぎの穆宗が即位すると、すぐに中書舎人となり、そしてその年のうちに、宰相となる。
この薛濤の詩は、したがって穆宗が即位した820年元和十五年(元和帝は正月に急逝。翌年長慶に改元)の作であり、時に彼女は五十三歳であった。それ故に、詩中に「芙蓉空しく老ゆ蜀江の花」という句があるのはおそらく杜元頴が彼女のことを「蜀江の花」という言葉をつかってその美貌と詩才とをたたえたのに封して、「空しく老ゆ」と答えたものである。ただ、杜元頴が彼女に贈ったその詩は、今、のこっていない。


雙魚底事到儂家,扑手新詩片片霞。
どうしてわたくしのところへ、玉詩を賜わり、とても恐れ多いことに存じ、深く感激いたしております。その書かれた便箋はお筆の跡も新しく、一字一句が美しい霞でもあるかのように感じられました。
・雙魚 手紙のこと。昔、遠地から二匹の鯉を送ってきたが、その腹を開いてみると、なかに布に書かれた便りがあったということから。古楽府に「客、遠方より来る。我に双鯉魚を通る、宴を呼びて鯉魚を烹るに、中に尺素書あり、長跪して素書を読む。書中竟に何如、上に餐食を加へよとあり」とあるにもとづく。
・倶 われ。韓魚の詩に、「鮮魚、船よりも大に、許眼、燈を怖殺す」とある。かれの意になることもある。他人の意。揚維椴の詩に、「膿に勤む上ること莫れ北高峯」 の句がある。ここはわれ。
・扑手 扑は払著の意。ふりかかりつくの意。岑参の詩に「花は玉缸を撲って春酒香し」の句がある。缸はかめ。『韋員外家花樹歌』 唐・岑參
今年花似去年好,去年人到今年老。
始知人老不如花,可惜落花君莫掃。
君家兄弟不可當,列卿御史尚書郞。
朝囘花底恆會客,花撲玉缸春酒香。
・片片 ひるがえるさま。また軽く飛ぶさま。


唱到白蘋洲畔曲,芙蓉空老蜀江花。
あの私の住まいする「白いかたはみの花の咲いている河の隈の洲のほとりで」というおことばのところは、まったく恐縮の限りで、若いころにいわれた「蜀江の花、芙蓉」にもたとえられましたが、今は老いてしまっており、お気を遣わせ痛み入ることです。
・白蘋洲畔 白い花を咲かせているかたはみの生えた濯錦江百花潭の洲のほとり。
采蓮004

酬楊供奉法師見招 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-231--#87  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2702

薛濤《酬楊供奉法師見招》遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor贈別何邕 蜀中転々 杜甫 <502>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2700 杜甫詩1000-502-734/1500
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor酬楊供奉法師見招 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-231--#87  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2702
 
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楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

酬楊供奉法師見招 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-231--#87   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2702



酬楊供奉法師見招
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。

(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)
遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。 
袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。



『酬楊供奉法師見招』 現代語訳と訳註
DCF00021(本文)
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 


(下し文)
(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)
遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。 
袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。


(現代語訳)
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。


(訳注)
酬楊供奉法師見招
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
・供奉 官名。唐の時代に、文芸や技芸にすぐれた者を宮中へ奉仕させた。僧や道士なども宮中にあがって経典の講義・法話をしたりした。(13)においてもみえる。
宣上人見示與諸公唱和 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-148-20-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2287

見招 見るを受身によむ。この二字が楊法師の原作の題。供奉官として都へよばれたので、その感想を記した詩を昏清に贈ったものと思われる。


遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
・雪窗 雪は清らかな意と、山上の書斎の窓であることとから加えた修飾語。
・高臥 世を避け、山に隠れなどして、自由な生活をすること。「晋蓄」の謝安伝に「東山に高臥す」という語が見えている。


不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。
・袁室 後漢の袁閎が、朋党の争いが起こると、それに抱きこまれたくないので、土室を築いて入口をつくらず、窓から食物を入れてもらい、妻子とも顔をあわせず、十八年にわたって、経をつ誦えづけたという故事がある。
・煙火 ご飯を焚く煙。
・商山は陝西省の商県の東にある山の名。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。ところが、有名なりつばな人物たちであったので、漢の高祖は、招こうとしたが、四人ともことわった。後に高祖が太子を廃して趙王の如意を立てようとしたとき、母の呂后は、張良の計にょって、厚く礼してこの四人を招き、太子の相談役として、太子といっしょに高祖に会わせたので、高祖は、自分がよんだときには山をおりてこなかった四人が、太子のためにはきたのかと驚き、「羽翼すでに成る」(もうりつばに天子になる準備資格ができているな)といって、廃立をあきらめたという。
DCF00023

贈蘇十三中丞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-230-96-#86 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697

薛濤 《贈蘇十三中丞》 後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて出かけなかった
 

2013年7月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩829 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2693
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
送李尚書【李遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162-#2>Ⅱ中唐詩742 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2694
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor贈蘇十三中丞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-230-96-#86 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
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孟郊詩
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈蘇十三中丞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-230-96-#86  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697


贈蘇十三中丞
(蘇辯十三中丞さまにこの詩を贈ります。)
洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて、出かけなかったというような気概のあるものでしたが、あなたさまは、御史臺の長官できっとそのようなお方だと思っております。またたとえたならば、秋峯を高く飛んでいるはやぶさのように、役所に巣食う悪者どもを射落としてもらいたいものです。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
天子さまの新しい印肉の勅命で悪い者どもを成敗されるという、どうかわるい人の恐れるようなきびしいご態度で、あらゆる方面におのぞまれることと、心からご期待申しあげております。


(蘇十三中丞に贈る)
洛陽 陌上【はくじょう】 埋輪【まいりん】の氣,秋空を逐うて隼の飛ぶを擊たんと欲す。
今日 芝泥【しでい】 征詔【せいしょう】に檢し,別に台外に霜威【そうい】を振わんことを須【ま】つのみ。


『贈蘇十三中丞』 現代語訳と訳註
DCF00021(本文)
贈蘇十三中丞
洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。


(下し文)
(蘇十三中丞に贈る)
洛陽 陌上【はくじょう】 埋輪【まいりん】の氣,秋空を逐うて隼の飛ぶを擊たんと欲す。
今日 芝泥【しでい】 征詔【せいしょう】に檢し,別に台外に霜威【そうい】を振わんことを須【ま】つのみ。


(現代語訳)
(蘇辯十三中丞さまにこの詩を贈ります。)
後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて、出かけなかったというような気概のあるものでしたが、あなたさまは、御史臺の長官できっとそのようなお方だと思っております。またたとえたならば、秋峯を高く飛んでいるはやぶさのように、役所に巣食う悪者どもを射落としてもらいたいものです。
天子さまの新しい印肉の勅命で悪い者どもを成敗されるという、どうかわるい人の恐れるようなきびしいご態度で、あらゆる方面におのぞまれることと、心からご期待申しあげております。


(訳注)
贈蘇十三中丞
(蘇辯十三中丞さまにこの詩を贈ります。)
・蘇十三中丞 蘇は姓。名は弁。十三は排行。同一血族中の男の順位。三十とした本もある。名をいうかわりに、この排行の順で、人をよぶ場合が多い。中丞は官名。官吏の弾劾や法律の施行をつかさどる御史台の長官。蘇十三中丞は、蘇世長の徒孫、蘇辯とおもわれる。蘇辯は、あざなを元容といい、京兆武功の人。進士に及第して奉天(駅西省乾陽)の主簿をしていたときに、朱泚の亂があり、(徳宗の建中四年)、徳宗が奉天に蒙塵したとき、よく部下をひきいて奉仕したので、乱が平らぐと、功によって大理司直に任ぜられ、司法関係の事務についていたが、やがて監察御史に抜擢された。中丞は御吏臺の長官をいう。この詩はこのときの就任をききつけ、おくったものである。


洛陽陌上埋輪氣,欲逐秋空擊隼飛。
後漢の時代に、地方官の心のゆるみをひきしめるために派遣されました張嗣が、「中央の執政者がよくない行為をしているのにくらぶれば、地方の小官の乱れなどは些細なことである。むしろ問題は中央の宰相の行為にあるんだ」といって、地方出張のためにあたえられた車を、都の郊外で埋めて、出かけなかったというような気概のあるものでしたが、あなたさまは、御史臺の長官できっとそのようなお方だと思っております。またたとえたならば、秋峯を高く飛んでいるはやぶさのように、役所に巣食う悪者どもを射落としてもらいたいものです。
・洛陽 後漢の首都。長安の西都にたいし、東都、東京と呼ばれた。
・陌上 陌は道路。
・埋輪気 順帝(115-144)は後漢の第8代皇帝。 概要[編集]. 安帝の末年から権勢を振るっていた外戚の閻氏や側近の宦官の讒言により一時廃嫡されたが、それを憎んだ宦官の孫程のクーデターにより閻氏らが打倒されたため、皇帝となった。梁商は専横を振るうことも無く、宦官と融和を図り朝政を運営した。しかし、その子梁冀を世襲させたことで、梁冀が宰相として権勢をほしいままにして、勝手なふるまいした。順帝は八人の特別使を各地方へ派遣して、風俗の乱れを正させようとしたところ、七人の署はそれぞれ出発したが、ひとり張嗣だけは、郊外に出ると、その乗車を破棄、埋めて云った。「射狼、国に当る。安くんぞ狐狸を問はん」大悪人が中央で政治を乱している時に、地方の小役人や小悪者をただしてみたところで、何になる?」といったという故事。


今日芝泥檢征詔,別須台外振霜威。
天子さまの新しい印肉の勅命で悪い者どもを成敗されるという、どうかわるい人の恐れるようなきびしいご態度で、あらゆる方面にのぞまれることと、心からご期待申しあげております。
・芝泥 印肉のこと。
・徴詔 天子より車夫官署へのお召のみことのり。したがってこの時、蘇弁は成都にいたと思われる。
・檢 ふういんすること。
・台外 御史台のほかに。
・霜威 きびしい威力。
DCF00023

酬雍秀才貽巴峽圖 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-229-95-#85  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2692

薛濤《酬雍秀才貽巴峽圖》  かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。



2013年7月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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酬雍秀才貽巴峽圖 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-229-95-#85   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2692

酬雍秀才貽巴峽圖
(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。

雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。

雍秀才の巴峽の圖を貽【のこ】せしに酬る
千疊 云峰 萬頃【ばんけい】の湖,白波 分去して荊吳を繞る。
君 我が枕流【ちんりゅう】の意を識すを感じ,重ねて示す 瞿塘峽 口の圖を。


『酬雍秀才貽巴峽圖』 現代語訳と訳註
古桟道0011(本文)

千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。


(下し文)
雍秀才の巴峽の圖を貽【のこ】せしに酬る
千疊 云峰 萬頃【ばんけい】の湖,白波 分去して荊吳を繞る。
君 我が枕流【ちんりゅう】の意を識すを感じ,重ねて示す 瞿塘峽 口の圖を。


(現代語訳)
(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。


(訳注)
酬雍秀才貽巴峽圖

(雍秀才がのこしている巴峡の絵図を見せてもらったことへお返しの詩。)
・雍秀才 詩人蕹陶の若きころ。蜀の生まれで大和三年(薛濤六十二歳のとき)に南詔が入寇した直後のありさまを詠じた詩を遺している。ここに言う巴峡、三峡、瞿塘峡の画と詩は必ずしも薛濤に向けて書いたものではなく見せてもらったというところ、お返しの詩を作った。「贈」ではなく、残す意味の「貽」をつかっている。
・貽 (1) 贈る.(2) 残す贻患災いの種をまく.
・秀才 地方試験に及第した者の称。彼はこれから推薦を得て中央試験をうけようとしている人である。
薛濤『酬祝十三秀才』
浩思藍山玉彩寒,冰囊敲碎楚金盤。
詩家利器馳聲久,何用春闈榜下看。
巴峡 渝州(重慶)を過ぎたあたりを、巴峡と呼び、三峡の内には入れない。それより150km下流に三峡がある。巴山巴峡には雨がよくふる。


千疊云峰萬頃湖,白波分去繞荊吳。
かぞえきれない雲をつくような高い山々はすばらしい、こんなにも広い湖、洞庭湖。白い波をたててながれる長江は、それらの山々の間をぬい、湖の水をふくらませながら、はるか東の方、荊呉の地方へと、めぐりめぐって流れくだっています。
・萬頃湖 一頃は百畝。すばらしい広さの湖といういみで、洞庭湖を指す。
・荊呉 荊は今の湖北・湖南・広西・貴州地方。九州の一。ここでは湖北・紺南を主として据す。呉は趙江の下流域の江蘇地方。


感君識我枕流意,重示瞿塘峽口圖。
雄大なその姿を写した絵図は、俗界を離れて、石を枕に自然のふところにはいりたいと願っていることを、ご理解され、続いて瞿塘峡の入口の風景をえがいた絵図をみせくださったご厚意には、心うたれるのです。
・枕流意 中国西晋せいしんの孫楚そんそは「石に枕し流れに漱くちすすぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事から。そこから、自分の失敗を認めず、屁理屈へりくつを並べて言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。▽「石に漱くちすすぎ流れに枕する」と常用され、夏目漱石の雅号「漱石」の由来として有名。「枕流漱石ちんりゅうそうせき」ともいう。
ここでは隠棲したいことを示すのであるが耳を洗う許由の故事を云う。《「史記正義」伯夷伝・註から。中国の伝説上の人物許由が、天子の堯から帝位を譲ろうと言われて、汚れたことを聞いたと耳を洗ったという故事から》汚れたことを聞いたので、その耳を流れで洗い清める。俗事にかかわりなく暮らすことのたとえ。潁水(えいすい)に耳を洗う。
・瞿塘峡 瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。

酬李校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-228-94-#84  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2687

薛濤《酬李校書》すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。


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女性詩人
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李商隠詩
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酬李校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-228-94-#84   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2687


酬李校書
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。

李校書に酬ゆ
才は象外に游び 身は雖【こ】れ遠く,學は區中に茂【ひい】いで 事 聞し易し。
自ら顧うに 漳濱【しょうひん】多病の後,空しく逸翮【いつかく】青云に舞うを瞻ん。 


茶苑


















『酬李校書』 現代語訳と訳註
(本文)
酬李校書
才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。


(下し文)
李校書に酬ゆ
才は象外に游び 身は雖【こ】れ遠く,學は區中に茂【ひい】いで 事 聞し易し。
自ら顧うに 漳濱【しょうひん】多病の後,空しく逸翮【いつかく】青云に舞うを瞻ん。 


(現代語訳)
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。


(訳注)
酬李校書
(李校書さまから贈られた詩にお返しの詩を作りました。)
この相手の李校書といぅのは、誰であろうか。確認のない人物を、よい加減にあてはめることは、できないということになっている。
・酬 贈られた詩に対する返し。
・李校書 校書は書記官。『贈段校書』(70)には段校書。『贈韋校書』(50)には韋校書の名が見える。『和李書記席上見贈』(77)


才游象外身雖遠,學茂區中事易聞。
すはらしい才をおもちで、現象の世界を越えて、高遠な道の世界にまで達していらっしゃるし、人柄も、それにふさわしく高尚なお方なのです。しかも学問の点においては、幕府・役所でもひときわぬきんでているといううわさは、誰の耳にもよくはいっているのです。
・遊象外(しょうがいにあそぶ) 形のある世界の外にあそぶ。高尚なこと。
・雖遠 雖は此におなじ。遠は高尚なこと。
・茂 秀で・すぐれていること。
・区中 区はある限定された地域。ここでは地方をいう。


自顧漳濱多病後,空瞻逸翮舞青云。
さて、あなたさまもご自分のこと振り返ってみて、賓客を支えるには、これからはいろんな病気が心配でなりません、あの青室の雲の上を群をぬいて飛んでいる鳥を仰ぎ見るように、ご出世になったあなたさまを仰ぎみることでございましょう。
・漳濱 賓客を支えるというのに
・多病 浣花渓という名をつけた、尊敬する杜甫のことであろう。李校書が体を壊して杜甫を喩えにしたか、作者みずからの将来を想像していうものであろう。
・逸翮(いっかく) 群れをはなれた鳥。李校書をさす。
・舞青雲 高い雲の上に舞うとは、出世することをいう。
甘粛省-嘉峪関

酬文使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-227-93-#83  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2682

薛濤 《酬文使君》 延英殿で、唐朝廷の新任の御礼をもって拝謁されます。長官として五頭立ての馬で移動され、八街九陌におこる塵もはなやかに舞いあがっていることでしょう。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

酬文使君 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-227-93-#83   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2682


酬文使君
(文使君さまにこの詩をお贈りいたします)
延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
延英殿で、唐朝廷の新任の御礼をもって拝謁されます。長官として五頭立ての馬で移動され、八街九陌におこる塵もはなやかに舞いあがっていることでしょう。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。
今日は、ここ四川成都のお邸での宴席で、晋の謝庭の故事のように、白雪をどんなふうに詠いあげるのか、巴蜀の田舎の歌なのか、それでもまた、誰もが一緒に歌えない宋玉の「陽春白雪」のような高尚な曲にはなっていないことでしょう。

文使君に酬ゆ
延英の曉拜 漢恩 新たなり,五馬 騰驤し 九陌の塵。
今日 謝庭 白雪を飛ばし,巴歌 復た舊陽の春ならず。


海棠花022















『酬文使君』 現代語訳と訳註
(本文)
延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。


(下し文)
文使君に酬ゆ
延英の曉拜 漢恩 新たなり,五馬 騰驤し 九陌の塵。
今日 謝庭 白雪を飛ばし,巴歌 復た舊陽の春ならず。


(現代語訳)
(文使君さまにこの詩をお贈りいたします)
延英殿で、唐朝廷の新任の御礼をもって拝謁されます。長官として五頭立ての馬で移動され、八街九陌におこる塵もはなやかに舞いあがっていることでしょう。
今日は、ここ四川成都のお邸での宴席で、晋の謝庭の故事のように、白雪をどんなふうに詠いあげるのか、巴蜀の田舎の歌なのか、それでもまた、誰もが一緒に歌えない宋玉の「陽春白雪」のような高尚な曲にはなっていないことでしょう。


(訳注)
酬文使君
(文使君さまにこの詩をお贈りいたします)
文使君が何人であるかあきらかでない。使君とあるから州の長官であるし、それが新しく出世して中央にゆくのに歸ったとおもわれることから、相当の地位にのぼった人物であろうが、「全唐詩」および「新唐書」ともに、女性は稀であるにもかかわらず、それらしい人物は見あたらない。


延英曉拜漢恩新,五馬騰驤九陌塵。
延英殿で、唐朝廷の新任の御礼をもって拝謁されます。長官として五頭立ての馬で移動され、八街九陌におこる塵もはなやかに舞いあがっていることでしょう。
・延英 唐の長安の宮殿の名。百官はここで天子に拝謁する。(大明宮図参照d-6
・曉拜 日が昇る前に参集整列し、天子への拝謁、そのほか天子の政治的仕事は、すべて早朝から行なわれた。
・漢思 実は唐の天子の恩をいうのであるが、権威付け、漢からつながったという意味をもって唐に代えて詠ずる。
五馬 太守の乗車には、駟馬(四頭だて)のほかに驂(そえ馬)を加えて五頭の馬をつけた。
騰驤 騰も驤も、あがる意。馬が首をあげて勢いよく走ること。
九陌 陌はみち。九陌は、僕の首都長安城中にあった九つの大道。都城の大道凡そ九條あるをいふ、漢の長安城中八街九陌あること三輔黄圖に見ゆ。


今日謝庭飛白雪,巴歌不復舊陽春。
今日は、ここ四川成都のお邸での宴席で、晋の謝庭の故事のように、白雪をどんなふうに詠いあげるのか、巴蜀の田舎の歌なのか、それでもまた、誰もが一緒に歌えない宋玉の「陽春白雪」のような高尚な曲にはなっていないことでしょう。
謝庭 晋の謝奕の邸。謝奕のむすめを道韞といった。ある日、一族のものが集まっているところへ。雪が降ってきた。叔父の謝安が、「この雪をたとえてみたら?」というと、安の子は、「塩を空中に撒いたようです」といったが、道覇は、「風に吹かれて散る柳絮のようですわ」といったので、一座のものは、その詩的感覚に感心したという故事がある。なお次句の陽春・巴歌とも関聯して、この語は用いられている。
・巴歌 いなか歌。下品な誰にでもわかる俗話。階に作者は自己の詩をけんそんしてこのように言っているのである。
舊陽春 前句の白雪とともに、古い歌曲の名で、宋玉の 「対楚王間」に、「その陽春白雪を為るや、国中属して和する者、数十人に過ぎず」の句があり、下里巴人すなわち田舎のくだらぬ俗話なら、すぐに数千人のいっしょにうたう者があらわれるが、陽春白雪のような高尚な曲になると、ほとんど合唱する者がなくなるという話から、陽春白雪は、高尚な曲をいう。
大明宮-座標

送扶煉師 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-226-92-#82 H:\Ⅴ唐宋詞詩&女性\薛濤\78送扶煉師30.docx 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2677

薛濤 《送扶煉師》 今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

送扶煉師 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-226-92-#82  H:\Ⅴ唐宋詞詩&女性\薛濤\78送扶煉師30.docx 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2677


送扶煉師
錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。

此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)

李清照0055
















『送扶煉師』 現代語訳と訳註
(本文)
送扶煉師
錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。


(下し文)
送扶煉師
錦浦 舟歸り 巫峽の云,綠波 遞を迢え 雨 紛紛。
山陰 妙朮【みょうじつ】人 傳うること久し,也【また】 鵝を將って右軍に與うと 說【いわ】ん。


(現代語訳)
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)


(訳注)
送扶煉師
・扶煉師 
成都に高級官僚が女性を携えて場合の其の女性が芸妓である場合が想定される。これまでは、道士の元丹を練ってつくる人という解釈が多いのだが詩の雰囲気からすると三句の山陰、会稽という地名は謝安の「芸妓を携えて」を連想させる。芸妓が道士の煉師を云う場合、低い地位のものではないので別の尊称を使うはずである。芸妓にとっては最高の呼び方であるから、ここでは「同行された元芸妓の煉師おくさま」ということである。
(漢文大系の“扶という道士。第三句により山陰会稽の人と思われる。”という解釈は間違い。
・煉師 芸妓から官僚の妻になった人のことを煉師という。
「孫権の歩夫人にあやかっての呼び合っていたのであろう。ちなみに歩夫人は徐州臨淮郡淮陰(現在の江蘇省淮安市)の出身。呉に仕えた歩隲の同族。諱は「練師」だった(『建康実録』)。史書に名前が残る孫権の妻の一人。戦乱を避けて母と共に江東に移住した所、孫権に見初められて夫人となった。嫉妬しない性格だったため孫権が最も寵愛した夫人となった。孫権が皇帝に即位すると内心歩夫人を皇后にしようと考えていたが、皇太子の孫登や群臣達は孫登の養母である徐夫人を皇后にすることを望んでいた。しかし孫権は徐夫人の立后を拒否し、歩夫人もまた皇后につこうとせず238年に没した。
孫権はあらためて歩夫人に皇后の位を追贈し、孫権死後に陵墓である「蒋陵」に一緒に葬られることになった。」その後、芸妓から官僚の妻になったものが煉師と呼ばれるようになった。


錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
・錦浦 成都のことを錦官城という。杜甫に
『贈花卿』「錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。此曲只應天上有,人間能得幾回聞? 」(花卿に贈る)(錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。)
錦城・錦里ともいう。昔、織錦をつきどる官があり、成都のわきを流れる江で濯いだ色あざやかな錦を、中央に納めた。そこで成都城外の船出のところを錦浦といったもの。
・歸舟 帰るための舟。出港する舟。
・巫峡 長江の上流、三峡の一つ。巫山のふもとを流れる長江最大の難関。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。
「巫山廟に謁す」(このブログでは薛濤94で掲載予定)の巫山廓の注を見よ。朝雲暮雨の語があり、ここの朝やけ雲の美しさは、李白の「早に白帝城を発す」の詩にも「朝に辞す白市彩雲の間」と詠じられている。 
・迢遞 はるかに遠いさま。薛濤の今いる成都から、揚子江をはるかに会稽へとくだってゆく、はるかな道のりの遠さをいう。杜甫『野望』「清秋望不極,迢遞起層陰。遠水兼天淨,孤城隱霧深。葉稀風更落,山迥日初沈。獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。」(野 望) (清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。)

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425


山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。
此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
・山陰 煉師は山陰に帰る人である。道教の道士であれば表現が変わっているはずで、山陰というひょげんで、女性を連想させる。山陰は今の噺江省の紹興のあたり。○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。李白『憶東山二首其二』 「我今攜謝妓。 長嘯絕人群。 欲報東山客。 開關掃白云。」(我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。)

李白『憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

妙術は、この地にいた王義之のすばらしい書をいう。
・右軍 東晋の文章家で.風流人であり、また書家として有名であった王羲之をいう。謝安と同じように時の権力者に対して芸子遊びにかこつけて抵抗している。

(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)

和李書記席上見贈 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-225-91-#81  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

薛濤 《和李書記席上見贈》 李書記さまは、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來る詩才をお持ちになって、文官のならぶお役所の間でも、特別にすぐれたお方とされています。本日光栄にも、そのようなお方にお逢いいでき、とても欒しく、小さなわたくしの心は、のびのびとよろこびにあふれております。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

和李書記席上見贈 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-225-91-#81   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672


和李書記席上見贈 
(書記の李さまが、宴合の席で、わたくしにくださった詩に、お答え申しあげる。)
翩翩射策東堂秀,豈復相逢豁寸心。
李書記さまは、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來る詩才をお持ちになって、文官のならぶお役所の間でも、特別にすぐれたお方とされています。本日光栄にも、そのようなお方にお逢いいでき、とても欒しく、小さなわたくしの心は、のびのびとよろこびにあふれております。
借問風光為誰麗,萬條絲柳翠煙深。
晩春のうるわしい景色が、誰のためのものか、しつもんさせてください。たくさんな柳の木が、緑の霞の枝をたれて、それに夕霞がかかり、とてもよい眺めになっています。

李書記の席上に贈らるを見て和す 
翩翩【へんぺん】射策 東堂の秀,豈に復た 相い逢うて寸心を豁くす。
借問す 風光 誰が為に麗しき,萬條【ばんじょう】の絲柳【しりゅう】 翠煙【すいえん】 深し。

美女画557













『和李書記席上見贈』 現代語訳と訳註
(本文) 
翩翩射策東堂秀,豈復相逢豁寸心。
借問風光為誰麗,萬條絲柳翠煙深。


(下し文)
李書記の席上に贈らるを見て和す 
翩翩【へんぺん】射策 東堂の秀,豈に復た 相い逢うて寸心を豁くす。
借問す 風光 誰が為に麗しき,萬條【ばんじょう】の絲柳【しりゅう】 翠煙【すいえん】 深し。


(現代語訳)
(書記の李さまが、宴合の席で、わたくしにくださった詩に、お答え申しあげる。)
李書記さまは、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來る詩才をお持ちになって、文官のならぶお役所の間でも、特別にすぐれたお方とされています。本日光栄にも、そのようなお方にお逢いいでき、とても欒しく、小さなわたくしの心は、のびのびとよろこびにあふれております。
李書記さまは、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來る詩才をお持ちになって、文官のならぶお役所の間でも、特別にすぐれたお方とされています。本日光栄にも、そのようなお方にお逢いいでき、とても欒しく、小さなわたくしの心は、のびのびとよろこびにあふれております。


(訳注)
和李書記席上見贈 
書記の李さまが、宴合の席で、わたくしにくださった詩に、お答え申しあげる。
・和 和電したということ。人から詩を贈られたのに対して、同一の韻群の字をつかって答えること。
・李書記 書記は官名。文書記録をつかさどる。李姓の人物については上の解説を見よ。


翩翩射策東堂秀,豈復相逢豁寸心。
李書記さまは、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來る詩才をお持ちになって、文官のならぶお役所の間でも、特別にすぐれたお方とされています。本日光栄にも、そのようなお方にお逢いいでき、とても欒しく、小さなわたくしの心は、のびのびとよろこびにあふれております。
・翩翩 才の美しいかたち。ひらひらと舞い飛ぶことをあらわすことから、詩文がスラスラ舞い飛ぶように出て來ることをあらわす。
・射策 経書または政治上の疑問を竹のふだに書き、そのふだをならべておいて、問題をあらわさず、受験者めいめいに射あてたものについて、解答を書かせた官吏恕用試験の方法で、「漢書」 の児寛伝に、「射策を以て掌故となる」とある。
・東堂 門下省、翔鸞閣をいう。弘文館、史館、待制院など歴史記録などの文官をいう。
・秀 すぐれた人物。
・豈復 「全唐詩」、一般テキストで豈復となっているが、強調する語である。「豈弟」とむりやり、あやまりとする解説もある。参考までに、豈弟はまた憧悌とも書き、やわらぎ楽しんで親しみのあることとしている。


借問風光為誰麗,萬條絲柳翠煙深。
晩春のうるわしい景色が、誰のためのものか、しつもんさせてください。たくさんな柳の木が、緑の霞の枝をたれて、それに夕霞がかかり、とてもよい眺めになっています。
・寸心 小さいむねの意。杜甫の詩に、
杜甫『述懐』「反畏消息來,寸心亦何有?」
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
○消息 鄜州の妻子からのたより。○寸心 むねのうち、中国人は心のはたらきを一寸四方の心臓に在るとかんがえていた。○亦何有 なにもないことをいう、心も消えうせるばかり。述懐 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 180
杜甫 『送重表姪王砅評事便南海』「苟活到今日,寸心銘佩牢。」(なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。)
○銘佩牢 肝に銘じて体に佩びること。佩は腰につける飾り。

送重表姪王砅評事便南海 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

李清照0055

和段相公登武擔寺西臺 姚康 唐五代詞・宋詩 薛濤-224-90-#80  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2667

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



和段相公登武擔寺西臺 姚康 唐五代詞・宋詩 薛濤-224-90-#80   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2667


姚康 和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
松徑引清風,登台古寺中。
この高台に続く松林の小道には清々しい風がふきぬける。進んでゆけば高台に登り、そこには古い寺がある。
江平沙岸白,日下錦川紅。
錦江は遠く水平線に続いていて、砂浜は白く続く。太陽が西に下ると錦江は赤く染まる。
疏樹山根淨,深雲鳥跡窮。
疎らに生えている木樹は山に大地に根を下ろしていてここの雰囲気を浄化している。そこは奥深く雲の中のようにおい繁っていて、鳥が棲んでいて巣作りを極めている。
自慚陪末席,便與九霄通。
ここにおいて私詩人の端くれとしてこの宴の末席に陪席させていただいている。ということで、ここより九天の高い所と通じていることに喜びを感じているのである。

姚康 (武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
松徑 清風を引き,台に登る古寺の中。
江 平かにして 沙岸白く,日下 錦川【きんせん】紅なり。
疏樹【そじゅ】山根 淨く,深雲 鳥跡【ちょうせき】窮まる。
自ら慚じて 末席に陪するも,便ち 九霄【きゅうしょう】と通ず。

幻日環01











『和段相公登武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(本文) 姚康 
松徑引清風,登台古寺中。
江平沙岸白,日下錦川紅。
疏樹山根淨,深雲鳥跡窮。
自慚陪末席,便與九霄通。


(下し文)
(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
松徑 清風を引き,台に登る古寺の中。
江 平かにして 沙岸白く,日下 錦川【きんせん】紅なり。
疏樹【そじゅ】山根 淨く,深雲 鳥跡【ちょうせき】窮まる。
自ら慚じて 末席に陪するも,便ち 九霄【きゅうしょう】と通ず。


(現代語訳)
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
この高台に続く松林の小道には清々しい風がふきぬける。進んでゆけば高台に登り、そこには古い寺がある。
錦江は遠く水平線に続いていて、砂浜は白く続く。太陽が西に下ると錦江は赤く染まる。
疎らに生えている木樹は山に大地に根を下ろしていてここの雰囲気を浄化している。そこは奥深く雲の中のようにおい繁っていて、鳥が棲んでいて巣作りを極めている。
ここにおいて私詩人の端くれとしてこの宴の末席に陪席させていただいている。ということで、ここより九天の高い所と通じていることに喜びを感じているのである。


(訳注)
和段相公登武擔寺西臺
 
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。
・姚康 『送姚員外』 薛濤
萬條江柳早秋枝,裊地翻風色未衰。
欲折爾來將贈別,莫教煙月兩鄉悲。
送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537

姚康は、あざなを汝諧といい、下邽(陝西省渭南縣)の人で、元和十五年に進士に及第し、右武衛曹参軍をへて、剣南観察推官になり、宜宗のときに太子唐草で終わっている。どちらも段文昌が西川節度使であったときに、成都におって、「段相公の晩夏に張儀楼(成都にある)に登りたまふに陪し奉る」と、「段相公の『武婚寺の西蔓に登る』に和す」という詩をのこしている。
薛濤の年齢は五十四歳から五十六歳までの問ということになる。


松徑引清風,登台古寺中。
この高台に続く松林の小道には清々しい風がふきぬける。進んでゆけば高台に登り、そこには古い寺がある。
・松徑 松林の小道。


江平沙岸白,日下錦川紅。
錦江は遠く水平線に続いていて、砂浜は白く続く。太陽が西に下ると錦江は赤く染まる。


疏樹山根淨,深雲鳥跡窮。
疎らに生えている木樹は山に大地に根を下ろしていてここの雰囲気を浄化している。そこは奥深く雲の中のようにおい繁っていて、鳥が棲んでいて巣作りを極めている。


自慚陪末席,便與九霄通。
ここにおいて私詩人の端くれとしてこの宴の末席に陪席させていただいている。ということで、ここより九天の高い所と通じていることに喜びを感じているのである。
大空。天の高い所。九天。
DCF00009

和段相公登武擔寺西臺 溫會 唐五代詞・宋詩 薛濤-223-89-#79+4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2662

溫會 《和段相公登武擔寺西臺》   東側の高台には紅葉に西日にてらされ、燃える樹になっているし、高台に植えてある樹木は高く聳えたち空に浮かぶ雲を作る。

2013年7月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

和段相公登武擔寺西臺 溫會 唐五代詞・宋詩 薛濤-223-89-#79+4   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2662

王屋山01

段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
 卷331_2題武擔寺西臺 五言律詩押東韻.
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。 鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。


姚向 開閣錦城中
和段相公登武擔寺西臺(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。 天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。


李敬伯 臺上起涼風
和段相公登武擔寺西臺(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻. 臺上起涼風,乘閑覽歲功。自隨台席貴,盡許羽觴同。 樓殿斜暉照,江山極望通。賦詩思共樂,俱得詠時豐。


溫會 和段相公登武擔寺西臺 桑臺煙樹中
和段相公登武擔寺西臺(唐•溫會) 五言律詩押東韻.
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。始愧才情薄,躋攀繼韻窮。



五言律詩押東韻.

五言律詩押東韻.
題武擔寺西臺 
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。

武擔寺の西臺を題す 
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。


(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
九層連晝景,萬象寫秋空。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
天半將身到,江長與海通。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
提攜出塵土,曾是穆清風。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
閣を開く 錦城の中,餘閑【よかん】にして 梵宮【そきゅう】を訪う。
九層 晝景【ちゅうけい】に連り,萬象 秋空を寫す。
天半 將って身 到らんとし,江長 與って海 通ず。
提攜【ていけい】して塵土【じんど】を出づ,曾【すなわ】ち是れ穆清【ぼくせい】の風。


李敬伯 
(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻.
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
臺上起涼風,乘閑覽歲功。
この西の高台に登とそこに涼やかな風が起こる。誰もいない静けさに風流な気持ちも乗じてき他のと是までの歳月の経験などがここで見るような気持ちになる。
自隨台席貴,盡許羽觴同。
この高台に四人で登ると自然にその歲功によって貴き順に並んでしまう。でもそういう中でもしすべてのことが許されるならば酒杯だけでも同じようにしたいものである。
樓殿斜暉照,江山極望通。
ここの楼閣や、本殿に傾きかけた太陽の日差しが赤るる照っている。この山、錦江や遙かな連峰は遠い先に臨まれる。
賦詩思共樂,俱得詠時豐。
唱和する賦詩を思い思いにつくって楽しいと思うのである。こんな詩を詠うひと時を一緒に過ごせて本当によかったのである。

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
臺上に 涼風起る,閑に乘じて 歲功を覽る。
自ら台席の貴に隨い,盡く 羽觴 同じゅうするを許す。
樓殿 斜暉に 照らし,江山 極望に 通ず。
詩を賦して共に樂しまんことを思い,俱に 時豐を詠ずるを得たり。



溫會 五言律詩押東韻
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。
東側の高台には紅葉に西日にてらされ、燃える樹になっているし、高台に植えてある樹木は高く聳えたち空に浮かぶ雲を作る。
眺聽逢秋興,篇辭變國風。
ここで眺め風の音を聞き秋の趣きにであうことが出来るし、この風流を詩にし篇じるは詩経の詩を変化させる。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。
座って高く飛びあがる鳥を見て愁い、この趣のある景色をと同席した者たちと共有して微笑む。
始愧才情薄,躋攀繼韻窮。
そういう中で自分の詩才や情感の薄さを始めて愧じるけれども、這い上がり攀じ登るように懸命に詩韻を繋いで極めたいものである。

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
桑臺 煙樹の中,臺榭 造雲の空。
眺聽して 秋興に逢い,篇辭して 國風を變ず。
坐して 高鳥起きるを愁い,笑って 遠人同じゅうするを指す。
始めて才情の薄きを愧じれども,躋攀【せいはん】して繼韻 窮む。


『和段相公登武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(本文)

桑臺煙樹中,臺榭造雲空。
眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。
始愧才情薄,躋攀繼韻窮。


(下し文)
(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
桑臺 煙樹の中,臺榭 造雲の空。
眺聽して 秋興に逢い,篇辭して 國風を變ず。
坐して 高鳥起きるを愁い,笑って 遠人同じゅうするを指す。
始めて才情の薄きを愧じれども,躋攀【せいはん】して繼韻 窮む。


(現代語訳)
東側の高台には紅葉に西日にてらされ、燃える樹になっているし、高台に植えてある樹木は高く聳えたち空に浮かぶ雲を作る。
ここで眺め風の音を聞き秋の趣きにであうことが出来るし、この風流を詩にし篇じるは詩経の詩を変化させる。
座って高く飛びあがる鳥を見て愁い、この趣のある景色をと同席した者たちと共有して微笑む。
そういう中で自分の詩才や情感の薄さを始めて愧じるけれども、這い上がり攀じ登るように懸命に詩韻を繋いで極めたいものである。


(訳注)
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。
そういう中で自分の詩才や情感の薄さを始めて愧じるけれども、這い上がり攀じ登るように懸命に詩韻を繋いで極めたいものである。


桑臺煙樹中,臺榭造雲空。
東側の高台には紅葉に西日にてらされ、燃える樹になっているし、高台に植えてある樹木は高く聳えたち空に浮かぶ雲を作る。
・桑臺 桑は東の畑に植えるので、東側の高台。蛇足だが扶桑は蜀を示す語ではある。
・煙樹 紅葉に燃える樹で、西日があたっている状況を云う。


眺聽逢秋興,篇辭變國風。
ここで眺め風の音を聞き秋の趣きにであうことが出来るし、この風流を詩にし篇じるは詩経の詩を変化させる。
・秋興 秋のおもしろさ。秋の興趣。
・國風 (1)その国や地方の風俗・習慣。その国や地方の気風。くにがら。 (2)「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」の略。 (3)『詩経』に詠う、周王朝の時代の十五の国と地域の小唄や民謡を収める。


坐愁高鳥起,笑指遠人同。
座って高く飛びあがる鳥を見て愁い、この趣のある景色をと同席した者たちと共有して微笑む。


始愧才情薄,躋攀繼韻窮。
そういう中で自分の詩才や情感の薄さを始めて愧じるけれども、這い上がり攀じ登るように懸命に詩韻を繋いで極めたいものである。
・躋攀【せいはん】よじのぼること。登攀。攀躋。意味は同じく高いところに登ること。躋る(のぼる)と読む。

和段相公登武擔寺西臺 李敬伯 唐五代詞・宋詩 薛濤-222-88-#79+3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2657

李敬伯 《和段相公登武擔寺西臺》この西の高台に登とそこに涼やかな風が起こる。誰もいない静けさに風流な気持ちも乗じてき他のと是までの歳月の経験などがここで見るような気持ちになる。



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和段相公登武擔寺西臺 李敬伯 唐五代詞・宋詩 薛濤-222-88-#79+3   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2657


段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
 卷331_2題武擔寺西臺 五言律詩押東韻.
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。

姚向 開閣錦城中
和段相公登武擔寺西臺(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。


李敬伯 臺上起涼風
和段相公登武擔寺西臺(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻.
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溫會 和段相公登武擔寺西臺 桑臺煙樹中
和段相公登武擔寺西臺(唐•溫會) 五言律詩押東韻.
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。始愧才情薄,躋攀繼韻窮。



五言律詩押東韻.
題武擔寺西臺 
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。

武擔寺の西臺を題す 
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。


(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
九層連晝景,萬象寫秋空。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
天半將身到,江長與海通。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
提攜出塵土,曾是穆清風。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
閣を開く 錦城の中,餘閑【よかん】にして 梵宮【そきゅう】を訪う。
九層 晝景【ちゅうけい】に連り,萬象 秋空を寫す。
天半 將って身 到らんとし,江長 與って海 通ず。
提攜【ていけい】して塵土【じんど】を出づ,曾【すなわ】ち是れ穆清【ぼくせい】の風。


李敬伯 
(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻.
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
臺上起涼風,乘閑覽歲功。
この西の高台に登とそこに涼やかな風が起こる。誰もいない静けさに風流な気持ちも乗じてき他のと是までの歳月の経験などがここで見るような気持ちになる。
自隨台席貴,盡許羽觴同。
この高台に四人で登ると自然にその歲功によって貴き順に並んでしまう。でもそういう中でもしすべてのことが許されるならば酒杯だけでも同じようにしたいものである。
樓殿斜暉照,江山極望通。
ここの楼閣や、本殿に傾きかけた太陽の日差しが赤るる照っている。この山、錦江や遙かな連峰は遠い先に臨まれる。
賦詩思共樂,俱得詠時豐。
唱和する賦詩を思い思いにつくって楽しいと思うのである。こんな詩を詠うひと時を一緒に過ごせて本当によかったのである。

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
臺上に 涼風起る,閑に乘じて 歲功を覽る。
自ら台席の貴に隨い,盡く 羽觴 同じゅうするを許す。
樓殿 斜暉に 照らし,江山 極望に 通ず。
詩を賦して共に樂しまんことを思い,俱に 時豐を詠ずるを得たり。


『和段相公登武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(本文)
和段相公登武擔寺西臺
臺上起涼風,乘閑覽歲功。
自隨台席貴,盡許羽觴同。
樓殿斜暉照,江山極望通。
賦詩思共樂,俱得詠時豐。


(下し文)
(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
臺上に 涼風起る,閑に乘じて 歲功を覽る。
自ら台席の貴に隨い,盡く 羽觴 同じゅうするを許す。
樓殿 斜暉に 照らし,江山 極望に 通ず。
詩を賦して共に樂しまんことを思い,俱に 時豐を詠ずるを得たり。


(現代語訳)
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
この西の高台に登とそこに涼やかな風が起こる。誰もいない静けさに風流な気持ちも乗じてき他のと是までの歳月の経験などがここで見るような気持ちになる。
この高台に四人で登ると自然にその歲功によって貴き順に並んでしまう。でもそういう中でもしすべてのことが許されるならば酒杯だけでも同じようにしたいものである。
ここの楼閣や、本殿に傾きかけた太陽の日差しが赤るる照っている。この山、錦江や遙かな連峰は遠い先に臨まれる。
唱和する賦詩を思い思いにつくって楽しいと思うのである。こんな詩を詠うひと時を一緒に過ごせて本当によかったのである。


(訳注)
和段相公登武擔寺西臺
王屋山01(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。
・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。


臺上起涼風,乘閑覽歲功。
この西の高台に登とそこに涼やかな風が起こる。誰もいない静けさに風流な気持ちも乗じてき他のと是までの歳月の経験などがここで見るような気持ちになる。
・歲功 年を取って、経験を積んでいること。また、その経験の力。


自隨台席貴,盡許羽觴同。
この高台に四人で登ると自然にその歲功によって貴き順に並んでしまう。でもそういう中でもしすべてのことが許されるならば酒杯だけでも同じようにしたいものである。
・羽觴 雀(すずめ)の形に作って頭部や翼などをつけた杯のこと。転じて、杯。酒杯。


樓殿斜暉照,江山極望通。
ここの楼閣や、本殿に傾きかけた太陽の日差しが赤るる照っている。この山、錦江や遙かな連峰は遠い先に臨まれる。
・斜暉照 建物の横に傾いた日差しがあたっている。軒下まではっきり見えるということ。


賦詩思共樂,俱得詠時豐。
唱和する賦詩を思い思いにつくって楽しいと思うのである。こんな詩を詠うひと時を一緒に過ごせて本当によかったのである。

和段相公登武擔寺西臺 姚向 唐五代詞・宋詩 薛濤-221-87-#79+2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2652

姚向 《和段相公登武擔寺西臺》 この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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和段相公登武擔寺西臺 姚向 唐五代詞・宋詩 薛濤-221-87-#79+2   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2652


 卷331_2題武擔寺西臺 五言律詩押東韻.
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。


姚向 開閣錦城中
和段相公登武擔寺西臺(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。
天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。


李敬伯 臺上起涼風
和段相公登武擔寺西臺(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻.
臺上起涼風,乘閑覽歲功。自隨台席貴,盡許羽觴同。
樓殿斜暉照,江山極望通。賦詩思共樂,俱得詠時豐。

溫會 和段相公登武擔寺西臺 桑臺煙樹中
和段相公登武擔寺西臺(唐•溫會) 五言律詩押東韻.
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。始愧才情薄,躋攀繼韻窮。



五言律詩押東韻.
題武擔寺西臺 
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。

武擔寺の西臺を題す 
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。


(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
九層連晝景,萬象寫秋空。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
天半將身到,江長與海通。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
提攜出塵土,曾是穆清風。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ

(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
閣を開く 錦城の中,餘閑【よかん】にして 梵宮【そきゅう】を訪う。
九層 晝景【ちゅうけい】に連り,萬象 秋空を寫す。
天半 將って身 到らんとし,江長 與って海 通ず。
提攜【ていけい】して塵土【じんど】を出づ,曾【すなわ】ち是れ穆清【ぼくせい】の風。

DCF00209













『和段相公登武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(本文)
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。 天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。


(下し文)
(武擔寺の西臺に登り段相公に和す)
閣を開く 錦城の中,餘閑【よかん】にして 梵宮【そきゅう】を訪う。
九層 晝景【ちゅうけい】に連り,萬象 秋空を寫す。
天半 將って身 到らんとし,江長 與って海 通ず。
提攜【ていけい】して塵土【じんど】を出づ,曾【すなわ】ち是れ穆清【ぼくせい】の風。


(現代語訳)
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ


(訳注)
和段相公登武擔寺西臺
(武擔寺の西の高台にのぼって段相公の詩に唱和する。)
・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。


開閣錦城中,餘閑訪梵宮。
この寺の樓閣は成都錦城の中に有る。ここはあまりにも静かで寺院の梵天の宮殿を訪れる。
・梵宮  (1)梵天の宮殿。 (2)寺。寺院。


九層連晝景,萬象寫秋空。
そこには九層の塔がたち、昼間の景色の中に連なっている。ここにあるすべての物の現象は天高く綺麗な青空に寫している。


天半將身到,江長與海通。
この西台は天空から中ほどに当たりそこにこの身を置いている。傍を流れる錦江はずっと長く流れてゆきやがて海に注ぐ。


提攜出塵土,曾是穆清風。
持てるものを携えて俗世間を出て行こう。それでもって煩わしいことが無く世の中が静まっておだやかな風を受けるのだ
・塵土 ① ちりと土。取るに足りないもの、値うちのないもののたとえにもいう。② けがれた現世。俗世間。
・穆清 世の中が静まっておだやかなこと。 天子の美徳によって教化がおだやかに行われること。

題武擔寺西臺 段文昌 唐五代詞・宋詩 薛濤-221-87-#79+1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2652

段文昌 《題武擔寺西臺》 この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



題武擔寺西臺 段文昌 唐五代詞・宋詩 薛濤-221-87-#79+1   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2652


段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。

字は墨卿。その本貫は西河(山西省汾陽市)であるが、荊州(湖北省江陵県)で育った。
起家の官は、校書郎。李吉甫の知るところとなり、また、李逢吉とも交遊があった。次第に官を累進して、翰林学士より祠部郎中に進んだ。
穆宗朝で、中書侍郎平章事、つまり宰相になった。
長慶元年(821年)に、剣南西川節度使となった。剣南(四川省)の幕府では善政を敷き、諸蛮を支配下に置いた。翌年、雲南が唐朝の領内に侵攻した際も、使者を派遣して慰撫するのみで退けた。
以後、諸官を歴任し、最期は、再度、西川節度使となって没した。没後に太尉を追贈された。文集30巻が存したとされるが、現在伝わっていない。


段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。
簡介

大历八年(773年)出生于江陵,父段锷,官江陵县令。先祖為褒國公段志玄。
少有才名,貞元初年,劍南節度使韋皋薦為校書郎,累擢翰林學士、中書舍人。
贞元十五年(799年),入蜀初授校书郎。
唐憲宗元和十二年(817年)李愬平定淮西(今河南省東南部)吳元濟,韓愈寫碑文,碑成,立在汝南城北門外。由於碑文大力歌頌裴度功勳,甚少提到立功極大的李愬的事蹟,李愬的部下石孝忠憤怒,將碑文砸毀。天子時敕段文昌重撰。
唐穆宗即位,與令狐楚同拜中書侍郎、同中書門下平章事。
未逾年,长庆元年(821年),请辞相位,出為西川節度使。治蜀期間“素洽蜀人之情,至是以寬政為治,嚴靜有斷,蠻夷畏服”,长庆二年(822年),云南流民窜扰贵州,朝廷命段文昌处理,他派特使前往谈判,不久流民退去。
长庆三年(823年),拜刑部尚书。
宝历元年(825年),拜兵部尚书。
唐文宗大和元年(826年),拜御史大夫,次年拜淮南节度使。
大和四年(830年),改荊南节度使。
大和六年(832年)終官劍南西川節度使,生前與女詩人薛濤有往來,薛濤死後,段文昌為她作墓志銘[2]。
太和九年(835年)卒於剑南西川,赠太尉。集三十卷。《全唐诗》輯其詩四首。《舊唐書》、《太平廣記》有傳。有四子:段成伋、段成式、段胜添、段胜云。




段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和する。

段文昌 武擔寺の西臺に題す
段文昌 全唐詩 卷三百三十一/段文昌

 卷331_2題武擔寺西臺 五言律詩押東韻.
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。水暗餘霞外,山明落照中。 鳥行看漸遠,松韻聽難窮。今日登臨意,多歡語笑同。


姚向 開閣錦城中
和段相公登武擔寺西臺(唐•姚向) 五言律詩押東韻.
開閣錦城中,餘閑訪梵宮。九層連晝景,萬象寫秋空。 天半將身到,江長與海通。提攜出塵土,曾是穆清風。


李敬伯 臺上起涼風
和段相公登武擔寺西臺(唐•李敬伯) 五言律詩押東韻. 臺上起涼風,乘閑覽歲功。自隨台席貴,盡許羽觴同。 樓殿斜暉照,江山極望通。賦詩思共樂,俱得詠時豐。


溫會 和段相公登武擔寺西臺 桑臺煙樹中
和段相公登武擔寺西臺(唐•溫會) 五言律詩押東韻.
桑臺煙樹中,臺榭造雲空。眺聽逢秋興,篇辭變國風。
坐愁高鳥起,笑指遠人同。始愧才情薄,躋攀繼韻窮。



五言律詩押東韻.
題武擔寺西臺 
(武擔寺の西の高台で詩を作る。)
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
水暗餘霞外,山明落照中。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
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武擔寺の西臺を題す 
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。

DCF00012













『題武擔寺西臺』 現代語訳と訳註
(本文) 
秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
水暗餘霞外,山明落照中。
鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
今日登臨意,多歡語笑同。


(下し文)
(武擔寺の西臺を題す)
秋天 鏡の如く空し,樓閣 盡く玲瓏。
水は暗し 餘霞の外,山は明らかなり 落照の中。
鳥は行き 看れど漸【ようや】く遠くなり,松は韻し聽けど難かしく窮むなり。
今日 登臨の意,多く語笑の同じゅうするを 歡ぶ。


(現代語訳)
(武擔寺の西の高台で詩を作る。)
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。


(訳注)
題武擔寺西臺 
武擔寺の西の高台で詩を作る。
・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。


秋天如鏡空,樓閣盡玲瓏。
この寺に来て天高い秋の空が透き通って鏡の様なのがむなしい気持ちになる。この寺のすべての樓閣は空に聳え美しい姿を写している。
・玲瓏 1 玉などが透き通るように美しいさま。また、玉のように輝くさま。 2 玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさま。
紅梅0021韓愈『題百葉桃花』
百葉雙桃晚更紅,窺窗映竹見玲瓏。 
應知侍史歸天上,故伴仙郎宿禁中。
(百葉桃花に題す
百葉の雙桃 晚 更に紅なり,窗を窺【うかが】い 竹に映じて玲瓏【れいろう】を見る。
應に知るべし 侍史の天上に歸るを,故【ことさ】らに 仙郎を伴って禁中に宿す。

(百葉桃花の風情を詩にする。)
百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。
侍史の者たちは、私を送ってきて、やがて内廷に帰ってしまい、まことに寂しい所から、この桃花は郎官の職にあるこの私の相手をしてくれ、長閑に禁中の当直をすることが出来るのである。だからこのような花のしおらしい所が良いのだ。


水暗餘霞外,山明落照中。
山影の池の水は暗くなっていて暗くなったところから外に向かってカスミが広がる。日が当たっている山は明るく照らされて、落ちかかる日は斜めに照らしている。
・落照中 太陽が傾くと山の中腹の火があたらなかった奥にまで日が射しこむ状況を云う。


鳥行看漸遠,松韻聽難窮。
鳥は巣に向かい見ている間に次第に遠ざかる。松に吹き付ける風音は聞いている間に次第におさまって聞こえにくくなる。
・鳥行 日が傾くととりは巣に帰る。
・松韻 松に風があたり音を立てる。


今日登臨意,多歡語笑同。
今日みんなでこうして寺に昇って風流な心意気でこの風景を見る。みんなで多く語らい、談笑しあって、楽しく過ごす。
・語笑同 段文昌・姚向・李敬伯・溫會で唱和するすることを意味する。この時、薛濤も招待されていたのだ。
薛濤『段相國游武擔寺病不能從題寄』
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
(段相國 武擔寺に游ぶ、病みて從うに能わず題して寄す)
消瘦【しょうそう】翻【かえ】って令公を見えるに堪【たえ】んや,落花 那【いか】んともする無し東風を恨む。
儂【わ】が心には猶お青春在りと道【い】う,飛蓬【ひほう】を石鏡の中に看るを羞じる。
(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。

贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647

 薛濤 《贈段校書》大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。


2013年7月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647


贈段校書
(段校書さまにこの詩を贈る。)
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。

yayoipl05



段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。
段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。

段校書は、後に二度も剣南西川節度使として、成郡に赴任し「新唐書」によれは、に景初のあざな段文昌といい、もあり、剰州の生まれ。さっぱりした人物で、が嫌いで、刑南節度使の襲胃に愛されたが、やがて成都に出て彼はあざなを墨卿といい、別義侠な男、こせこせとしたこと、ここでもまた節度使の尊卑に醇清が死んだとき、彼女のために墓誌を書いてやった段文昌であろう。めに墓誌を書いた。
かわいがられ、葦皐は彼を中央政府に願って校苦邸とした。そして偶宗の永貞元年に、葦皐が覇で死に、語荒め元卸二年に、李書簡が宰相となると、彼は抜擢されて登封(河南省にある)の尉になった。したがってこの作は、その前のことであるから、彼女の三十五歳から四十歳までの問のことであろう。段は彼女よりおそらく若干年下であった


『贈段校書』 現代語訳と訳註
(本文)
70
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 


(下し文)
贈段校書 
公子は翩翩たりと校書を說【たと】う,玉弓金勒して 紫綃裾【ししょうきょ】なり。 
玄成は便ち 名譽に驕ること莫れ,文采は風流にして 定めて知らざらん。 


(現代語訳)
(段校書さまにこの詩を贈る。)
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。


(訳注)
贈段校書 70
(段校書さまにこの詩を贈る。)
・段校書 校書は校書郎の官名。段は段文昌。


公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
・公子翩翩 趙の平原君の趙勝のことを司馬遷はその「史記」の「平原君伝」において、「翩翩たる濁世の佳公子なり」と評している。佳公子とは、よい若殿の意また魏の文帝が、「呉質に与ふる暑」(「文選」におさむ)では、阮瑀のことを「阮瑀書記は翩翩、致、楽むに足るなり」といっている。ともに文釆風流なことをたとえたもので、後者の註には、「翩翩は
美しきかたち、その文雅の致、楽しむに足るをいふなり」とある。

・玉弓 玉で飾った弓。弓の美称。
・金勒 勒はくつわ。上に玉字を使ったので、こちらでは金字を用いたもの。
・紫綃裾 綃はきざぬ、またあやぎぬ。裾は下衣のすそ。


玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。
・玄成 漢の韋玄成のこと。あざなは少翁。鄒魯の大儒といわれた宰相韋賢の子で、わかくして経書に通じ、元帝の朝に相となった。そこで、鄒魯地方(山東省西部)では、「子供には金をいっぱい遺してやるより、経書を教えておいた方がよい」ということをいった。宰相をつとめること七年、守正持重は父に及ばなかったが、文采風流は、父以上であったという。
・文釆 文章著述の世に伝うるに足るものをいう。司馬遷の「任少卿に報ずる書」に、「鄙陋没世、而して文采、後世に表はれざるなり」 の語がある。
・風流 挙止蕭散にして品格清高をいう。さっぱりして気が利き上品たこと。



段相國游武擔寺病不能從題寄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-219-85-#79  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2642

薛濤 《段相國游武擔寺病不能從題寄》 (段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。

2013年7月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

段相國游武擔寺病不能從題寄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-219-85-#79   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2642

段相國游武擔寺病不能從題寄
(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)

消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。 
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。

散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。


紅梅0021
段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。
段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。

段校書は、後に二度も剣南西川節度使として、成郡に赴任し「新唐書」によれは、に景初のあざな段文昌といい、もあり、剰州の生まれ。さっぱりした人物で、賄が嫌いで、刑南節度使の襲胃に愛されたが、やがて成都に出て彼はあざなを墨卿といい、別義侠な男、こせこせとしたこと、ここでもまた節度使の尊卑に醇清が死んだとき、彼女のために墓誌を書いてやった段文昌であろう。めに墓誌を書いた。
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『段相國游武擔寺病不能從題寄』 現代語訳と訳註
(本文)
段相國游武擔寺病不能從題寄
消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。 
儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。 


(下し文)
(段相國 武擔寺に游ぶ、病みて從うに能わず題して寄す)
消瘦【しょうそう】翻【かえ】って令公を見えるに堪【たえ】んや,落花 那【いか】んともする無し東風を恨む。
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(現代語訳)
(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。


(訳注)
段相國游武擔寺病不能從題寄
(段相国さまが武擔寺にお遊びにおいでになったとき、あいにく病気でおともできなかったので、同じ題で、この詩を差しあげます。)
段相國 剣南西川節度使であった段文昌をさす。相国といったのは、彼が穆宗の朝に、中書侍郎同中書門下平輩事(大臣)から、剣南西川節度使に赴任しきたから。文昌はあざなを墨卿、また景初ともいった。貞元の初めに、校書郎を授けられ、翰林学士をへて、中書舎人となり、穆宗の即位とともに、中書侍郎同中書門下平章事となり、年を踰えずして、出でて剣南西川節度使となった。かくて穆宗の822長慶中と敬宗の826宝暦中、あわせて約五年あまり、成都にいたが、それは薛濤の五十五歳から六十歳までの間にあたる。ついで文宗の御代(827太和)になると、御史大夫に招かれ、淮南節度使となり、荊南節度使となり、ふたたび西川節度使となって、825太和九年、成都で没している。彼が成都に節度使としていたのは、したがって二回であるが、「全唐詩」を見ると、姚向が長慶二年に、西川節度判官となり、同じく「段相公の武擔寺の西台に登るに和す」という詩がのせられているから、この薛濤の詩は最初の赴任時の作と思われる。なお段文昌が、再度赴任してきたのは、李徳柘が節度使から、元卸七年に、召されて相となったのに、入れかわったものと思われるから、薛濤が831太和五年に死んだとすれば、その直後で、段文昌は彼女のために、墓誌碑文を書いたといわれている。

・武擔寺 成都市内の西北偶の武擔山にある寺。楊雄の「蜀本紀」 によれば、武都(甘粛の成県の西)の男が化して女になったのを、覇王が納れて妃にしたが、まもなく死亡したので、武都の土を運んで、成都の城内に積んで、葬った所という。後に三国時代、蜀の劉備がこの武擔山の南で、帝位に即いたという。寺内から錦江の流れがながめられることは、姚康の詩によってもうかがわれる。現在は俗に五担山と称し、山というより小さな岡にすぎず、高さ四六五メートル。昭列帝(劉備)の祠堂が山のそばにあり、ふもとに池がある。
題寄 詩を書いて贈ること。


木芙蓉00消瘦翻堪見令公,落花無那恨東風。
病気のために衰えやせ細ったこの身では、かえって相國さまのお前にまかり出るのは失礼と存じます。散りゆく花は、あと数日なりとも、どうにかならないかと思いますが、花を散らせる春風を恨むよりないのです。
・消瘦 肉がおち痩せること。
・令公 ここは節度使の武元衡を指す。
・東風 春風。春は方位でいえは東にあたる。


儂心猶道青春在,羞看飛蓬石鏡中。
わたくしの心は、「まだまだ若さを持っております」といってはおりますが、年は隠せず飛蓬のように枯れた感じがしております。お供して、石鏡に自分の姿がうつると、はずかしくて、おともできなかったわけでございます。
・儂 我におなじ。
飛蓬 蓬はよもぎ。乱れたよもぎ。みだれ髪にたとえる (病中であるから)。杜甫『奉寄河南葦草丈人』奉寄河南韋尹丈人 杜甫
飛蓬  秋風にとぶよもぎ、髪の乱れたさまをたとえていう。「詩経」伯今の詩に「伯の東せるより、首は飛蓬の如し」とあるのに本づく。
・石鏡・蜀王鏡
武都有一丈夫,化為女子,美而豔,蓋山精也。蜀王納為妃。不習水土,欲去。王必留之,乃為《東平》之歌以樂之。無幾,物故。蜀王哀之。乃遣五丁之武都擔土,為妃作冢,蓋地數畝,高七丈。上有石鏡。今成都北角武擔是也。武都の人で善知という人がいた。蜀王は、その妻を蜀へ引っ越させた。蜀に居住した後、そこの風土に合わず、帰りたがった。蜀王は彼女を愛していたので、留め置いた。《伊鳴声》という六つの舞踊曲を作った。
 武都の夫は女となった。美しく山々の精と言われた。蜀王は彼女を娶って妻とした。風土習俗が合わず、病を得て帰りたがった。蜀王はこれを留め置いた。幾ばくもせずに帰らぬ人となった。蜀王は兵士を出して武都の土を持ってこさせ、成都の城内に埋葬した。大よそその地は、180平米*4、高さ7メートル*5、武担と言い、石で一枚の鏡を作ってその墓の表に置いた。鏡の幅は1メートル、高さは120cm程だった。
杜甫『石鏡』
蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。
蜀王は山々の精と言われた妻を成都の街に埋葬しここに石鏡を作っておいた。その死後時は立って空しい山となっている。
静かで暗いそこには芳しい骨となっているだけで憐れをもよおすのである。その意志の鏡に輝く顔を近づけてみるのである。
たくさん集められたその妃たちは再び歓喜の声を上げることはない。この石鏡のための千騎のの兵士たちも又帰って來ることはないのである。
私は独り此処に傷心の石があるだけであると思う。
孫子の兵法で「馬を並べて車輪を埋め、以て進退を封じて往く所無きにす」という秦が攻めて來るに際して戦略のものも今では月の世界の話となっている。

石鏡 杜甫 <431  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

琴台 杜甫 <432  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2105 杜甫詩1000-432-615/1500

朝雨 杜甫 <433  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2110 杜甫詩1000-433-616/1500


上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637

薛濤 《上王尚書》 碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637


この王尚書は、王播とされる。王播(「新唐書」巻一六七) はあざなを明剔といい、点元中、進士にぬきんでられ、憲宗の淮酉討伐に功あり、禮部尚書になった。禮部は進士の試験をつかさどる。そこで右のような詩が作られたもの。このとき薛濤は五十歳前後である。やがて彼は検校戸部尚書をもって、西川節度使として成都に赴任してくる。これは薛濤の予期したことではなかったが、抜群の処世術をもっている彼女にとっては、この詩を前に献じておいたことは、当然結果を考えないで行う人柄ということだろう。そして彼はつぎの穆宗の長慶元年に、段文昌と入れかわって都に歸るのである。


上王尚書
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。

峨眉山003

















『上王尚書』 現代語訳と訳註
(本文)
上王尚書
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。


(下し文)
(王尚書にたてまつる。)
碧玉の雙幢【そうとう】白玉の郎、初めて天帝を辞して 扶桑に下る。
手に雲篆【うんてん】を持して 新榜【しんぼう】に題す、十萬の人家 春 日長し。


(現代語訳)
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。


(訳注)
王屋山01上王尚書
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
・王尚書 尚書は唐代六部の長官で、今の大臣に当たる。王は王播。大原の人。父の代から揚州に家し、播は弟の炎とともに文名あり。進士に及第したのち、塩鉄転運使をへて、礼部尚書、西川節度使、刑部尚書、中宙侍郎同平章事、淮南節度使をへて大和の初め、再び宰相となる。


碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
・碧玉 微細な石英の結晶が集まってできた鉱物(潜晶質石英)であり、宝石の一種。 ... を含んだ石英は種類が多く、それゆえに様々な呼び方がある。3月の誕生石になっているブラッドストーン(血玉髄)も碧玉の一つである。
・雙幢 二つのはたはこ。儀衛または指庵に寺院の仏像のまわりにさげて用いる旗。
幢【どう】① 昔、儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種。彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした。はたほこ。② 魔軍を制する仏・菩薩のしるし。また、仏堂の装飾とするたれぎぬ。
・白玉郎 上の「碧玉」に対して「白玉」の字面をつかい、上品な天上の男をいい、王尚書の前身を暗示したことば。
・天帝 道教の最高神。
・扶桑(ふそう) 神木の名。日出のところにある木。ここは朝日とともに人間世界にⅢ現したことをさす。中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。扶桑・扶桑国は、日本の異称ともなった。古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。
のちの『梁書』以降は、東海上の島国と考えられるようになった。巨木の伝承は、その国では桑の木が多いという話に代わった。蔑称とする説もある一方では、古代の中国では、九夷は扶桑の生えるところで「紫庭」としての憧れの地だった面があるという説もある。
『山海経』海経第4巻 第9 海外東經、「下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝」
(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)
東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇る。


手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。
雲篆 道教で書かれる最高に権威のある書体。この詩は道教に因んだ語が強調されて使用されている。王尚書を誉め讃える場合の最高の表現であったのだろう。「筆」のつもり。
新榜 榜は試験の及第著名の掲示。
十萬人家 成都の戸数をいう。
杜甫『水檻遣心二首其一
去郭軒楹敞,無村眺望賒。
澄江平少岸,幽樹晚多花。
細雨魚兒出,微風燕子斜。
城中十萬戶。此地兩三家。

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 


寄張元夫 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-217-83-#77  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2632

薛濤 《寄張元夫》渓谷の向こう岸に、ひとりぽつんと白鷺が黙って立っている。その谷川のこちら側の道には、進んでゆく高官の人々の姿が見える。向こう側の鷺は、朱衣を着たこちら側の人の行動を見ても、「川下に飛び立つ」などの驚きをするようなことなどありはしない。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

寄張元夫 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-217-83-#77   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2632


寄張元夫
(張元夫さまにこの詩をよせる)
前溪獨立後溪行,鷺識朱衣自不驚。
渓谷の向こう岸に、ひとりぽつんと白鷺が黙って立っている。その谷川のこちら側の道には、進んでゆく高官の人々の姿が見える。向こう側の鷺は、朱衣を着たこちら側の人の行動を見ても、「川下に飛び立つ」などの驚きをするようなことなどありはしない。
借問人間愁寂意,伯牙弦絕已無聲。
すこし、きいてみたいことがある。人というものは、さびしくて切ない気持ちを持っているものです。あなた様の寂しさはきっと、「列子」の湯問篇の伯牙の故事にある自分の音曲の理解者の死去により、琴糸をたち切った伯牙のさびしさのようなものだろうと想像いたします。

haqro04









『寄張元夫』 現代語訳と訳註
(本文)
前溪獨立後溪行,鷺識朱衣自不驚。
借問人間愁寂意,伯牙弦絕已無聲。


(下し文)
張元夫に寄す
前溪は獨立、後渓は行む。鷺 朱衣を識るも 自ら驚かず。
借問す 人間 愁寂の意。伯牙 弦絶えて 己に聾なし。


(現代語訳)
(張元夫さまにこの詩をよせる)
渓谷の向こう岸に、ひとりぽつんと白鷺が黙って立っている。その谷川のこちら側の道には、進んでゆく高官の人々の姿が見える。向こう側の鷺は、朱衣を着たこちら側の人の行動を見ても、「川下に飛び立つ」などの驚きをするようなことなどありはしない。
すこし、きいてみたいことがある。人というものは、さびしくて切ない気持ちを持っているものです。あなた様の寂しさはきっと、「列子」の湯問篇の伯牙の故事にある自分の音曲の理解者の死去により、琴糸をたち切った伯牙のさびしさのようなものだろうと想像いたします。


(訳注)
寄張元夫
(張元夫さまにこの詩をよせる)
・張元夫(ちょうげんぷ) 剣南東川節度使のもとで校書をしていた人物。才ありながら、その才を認めてくれる人がいなくなって、さびしがっている張元夫を慰めて滑った詩。(〈家瀨〉)


前溪獨立後溪行,鷺識朱衣自不驚。
渓谷の向こう岸に、ひとりぽつんと白鷺が黙って立っている。その谷川のこちら側の道には、進んでゆく高官の人々の姿が見える。向こう側の鷺は、朱衣を着たこちら側の人の行動を見ても、「川下に飛び立つ」などの驚きをするようなどない。
haqro02・前溪・後溪 谷川の向こう側とこちら側。
・独立 鷺が片脚でひとりぽつんと立っていることをいう。
 すすむ意。出世してゆくことにもかかる。
・朱衣 高官は朱衣を着た。
鷺識朱衣自不驚 静かな渓谷のちょっとした風による流れの音の変化で驚くシロサギを詠った王維の詩がある。この薛濤の詩ではシロサギが驚かないというのであるが雰囲気を王維の輞川州、欒家瀨の景色を彷彿させる。
王維『輞川集〈欒家瀨〉』
「颯颯秋雨中,淺淺石溜瀉。跳波自相濺,白鷺驚復下。」
颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)。浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ。波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ。白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり。


借問人間愁寂意,伯牙弦絕已無聲。
すこし、きいてみたいことがある。人というものは、さびしくて切ない気持ちを持っているものです。あなた様の寂しさはきっと、「列子」の湯問篇の伯牙の故事にある自分の音曲の理解者の死去により、琴糸をたち切った伯牙のさびしさのようなものだろうと想像いたします。
・伯牙弦絶 「列子」の湯問篇に、伯牙は琴の名人であり、鐘子期はまた、その音楽のすばらしい理解者であったことが見える。また、「呂氏春秋」に、その「鐘子期が死ぬと、伯牙は琴をうち砕き、弦を切ってしまって、一生二度と琴を弾かなかった。もはやわが琴の心をわかってくれる人はないと思ったからであった」と見えている。この故事に基づいている。
・聾 琴の音。
張元夫の才能を理解していたただ一人、前任の節度使をうしない、仲間のはなやかな出世の姿を、ただ、見送っているだけの状況を、心からご同情を詠ったものであるが、この詩で張元夫が涙を流して薛等に感謝するということはないだろうと思う。この詩は、「女の私でもこれだけに知識があります」といっているように見える。

贈遠二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-216-82-#76  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2627

薛濤 《贈遠二首 其二》蜀の木芙蓉の花が散りはじめて、山々は、もう秋もおわりになろうとしている、国境の方々も思い浮かべるでしょう。うれしいお便りも封を開ければ、さびしいことばかりが書き連ねてありました。


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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


贈遠二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-216-82-#76   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2627


贈遠二首 其一  
(遠きに贈る 二首其の一)
擾弱新蒲葉又齊,春深花發塞前溪。
新しい葉がいちめんについて川やなぎはなよなよと嫋やかに乱れる。春も深まると、花はしっかりとひらき落ちはじめると思う間に、目の前の谷川には、落花が流れをせきとめるほどである。
知君未轉秦關騎,月照千門掩袖啼。
国境地方守備の将であるあなたは、そこから離れることが出来ないことを十分承知しているのです。秋の月が、家家の上に光を投げかけてるころには、兵士の妾たちはみんな泣きぬれているのです。

贈遠二首 其二
(遠きに贈る 二首其の二)
芙蓉新落蜀山秋,錦字開緘到是愁。
蜀の木芙蓉の花が散りはじめて、山々は、もう秋もおわりになろうとしている、国境の方々も思い浮かべるでしょう。うれしいお便りも封を開ければ、さびしいことばかりが書き連ねてありました。
閨閣不知戎馬事,月高還上望夫樓。
わたくしは女の部屋では、戦争のことは話題にもしません。ただ、澄んだ秋の夜空にのぼってゆく月の下で、なんども樓閣にのぼっては、遠くあなたのいらっしゃる國境の方を眺めては、お祈りし待っております。

木芙蓉00

















『贈遠二首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)
贈遠二首 其二
芙蓉新落蜀山秋,錦字開緘到是愁。
閨閣不知戎馬事,月高還上望夫樓。


(下し文)
(遠きに贈る)其の二
芙蓉 新たに落ち 蜀山の秋,錦字 緘を開き 是れ愁に到る。
閨閣【けいかく】戎馬【じゅうば】の事を知らず,月高く 還た上り 夫樓を望む。


(現代語訳)
(遠きに贈る 二首其の二)
蜀の木芙蓉の花が散りはじめて、山々は、もう秋もおわりになろうとしている、国境の方々も思い浮かべるでしょう。うれしいお便りも封を開ければ、さびしいことばかりが書き連ねてありました。
わたくしは女の部屋では、戦争のことは話題にもしません。ただ、澄んだ秋の夜空にのぼってゆく月の下で、なんども樓閣にのぼっては、遠くあなたのいらっしゃる國境の方を眺めては、お祈りし待っております。


(訳注)
贈遠二首 其二


金燈花03芙蓉新落蜀山秋,錦字開緘到是愁。
蜀の木芙蓉の花が散りはじめて、山々は、もう秋もおわりになろうとしている、国境の方々も思い浮かべるでしょう。うれしいお便りも封を開ければ、さびしいことばかりが書き連ねてありました。
芙蓉 ①は木芙蓉といわれるもの、②は蓮の異名。後者は呉越江南地方でよばれる異名であり、落つということばや、蜀山という語と、ふさわしくないから、前者と解す。「木芙蓉」フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)はアオイ科フヨウ属の落葉低木。種小名 mutabilisは「変化しやすい」(英語のmutable)の意。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には(もくふよう)とも呼ばれる。
原産地は中国で、台湾、日本の沖縄、九州・四国に自生する。日本では関東地方以南で観賞用に栽培される。幹は高さ1.5~3m。寒地では冬に地上部は枯れ、春に新たな芽を生やす。
葉は互生し、表面に白色の短毛を有し掌状に浅く3~7裂する。
7~10月始めにかけてピンクや白で直径10~15cm程度の花をつける。朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。花は他のフヨウ属と同様な形態で、花弁は5枚で回旋し椀状に広がる。先端で円筒状に散開するおしべは根元では筒状に癒合しており、その中心部からめしべが延び、おしべの先よりもさらに突き出して5裂する。
果実はさく果で、毛に覆われて多数の種子をつける。
錦字 恋しい人からのにしきに織り成した文字のこと。前秦の竇豹が、襄陽の守りに赴任したとき、その妻の蘇氏が、二百余首の詩を、錦に織り、回文の形で、思いを寄せた故事がある(侍児小名録)ところから、女の筆になる手紙をさすが、ここは国境の将兵からの便りとし、待ち遠しい人からの手紙と思わせる、薛濤の女性を売る言い回し。
・到 周到の意。中から外へ回文であるから、至ると読まないといけない。


閨閣不知戎馬事,月高還上望夫樓。
わたくしは女の部屋では、戦争のことは話題にもしません。ただ、澄んだ秋の夜空にのぼってゆく月の下で、なんども樓閣にのぼっては、遠くあなたのいらっしゃる國境の方を眺めては、お祈りし待っております。
閏閣 妓女の部屋。閨は、セックスが女の部屋に行って行うものであったこと、通い婚である。ここは作者自身を意味する。
戎馬 兵馬。戦争のこと。
月高 起句の秋に応じている。
還上 一度だけではない。昨夜も今夜もと、くりかえされていることがわかる。
望夫楼 特定の楼名ではない。