二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。
14-364《後庭花二首其二》孫光憲(24)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-547-14-(364) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4282
後庭花二首其一
(昔から宮廷には瓊花の花びらのようにおびただしい宮女がいる。今日もまた新しい宴会が開かれる。)
景陽鐘動宮鶯囀,露涼金殿。
陳の宮殿には景陽井戸のある庭があり、夜明けを告げる鐘が鳴ろうとも、早朝、鶯がなきはじめても、酒宴を開き続け、夏が過ぎ秋が過ぎても金で飾った宮殿には華燭の宴が絶えなかった。
輕飇吹起瓊花綻,玉葉如翦。
そんな宮中の庭で、軽く頬を撫でてゆく程度の風が吹き上げ、小さな錠の花の瓊花の香りが漂う、香り良い葉を鋏みできった時のように香りがしたのだ。
晚來高閣上,珠簾卷,見墜香千片。
やがて夕刻になって、高楼の上に昇ってみた。玉の簾を巻き上げてみる。見下ろせば先ほど庭先で見た瓊花の花びらがたくさん散り落ちているかのように宮女たちであふれているのである。
脩蛾慢臉陪雕輦,後庭新宴。
宮女たちは化粧をきれいにし、ゆったりと落ち着いた顔つきで、天子の彫刻の輦に付き従っている、亦今夜もここの後宮の庭では新しい宴がひらかれるのだ。
(後庭花二首其の一)
景陽 鐘動して 宮には鶯が囀り,露涼して 金殿あり。
輕飇 吹起して 瓊花の綻,玉葉は翦の如し。
晚來して高閣に上り,珠簾 卷く,見れば 香千片墜つ。
脩蛾し 慢臉して 雕輦に陪すれば,後庭 新らたに宴す。
後庭花二首其二
(歓楽街の若い美人たちも、宮女たちも絶世の美女陳の張貴妃もやがては散り去って、誰も覚えていない。悲しい女の定めを詠う。)
石城依舊空江國,故宮春色。
金陵の石頭城は六朝の王朝は滅んだものの、むなしく城郭だけは残っている長江下流域、江南の要衝の都市である。ここに立てば、昔の宮殿はすっかり春の景色である。
七尺青絲芳草綠,絕世難得。
それは、二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。
玉英凋落盡,更何人識,野棠如織。
美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。
只是教人添怨憶,悵望無極。
こりんごの花と葉、それに実というものはしげれば織物のように美しいものである。ただ、人にとっては「陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた」とかなしい思いを思い出させるものである。美人たちみんな、盛りを過ぎれば悲しく、うらめしいことが果てしがないのである。
石城 舊に依りて 空しき江國, 故宮は 春色。
七尺の靑絲 芳草 碧なり, 絶世 得難し。
玉英 凋【しぼ】み落ちて 盡き, 更に 何人か 識らん。
野棠 織るが如く, 只だ是れ 人をして 怨憶を 添へ敎【し】む, 悵望 極り無し。
『後庭花二首其二』 現代語訳と訳註
(本文)
後庭花二首其二
石城依舊空江國,故宮春色。
七尺青絲芳草綠,絕世難得。
玉英凋落盡,更何人識,野棠如織。
只是教人添怨憶,悵望無極。
(下し文)
石城 舊に依りて 空しき江國, 故宮は 春色。
七尺の靑絲 芳草 碧なり, 絶世 得難し。
玉英 凋【しぼ】み落ちて 盡き, 更に 何人か 識らん。
野棠 織るが如く, 只だ是れ 人をして 怨憶を 添へ敎【し】む, 悵望 極り無し。
(現代語訳)
(歓楽街の若い美人たちも、宮女たちも絶世の美女陳の張貴妃もやがては散り去って、誰も覚えていない。悲しい女の定めを詠う。)
金陵の石頭城は六朝の王朝は滅んだものの、むなしく城郭だけは残っている長江下流域、江南の要衝の都市である。ここに立てば、昔の宮殿はすっかり春の景色である。
それは、二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。
美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。
こりんごの花と葉、それに実というものはしげれば織物のように美しいものである。ただ、人にとっては「陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた」とかなしい思いを思い出させるものである。美人たちみんな、盛りを過ぎれば悲しく、うらめしいことが果てしがないのである。

(訳注)
後庭花二首
花間集に教坊曲『後庭花』は五首収められているが、孫光憲は二首である。双調四十六字、前段二十二字、三仄韻、後段二十五字、四仄韻で、❼❹7❹/5❸❺❼❹の詞形をとる。孫光憲と毛熙震とで独自の詞形を作ったもの。
『後庭花』とあるのは、後宮の庭に咲く花、杜甫は「先帝の侍女八千人」、白居易は「後宮の佳麗三千人」といっている。この時代は女性が人とされていないので、男も士族以上で人数として把握された。宮女は礼をもって迎い入れられたもの、貴族、富貴の者など家柄を重んじて選抜されたもの、一部の物を除いて、献上されたもの、罪人の家【藉跋・藉没】の女性、宮廷の官奴婢にされたものをいうのである。「後宮」は政治を営む場とは異なる、天子の私的生活の場。陳の後主(陳叔宝)が歓楽に溺れて国を亡ぼしたことに基づいてこの詩を読む。
後庭花 其二
石城依舊空江國, 故宮春色。
金陵の石頭城は六朝の王朝は滅んだものの、むなしく城郭だけは残っている長江下流域、江南の要衝の都市である。ここに立てば、昔の宮殿はすっかり春の景色である。
・石城:石頭城。越は楚に滅ぼされ,この付近も楚の領域に入ったが,楚の威王のとき,この地に王気がみられるとして,これを鎮めるために金を埋め,今の清涼山付近に城を築いたことから,金陵と称したといわれる。これは秦淮河が長江に流入する地点をみおろす要害の地で,のちに孫権が石頭城を築く。 秦は金陵邑を秣陵県(ばつりようけん)とし,漢代に入ると周辺には丹陽,江乗,胡孰(こじゆく)などの諸県が設けられ丹陽郡に属した。石頭城は、秦淮河の畔にある古都の城郭。唐以前に六代の王朝のが置かれた。古来い多くの詩人が石頭城を詠う。
劉禹錫『石頭城』「山圍故國週遭在,潮打空城寂寞回。淮水東邊舊時月,夜深還過女牆來。」、
韋莊『金陵圖』「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」、
欧陽炯『江城子』「晩日金陵岸草平,落霞明,水無情。六代繁華,暗逐逝波聲,空有姑蘇臺上月,如西子鏡,照江城。」、11 -16 江城子一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677
・依舊 昔通りである。昔のままである。
・空江國 六朝の江南の古城は残っているが、王朝は皆滅亡し、城郭だけが変わらずに残っていることを「空」と表した。
・故宮 昔の宮殿。
・春色 春の景色。
七尺靑絲芳草碧, 絶世難得。
それは、二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。
・七尺靑絲 南朝・陳の張貴妃の黒髪のような美しくて長い柳の枝。・七尺:唐の大尺で、1尺は約29.4センチメートル、小尺は約24.6センチメートル。七尺では大尺で:約2.05メートル、小尺で:約1.72メートル。
・芳草 香りのよい春の草。
・碧 緑色をしている。綠とするのもある。
・絶世 世に並ぶものがなく、すぐれていること。ここでは、前の「石城依舊」から、絶世の傾国、美女を指す、張貴妃のこと。
・難得 得難い。
玉英凋落盡, 更何人識。
美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。
・玉英 ここは、美しい花びら、南京の歓楽街の美人を示している。
・凋落 しぼみ落ちること。
・盡 つきる。
・更 その上。さらに。
・識 おぼえている。しる。ここは、前者の義。
野棠如織, 只是敎人添怨憶, 悵望無極。
こりんごの花と葉、それに実というものはしげれば織物のように美しいものである。ただ、人にとっては「陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた」とかなしい思いを思い出させるものである。美人たちみんな、盛りを過ぎれば悲しく、うらめしいことが果てしがないのである。
・野棠 棠梨。こりんご。やまなし。ここではその花も指す。
・如織 野棠の花と葉の色の釣り合いが恰も織物の如くに美しいことをいう。
・只是 ただこれ。(美しい野棠の花も)ただ人に(かなしい思いを思い出させる)だけだ。
・敎人 人をして…せしむ。人に…させる。人に(かなしい思いを思い出)させる。敎:使役の(助)動詞で、古語では、平声。
・添 そえる。一層(かなしい思いをするだけだ)。
・怨憶 うらめしい思い出。陳後主陳叔寶と張貴妃の故事等、六朝の哀史を指す。
・悵望 うらめしげに見遣る。
・無極 極まり無い。果てしない。
陳後主、陳叔寶 582年に宣帝は崩御し、皇太子の陳叔寶が即位した。だがこの皇帝は相当な暗君で、貴妃張麗華と共に享楽に溺れ、沈客卿・施文慶ら奸臣を重用して国政を乱し、遊興にふけって政務を顧みなかった。このため陳の国力は衰退の一途をたどり、588年から北周を滅ぼして成立していた隋の文帝が50万の大軍を南下させると、陳は抵抗しきれずに589年に陳叔寶は降伏して陳は滅亡した。ここに400年に及ぶ魏晋南北朝時代が終結し、大陸は隋に支配されることになった。なお、陳叔寶は暗君だった事が逆に幸いして文帝に警戒されず生かされる事になり、陳の皇族や官僚、おびただしい捕獲品と共に長安に送られた。陳は国家として非常に繁栄、後主の時代には文化が爛熟し、六朝文化の粋として隋や唐の文化にも影響を与えた。ただし陳が滅亡した際、隋により首都建康の建造物や文化の象徴たるものは悉く破壊された。
李商隠『陳後宮』
茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
還依水光殿、更起月華棲。
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
従臣皆牛酔、天子正無愁。
茂苑が広がる都は絵のように美しく、呉の都の西の閶門の瓦は水が流れうるおうようにかがやいていた。
水と光とする宮女との戯れを御殿により愛でた、月と華をと宮女たちを賞美する楼閣までさらに建てたのだ。
夜の更けるまで鑾を刻した鏡を開いてお化粧が続き、冬になると雉の首の裘という奇態な物も献上されました。
家来どもはみな酔い心地、無愁天子さまはその名の通り何の愁いもありませんでした。
李商隠『景陽井』
景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。
宮殿の中の井戸に愛妃張麗華・孔貴人と共に身を隠した陳の後主の物語は、悲しさに耐えてなおも余りある出来事である。竜の国王、鸞の愛妃は万一の時、共に死のうと誓っていたが、その誓いは果されるものではなかった。女のやるせなさの話は、呉王夫差と西施との物語は呉が滅びてから、西施は不祥の者として宮殿の外、五湖の水に沈められたものである、呉王の墓陵近くその湖の濁った泥水であるが西施は葬られたわけだから考えようによっては救いがあるということなのだ。
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