玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

2014年10月

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

20-517《臨江仙二首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-700-20-(517) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5047

李珣《臨江仙二首,其二》十巻 (あの春に寵愛を受けたのに、暑い夏も過ぎても、その日々に帰ることはなく、まだ若く魅力的だと思いなおし化粧を整えると鏡に一輪の蓮の花のような姿が映る。しかし、堪える日がつづくだけで、その繰り返しは、もう、屏風に描かれた九疑山のようになってしまったと詠う。)



 
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《臨江仙二首,其二》十巻 李珣唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-700-20-(517)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5047

 

 

 

李珣(生卒年未詳)字は徳潤し先祖は波期の人唐敬宗朝(825826)に官室を建築する沈香木用材を献上した波斯の商人に李蘇抄というものがあり、その子孫に李玽と玽の兄の畡があった。兄の畡は小字を李四郎といい、字は廷儀という。唐僖宗に従って蜀に入って(中和元年881年)率府率となったという。李珣の妹の李舜絃も前蜀王衍の九嬪の昭儀(妃嬪・女官の名称)となって宮廷に入り、これも詞をよくしたといわれている。李珣は蜀の秀才(科挙の名称)となり、花間集にも李秀才とあるが、そののちの官途についてはよくわからない。小詞に工なことで蜀の後主の宮廷に仕えていた。梓州(四川省三台県)の人という。前蜀が亡んでからは出仕せず、感慨を詞に寄せたという。かれの詞は花間集に三十七首収めている。ほかに尊前集のもの十七首を合わせて五十四首伝わっている。花間集の詞風ではあるが溫庭筠・韋莊とはまたことなった清疎な美しさがあり、民歌的な叙情に富み、また南越の風物をうたった叙景詞にも工であって又一派の詞風をなしている。北宋人の体格を開いたといわれているように、五代詞特有の濃艶さが洗い浄められてしかものちの艶約とよばれる詞の美しきがただよっているところに、又、別の新鮮な風味を備えている。集に瓊瑶集があったというが今伝わらず、輯本の詞集があるだけである。別に海藻本草という著述があり、医学にも通じていたことが知られる。

 

 

臨江仙二首

 

臨江仙二首其一

簾卷池心小閣虛,暫涼閑步徐徐。

芰荷經雨半凋疎,拂堤垂柳,蟬噪夕陽餘。

不語低鬟幽思遠,玉釵斜墜雙魚。

幾迴看寄來書,離情別恨,相隔欲何如。

(寵愛を失った妃嬪が仙郷を模した離宮の中で一人さびしく、池のほとりを散策し、硯を出して手紙を書こうとするがそれは許されないことであると詠う。)

簾を巻き上げるとあのお方と過ごした、池の中央にある小高い丘に上に立つ小高樓が見える。しばらくして、そよ風に任せてゆったりと歩いてみる。

菱と蓮に経糸のような雨がふりそそぐ半ば凋み枯れてまばらになった派の上に落ちる。柳の枝はたれて、つつみを拂うほど茂っている、もう少しで夕日が暮れて行こうというのに秋蝉がうるさく鳴いている。(それなのに自分の心は静かなものだ。)

誰と話すわけでもなく、結い上げた髷を俯き加減で、しずかに物思いにふける。夕日に輝く簪が斜めに落ち掛けていて、雙魚の硯を出してくる。

今までもらったあの方からの手紙を出して返詩を書こうと読み返してみるけれど、愛情を受けることから離れ、別れたことは恨みがこみ上げてくる、互いがこうして隔たったままということは、手紙を書こうとしてもどうしてよいやら、わからないのだ。

(臨江仙二首其の一)

簾卷き 池心 小閣虛し,暫く涼しく 閑かに步むは 徐徐たり。

芰荷 經雨 半ば凋疎す,堤を拂う 柳を垂れ,蟬噪す 夕陽に餘る。

語らず 低鬟 幽思遠く,玉釵 斜に墜ち 雙魚。

幾たびか迴らん 寄來の書を看して,離情せば別恨し,相い隔つこと 何如せんと欲す。

 

臨江仙二首其二

鶯報簾前暖日紅,玉鑪殘麝猶濃。

起來閨思尚疎慵,別愁春夢,誰解此情悰。

強整嬌姿臨寶鏡,小池一芙蓉。

舊歡無處再尋蹤,更堪迴顧,屏畫九疑峯。

(あの春に寵愛を受けたのに、暑い夏も過ぎても、その日々に帰ることはなく、まだ若く魅力的だと思いなおし化粧を整えると鏡に一輪の蓮の花のような姿が映る。しかし、堪える日がつづくだけで、その繰り返しは、もう、屏風に描かれた九疑山のようになってしまったと詠う。)

鶯が春を告げたら、簾の前の陽だまりに比は暖かく、やがて赤く変わってゆく。あのお方が来てはくれなくなったが、それでも、もしかしたらと麝香を宝玉のように輝いている香炉に焚いているから、まだその香が閨に残っており、それもまだ濃く匂いが漂っている。

うとうととし、起き上がって閨の中で思案するだけでどうでもいいじゃないかという心境になるし、別離の愁いはきっと春の夢だったと思いなおす。この、まだ若いのだからあのお方ともっと楽しみたいと思う気持ちは、誰がわかってくれるのだろう。

それでも思い直して、化粧と身繕いして魅力あるような容姿に整えようとして覆いを取って鏡に向かう。鏡の中の池には、一輪の素敵な芙蓉の花のような美人がいる。

あの楽しかった日々の後を探し訪ね歩いても、それは何処にもありはしない。そうしたとしてもただ振り返ることで、更に耐え忍ぶことになるだけなのだ、それに、屏風に描かれた、九疑山のように、辛い思いの峯峯が重なっていくようなものになるだけなのだ。

 

(臨江仙二首其の二)

鶯報じ 簾前 日紅に暖かなり,玉鑪 殘麝 猶お濃くし。

起來して 閨思 尚お疎慵し,別愁 春夢なり,誰か解さん 此の情悰を。

強整し 嬌姿 寶鏡に臨み,小池 一の芙蓉。

舊歡の再び蹤【あと】を尋ねる處無く,更に迴顧するに堪え,屏畫 九疑の峯。

 

 

『臨江仙二首其二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

臨江仙二首其二

鶯報簾前暖日紅,玉鑪殘麝猶濃。

起來閨思尚疎慵,別愁春夢,誰解此情悰。

強整嬌姿臨寶鏡,小池一芙蓉。

舊歡無處再尋蹤,更堪迴顧,屏畫九疑峯。

 

(下し文)

(臨江仙二首其の二)

鶯報じ 簾前 日紅に暖かなり,玉鑪 殘麝 猶お濃くし。

起來して 閨思 尚お疎慵し,別愁 春夢なり,誰か解さん 此の情悰を。

強整し 嬌姿 寶鏡に臨み,小池 一芙蓉。

舊歡の再び蹤【あと】を尋ねる處無く,更に迴顧するに堪え,屏畫 九疑の峯。

 

(現代語訳)

(あの春に寵愛を受けたのに、暑い夏も過ぎても、その日々に帰ることはなく、まだ若く魅力的だと思いなおし化粧を整えると鏡に一輪の蓮の花のような姿が映る。しかし、堪える日がつづくだけで、その繰り返しは、もう、屏風に描かれた九疑山のようになってしまったと詠う。)

鶯が春を告げたら、簾の前の陽だまりに比は暖かく、やがて赤く変わってゆく。あのお方が来てはくれなくなったが、それでも、もしかしたらと麝香を宝玉のように輝いている香炉に焚いているから、まだその香が閨に残っており、それもまだ濃く匂いが漂っている。

うとうととし、起き上がって閨の中で思案するだけでどうでもいいじゃないかという心境になるし、別離の愁いはきっと春の夢だったと思いなおす。この、まだ若いのだからあのお方ともっと楽しみたいと思う気持ちは、誰がわかってくれるのだろう。

それでも思い直して、化粧と身繕いして魅力あるような容姿に整えようとして覆いを取って鏡に向かう。鏡の中の池には、一輪の素敵な芙蓉の花のような美人がいる。

あの楽しかった日々の後を探し訪ね歩いても、それは何処にもありはしない。そうしたとしてもただ振り返ることで、更に耐え忍ぶことになるだけなのだ、それに、屏風に描かれた、九疑山のように、辛い思いの峯峯が重なっていくようなものになるだけなのだ。

 

 

(訳注)

臨江仙二首其二

(あの春に寵愛を受けたのに、暑い夏も過ぎても、その日々に帰ることはなく、まだ若く魅力的だと思いなおし化粧を整えると鏡に一輪の蓮の花のような姿が映る。しかし、堪える日がつづくだけで、その繰り返しは、もう、屏風に描かれた九疑山のようになってしまったと詠う。)

【解説】この詩は、もしかすると李珣の妹のことかもしれない。李珣の妹の李舜絃も前蜀王衍の九嬪の昭儀となって宮廷に入り、これも詞をよくしたといわれている。九嬪の昭儀というのは、「内官」制度の規定で、皇后、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

 つまり、皇后に次いで五番目の妃嬪ということになる。5/122であるから順位としても相当高い序列である。この時代、艶詩、閨情詩でいう恨みという語で、満たされぬ状況を表現することが多いが、現代の感覚での「恨み」とは違っている。社会制度、性倫理観が根本的に異なっているからである。

 

唐の教坊の曲名。『花間集』には初めに示した表のとおり、二十六首所収。李珣の作は二首収められている。双調五十八字、前段二十九字五句四平韻、後段二十九字五句一仄三平韻で、⑦⑥⑦4⑤/❼⑥⑦4⑤の詞形をとる。

鶯報簾前暖日 玉鑪殘麝猶

起來閨思尚疎慵 別愁春 誰解此情

強整嬌姿臨寶 小池一

舊歡無處再尋蹤 更堪迴 屏畫九疑

○●○○●●○  ●○○●△○

●△○△△△○  ●○○△ ○●●○○

○●△○△●● ●○●●○○

●○○●●○○ △○△●  △●△○○

 

鶯報簾前暖日紅,玉鑪殘麝猶濃。

鶯が春を告げたら、簾の前の陽だまりに比は暖かく、やがて赤く変わってゆく。あのお方が来てはくれなくなったが、それでも、もしかしたらと麝香を宝玉のように輝いている香炉に焚いているから、まだその香が閨に残っており、それもまだ濃く匂いが漂っている。

玉鑪 宝玉のように輝いている香炉に

 焚いた香のよいかおり。麝香(じゃこう)は雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種である。 ムスク (musk) とも呼ばれる。

 

起來閨思尚疎慵,別愁春夢,誰解此情悰。

うとうととし、起き上がって閨の中で思案するだけでどうでもいいじゃないかという心境になるし、別離の愁いはきっと春の夢だったと思いなおす。この、まだ若いのだからあのお方ともっと楽しみたいと思う気持ちは、誰がわかってくれるのだろう。

疎慵 面倒くさい、物憂い、億劫という意味だが、ここでは とらわれがなく、こだわりが無い、そんなこまごまとした世間のことなど、もう、どうでもいいじゃないかという心境。

 楽しむ。心。思い。

 

強整嬌姿臨寶鏡,小池一芙蓉。

それでも思い直して、化粧と身繕いして魅力あるような容姿に整えようとして覆いを取って鏡に向かう。鏡の中の池には、一輪の素敵な芙蓉の花のような美人がいる。

/朶【タ】 1えだ。2量詞 花・雲またはそれらに似たものの数を数える.3.≒儿 用例一朵红花=1輪の赤い花.几淡云=幾つかの薄い雲.

 

舊歡無處再尋蹤,更堪迴顧,屏畫九疑峯。

あの楽しかった日々の後を探し訪ね歩いても、それは何処にもありはしない。そうしたとしてもただ振り返ることで、更に耐え忍ぶことになるだけなのだ、それに、屏風に描かれた、九疑山のように、辛い思いの峯峯が重なっていくようなものになるだけなのだ。

尋蹤 後を探し訪ね歩く。

迴顧 回顧:ふりかえる。

九疑山. 1. キウギザン. 1. 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。*

九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。九嶷山主峰は舜源峰であり、海拔610mであり,以下,娥皇、女英、桂林、杞林、石城、石楼、朱明、韶をいうがどの峰も同じように見えるため、九疑山と称された。舜の廟がある。別名:蒼梧山

謝靈運『初發石首城』「越海淩三山,遊湘曆九嶷。」

海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。)
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
三山 会稽始寧から南に三山(現浙江省富陽縣三山)がある。東方三神山の一山として に移動。蓬萊、方丈、瀛州(えいしゅう)は東海の三神山であり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。・九嶷山 洞庭湖の南部で、瀟水と湘江が合流する一帯の景色は「瀟湘湖南」「瀟湘八景」と称されて親しまれてきた。これに古代の帝王・舜が葬られたとされている九嶷山を取り入れた景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた(劉禹錫の「瀟湘曲」など)。

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155

 


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20-516《臨江仙二首,其一》十巻 李珣唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-699-20-(516)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5042

 

 

李珣(生卒年未詳)字は徳潤し先祖は波期の人唐敬宗朝(825826)に官室を建築する沈香木用材を献上した波斯の商人に李蘇抄というものがあり、その子孫に李玽と玽の兄の畡があった。兄の畡は小字を李四郎といい、字は廷儀という。唐僖宗に従って蜀に入って(中和元年881年)率府率となったという。李珣の妹の李舜絃も前蜀王衍の昭儀(女官の名称)となって宮廷に入り、これも詞をよくしたといわれている。李珣は蜀の秀才(科挙の名称)となり、花間集にも李秀才とあるが、そののちの官途についてはよくわからない。小詞に工なことで蜀の後主の宮廷に仕えていた。梓州(四川省三台県)の人という。前蜀が亡んでからは出仕せず、感慨を詞に寄せたという。かれの詞は花間集に三十七首収めている。ほかに尊前集のもの十七首を合わせて五十四首伝わっている。花間集の詞風ではあるが溫庭筠・韋莊とはまたことなった清疎な美しさがあり、民歌的な叙情に富み、また南越の風物をうたった叙景詞にも工であって又一派の詞風をなしている。北宋人の体格を開いたといわれているように、五代詞特有の濃艶さが洗い浄められてしかものちの艶約とよばれる詞の美しきがただよっているところに、又、別の新鮮な風味を備えている。集に瓊瑶集があったというが今伝わらず、輯本の詞集があるだけである。別に海藻本草という著述があり、医学にも通じていたことが知られる。

 

 

臨江仙二首

 

臨江仙二首其一

(寵愛を失った妃嬪が仙郷を模した離宮の中で一人さびしく、池のほとりを散策し、硯を出して手紙を書こうとするがそれは許されないことであると詠う。)


簾卷池心小閣虛,暫涼閑步徐徐。

簾を巻き上げるとあのお方と過ごした、池の中央にある小高い丘に上に立つ小高樓が見える。しばらくして、そよ風に任せてゆったりと歩いてみる。

芰荷經雨半凋疎,拂堤垂柳,蟬噪夕陽餘。

菱と蓮に経糸のような雨がふりそそぐ半ば凋み枯れてまばらになった派の上に落ちる。柳の枝はたれて、つつみを拂うほど茂っている、もう少しで夕日が暮れて行こうというのに秋蝉がうるさく鳴いている。(それなのに自分の心は静かなものだ。)

不語低鬟幽思遠,玉釵斜墜雙魚。

誰と話すわけでもなく、結い上げた髷を俯き加減で、しずかに物思いにふける。夕日に輝く簪が斜めに落ち掛けていて、雙魚の硯を出してくる。

幾迴看寄來書,離情別恨,相隔欲何如。

今までもらったあの方からの手紙を出して返詩を書こうと読み返してみるけれど、愛情を受けることから離れ、別れたことは恨みがこみ上げてくる、互いがこうして隔たったままということは、手紙を書こうとしてもどうしてよいやら、わからないのだ。

(臨江仙二首其の一)

簾卷き 池心 小閣虛し,暫く涼しく 閑かに步むは 徐徐たり。

芰荷 經雨 半ば凋疎す,堤を拂う 柳を垂れ,蟬噪す 夕陽に餘る。

語らず 低鬟 幽思遠く,玉釵 斜に墜ち 雙魚。

幾たびか迴らん 寄來の書を看して,離情せば別恨し,相い隔つこと 何如せんと欲す。

 

臨江仙二首其二

鶯報簾前暖日紅,玉鑪殘麝猶濃。

起來閨思尚疎慵,別愁春夢,誰解此情悰。

強整嬌姿臨寶鏡,小池一芙蓉。

舊歡無處再尋蹤,更堪迴顧,屏畫九疑峯。

 

楊貴妃清華池002
 

『臨江仙二首其一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

臨江仙二首其一

簾卷池心小閣虛,暫涼閑步徐徐。

芰荷經雨半凋疎,拂堤垂柳,蟬噪夕陽餘。

不語低鬟幽思遠,玉釵斜墜雙魚。

幾迴看寄來書,離情別恨,相隔欲何如。

 

(下し文)

(臨江仙二首其の一)

簾卷き 池心 小閣虛し,暫く涼しく 閑かに步むは 徐徐たり。

芰荷 經雨 半ば凋疎す,堤を拂う 柳を垂れ,蟬噪す 夕陽に餘る。

語らず 低鬟 幽思遠く,玉釵 斜に墜ち 雙魚。

幾たびか迴らん 寄來の書をみ看して,離情せば別恨し,相い隔つこと 何如せんと欲す。

 

(現代語訳)

(寵愛を失った妃嬪が仙郷を模した離宮の中で一人さびしく、池のほとりを散策し、硯を出して手紙を書こうとするがそれは許されないことであると詠う。)

簾を巻き上げるとあのお方と過ごした、池の中央にある小高い丘に上に立つ小高樓が見える。しばらくして、そよ風に任せてゆったりと歩いてみる。

菱と蓮に経糸のような雨がふりそそぐ半ば凋み枯れてまばらになった派の上に落ちる。柳の枝はたれて、つつみを拂うほど茂っている、もう少しで夕日が暮れて行こうというのに秋蝉がうるさく鳴いている。(それなのに自分の心は静かなものだ。)

誰と話すわけでもなく、結い上げた髷を俯き加減で、しずかに物思いにふける。夕日に輝く簪が斜めに落ち掛けていて、雙魚の硯を出してくる。

今までもらったあの方からの手紙を出して返詩を書こうと読み返してみるけれど、愛情を受けることから離れ、別れたことは恨みがこみ上げてくる、互いがこうして隔たったままということは、手紙を書こうとしてもどうしてよいやら、わからないのだ。

 

kairo10681
 

(訳注)

臨江仙二首其一

(寵愛を失った妃嬪が仙郷を模した離宮の中で一人さびしく、池のほとりを散策し、硯を出して手紙を書こうとするがそれは許されないことであると詠う。)

唐の教坊の曲名。『花間集』には初めに示した表のとおり、二十六首所収。李珣の作は二首収められている。双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる。

簾卷池心小閣 暫涼閑步徐
芰荷經雨半凋疎 拂堤垂柳 蟬噪夕陽

不語低鬟幽思遠 玉釵斜墜雙

幾迴看寄書 離情別恨 相隔欲何

○△○○●●○  ●△○●○○

●△△●●○△  ●△○● ○●●○○

△●○○○△● ●○○●○○

△△○△●△○ △○●●  △●●△△

 

簾卷池心小閣虛,暫涼閑步徐徐。

簾を巻き上げるとあのお方と過ごした、池の中央にある小高い丘に上に立つ小高樓が見える。しばらくして、そよ風に任せてゆったりと歩いてみる。

池心 池の中心部。池のまんなか。神仙三山を池の中に作り、そこに小さな高楼が断っている。唐大明宮んp大掖池の蓬莱亭を連想させる。

 むなしい。あな。うつろ。大きい丘。昔の建物の跡。天空。

閑步 ゆったりと落ち着いてしずかにあるく。 ・閑:ひま。ひまな時間。また,ゆったりと落ち着いてしずかなさま。

徐徐 1 挙動が落ち着いてゆったりしているさま。2 進行や変化がゆっくりしているさま。

 

芰荷經雨半凋疎,拂堤垂柳,蟬噪夕陽餘。

菱と蓮に経糸のような雨がふりそそぐ半ば凋み枯れてまばらになった派の上に落ちる。柳の枝はたれて、つつみを拂うほど茂っている、もう少しで夕日が暮れて行こうというのに秋蝉がうるさく鳴いている。(それなのに自分の心は静かなものだ。)

凋疎 枯れ凋んでまばらになる。

蝉噪 セミがうるさく鳴く.わめく,大声で騒

 

不語低鬟幽思遠,玉釵斜墜雙魚。

誰と話すわけでもなく、結い上げた髷を俯き加減で、しずかに物思いにふける。夕日に輝く簪が斜めに落ち掛けていて、雙魚の硯を出してくる。

 〔「みみつら(耳鬘)」の転といわれる〕 上代の男子の髪の結い方の一。頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。びずら。びんずら。

幽思 1 静かに思いにふける. 2名詞 ひそかな思い,秘められ感情.

雙魚 二匹の並んだ魚。書信。硯の名。手洗いの名。錢の名。星宿、雙魚宮で少女を意味する。

 

幾迴看寄來書,離情別恨,相隔欲何如。

今までもらったあの方からの手紙を出して返詩を書こうと読み返してみるけれど、愛情を受けることから離れ、別れたことは恨みがこみ上げてくる、互いがこうして隔たったままということは、手紙を書こうとしてもどうしてよいやら、わからないのだ。

miyajima594
 

 

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毛熙震『臨江仙二首其一』

南齊天子寵嬋,六宮羅綺三

潘妃嬌豔獨芳,椒房蘭洞,雲雨降神

縱態迷歡心不足,風流可惜當

纖腰婉約步金,妖君傾國,猶自至今

(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)

六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。

また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。

宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった

それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。

(臨江仙二首其の一)

南齊の天子 嬋娟を寵う,六宮 羅綺三千。

潘妃 嬌豔 獨り芳妍,椒房 蘭洞,雲雨 神仙に降る。

態を縱ままにす 迷いて歡心 足らず,風流 當年にり惜む可し。

纖腰 婉約 金蓮に步み,妖君は傾國なり,猶お 自より今に至って傳う。

双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる

○△○●●○○  ●○○●△○

○△△●●○○  ○○○△ ○●△○○

△●○○○△●△○●●△○

○○●●●○△ ○○○●  △●●○△

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張泌『臨江仙 一首』

煙收湘渚秋江,蕉花露泣愁

五雲雙鶴去無,幾迴魂斷,凝望向長

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波,花鬟月鬢綠雲

古祠深殿,香冷雨和

(臨江仙【りんこうせん】)

煙【もや】收まり 湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。

五雲 雙鶴 去りて蹤【あと】無く,幾迴 魂斷え,望を凝らして 長空に向える。

翠竹 暗きに留み 珠の淚の怨み,閑かに寶瑟 波中に調ぶ,花鬟 月鬢 綠雲 重る。

古祠【こし】の深殿,香は冷雨となりて風に和す。

(湘江の女神、娥皇と女英の所縁の地を巡り、そこにいる道妓を思いを詠う。)

湘水の渚をおおっていた霧は消え、静かに秋の大江は流れ、カンナの花は露に泣き愁いに紅く色を濃くしている。

五色の雲の彼方へ二羽の鶴が飛び去り、水に沈んだがその跡は今は何も残さない、幾たびかそこを訪ね回り、そこでその燃える思いを断ったという、遠くはるかな空の果てにその思いを望んだことだろう。

翠の斑竹は密かに留めている怨み込めたる涙跡である、波の間に静かに瑟琴の奏では水の音にきえてゆく。花のような鬟髷、月のような両鬢、美しき黒髪は雲のように重なっている。

古き道教聖女祠の奥深い宮殿は、聖女祠の香りは吹きつける冷い雨と風になごんでいく。

双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる。

○△○●○○●  ○○●●○○

●○○●●○○  △△○● △△●△△

●●●△○●△ ○△●●○△  ○○●●●○△

●○△●  ○△●△△

 

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李珣《巫山一段雲二首,其二》十巻 この巫山の山と三峡の流れに、どういうわけか、舟近くに悲しき猿の鳴き声を聞くのは二人の恋は悲恋であったというのであろうか、ここを旅するものたちは、別れてきてことを思い出し、自然と愁いが多くなる。

 
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巫山一段雲二首は、毛文錫の詩を挟んでみると連詩のように思われる。

 

巫山一段雲二首其一

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて思い浮んだことを詠う。)

有客經巫峽,停橈向水湄。

ここに旅人がいて、三峡・巫峡をくだろうとすると、棹を止め、楫を止めて、祠に停泊し、その後、水に臨む岸を見ながら、流れに沿って下流に向かうものである。

楚王曾此夢瑤,一夢杳無期。

そこ巫峡の山には楚の懐王と瑤姫との伝説があり、宋玉の「高唐賦」に登場する夢の中で出会い、親しく交わるというものであるが、その夢は一度見ていると、果てしなくその逢瀬の約束は無限につづくのである。

塵暗珠簾卷,香消翠幄垂。

だからその祠では、仮に雲が厚く閨が暗ければ、珠の簾を巻き上げるものであり、閨の香が絶えて消えてしまうと香の香りを逃がさないために、カワセミの雌の緑色のとばりを垂らすものだ。

西風迴首不勝悲,暮雨灑空祠

それでも西風が吹けば、舟は出向できず、首を都の方にめぐらせて悲しい秋を迎えるものだし、巫山神女が雨となって夕暮れに降りはじめれば、何にもなかった祠にも潤いがそそがれるというものだろう。

 

(巫山、一段の雲 二首其の一)

客有り 巫峽を經て,橈を停め 水湄に向う。

楚王 曾て此れ 夢み,一び夢むが 杳として期無し。

塵【か】りに暗ければ 珠簾卷き,香消えれば 翠幄垂る。

西風 首を迴らせて悲に勝らず,暮雨 空祠を灑う。

 

 

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毛文錫『巫山一段雲一首』

雨霽巫山上,雲輕映碧天。

遠峯吹散又相連,十二晚峯前。

暗濕啼猿樹,高籠過客舡。

朝朝暮暮楚江邊,幾度降神仙。

(巫山の一段雲一首)

雨が霽【は】れる巫山の上り,雲は輕く碧天に映ゆ。

遠峯より吹散し又た相い連なる,十二晚峯の前なり。

暗に濕し 猿 樹に啼く,高籠は客舡を過る。

朝朝して暮暮し 楚江の邊,幾度 神仙の降れる。

(巫山十二峯は交わり、別れの場所であり、また、雨が降り交わり、朝が来て別れる。そんな巫山を詠う。)

神女の生まれ変わりの雨が朝には別れたために晴れ、巫山のあたりはすっかり澄み渡る。その空に神女と夜を過ごした雲が軽やかにすみきった青空に映えている。

遠くの峰々をこえて吹く風に雲は散らされ、そしてまた集まり、そして連なる、巫峡は暮れかかって、二人のわかれた十二峰には猿の鳴き声がこだまする。

暗くたれこめた雲があたりをくらくし、暗くなった樹を密かに濡らしたなかに猿がないているのだ。高い籠に揺られ見下ろすようにの巫峡のうえから旅人の乗る船を下に見ている。

朝が来て別れ、また朝になり、夕ぐれて交わり、また夕暮れていく、舟は下って楚の国、長江下流域ののほとり、ここにはここの神仙が幾たびも降りて交わるということだ。

【解説】 巫峡は古くから航行危険の難所であったことで、さしかかる前は娼屋を利用して勇気を奮い立たせて難所に向かった。民妓、道妓の施設があったもので,もしかすると死ぬかもしれないという中での女性が神女という呼び方をされてもおかしくない。こうしたことの前提で巫山の神女の故事ができあがっている。後段、巫山の雲は、長江を行き交う旅の船を下に見ながら、これまで、朝な夕なに、どれほど巫山の峰に降ったことであろうと、坐山の神女の故事に思いを馳せる。

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巫山一段雲二首其二

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて、ここの景色と気風によって思い浮んだことを詠う。)

古廟依青嶂,行宮枕碧流。

楚の懐王が巫山の神女のために建てたとされる古廟は十二の翠の山に寄り添うようにあり、楚の行在所であった宮は碧き流れを臨んで、長江の傍らにたっている。

水聲山色鏁粧樓,往事思悠悠。

渓谷に響く水の流れの音とみなもにうつる山の色をふかくし、その中に美しい高殿を包み込んでいる、過ぎ去りし昔のことがこの景色と気風によって果てなく偲ばれてくる。

雲雨朝還暮,煙花春復秋。

高唐の賦にいう「朝雲暮雨」となって、陽台の下で待っているといった瑶姫とその懐王の逢瀬、花曇りの春の盛りからまた秋の寒花のかおる時もその時節に応じてしのばれる。

啼猿何必近孤舟,行客自多愁。

この巫山の山と三峡の流れに、どういうわけか、舟近くに悲しき猿の鳴き声を聞くのは二人の恋は悲恋であったというのであろうか、ここを旅するものたちは、別れてきてことを思い出し、自然と愁いが多くなる。

 

(巫山、一段の雲 二首其の二)

古廟 依青嶂,行宮枕碧流。

水聲山色鏁粧樓,往事思悠悠。

雲雨朝還暮,煙花春復秋。

啼猿何必近孤舟,行客自多愁。

巫山十二峰004
 

 

『巫山一段雲二首其二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

巫山一段雲二首其二

古廟依青嶂,行宮枕碧流。

水聲山色鏁粧樓,往事思悠悠。

雲雨朝還暮,煙花春復秋。

啼猿何必近孤舟,行客自多愁。

 

(下し文)

(巫山、一段の雲 二首其の二)

古廟 青嶂に依り、行宮 碧流に枕【のぞ】む。

水聲 山色 粧榛を鏁ざし、往事 思い 悠悠たり。

雲雨 朝 還た暮、煙花 春 復た秋。

啼猿 何ぞ孤舟に近づくを必とせん、行客 自ら愁い 多い。

 

(現代語訳)

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて、ここの景色と気風によって思い浮んだことを詠う。)

楚の懐王が巫山の神女のために建てたとされる古廟は十二の翠の山に寄り添うようにあり、楚の行在所であった宮は碧き流れを臨んで、長江の傍らにたっている。

渓谷に響く水の流れの音とみなもにうつる山の色をふかくし、その中に美しい高殿を包み込んでいる、過ぎ去りし昔のことがこの景色と気風によって果てなく偲ばれてくる。

高唐の賦にいう「朝雲暮雨」となって、陽台の下で待っているといった瑶姫とその懐王の逢瀬、花曇りの春の盛りからまた秋の寒花のかおる時もその時節に応じてしのばれる。

この巫山の山と三峡の流れに、どういうわけか、舟近くに悲しき猿の鳴き声を聞くのは二人の恋は悲恋であったというのであろうか、ここを旅するものたちは、別れてきてことを思い出し、自然と愁いが多くなる。

巫山十二峰002
 

(訳注)

巫山一段雲二首

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて、ここの景色と気風によって思い浮んだことを詠う。)

【解説】 長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情を詠う。前段は、楚の懐王とゆかりのある神女を祀った社と楚の仮の官とが山や川に寄り添って建ち、水音と山に包まれて、遠い昔への果てしない思いに誘われることを述べる。後段は、朝な夕なの雲や雨に日は過ぎ、花の春から秋へと歳月は流れ、旅人なる作者は、人の悲しみを誘う猿の鳴き声を聞くまでもなく、自ずと憂愁の情がわき起こると述べる。

 

巫山一段雲二首其二

『花間集』には李均の作が二首収められている。双調四→四字、前後段二十二字四句三平撃、5⑤⑦⑤/5⑤⑦⑤の詞形をとる。毛文錫の巫山一段雲の解説参照。

古廟依青嶂  行宮枕碧
水聲山色鏁粧  往事思悠
雲雨朝還暮  煙花春復
啼猿何必近孤  行客自多

●●△○●  △○△●○

●○○●??○  ●●△○○

○●○○●  ○○○●○

○○△●●○○  △●●○○

 

古廟依青嶂,行宮枕碧流。

楚の懐王が巫山の神女のために建てたとされる古廟は十二の翠の山に寄り添うようにあり、楚の行在所であった宮は碧き流れを臨んで、長江の傍らにたっている。

○古廟 古い社。ここでは楚の懐王が巫山の神女のために建てたとされる社。

○青峰 そそり立つ青い山。四川省にある巫山のこと。

○行宮【あんぐう(かりみや)】 皇帝行在所、仮の御所。かつての楚の離宮。とは、皇帝の行幸時あるいは、政変などの理由で御所を失陥しているなどといった場合、一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の事を言われる。他に行在所【あんざいしょ】、御座所、頓宮という。

 

水聲山色鏁粧樓,往事思悠悠。

渓谷に響く水の流れの音とみなもにうつる山の色をふかくし、その中に美しい高殿を包み込んでいる、過ぎ去りし昔のことがこの景色と気風によって果てなく偲ばれてくる。

○粧楼 美しい高楼。官女の館を指す。

 

雲雨朝還暮,煙花春復秋。

高唐の賦にいう「朝雲暮雨」となって、陽台の下で待っているといった瑶姫とその懐王の逢瀬、花曇りの春の盛りからまた秋の寒花のかおる時もその時節に応じてしのばれる。

○雲雨朝還暮 楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。

韋莊『望遠行』「出門芳草路萋萋、雲雨別來易東西。」

この門を出てしまえば旅路の道に若草茂るし、女の人もいるというものです。巫山の神女と夢の中で情を交わしたように睦まじくした仲も別れてはたちまち東と西にはなれてしまうのです。

・芳草路萋萋 旅立った男が旅先で春草(女)に心奪われて帰って来ないことを。『楚辞』招隠士第十二「王孫遊兮不歸、春草生兮萋萋。」(王孫 遊びて歸らず、春草 生じて萋萋たり。)

・雲雨別來易東西 愛し合ってきた睦まじい男女の仲も、一たび別れとなれば、たちまち東西に遠く離れ離れになってしまうことを言う。雲雨は男女の情交を指す。宋玉の「高唐の賦」の序に拠れば、楚の懐王は高唐に遊び、巫山の神女と夢の中で情を交わした。神女は別れに当たり 「私は巫山の南、高く険しい所におり、朝には雲となり暮れには雨となって、朝な朝な夕なに、陽台の下におります」と言い残し去ったと言う。以来、雲.雨の語は男女の情交を指すようになった。

 

啼猿何必近孤舟,行客自多愁。

この巫山の山と三峡の流れに、どういうわけか、舟近くに悲しき猿の鳴き声を聞くのは二人の恋は悲恋であったというのであろうか、ここを旅するものたちは、別れてきてことを思い出し、自然と愁いが多くなる。

〇時猿何必近孤舟 昔から、三峡(長江上流の四川省と湖北省にまたがる巫咲、瞿塘峡、西陵峡) を挟む両岸の山々の猿の噂き声は、長江を行き来する船にまで届き、旅人の愁いを誘った。
 蜀中転々圖

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李珣《巫山一段雲二首,其一》十巻 それでも西風が吹けば、舟は出向できず、首を都の方にめぐらせて悲しい秋を迎えるものだし、巫山神女が雨となって夕暮れに降りはじめれば、何にもなかった祠にも潤いがそそがれるというものだろう。

 

 
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巫山一段雲二首

 

巫山一段雲二首其一

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて思い浮んだことを詠う。)

有客經巫峽,停橈向水湄。

ここに旅人がいて、三峡・巫峡をくだろうとすると、棹を止め、楫を止めて、祠に停泊し、その後、水に臨む岸を見ながら、流れに沿って下流に向かうものである。

楚王曾此夢瑤,一夢杳無期。

そこ巫峡の山には楚の懐王と瑤姫との伝説があり、宋玉の「高唐賦」に登場する夢の中で出会い、親しく交わるというものであるが、その夢は一度見ていると、果てしなくその逢瀬の約束は無限につづくのである。

塵暗珠簾卷,香消翠幄垂。

だからその祠では、仮に雲が厚く閨が暗ければ、珠の簾を巻き上げるものであり、閨の香が絶えて消えてしまうと香の香りを逃がさないために、カワセミの雌の緑色のとばりを垂らすものだ。

西風迴首不勝悲,暮雨灑空祠。

それでも西風が吹けば、舟は出向できず、首を都の方にめぐらせて悲しい秋を迎えるものだし、巫山神女が雨となって夕暮れに降りはじめれば、何にもなかった祠にも潤いがそそがれるというものだろう。

 

巫山一段雲二首其一

客有り 巫峽を經て,橈を停め 水湄に向う。

楚王 曾て此れ 夢み,一び夢むが 杳として期無し。

塵【か】りに暗ければ 珠簾卷き,香消えれば 翠幄垂る。

西風 首を迴らせて悲に勝らず,暮雨 空祠を灑う。

 

 

巫山一段雲二首其二

古廟依青嶂,行宮枕碧流。

水聲山色鏁粧樓,往事思悠悠。

雲雨朝還暮,煙花春復秋。

啼猿何必近孤舟,行客自多愁。

 巫山十二峰003

-----------------------------------------------------------------------------------------

毛文錫『巫山一段雲一首』

雨霽巫山上,雲輕映碧天。

遠峯吹散又相連,十二晚峯前。

暗濕啼猿樹,高籠過客舡。

朝朝暮暮楚江邊,幾度降神仙。

(巫山の一段雲一首)

雨が霽【は】れる巫山の上り,雲は輕く碧天に映ゆ。

遠峯より吹散し又た相い連なる,十二晚峯の前なり。

暗に濕し 猿 樹に啼く,高籠は客舡を過る。

朝朝して暮暮し 楚江の邊,幾度 神仙の降れる。

(巫山十二峯は交わり、別れの場所であり、また、雨が降り交わり、朝が来て別れる。そんな巫山を詠う。)

神女の生まれ変わりの雨が朝には別れたために晴れ、巫山のあたりはすっかり澄み渡る。その空に神女と夜を過ごした雲が軽やかにすみきった青空に映えている。

遠くの峰々をこえて吹く風に雲は散らされ、そしてまた集まり、そして連なる、巫峡は暮れかかって、二人のわかれた十二峰には猿の鳴き声がこだまする。

暗くたれこめた雲があたりをくらくし、暗くなった樹を密かに濡らしたなかに猿がないているのだ。高い籠に揺られ見下ろすようにの巫峡のうえから旅人の乗る船を下に見ている。

朝が来て別れ、また朝になり、夕ぐれて交わり、また夕暮れていく、舟は下って楚の国、長江下流域ののほとり、ここにはここの神仙が幾たびも降りて交わるということだ。

【解説】 巫峡は古くから航行危険の難所であったことで、さしかかる前は娼屋を利用して勇気を奮い立たせて難所に向かった。民妓、道妓の施設があったもので,もしかすると死ぬかもしれないという中での女性が神女という呼び方をされてもおかしくない。こうしたことの前提で巫山の神女の故事ができあがっている。後段、巫山の雲は、長江を行き交う旅の船を下に見ながら、これまで、朝な夕なに、どれほど巫山の峰に降ったことであろうと、坐山の神女の故事に思いを馳せる。

-----------------------------------------------------------------------------------------

巫山十二峰002
 

 

『巫山一段雲二首其一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

巫山一段雲二首其一

有客經巫峽,停橈向水湄。

楚王曾此夢瑤,一夢杳無期。

塵暗珠簾卷,香消翠幄垂。

西風迴首不勝悲,暮雨灑空祠。

 

(下し文)

巫山一段雲二首其一

客有り 巫峽を經て,橈を停め 水湄に向う。

楚王 曾て此れ 瑤を夢み,一び夢むが 杳として期無し。

塵【か】りに暗ければ 珠簾卷き,香消えれば 翠幄垂る。

西風 首を迴らせて悲に勝らず,暮雨 空祠を灑う。

 

(現代語訳)

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて思い浮んだことを詠う。)

ここに旅人がいて、三峡・巫峡をくだろうとすると、棹を止め、楫を止めて、祠に停泊し、その後、水に臨む岸を見ながら、流れに沿って下流に向かうものである。

そこ巫峡の山には楚の懐王と瑤姫との伝説があり、宋玉の「高唐賦」に登場する夢の中で出会い、親しく交わるというものであるが、その夢は一度見ていると、果てしなくその逢瀬の約束は無限につづくのである。

だからその祠では、仮に雲が厚く閨が暗ければ、珠の簾を巻き上げるものであり、閨の香が絶えて消えてしまうと香の香りを逃がさないために、カワセミの雌の緑色のとばりを垂らすものだ。

それでも西風が吹けば、舟は出向できず、首を都の方にめぐらせて悲しい秋を迎えるものだし、巫山神女が雨となって夕暮れに降りはじめれば、何にもなかった祠にも潤いがそそがれるというものだろう。

 

巫山十二峰004
 

(訳注)

巫山一段雲二首

(長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情と祠を訪ねて思い浮んだことを詠う。)

『花間集』には三首で、毛文錫と李珣の作が二首収められている。双調四じゅう四字、前後段二十二字四句三平撃、5⑤⑦⑤/5⑤⑦⑤の詞形をとる。毛文錫の巫山一段雲の解説参照。

有客經巫峽  停橈向水
楚王曾此夢瑤  一夢杳無
塵暗珠簾卷  香消翠幄
西風迴首不勝  暮雨灑空

●●△○●  ○△●●○

●△○●△○○  ●△●○○

○●○○△  ○○●●○

○△△●△△○  ●●●△○

 

巫山一段雲二首其一

 

【解説】 長江の巫峡を過ぎる際の懐古の情を詠う。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。

 

有客經巫峽,停橈向水湄。

ここに旅人がいて、三峡・巫峡をくだろうとすると、棹を止め、楫を止めて、祠に停泊し、その後、水に臨む岸を見ながら、流れに沿って下流に向かうものである。

橈 かい、かじ、たわ-...

水湄 水に臨む岸。詩経秦風・蒹葭「蒹葭淒淒、白露未晞。 所謂伊人、在水之湄。」蒹葭萋萋(せいせい)たり 白露未だ晞(かわ)かず. 所謂伊の人 水の湄(び)に在り・湄:汀。岸。ほとり。はま。みずぎわ

 

楚王曾此夢瑤,一夢杳無期。

そこ巫峡の山には楚の懐王と瑤姫との伝説があり、宋玉の「高唐賦」に登場する夢の中で出会い、親しく交わるというものであるが、その夢は一度見ていると、果てしなくその逢瀬の約束は無限につづくのである。

楚王 楚の懐王がみた夢を題材にした宋玉の「高唐賦」に登場する。その内容は巫山の神女が懐王と夢の中で出会い、親しく交わるというものである。なかでも、朝には雲に、夕方には雨になって会いたいという神女の言葉が有名となり、巫山雲雨や朝雲暮雨など男女のかなり親密な様子を表す熟語が生まれた。この故事を題材とした詩に劉禹錫の「巫山神女峰」がある。

夢瑤 瑤姫【ようき】は、別名を「巫山神女」と呼ばれており。炎帝の四人娘の第三の娘であり、才色を兼ね備えて、学問より武術が得意とした。女娃(じょあ)の姉にあたる。美しいく輝く仙草「瑤草」は、瑤姫の化身である。

『高唐賦』と『神女賦』に記述があり、楚の懐王の夢に現れた契りを結んだ。最終、彼女は巫山に封じられた。

中国上古の神話には、瑤姫が西王母の第二十三人の娘「雲華夫人(うんかふじん)」だとの言い伝えがあり、十二匹の悪龍に降伏し禹の治水事業を助けていた。後に巫山十二峰(神女峰)を形成した。

 

塵暗珠簾卷,香消翠幄垂。

だからその祠では、仮に雲が厚く閨が暗ければ、珠の簾を巻き上げるものであり、閨の香が絶えて消えてしまうと香の香りを逃がさないために、カワセミの雌の緑色のとばりを垂らすものだ。

塵 ①ちり。②俗。③仮のこと。④世。⑥跡。⑦小さい数。⑧やわらぐさま。⑨ひさしい。

幄 まんまく。下張りの小さい幕。幕張りの内側。

翠 カワセミの雌のいろ、緑をいう。

 

西風迴首不勝悲,暮雨灑空祠。

それでも西風が吹けば、舟は出向できず、首を都の方にめぐらせて悲しい秋を迎えるものだし、巫山神女が雨となって夕暮れに降りはじめれば、何にもなかった祠にも潤いがそそがれるというものだろう。

西風迴首不勝悲 《楚辞·九》:“悲哉!秋之气也。瑟兮,草木落而衰。” 唐杜甫《登高》:“万里悲秋常作客,百年多病独登台

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皇帝禹を埋葬した九峯竝び聳えたつ九疑山があり、湘夫人、屈原が投身した三湘水がある。蘆の花が一面に広がれば、その時こそ漢の武帝の『秋風辭』「秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。」の季節になる。

 
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20-513《漁歌子四首,其四》十巻 李珣唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-696-20-(513)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5027

 

 

李珣(生卒年未詳)字は徳潤し先祖は波期の人唐敬宗朝(825826)に官室を建築する沈香木用材を献上した波斯の商人に李蘇抄というものがあり、その子孫に李玽と玽の兄の畡があった。兄の畡は小字を李四郎といい、字は廷儀という。唐僖宗に従って蜀に入って(中和元年881年)率府率となったという。李珣の妹の李舜絃も前蜀(907年—925年),王衍の昭儀(女官の名称)となって宮廷に入り、これも詞をよくしたといわれている。李珣は蜀の秀才(科挙の名称)となり、花間集にも李秀才とあるが、そののちの官途についてはよくわからない。小詞に工なことで蜀の後主の宮廷に仕えていた。梓州(四川省三台県)の人という。前蜀が亡んでからは出仕せず、感慨を詞に寄せたという。かれの詞は花間集に三十七首収めている。ほかに尊前集のもの十七首を合わせて五十四首伝わっている。花間集の詞風ではあるが溫庭筠・韋莊とはまたことなった清疎な美しさがあり、民歌的な叙情に富み、また南越の風物をうたった叙景詞にも工であって又一派の詞風をなしている。北宋人の体格を開いたといわれているように、五代詞特有の濃艶さが洗い浄められてしかものちの艶約とよばれる詞の美しきがただよっているところに、又、別の新鮮な風味を備えている。集に瓊瑶集があったというが今伝わらず、輯本の詞集があるだけである。別に海藻本草という著述があり、医学にも通じていたことが知られる。

 

 

漁歌子四首其一

楚山青,湘水淥,春風澹蕩看不足。

草芊芊,花簇簇,漁艇棹歌相續。

信浮沉,無管束,釣迴乘月歸灣曲。

酒盈罇,雲滿屋,不見人間榮辱。

(春の麗らかな大江に舟をうかべ、なんの拘束もなく自由に釣りをしているとなに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、この一時を楽しく過ごしてゆくことが大切だと詠う。)

春の楚山を遠望すれば楚の懐王と巫女の故事を思い出し、春水により増水した澄み切った湘水の流れをみると湘夫人を思い浮かべる。春風が吹けば、なに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、満足してみるものはない。

春草は青々と茂り、花は溢れんばかりに咲き誇る。漁船の仙道は舟歌を謡い、舟を進めるが何時までも謡い続けている。

春の麗らかな大江にふねをうかべ、なんの拘束もなく自由に浮いたり沈んだり舟を進める、心行くまで釣りをしていると月が昇りはじめてやっと帰りはじめて、三日月の釣り針のつられたような入り江の港に停泊する。

酒は樽に満ち足りて用意されているし、雲が屋根を包むように女妓たちが宿を一杯にするほど来てくれている。こうしてみると、人の世というものは、盛衰榮辱というのはつきものであるが、そんなことより今の一時を楽しく生きることがよいのである。

(漁歌子四首其の一)

楚山青く,湘水淥りなり,春風澹蕩にして 看る足らず。

草は芊芊とし,花は簇簇たり,漁艇 棹歌 相い續く。

信に浮沉し,管束無く,釣 月に乘りて迴り 灣曲に歸る。

酒 罇に盈ち,雲 屋に滿つ,人間 榮辱 見えず。

 

漁歌子四首其二

荻花秋,瀟湘夜,橘洲佳景如屏畫。

碧煙中,明月下,小艇垂綸初罷。

水為,篷作舍,魚羹稻飯常飡也。

酒盈杯,書滿架,名利不將心掛。

(いつもは歓楽街で女妓を相手に酒を呑むが、洞庭湖や、瀟湘に糸を垂れて幽雄と酒を呑みたいものと宴席で夢を語る。)

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。

(漁歌子四首其の二)

荻花の秋なれば,瀟湘の夜は,橘洲の佳景 屏畫の如し。

碧煙の中なれば,明月の下は,小艇の垂綸 初めて罷む。

水為のなれば,篷を舍と作し,魚羹 稻飯 常飡なり。

酒は杯に盈ち,書は架につ,名利 不將に心に掛けず。

 

漁歌子四首其三

柳垂絲,花滿樹,鶯啼楚岸春山暮。

棹輕舟,出深浦,緩唱漁歌歸去。

罷垂綸,還酌醑,孤村遙指雲遮處。

下長汀,臨淺渡,驚起一行沙鷺。

(春が来ても、思うが儘に生きてゆく、たったひとりしかいない村に束縛されずに生きてゆきたいと詠う。)

柳が糸のような枝を垂れようが、桃李の花は樹に満ちあふれようが、鶯が啼くのは、長江、楚の河岸一帯に春を告げて、春山はやがて暮れて、さわやかな季節を迎える。

隠遁したなら、小舟を漕ぎだし、奥まった入江の津を出でて、ゆるやかに「楚辞・漁父」のように漁父が歌いながら帰り去りはじめる。

そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす、そして、隠遁しているただ一人住む村に向って遙かに目指す、仙郷のように霞にへだてられたところなのだ。

長き河岸の汀を下ってゆきつくと、遠浅の渡し場に舟を泊めるのだ、そこには砂のねぐらにいる鷺だけが驚いて、一連になって飛び立つのを見る事だろう。

(漁歌子四首其の三)

柳は絲を垂れて,花は樹に滿つ,鶯は楚の岸に啼いて 春山は暮る。

輕舟を棹ぎて,深浦を出で,漁歌を緩唱して歸り去る。

綸を垂るるを罷め,還た醑を酌み,孤村 遙かに雲の遮ぎる處を指す。

長汀を下り,淺渡に臨む,驚き起ちぬ 一行の沙鷺。

 

漁歌子四首其四

(洞庭湖は風流なところで、このまま誰に遠慮することなく、酒を呑みたいものだと詠う)

九疑山,三湘水,蘆花時節秋風起。

皇帝禹を埋葬した九峯竝び聳えたつ九疑山があり、湘夫人、屈原が投身した三湘水がある。蘆の花が一面に広がれば、その時こそ漢の武帝の『秋風辭』「秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。」の季節になる。

水雲間,山月裏,棹月穿雲遊戲。

洞庭湖は風流で、水面から湧き出でる雲、山の端から月が昇り、水面に映る月を竿で穿つと波で水面の天は揺れ、それに泛ぶ雲と水面に映る雲がたわむれる。

皷清琴,傾淥蟻,扁舟自得逍遙志。

ここでは湘夫人の演奏のように鼓の音はさわやかに響き、それに合わせて琴の音が響いてくる、そうなると蟻の泡の浮き出る新酒を傾けるのである。木の葉のような小舟は、自ずからゆったりと流れに任せて遙かにゆらゆらと進む、そして河畔をぶらぶら歩く。

任東西,無定止,不議人間醒醉。

木の葉舟は流れに任せて西から東へ当たり前のこととして進み、どこかに留まることはない。ひとの世に生きるということはこのようにゆったりとすることはむつかしく、酔っぱらったり、目覚めたりしていくことしかないのだ。

 

(漁歌子四首其の四)

九疑の山,三湘の水,蘆花の時節 秋風起つ。

水雲の間,山月の裏,棹は月穿ち 雲は遊び戲れる。

皷 琴を清くし,淥蟻を傾け,扁舟 自ら逍遙の志を得る。

東西に任せ,定め止る無し,議さず 人間 醒醉するを。

 

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『漁歌子四首』 現代語訳と訳註解説

(本文)

漁歌子四首其四

九疑山,三湘水,蘆花時節秋風起。

水雲間,山月裏,棹月穿雲遊戲。

皷清琴,傾淥蟻,扁舟自得逍遙志。

任東西,無定止,不議人間醒醉。

 

(下し文)

(漁歌子四首其の四)

九疑の山,三湘の水,蘆花の時節 秋風起つ。

水雲の間,山月の裏,棹は月穿ち 雲は遊び戲れる。

皷 琴を清くし,淥蟻を傾け,扁舟 自ら逍遙の志を得る。

東西に任せ,定め止る無し,議さず 人間 醒醉するを。

 

(現代語訳)

(洞庭湖は風流なところで、このまま誰に遠慮することなく、酒を呑みたいものだと詠う)

皇帝禹を埋葬した九峯竝び聳えたつ九疑山があり、湘夫人、屈原が投身した三湘水がある。蘆の花が一面に広がれば、その時こそ漢の武帝の『秋風辭』「秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。」の季節になる。

洞庭湖は風流で、水面から湧き出でる雲、山の端から月が昇り、水面に映る月を竿で穿つと波で水面の天は揺れ、それに泛ぶ雲と水面に映る雲がたわむれる。

ここでは湘夫人の演奏のように鼓の音はさわやかに響き、それに合わせて琴の音が響いてくる、そうなると蟻の泡の浮き出る新酒を傾けるのである。木の葉のような小舟は、自ずからゆったりと流れに任せて遙かにゆらゆらと進む、そして河畔をぶらぶら歩く。

木の葉舟は流れに任せて西から東へ当たり前のこととして進み、どこかに留まることはない。ひとの世に生きるということはこのようにゆったりとすることはむつかしく、酔っぱらったり、目覚めたりしていくことしかないのだ。

三峡 巫山十二峰001
 

(訳注)

漁歌子四首其四

(洞庭湖は風流なところで、このまま誰に遠慮することなく、酒を呑みたいものだと詠う)

『花間集』には教坊曲『漁歌子』が八首所収されている。李珣の作は四首収められている。双調五十字、前後段二十五字六句四仄韻、3❸❼3❸❻/3❸❼3❸❻の詞形をとる。

九疑山 三湘水 蘆花時節秋風

水雲間 山月裏 棹月穿雲遊
皷清琴 傾淥蟻 扁舟自得逍遙

任東西 無定止 不議人間醒

△○○  △○● ○○○●○△●

●○△ ○●●  ●●△○○△

●○○  ○●● △○●●○○●

△○○ ○●●  △●○△△●

 

九疑山,三湘水,蘆花時節秋風起。

皇帝禹を埋葬した九峯竝び聳えたつ九疑山があり、湘夫人、屈原が投身した三湘水がある。蘆の花が一面に広がれば、その時こそ漢の武帝の『秋風辭』「秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。」の季節になる。

九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。九嶷山主峰は舜源峰であり、海拔610mであり,以下,娥皇、女英、桂林、杞林、石城、石楼、朱明、韶をいうがどの峰も同じように見えるため、九疑山と称された。

三湘 ①河川名。沅湘、瀟湘、蒸湘の湘江をいう。また、長江、沅湘、湘江をいうがどちらにしても洞庭湖周辺地方の河川をいう。地名。『太平実記』「以湘郷、湘潭、湘陰爲三湘。」

蘆花 秋に茎頭に大きな穂をぬいて、この穂に紫色の小穂をたくさんつけ、のち紫褐色に変わってゆくもの

秋風起 漢の武帝 『秋風辭』「秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。」(秋風起って 白雲飛び 草木黄落して 雁南に歸る)

秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

 

水雲間,山月裏,棹月穿雲遊戲。

洞庭湖は風流で、水面から湧き出でる雲、山の端から月が昇り、水面に映る月を竿で穿つと波で水面の天は揺れ、それに泛ぶ雲と水面に映る雲がたわむれる。

棹月穿 賈島「棹穿波上月,舡壓水中天。」棹(さを)は穿(うが)つ波の底の月、船は圧(お)そふ水中の天。『〈過海聯句〉(與高麗使聯句)』

 

皷清琴,傾淥蟻,扁舟自得逍遙志。

ここでは湘夫人の演奏のように鼓の音はさわやかに響き、それに合わせて琴の音が響いてくる、そうなると蟻の泡の浮き出る新酒を傾けるのである。木の葉のような小舟は、自ずからゆったりと流れに任せて遙かにゆらゆらと進む、そして河畔をぶらぶら歩く。

 つづみ。

淥蟻 一種美酒。蟻のようなあわがプツプツと浮いている緑の酒。開けたての新酒。文選·謝『在郡臥病呈沈尚書詩:嘉魴聊可薦, 淥蟻方獨持。』 亦作“綠螘”。緑蟻方独持〓緑蟻」は、蟻のようなあわがプツプツと浮いている緑の酒。開けたての新酒。「方」は今ちょうど〜。「独持」は、あなたのような客人と飲みたいのだが、今は独りで飲んでいる、という意味。

 

任東西,無定止,不議人間醒醉。

木の葉舟は流れに任せて西から東へ当たり前のこととして進み、どこかに留まることはない。ひとの世に生きるということはこのようにゆったりとすることはむつかしく、酔っパラったり、目覚めたりしていくことしかないのだ。

任東西 西から東へ流れて行く様に流れに任せたままに。

 

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書経 舜

舜、二十歳にして孝行で世に知られた。三十歳にして、堯帝が用いるべき者かを問うた。四嶽(岳)、皆が虞舜を推挙して、可とした。堯は二人の娘を舜の妻となし、その(家)内を観、九人の息子を供に居らせ外(処世)を観た。

 

舜は嬀汭に居り、内行をいよいよ謹んだ。堯の二人の娘は、貴であるが、舜の親戚に驕ることなく、立派に婦道を行った。堯の九男は皆ますます(志)篤くなった。

 

舜が帝位に就くと、天子の旗を載せて、父瞽叟に朝した(君子を訪ねる形)。和敬して謹み、子としての道を行った。弟の象を封じて、諸侯となした。舜の子、商均も亦、不肖であった。舜はあらかじめ、禹を天子に推薦し、十七年にして崩じる。三年の喪をことごとく終え、禹も亦、舜の子に帝位を譲った。舜が堯の子に譲ったように。諸侯これに帰す。その後、禹は天子の位に就く。

 

司馬遷は、史記・列女傳で「於是堯妻之二女、觀其徳於二女、舜飭下二女於嬀汭 、如婦禮、堯善之。」と解釈している。二女を舜の妻とすることによって、二女に舜の徳がどう現われるかを見る。天から女が降りてくる訳はないので、舜が準備を整え嬀汭 に迎えたと変える。二女が婦人としての礼をつくし、堯はそれを善しとした。娘が、舜の徳に感化され、庶人の妻として、父母弟に仕えるのを観て、堯は舜の徳を認める。

 

袁珂氏によれば、神話と伝説のなかでは、娥皇と女英は、舜を護る女神であり、幼くして母をなくした舜の心の支えである。舜が罠に陥れられようとする時に、舜に勇気を与え、難から逃れる服をさづけ、火の中では鳥となって飛びたたせ、井戸からは竜となって昇り去らせる。舜を鳥となし、竜となさしめることによって、舜になみなみならぬ力を与える。

 

女神の心をも動かし、舜は救われる。堯が舜に授けたおおいなる賜が二女と服であった。

 

論語に曰、「子、韶を謂う。美を尽くし、また善を尽くせり。」

更に、論語に曰、「子、斉に在まして韶を聞く。三月、肉の味を知らず。」

舜が一人の時に歌っていた曲を南風という。

 

 南風の薫や 以て吾が民の慍(うらみ)を解くべし。

 南風の時をうるや 以て吾が民の財を阜(ふや)すべし。
岳陽樓詩人0051
 

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李珣《漁歌子四首,其三》十巻 隠遁したなら、小舟を漕ぎだし、奥まった入江の津を出でて、ゆるやかに「楚辞・漁父」のように漁父が歌いながら帰り去りはじめる。そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす

 
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李珣(生卒年未詳)字は徳潤し先祖は波期の人唐敬宗朝(825826)に官室を建築する沈香木用材を献上した波斯の商人に李蘇抄というものがあり、その子孫に李玽と玽の兄の畡があった。兄の畡は小字を李四郎といい、字は廷儀という。唐僖宗に従って蜀に入って(中和元年881年)率府率となったという。李珣の妹の李舜絃も前蜀(907年—925年),王衍の昭儀(女官の名称)となって宮廷に入り、これも詞をよくしたといわれている。李珣は蜀の秀才(科挙の名称)となり、花間集にも李秀才とあるが、そののちの官途についてはよくわからない。小詞に工なことで蜀の後主の宮廷に仕えていた。梓州(四川省三台県)の人という。前蜀が亡んでからは出仕せず、感慨を詞に寄せたという。かれの詞は花間集に三十七首収めている。ほかに尊前集のもの十七首を合わせて五十四首伝わっている。花間集の詞風ではあるが溫庭筠・韋莊とはまたことなった清疎な美しさがあり、民歌的な叙情に富み、また南越の風物をうたった叙景詞にも工であって又一派の詞風をなしている。北宋人の体格を開いたといわれているように、五代詞特有の濃艶さが洗い浄められてしかものちの艶約とよばれる詞の美しきがただよっているところに、又、別の新鮮な風味を備えている。集に瓊瑶集があったというが今伝わらず、輯本の詞集があるだけである。別に海藻本草という著述があり、医学にも通じていたことが知られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『漁歌子』八首

 

 

作者



初句7字

 

 

(顧太尉

巻七

漁歌子一首

曉風清,幽沼綠,

 

 

孫少監光憲

巻八

漁歌子二首其一

草芊芊,波漾漾,

 

 

巻八

漁歌子二首其二

泛流螢,明又滅,

 

 

魏太尉承班

巻九

漁歌子一首

柳如眉,雲似髮。

 

 

李秀才珣

巻十

漁歌子四首其一

草芊芊,花簇簇,

 

 

巻十

漁歌子四首其二

荻花秋,瀟湘夜,

 

 

巻十

漁歌子四首其三

柳垂絲,花滿樹,

 

 

巻十

漁歌子四首其四

九疑山,三湘水,

 

 

 

 

 

 

 

 

  

漁歌子四首其一

楚山青,湘水淥,春風澹蕩看不足。

草芊芊,花簇簇,漁艇棹歌相續。

信浮沉,無管束,釣迴乘月歸灣曲。

酒盈罇,雲滿屋,不見人間榮辱。

(春の麗らかな大江に舟をうかべ、なんの拘束もなく自由に釣りをしているとなに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、この一時を楽しく過ごしてゆくことが大切だと詠う。)

春の楚山を遠望すれば楚の懐王と巫女の故事を思い出し、春水により増水した澄み切った湘水の流れをみると湘夫人を思い浮かべる。春風が吹けば、なに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、満足してみるものはない。

春草は青々と茂り、花は溢れんばかりに咲き誇る。漁船の仙道は舟歌を謡い、舟を進めるが何時までも謡い続けている。

春の麗らかな大江にふねをうかべ、なんの拘束もなく自由に浮いたり沈んだり舟を進める、心行くまで釣りをしていると月が昇りはじめてやっと帰りはじめて、三日月の釣り針のつられたような入り江の港に停泊する。

酒は樽に満ち足りて用意されているし、雲が屋根を包むように女妓たちが宿を一杯にするほど来てくれている。こうしてみると、人の世というものは、盛衰榮辱というのはつきものであるが、そんなことより今の一時を楽しく生きることがよいのである。

(漁歌子四首其の一)

楚山青く,湘水淥りなり,春風澹蕩にして 看る足らず。

草は芊芊とし,花は簇簇たり,漁艇 棹歌 相い續く。

信に浮沉し,管束無く,釣 月に乘りて迴り 灣曲に歸る。

酒 罇に盈ち,雲 屋に滿つ,人間 榮辱 見えず。

(いつもは歓楽街で女妓を相手に酒を呑むが、洞庭湖や、瀟湘に糸を垂れて幽雄と酒を呑みたいものと宴席で夢を語る。)

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。

 

漁歌子四首其二

荻花秋,瀟湘夜,橘洲佳景如屏畫。

碧煙中,明月下,小艇垂綸初罷。

水為,篷作舍,魚羹稻飯常飡也。

酒盈杯,書滿架,名利不將心掛。

(いつもは歓楽街で女妓を相手に酒を呑むが、洞庭湖や、瀟湘に糸を垂れて幽雄と酒を呑みたいものと宴席で夢を語る。)

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。

(漁歌子四首其の二)

荻花の秋なれば,瀟湘の夜は,橘洲の佳景 屏畫の如し。

碧煙の中なれば,明月の下は,小艇の垂綸 初めて罷む。

水為のなれば,篷を舍と作し,魚羹 稻飯 常飡なり。

酒は杯に盈ち,書は架につ,名利 不將に心に掛けず。

 

漁歌子四首其三

柳垂絲,花滿樹,鶯啼楚岸春山暮。

棹輕舟,出深浦,緩唱漁歌歸去。

罷垂綸,還酌醑,孤村遙指雲遮處。

下長汀,臨淺渡,驚起一行沙鷺。

(春が来ても、思うが儘に生きてゆく、たったひとりしかいない村に束縛されずに生きてゆきたいと詠う。)

柳が糸のような枝を垂れようが、桃李の花は樹に満ちあふれようが、鶯が啼くのは、長江、楚の河岸一帯に春を告げて、春山はやがて暮れて、さわやかな季節を迎える。

隠遁したなら、小舟を漕ぎだし、奥まった入江の津を出でて、ゆるやかに「楚辞・漁父」のように漁父が歌いながら帰り去りはじめる。

そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす、そして、隠遁しているただ一人住む村に向って遙かに目指す、仙郷のように霞にへだてられたところなのだ。

長き河岸の汀を下ってゆきつくと、遠浅の渡し場に舟を泊めるのだ、そこには砂のねぐらにいる鷺だけが驚いて、一連になって飛び立つのを見る事だろう。

(漁歌子四首其の三)

柳は絲を垂れて,花は樹に滿つ,鶯は楚の岸に啼いて 春山は暮る。

輕舟を棹ぎて,深浦を出で,漁歌を緩唱して歸り去る。

綸を垂るるを罷め,還た醑を酌み,孤村 遙かに雲の遮ぎる處を指す。

長汀を下り,淺渡に臨む,驚き起ちぬ 一行の沙鷺。

 

漁歌子四首其四

九疑山,三湘水,蘆花時節秋風起。

水雲間,山月裏,棹月穿雲遊戲。

皷清琴,傾淥蟻,扁舟自得逍遙志。

任東西,無定止,不議人間醒醉。

 

三峡 巫山十二峰001
 

『漁歌子四首』 現代語訳と訳註解説

(本文)

漁歌子四首其三

柳垂絲,花滿樹,鶯啼楚岸春山暮。

棹輕舟,出深浦,緩唱漁歌歸去。

罷垂綸,還酌醑,孤村遙指雲遮處。

下長汀,臨淺渡,驚起一行沙鷺。

 

 

(下し文)

(漁歌子四首其の三)

柳は絲を垂れて,花は樹に滿つ,鶯は楚の岸に啼いて 春山は暮る。

輕舟を棹ぎて,深浦を出で,漁歌を緩唱して歸り去る。

綸を垂るるを罷め,還た醑を酌み,孤村 遙かに雲の遮ぎる處を指す。

長汀を下り,淺渡に臨む,驚き起ちぬ 一行の沙鷺。

douteikoshoko297
 

 

(現代語訳)

(春が来ても、思うが儘に生きてゆく、たったひとりしかいない村に束縛されずに生きてゆきたいと詠う。)

柳が糸のような枝を垂れようが、桃李の花は樹に満ちあふれようが、鶯が啼くのは、長江、楚の河岸一帯に春を告げて、春山はやがて暮れて、さわやかな季節を迎える。

隠遁したなら、小舟を漕ぎだし、奥まった入江の津を出でて、ゆるやかに「楚辞・漁父」のように漁父が歌いながら帰り去りはじめる。

そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす、そして、隠遁しているただ一人住む村に向って遙かに目指す、仙郷のように霞にへだてられたところなのだ。

長き河岸の汀を下ってゆきつくと、遠浅の渡し場に舟を泊めるのだ、そこには砂のねぐらにいる鷺だけが驚いて、一連になって飛び立つのを見る事だろう。

そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす、そして、隠遁しているただ一人住む村に向って遙かに目指す、仙郷のように霞にへだてられたところなのだ。

長き河岸の汀を下ってゆきつくと、遠浅の渡し場に舟を泊めるのだ、そこには砂のねぐらにいる鷺だけが驚いて、一連になって飛び立つのを見る事だろう。

doteiko01
 

(訳注)

漁歌子四首其三

(春が来ても、思うが儘に生きてゆく、たったひとりしかいない村に束縛されずに生きてゆきたいと詠う。)

【解説】 屈原と同じように、官僚の汚れた交際、媚びるような態度に我慢できず、朝廷内での疎外感を詠ったもの。前段は、自分の思いを抑えていても、月日は移りゆく、春の日暮れ時、漁父が舟に棹さして漁歌を歌いながら帰り行くさまは屈原と同じ境地である。後段は、釣りを終えた後は酒を酌み、蓬か夕霧の彼方の村を目指して、長い水辺に沿って下り、浅瀬の船着場を前にした時、砂地に眠っていた鷺を驚かせて一斉に飛び立たせてしまったことを描く。それは、自分の清廉さは他の者と違っていて、朝廷内で疎外されていることを連想させる。

『花間集』には教坊曲『漁歌子』が八首所収されている。李珣の作は四首収められている。双調五十字、前後段二十五字六句四仄韻、3❸❼3❸❻/3❸❼3❸❻の詞形をとる。

柳垂絲 花滿 鶯啼楚岸春山

棹輕舟 出深  緩唱漁歌歸
罷垂綸 還酌醑 孤村遙指雲遮

下長汀 臨淺 驚起一行沙

●○○  ○●● ○○●●○○●

●△○ ●△●  ●●○○○●

△○○  ○●● ○○○●○○●

●△△ △△●  ○●●△△●

 

柳垂絲,花滿樹,鶯啼楚岸春山暮。

柳が糸のような枝を垂れようが、桃李の花は樹に満ちあふれようが、鶯が啼くのは、長江、楚の河岸一帯に春を告げて、春山はやがて暮れて、さわやかな季節を迎える。

○楚岸 湖北省を流れる川の岸辺。長江中流域から下流域の河岸、一帯の泛称。

 

棹輕舟,出深浦,緩唱漁歌歸去。

隠遁したなら、小舟を漕ぎだし、奥まった入江の津を出でて、ゆるやかに「楚辞・漁父」のように漁父が歌いながら帰り去りはじめる。

○深浦 奥まった入江。港町があり、花街がある。

漁歌 漁師。屈原の行為を詠った『楚辞・漁父』「乃歌曰:'滄浪之水清兮,可以濯吾纓;滄浪之水濁兮,可以濯吾足。遂去,不復與言。」の雰囲気を借りる。(乃ち 歌ひて曰く: 「滄浪の水 淸まば,以って我が纓を濯ふ可く,滄浪の水 濁らば,以って 我が足を 濯ふ可し。」 遂に去り,復た 與には言はず。

その老漁師がその時詠った歌には、

  滄浪の水が澄んでいるのなら、 大切な冠の紐を洗おう。

  滄浪の水が濁っているのなら、 汚れた私の足を洗おう。

と。とうとうそのまま去って、二度と語り合うことがなかった。

 

罷垂綸,還酌醑,孤村遙指雲遮處。

そうすれば、釣糸を垂れるのをやめて、また、聖人たる清酒を酌みかわす、そして、隠遁しているただ一人住む村に向って遙かに目指す、仙郷のように霞にへだてられたところなのだ。

○醑 清酒、美酒。清廉潔白な儒者聖人であるものの飲む酒は清酒である。

 

下長汀,臨淺渡,驚起一行沙鷺。

長き河岸の汀を下ってゆきつくと、遠浅の渡し場に舟を泊めるのだ、そこには砂のねぐらにいる鷺だけが驚いて、一連になって飛び立つのを見る事だろう。

○浅渡 浅瀬の船着場。

○驚起一行沙鷺 驚いたサギが一列になって飛び立ったことを言う。

 

 

『楚辞・漁父』屈原

屈原曰:「吾聞之,新沐者必彈冠,新浴者必振衣。安能以身之察察,受物之汶汶乎?寧赴湘流,葬於江魚之腹中。」安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃醫乎?漁夫莞爾而笑,鼓而去,乃歌曰:'滄浪之水清兮,可以濯吾纓;滄浪之水濁兮,可以濯吾足。遂去,不復與言

 

 

 

漁歌子(漁父樂) 宋・徐積

水曲山隈四五家, 夕陽煙火隔蘆花。

漁唱歇,醉眠斜, 綸竿蓑笠是生涯。

(漁歌子)

 水の曲【くま】山の隈【くま】四、五の家,夕陽の煙火 蘆花を隔つ。

 漁唱 歇み, 醉眠 斜めなり,綸竿 蓑笠【さりゅう】是れ 生涯なり。

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李珣《漁歌子四首,其二》花間集十巻 荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

 
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漁歌子四首其一

(春の麗らかな大江に舟をうかべ、なんの拘束もなく自由に釣りをしているとなに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、この一時を楽しく過ごしてゆくことが大切だと詠う。)

楚山青,湘水淥,春風澹蕩看不足。

春の楚山を遠望すれば楚の懐王と巫女の故事を思い出し、春水により増水した澄み切った湘水の流れをみると湘夫人を思い浮かべる。春風が吹けば、なに事にもこだわりを持つのは馬鹿らしく、満足してみるものはない。

草芊芊,花簇簇,漁艇棹歌相續。

春草は青々と茂り、花は溢れんばかりに咲き誇る。漁船の仙道は舟歌を謡い、舟を進めるが何時までも謡い続けている。

浮沉,無管束,釣迴乘月歸灣曲。

春の麗らかな大江にふねをうかべ、なんの拘束もなく自由に浮いたり沈んだり舟を進める、心行くまで釣りをしていると月が昇りはじめてやっと帰りはじめて、三日月の釣り針のつられたような入り江の港に停泊する。

盈罇,雲滿屋,不見人間榮辱。

酒は樽に満ち足りて用意されているし、雲が屋根を包むように女妓たちが宿を一杯にするほど来てくれている。こうしてみると、人の世というものは、盛衰榮辱というのはつきものであるが、そんなことより今の一時を楽しく生きることがよいのである。

(漁歌子四首其の一)

楚山青く,湘水淥りなり,春風澹蕩にして 看る足らず。

草は芊芊とし,花は簇簇たり,漁艇 棹歌 相い續く。

信に浮沉し,管束無く,釣 月に乘りて迴り 灣曲に歸る。

酒 罇に盈ち,雲 屋に滿つ,人間 榮辱 見えず。

 

漁歌子四首其二

(いつもは歓楽街で女妓を相手に酒を呑むが、洞庭湖や、瀟湘に糸を垂れて幽雄と酒を呑みたいものと宴席で夢を語る。)

荻花秋,瀟湘夜,橘洲佳景如屏畫。

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

煙中,明月下,小艇垂綸初罷。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

水為,篷作舍,魚羹稻飯常飡也。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

酒盈杯,書滿架,名利不將心掛。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。

(漁歌子四首其の二)

荻花の秋なれば,瀟湘の夜は,橘洲の佳景 屏畫の如し。

碧煙の中なれば,明月の下は,小艇の垂綸 初めて罷む。

水為のなれば,篷を舍と作し,魚羹 稻飯 常飡なり。

酒は杯に盈ち,書は架につ,名利 不將に心に掛けず。

 

漁歌子四首其三

柳垂絲,花滿樹,鶯啼楚岸春山暮。

棹輕舟,出深浦,緩唱漁歌歸去。

罷垂綸,還酌醑,孤村遙指雲遮處。

下長汀,臨淺渡,驚起一行沙鷺。

 

漁歌子四首其四

九疑山,三湘水,蘆花時節秋風起。

水雲間,山月裏,棹月穿雲遊戲。

皷清琴,傾淥蟻,扁舟自得逍遙志。

任東西,無定止,不議人間醒醉。

 doteiko01

 

『漁歌子四首』 現代語訳と訳註解説

(本文)

漁歌子四首其二

荻花秋,瀟湘夜,橘洲佳景如屏畫。

碧煙中,明月下,小艇垂綸初罷。

水為,篷作舍,魚羹稻飯常飡也。

酒盈杯,書滿架,名利不將心掛。

 

(下し文)

(漁歌子四首其の二)

荻花の秋なれば,瀟湘の夜は,橘洲の佳景 屏畫の如し。

碧煙の中なれば,明月の下は,小艇の垂綸 初めて罷む。

水為のなれば,篷を舍と作し,魚羹 稻飯 常飡なり。

酒は杯に盈ち,書は架につ,名利 不將に心に掛けず。

 

(現代語訳)

(いつもは歓楽街で女妓を相手に酒を呑むが、洞庭湖や、瀟湘に糸を垂れて幽雄と酒を呑みたいものと宴席で夢を語る。)

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。

 岳陽樓詩人0051

 

(訳注)

漁歌子四首其二

 

【解説】 隠士の生活と心境とを詠う。官界にあった作者の李珣にとって、こうした生き方は理想の人生であった。隠遁指向は、強弱の違いはあるものの、中国の文人に等しく見られるものである。

『花間集』には教坊曲『漁歌子』が八首所収されている。李珣の作は四首収められている。双調五十字、前後段二十五字六句四仄韻、3❸❼3❸❻/3❸❼3❸❻の詞形をとる。

荻花秋 瀟湘夜 橘洲佳景如屏

碧煙中 明月下 小艇垂綸初
水為 篷作舍 魚羹稻飯常飡

酒盈杯 書滿架 名利不將心

●○○  ○○● ●○○●△△●

●○△ ○●●  ●●○○○△

●○○  ○●● ○○●●○○●

●○○ ○●●  ○●△△○●

 douteikoshoko297

荻花秋,瀟湘夜,橘洲佳景如屏畫。

荻の花咲く秋になれば「洞庭秋月」、「瀟湘夜雨」と「瀟湘八景」いわれ、それに加え、枝もたわわなみかんが絵屏風のような橘洲の眺めは絶景である。

○荻花 オギの花。

○滞湘 洞庭湖の南、零陵付近で瀟水と湘江の合流するあたりを言い、付近の風景は絶景で、八つの勝景を瀟湘八景といい、平沙落雁(へいさらくがん)・遠浦帰帆・山市晴嵐(せいらん)・江天暮雪・洞庭秋月・瀟湘夜雨・煙寺晩鐘・漁村夕照の称。北宋の宋迪(そうてき)が描いて八幅をつくった。

古風,五十九首之四十九

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

49 《古風五十九首之四十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43274古風,五十九首之四十九美人出南國, <49> Ⅰ李白詩1212 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4608

○橘洲 中洲の名。今の湖南省長沙を流れる湘江にある中洲。橘(蜜柑)を多く産出したので橘洲と呼ばれた。

 

碧煙中,明月下,小艇垂綸初罷。

碧りの霞のかかる春の盛りのころは穏やかで、仲秋の名月は月影を下にみるのである、小舟での釣り糸を垂れるのも、はじめて止めて風景を楽しむのである。

○垂輪初罷 今、釣りを終えたばかり。垂綸は釣り糸を垂れること。

 

水為,篷作舍,魚羹稻飯常飡也。

そこでは水に恵みを与えられるので、水を郷となし、蓬でつくったまずしい家であっても、毎日、御馳走である魚鱠や野菜肉を煮込んだ汁と米の飯とが普段の食事になるのである。

○蓬作舎 蓬で作ったまずしい家とする。陳陶『續古詩』「矻矻篷舍下、慕君麒麟閣。」に基づく。

○魚 魚のなます。魚・鳥の肉や野菜を入れた熱い吸い物。海のものと山のもの、水郷で出来るものなど豊富であることをいう。

○稲飯 米飯、米の飯。水稲米がよく採れる。したがっていつも酒を醸造している。

○常 普段の食事。は餐に同じ。当時の食事として、他の地方と比較すれば御馳走になるという意味。

 

酒盈杯,書滿架,名利不將心掛。

酒は杯にあふれんばかりに灌がれ、満足するまで飲み、、古くから文学も熱心であるから、どの家の書棚に、書が溢れるほどある、ここにすめば、名誉とか、富・利益などと言うものには心にかけることはない。
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酒は樽に満ち足りて用意されているし、雲が屋根を包むように女妓たちが宿を一杯にするほど来てくれている。こうしてみると、人の世というものは、盛衰榮辱というのはつきものであるが、そんなことより今の一時を楽しく生きることがよいのである。

 
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