玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

2015年01月

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》溫庭筠66首巻二7-〈57〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5482

(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》溫庭筠66首巻二7-57〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5482

 

 

 

(旧版) 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『歸國遙』五首

 

 

作者



初句7字

 

 

溫助教庭筠

2-07

夢江南二首其一

蘭燼落,屏上暗紅蕉。

 

 

2-08

夢江南二首其二

樓上寢,殘月下簾旌。

 

 

皇甫先輩松

2-25

夢江南二首其一

千萬恨,恨極在天涯。

 

 

2-25

夢江南二首其二

梳洗罷,獨倚望江樓。

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

4-05

夢江南二首其一

含泥燕,飛到畫堂前。

 

 

4-06

夢江南二首其二

紅繡被,兩兩間鴛鴦。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧版)

夢江南 之一
千萬恨,恨極在天涯。
限りないほどのこの恨んでも恨んでも恨みきれない。この恨みの最も強いものは地の果てにいる愛しい人が行ったきりだということです。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
私の周りの自然美の山にかかる月は心の内から裏まであふれるほどのものになっている心配事は知らないでしょう。川面を吹き抜ける風は私の目の前の花をむなしく落していくのも私の心の内を知らないのです。
揺曳碧雲斜。
はるかかなたのあの人の所へあのたなびいている雲が渡してくれるのです。


夢江南 之二
梳洗罷,獨倚望江樓。
毎朝 顔を洗い、くしで髪を梳く、身繕いをおわると、河畔の高殿に上って、いつもひとりで大江を眺めるのです。
過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。
何もかも通り過ぎてしまったこと、千の帆かけ船が行き交うけれどあの人がのっている船ではないのです。そうしているといつの間にか太陽が西に傾いている、みゃくみゃくと思いつきないこの気持ちを、せつなくやるせない思いを知らないというように川の流れは悠悠と流れて行くのです。
腸斷白蘋洲。
この下はらの痛みの私の身を知らぬまま、白州の花はどこへともしれず流れて行くのでしょう。

夢江南 之二
梳洗【そせん】罷【おわ】り,獨り江樓に倚【よ】りて望む。
過ぎ盡くす千帆 皆是ならず,斜暉【き】脈脈として  水悠悠。
腸斷す 白蘋【ひん】の洲。


(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》
夢江南二首其一

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

千萬恨,恨極在天涯。
あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。

揺曳碧雲斜。

長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
(江南を夢む)
千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。

宮島(5)
 


(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》
『夢江南』 之一 現代語訳と訳註
(本文)
夢江南二首其一

千萬恨,恨極在天涯。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
揺曳碧雲斜。

 

(下し文)
(江南を夢む)

千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。


(現代語訳)
(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。

長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
巫山十二峰003

 (訳注)

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

教坊の宜春院に属した妓優には江南から選ばれて長安に来ているもの、江南の優雅な楽曲が多く出身者だけでなく多くの人が音楽と舞踊、その他の芸も愛された。教坊の曲には、江南の曲が多くあり、長安から江南に赴任した夫が音信不通になる、あるいは、棄てられた女が調べてみると男は江南に行っているということで、旅に出た男を思う詩ということになるが、ここは、「落籍」(身請け)された妓優が愛妾となったものの、棄てられてしまったということである。

 

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くの“へそくり”を工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。

 

以上が長安に生きる妓女のおよその生活状態であるが、東都洛陽や揚州など大都市の妓女の生活も、長安により近かったようである。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。

九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っる。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、溫庭筠の作が二首収められている。夢江南二作品中の第一である。単調二十七字、五句三平韻で、37⑦⑤の詞形をとる。

千萬恨,恨極在天
山月不知心裏事,水風空落眼前

揺曳碧雲

  
  


千萬恨,恨極在天涯。
あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
・千萬 限りない。多量を云う。
・恨 うらみ。こころに強く残っているわだかまり。
・恨極 恨みの最たるもの。
・在天涯 天の果てにある。地の果てまでとどく。


山月不知心裏事,水風空落眼前花。

山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。
山月 山にかかっている月。周りの自然。
不知 知らない。分からない。
・心裏事 心の中の事。「心中事」としないで、「心裏事」としたのは、中に持っているのではなくそのうらまであふれるほどのものになっている。
・水風 水辺の風。川面を吹き抜ける風。ここも周りの自然。
空落 むなしくおちる。
眼前花 目の前の花。


揺曳碧雲斜。
長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
揺曳 雲などがたなびいている。
・碧雲 青雲。
・斜 雲などが渡る時の動きある表現。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》溫庭筠66首巻二6-〈56〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5477

(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》 宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 
 2015年1月30日の紀頌之5つのブログ 
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172-#2 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <172-#2> Ⅰ李白詩1385 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5473 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

○楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

 

これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婦」の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。

 

選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲韶院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」には佩魚が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二日、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。敬宗の時、皇帝は自ら内人の家族千二百人を招待し、教坊で宴席を設け、褒美として錦を下賜した(『旧唐書』敬宗紀)。

○佩魚 五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバッジ(佩び玉)

 

 

彼女たちの生活も比較的自由で、彼女たちに対する宮中の束縛も、それほど厳格ではなかった。年をとり容色が衰えると、宮中から出て家に帰りたいと申し出ることが許されており、宮人のように必ずしも深宮の中で朽ち果てねばならないというわけではなかった。『教坊記』に記されている竿木妓の范漢女大娘子、許渾の「簫煉師に贈る」という詩に出てくる内妓の簫煉師、また『楽府雑録』に記されている宣徽院(宮中の一役所)の門弟楊氏などは、みな年老いて後、宮中から退出した内人であった。張祜の「退宮の人」という詩に、「歌喉漸く退えで宮闈を出でんとし、泣いて伶官(宮中の楽官)に話せば 上 帰るを許す」とある。廖融の「退官妓」という詩に、「一旦色衰えて故里に帰るも、月明 猶お夢に梁州(曲名)を按く」とあるが、これらはいずれも内人が年老いて後、宮中から退いたことを述べているのである。宮妓が宮中から出た後の境遇は、おしなべてそれほど良いというわけでもなかったが、宮人に比べれば概して自由の身であった。以上によって、唐朝の宮廷は宮妓を芸人と見なして待遇し、宮人のような賎民身分とは区別していたこと、宮妓たちの待遇はまだ比較的良かったことが分かる。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 

 

宮妓はまたしばしば皇帝の御下賜晶として大臣や貴族に与えられた。唐の各時代に、某人に「女楽」幾組を下賜するといった記録があるが、この 「女楽」とはよく訓練された宮中の楽妓のことである。宮妓たちはその半生を軽やかな音楽とあでやかな舞、笠・策などの笛や太鼓の中に費やし、そして少なからざる宮妓がその名を後世に残したのであるが、しかし生前の境遇はといえば、たいへん不幸なものであった。彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでひじょうに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。たとえば、先に述べた宮廷の名妓粛煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府雑録』「歌」)。

 

 

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。玄宗は彼女たちをたいへん愛したが、しかし「侠遊(民間の遊里)の盛んなるを奪うを欲せず、未だ嘗て置きて宮禁(宮中)に在らしめず」)と詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。

元稹 「連昌宮詞」 に、「〔高〕力士 伝呼して念奴を覚れど、念奴は潜に諸邸を伴って宿す」という句がある。

419_1 《連昌宮詞》元稹

連昌宮中滿宮竹,久無人森似束。又有牆頭千葉桃,風動落花紅蔌蔌。

宮邊老翁為余泣,小年進食曾因入。上皇正在望仙樓,太真同憑闌幹立。

樓上樓前盡珠翠,炫轉熒煌照天地。歸來如夢複如癡,何暇備言宮裏事。

初過寒食一百六,店舍無煙宮樹綠。夜半月高弦索鳴,賀老琵琶定場屋。

力士傳呼覓念奴,念奴潛伴諸郎宿。須臾覓得又連催,特敕街中許然燭。

春嬌滿眼睡紅綃,掠削雲鬟旋裝束。飛上九天歌一聲,二十五郎吹管逐。

逡巡大遍涼州徹,色色龜茲轟錄續。李謨笛傍宮牆,得新翻數般曲。

平明大駕發行宮,萬人歌舞塗路中。百官隊仗避岐薛,楊氏諸姨車鬥風。

明年十月東都破,禦路猶存祿山過。驅令供頓不敢藏,萬姓無聲淚潛墮。

兩京定後六七年,卻尋家舍行宮前。莊園燒盡有枯井,行宮門閉樹宛然。

爾後相傳六皇帝,不到離宮門久閉。往來年少長安,玄武樓成花萼廢。

去年敕使因斫竹,偶門開暫相逐。荊榛櫛比塞池塘,狐兔驕癡緣樹木。

舞榭欹傾基尚在,文窗窈窕紗猶綠。塵埋粉壁舊花鈿,烏啄風箏碎珠玉。

上皇偏愛臨砌花,依然禦榻臨階斜。蛇出燕巢盤鬥栱,菌生香案正當衙。

寢殿相連端正樓,太真梳洗樓上頭。晨光未出簾影黑,至今反掛珊瑚鉤。

指似傍人因慟哭,卻出宮門淚相續。自從此後還閉門,夜夜狐狸上門屋。

我聞此語心骨悲,太平誰致亂者誰。翁言野父何分別,耳聞眼見為君

姚崇宋璟作相公,勸諫上皇言語切。燮理陰陽禾黍豐,調和中外無兵戎。

長官清平太守好,揀選皆言由相公。開元之末姚宋死,朝廷漸漸由妃子。

祿山宮裏養作兒,虢國門前鬧如市。弄權宰相不記名,依稀憶得楊與李。

廟謨顛倒四海搖,五十年來作瘡痏. 今皇神聖丞相明,詔書才下蜀平。

官軍又取淮西賊,此賊亦除天下寧。年年耕種宮前道,今年不遣子孫耕。

老翁此意深望幸,努力廟謀休用兵。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

海棠花101
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二

郷一首

花花、満枝紅似霞

 

 

韋相莊

巻三

思帝郷二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三

思帝鄕二首 其二

春日遊,杏花吹滿

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更。

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧版)

思帝郷

(一途に思う女心の詩)
花花、満枝紅似霞。

花、花が咲いてる、枝一面の紅は朝や夕暮れにかすみがかかるのに似ています。

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖に、画模様の車の帳に、どれもみなつがいの画ばかりで腸が断ち切られるようにうずくのです。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

車を停め、顔振り背けるようにして冷静に人と語らってみたけれど、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れる。

唯有阮郎春尽、不帰家。

もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、それでも、これからは、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」ということだけがあるということなのでしょうか。

 

(思帝郷)

花花、満枝 紅 霞に似たり。

羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。

 

面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。

唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。

 

(改訂版)

思帝郷

(春が来るたび寵愛を受け絶頂のころを辛く思い出すが、それでも、その時の事は女としての矜持であり、今もその時の者を身に着け、部屋を飾って待つ、次々に新しい妃嬪もとに行くのはいいけど、女ばかりが老け込むわけではないと詠う)

花花、満枝紅似霞。

花、花が満面に咲き、枝満面の花紅に日が射して、紅のかすみがかかっているのかとおもわれ、あの頃も花の下に筵をした時のようだ。

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖も、画模様の車の帳にも、寵愛を一手に受けていた時に贈られたもの、愛し続けるとどれもみなつがいの画ばかりをよろこんだもので、それはいま、腸が断ち切られるようにうずくものだ。車を停め眺め直す。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

顔振り背けるようにしても、同乗のおつきの者には冷静に語ることはしなくて押し黙った、すると、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れて、おもいだしてしまう。

唯有阮郎春尽、不帰家。

また、仙女に在って、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」といってるうちに、春が尽きて老いてしまうのは女だけではないのだから。

 

紅梅002
 

『思帝郷』 現代語訳と訳註

(本文)

思帝郷

花花、満枝紅似霞。

 

羅袖画簾腸断、阜香車。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

 

唯有阮郎春尽、不帰家。

 

(下し文)

(思帝郷)

花花、満枝 紅 霞に似たり。

羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。

面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。

唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。

 

(現代語訳)

(一途に思う女心の詩)

花、花が咲いてる、枝一面の紅は朝や夕暮れにかすみがかかるのに似ています。

薄絹の袖に、画模様の車の帳に、どれもみなつがいの画ばかりで腸が断ち切られるようにうずくのです。

車を停め、顔振り背けるようにして冷静に人と語らってみたけれど、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れる。

もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、それでも、これからは、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」ということだけがあるということなのでしょうか。

 

(訳注)

思帝郷

(一途に思う女心の詩)

長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。

詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。これらを題材にしたものが、思帝郷である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収で温庭筠籍の作は一首、韋荘は二首、顧夐が一首収められている。単調三十六字、八句五平韻で、②⑤6③6⑤6③の詞形をと

115 思帝郷 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-289-5-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2992

思帝鄕 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-263-5-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697

 

花花、満枝紅似霞。

花、花が満面に咲き、枝満面の花紅に日が射して、紅のかすみがかかっているのかとおもわれ、あの頃も花の下に筵をした時のようだ。

○霞 夕焼けや朝焼け。朝や夕暮れにかすみがかかるさま。

 

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖も、画模様の車の帳にも、寵愛を一手に受けていた時に贈られたもの、愛し続けるとどれもみなつがいの画ばかりをよろこんだもので、それはいま、腸が断ち切られるようにうずくものだ。車を停め眺め直す。

○羅袖画簾腸断 着物の袖、絹の帳、番の画のはいったものは寵愛を受けて、何時までも愛し続けると贈られたものである。その夫婦、つがいの画をみると、別れ去って久しく寵愛をうしなってしまった愛しいお方に対して、思い焦がれる胸の思いと情事の思いが悶々とすることで腸が断ち切られるようにうずくこと。

○卓香車 車を停める。卓は停める。香車は香しい車、車の美称。

 

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

顔振り背けるようにして、同乗のおつきの者には冷静に語ることはしなくて押し黙った、すると、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れて、おもいだしてしまう。

○戦箆金鳳斜 髪に斜めに挿した哲の金の鳳凰飾りが揺れる。戦は揺れ動く。箆はここではカンザシ。

 

唯有阮郎春尽、不帰家。

また、仙女に在って、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」といってるうちに、春が尽きて老いてしまうのは女だけではないのだから。

○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉部は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》溫庭筠66首巻二5-〈55〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5472

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》 (春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》溫庭筠66首巻二5-55〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5472




 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『訴衷情』 十三首

 

 

作者

初句7字

 

 

溫庭筠

巻一

訴衷情一首

鶯語花舞春晝午

 

 

韋莊(韋相莊)

巻二

訴衷情二首 其一

燭燼香殘簾半卷

 

 

巻二

情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜

 

 

毛文錫

巻五

訴衷情首其一

桃花流水漾縱橫

 

 

巻五

訴衷首其二

鴛鴦交頸繡衣輕

 

 

巻七

訴衷二首 其一

香滅簾垂春漏永

 

巻七

訴衷情二首 其二

永夜人何處去

 

魏承班(魏太尉承班)

巻九

訴衷情首 其一

高歌宴罷月初盈

 

 

巻九

訴衷情五首 其二

春深花簇小樓臺

 

 

巻九

訴衷情五首 其三

銀漢雲晴玉漏長

 

 

巻九

訴衷情五首 其四

金風輕透碧

 

 

巻九

訴衷情五首 其五

春情滿眼臉紅綃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作者

詩題

詞形 ○平韻 ●仄韻

 

溫庭筠

訴衷情一首

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

 

❷❷❸❸❷③ ⑤②⑤③)

(十一句六平五仄)

韋莊

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

⑦③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

毛文錫

訴衷情二首其一

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

訴衷情二首其二

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

顧夐

訴衷情二首其一

❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

魏承班

訴衷情五首其一

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其二

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其三

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其四

⑦⑤3③⑤ 5③7③

41

六平韻

訴衷情五首其五

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

 

(旧版)訴衷情
鶯語花舞春晝午,雨霏微。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
柳弱蝶交飛,依依。
遼陽音信稀,夢中歸。

夜が明けると鶯が鳴いている、花が風に舞い散りゆく、春雨の日はもう真昼を過ぎる。それでも細かなそぼふる雨は涙雨なのです。
今夜もただひとり金帯の枕をあてて、錦のしとねをしきます。鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれると、さびしさがますのです。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
あの人は帰ってこれないという遙か先の遼陽にいってしまった、もう手紙も噂話さえもおとずれは稀になっている。いまは夢の中にあの人は帰ってきてくれる。

鶯語り花舞う春の晝午,雨は霏微【ひび】たり。
金帶の枕,錦なる宮に,鳳凰の帷【たれきぬ】。
柳弱らかく蝶 交り飛ぶ,依を依とする。
遼陽 音信 稀れなり,夢中にして歸る。

 花蕊夫人002

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

訴衷情一首
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

鶯語花舞春晝午,雨霏微。
又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
柳弱蝶交飛,依依。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
遼陽音信稀,夢中歸。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

『訴衷情』 現代語訳と訳註
(
本文)
訴衷情
鶯語花舞春晝午,雨霏微。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
柳弱蝶交飛,依依。
遼陽音信稀,夢中歸。


(下し文)
鶯語り花舞う春の晝午,雨は霏微【ひび】たり。
金帶の枕,錦なる宮に,鳳凰の帷【たれきぬ】。
柳弱らかく蝶 交り飛ぶ,依を依とする。
遼陽 音信 稀れなり,夢中にして歸る。


(現代語訳)
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。
唐 長安図 基本図00

(訳注)
(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

訴衷情一首
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

【解説】

 春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。

初めに、室外の景を、次いで視線は室内に移る。金糸で帯状に飾った枕、贅を尽くした掛け布団、鳳凰の刺繍の帳。それらが豪華であることは、後宮で一時は寵愛を一手に浴びていたということである。そうであればあるほど、女の悲しみを一層そそるのであるが、妃嬪は。それでも寵愛を受けるための努力をしないといけないのである。垂れ下がった柳の枝は若い妃嬪の細腰、その枝の間を飛ぶ蝶。蝶は細腰の間を飛んでゆく。これではまるで、最果ての守りに出かけた男から便りもなく、夢に帰って来るだけというのとまったく同じではないか、だからもっと努力をして寵愛を取り戻したいと心に思うのである。

唐の教坊の曲名。文頭の表のように『花間集』には十三首所収されている。単調と双調とがある。温庭筠の作は一篇収められている。この詩は単調三十三字、九句六平韻二仄韻で、7③❸❷③ ⑤②⑤③の詞形をとる。ただ、初句7字を❷❷❸と短い句にして考えることもできる。どの場合十一句六平韻五仄韻となる。

鶯語花舞春晝午  雨霏
金帶   鳳凰

柳弱蝶交飛   

遼陽音信稀 夢中

 
  

  

 


鶯語花舞春晝午,雨霏微。
又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
・この二句はうとうととしていて鶯の声で起きた。朝からそぼ降る雨が夕方まで続くことを云う。この句によって寂しさの表現を強調することになっている。


金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
・金帶枕 金の編み込みの帯のついた枕である。金鏤枕と同じであろう。黄金をちりばめた枕。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)の李善の注が引く「記」 に、「東阿王(曹植)朝に入り、帝(文帝=曹丕)は植に甄后の玉銭金帯枕を示す」。

「金帶枕」,「宮錦」,「鳳凰帷」部屋にこれだけのものがある女性は妃嬪ということであろう。


柳弱蝶交飛,依依。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
・柳 蝶は花から花へ、細腰の女から細腰の女へとゆく男性を意味する。女性を意味するのは柳、花が女性を示す。
・依依 依依はそれぞれ柳に依りと蝶に依りが私が生かされるということである。


遼陽音信稀,夢中歸。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。
・遼陽 今、遼寧省洛陽県西南にあたる地名、古くから征夫の行ったところとして詩詞にあらわれる。この詩では行ったきりで帰ってこないことの喩えとしている。実際に行ったわけではない

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠54《巻2-04 遐方怨 二首之二》溫庭筠66首巻二4-〈54〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5467

(改訂)-1溫庭筠54《巻2-04 遐方怨 二首之二》あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠54《巻2-04 遐方怨 二首之二》溫庭筠66首巻二4-54〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5467

 

 

溫庭筠遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。

 

溫庭筠遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。

 

 

顧夐《遐方怨》 

簾影細,簟紋平。

象紗籠玉指,縷金羅扇輕。

嫩紅雙臉似花明,兩條眉黛遠山橫。

風簫歇,鏡塵生。

遼塞音書,夢魂長暗驚。

玉郎經負娉婷,教人爭不恨無情。

 

孫光憲《遐方怨》 

紅綬帶,錦香囊。

爲表花前意,慇懃贈玉郎。

此時更自役心腸,轉添秋夜夢魂狂。

思豔質,想嬌妝。

願早傳金盞,同歡臥醉

任人猜妒盡提防。到頭須使是鴛鴦。

 

 


(
旧版)遐方怨 二首 温庭筠

遐方怨 之一
花半坼,雨初晴。
花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
宿妝眉淺粉山橫。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

(旧版)遐方怨二首之二
憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で私の体はとかれたのです。
未得君書,腸斷,瀟湘春雁飛。
今はあなたからの書簡さえ届かず、下腹の痛みさえ覚えるのです。風光明媚な水郷の瀟湘地方では春になると雁が北に帰っていく。
不知征馬幾時歸?
それなのに馬に乗って旅に出たきり、あの人がいつ帰って來るのか、いつの事かわかりはしない。
海棠花謝也,雨霏霏。
雨に打たれて海棠花はしぼんでいく、私の若さも失っていくのが心配なのです。雨はたえまなく降りつづけている。(この雨が上がってくると強い日差しで花は凋むのである。そうなる前に私のもとに。)

遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

(改訂版)
《遐方怨 二首之一》

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花半坼,雨初晴。

早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
宿妝眉淺粉山橫。

若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
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(改訂版)

遐方怨 二首之二

(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
不知征馬幾時歸?
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
海棠花謝也,雨霏霏。

あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

花蕊と蜂01

『遐方怨』二首 之一 現代語訳と訳註
(
本文)

遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。


(下し文)
遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

(現代語訳)
(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
大毛蓼003

(訳注)
遐方怨

(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。花間集にはない 孫少監光憲の遐方怨については文頭に参考に乗せている。

憑繡檻  解羅
未得君書 腸斷 瀟湘春雁

不知征馬幾時
海棠花謝也  雨霏

 
  


 


憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
・繡檻 飾り付けられた欄干。檻は囲われた部屋、檻であるから、束縛された状況にある女性を意味している。

芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。

少し有名な妓女はなじみの客を多くよぶことができたので、豪門や富貴の客から大量の銭と品物が仮母の懐に入った。これらの妓女の生活は一般にかなり裕福であり、賛沢ですらあった。また、ある妓女は仮母に大量の金を儲けさせたが、仮母はいぜんとして彼女にひどく辛くあたった。たとえば楊莱児は仮母にたっぷり金を儲けさせたが、仮母は彼女を虐待した。それで、莱児は身請けされて行く時、仮母を大いに罵り衣を払って去った。やっと鬱憤を晴らしたのである。下層妓女の収入はたいへん少なく、生活はきわめて苦しかった。張住住の家の場合は、抱えている二人の妓女が売れなかったので、置屋は没落し、雑貨を売って生活しなければならなかった。

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くのへそくりを工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。


未得君書,腸斷,瀟湘春雁飛。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
・瀟湘 湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。
 水が深くて清い.瀟洒(表情や振舞いが)スマートな,(あか)ぬけした.瀟瀟(1) 風雨の激しい,吹き降りの.(2) (小雨が)しとしと降る,そぼ降る.


不知征馬幾時歸?
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
・征馬 旅に出るときに乗る馬。戦場におもむく馬。


海棠花謝也,雨霏霏。
あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
・花海棠 花期は4-5月頃で淡紅色の花を咲かせる。性質は強健で育てやすい。花が咲いた後の林檎に似た小さな赤い実ができる。「妖艶」「艶麗」「美人の眠り」。女の盛りを表す花で、雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になるということ

・霏霏 雪や雨が絶え間なく降るさま。物事が絶え間なく続くさま。
海棠渓        薛濤
春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。
人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。

春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ
水面の魚身総て花を帯ぶ
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を
競って紅纈を将(も)って軽沙を染む

春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 

世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している

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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠53《巻2-03 遐方怨 二首之一》溫庭筠66首巻二3-53〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5462

 

 

溫庭筠遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。

 

溫庭筠遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。

 

 

顧夐《遐方怨》 

簾影細,簟紋平。

象紗籠玉指,縷金羅扇輕。

嫩紅雙臉似花明,兩條眉黛遠山橫。

風簫歇,鏡塵生。

遼塞音書,夢魂長暗驚。

玉郎經負娉婷,教人爭不恨無情。

 

孫光憲《遐方怨》 

紅綬帶,錦香囊。

爲表花前意,慇懃贈玉郎。

此時更自役心腸,轉添秋夜夢魂狂。

思豔質,想嬌妝。

願早傳金盞,同歡臥醉

任人猜妒盡提防。到頭須使是鴛鴦。

 

 


(旧版)遐方怨 二首 温庭筠

遐方怨 之一
花半坼,雨初晴。
花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
宿妝眉淺粉山橫。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

綬帶鳥00
 

(改訂版)
《遐方怨 二首之一》

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花半坼,雨初晴。

早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
宿妝眉淺粉山橫。

若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
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(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

木蘭02
 

(改訂版)
『遐方怨』二首 之一 現代語訳と訳註
(
本文
遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。


(下し文) 遐方怨
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉鶯【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。


(現代語訳)
(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


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(訳注)(改訂版)
遐方怨 二首之一

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

遐方 遠方の土地。

夫が家に帰ってこない妻、愛妾の此処も地を詠うものでその夫というのは、①寵愛を失った妃嬪。②浮気性な男の妻愛妾。③行役で遠くの地に赴任したまま連絡してこない高官の妻、愛妾。④旅商人の妻、愛妾。⑤国境の守りにつぃている夫を思う。この詩の場合①~④の可能性がある。当時の状況として、どの場合も、正妻、第一夫人ではないというのは基本である。この詩の雰囲気から、妃嬪、高官の愛妾ということであろう。

遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。

花半坼 雨初
未卷珠簾 夢殘 惆悵聞曉

宿妝眉淺粉山 
約鬟鸞鏡裏 繡羅

 
  


 

 

花半坼,雨初晴。
早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
・坼 さける、 わかれる、ひらく、 さけめ
「牡丹半坼初經雨,雕檻翠幕朝陽。」「正海棠半坼,不耐春寒。」
「草木半舒坼,不類冰雪晨。」(草木は半ば舒坼(じょたく)し、氷雪の晨に類()ず。)

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149

○「花半坼・雨初晴」乙女から女になろうと宮中であれば、寵愛を受けるまで、徹底して教育され、練習を重ねて初夜を迎える。芸妓の場合も幼くして,置屋に預けられ十五歳になるまで、教育される。この句は初夜を迎えた時のことを詠っている。

余談だが、芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。
 

未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。 

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
・憫帳 憂え悲しむこと。温庭筠『更漏子 一』「惆悵謝家池閣」 謝女というのは晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。


宿妝眉淺粉山橫。
若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

宿妝 宵越しの化粧。岑参《醉戏窦子美人》诗:“朱唇一点桃花殷,宿妆娇羞偏髻鬟。”

鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
・鸞鏡 背面に鸞を彫んだ鏡。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》溫庭筠66首巻二2-〈52〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5457

(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》(春にはいろんな階層、いろんな人たちが別れの涙を流す、中でも、春の行楽での無礼講での貴公子たちのふるまいにおおくの娘たちが千行の涙を流すと詠う)

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》溫庭筠66首巻二2-52〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5457

 

 

李白 清平楽

楽府には、清調・平調・瑟調の三つがあって、清平調とはこのうちの清調と平調を合わせたものである。

 

双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

清平楽五首之一

禁庭春畫  鶯羽披新
百草巧求花下  祗賭珠璣滿
日晚卻理殘  禦前閑舞霓
誰道腰肢窈窕  折旋笑得君

  
  
  
  

 

単調二十八字三平韻

清平調

雲想衣裳花想  春風拂檻露華
若非群玉山頭見  會向瑤臺月下

  
  

 

 

李白詩 尊前集  清平楽五首、清平調三首

    李太白集 《巻二十五補遺》清平楽令二首清平楽三首、《巻四》清平調三首

清平樂 一(

禁庭春畫。鶯羽披新繡。百草巧求花下鬥。祗賭珠璣滿鬥。

日晚卻理殘妝。禦前閑舞霓裳。誰道腰肢窈窕,折旋笑得君王。

 

清平樂 二(

禁闈清夜。月探金窗罅。玉帳鴛鴦噴蘭麝。時落銀燈香

女伴莫話孤眠。六宮羅綺三千。一笑皆生百媚,宸衷教在誰邊。

 

清平樂 三(

煙深水闊。音信無由達。惟有碧天雲外月。偏照懸懸離別。

盡日感事傷懷。愁眉似鎖難開。夜夜長留半被,待君魂夢歸來。

 

清平樂 四(

鸞衾鳳褥。夜夜常孤宿。更被銀臺紅蠟燭。學妾淚珠相續。

花貌些子時光。人遠泛瀟湘。欹枕悔聽寒漏,聲聲滴斷愁腸。

 

清平樂 五(

畫堂晨起。來報雪花墜。高卷簾櫳看佳瑞。皓色遠迷庭砌。

盛氣光引爐煙,素草寒生玉佩。應是天仙狂醉。亂把白雲揉碎。

 

----------------------------------------------------------------------

清平調 三首其一

雲想衣裳花想容。春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

 

清平調 三首其二

一枝紅艷露凝香。雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

 

清平調 三首其三

名花傾國兩相歡。常得君王帶笑看。解得春風無限恨。沈香亭北倚闌幹。

 

 

 

 

(改訂版)

清平樂二首其一

(天子のために、妃嬪は大明宮六宮、興慶宮、洛陽内裏、上陽宮、離宮、御陵など宮殿陵廟に配置され、寵愛を得ようとそれぞれ努力をすることだけを生きるあかしとしている。美貌、音楽舞踊、芸、文学、裁縫、・・・を競って努力をする。しかしそのまま埋もれてしまうことがほとんどで、漢の陳皇后のようにいずれ寵愛を取り戻せることだけを信じていきていくと詠う)

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

上陽宮で待ち続けてもう春も終ろうとしている。待つだけの妃嬪は眉も薄くなり愁いが消えることなどない。

清平思同輦,爭那長安路遠。

また新しい歳に変わる、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、天子の事だけ考えていきていて、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。どうしようもないことには、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

それでも、天子が何時来られてもいい準備だけは欠くことはできない、鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることを希望として生きる事しかないのであって、どんなに寂寞の思いにかられても、多くの門があろうとも、天子を思う気持ちだけはなくしてはいけない、それだけで生きてゆくのであるから。

競把黃金買賦,為妾將上明君。

昔。陳皇后は寵愛を取り戻すために司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい、自らも詩を勉強し、競い合い寵愛を取り戻したというが、寵愛をうけるためには、女として、向上する事であり、まさに、それを受け入れる賢明な天子のもとにあがることが必要なのだ。

清平樂二首其一

上陽の春晚,宮女 蛾淺に愁う。

 清平 同輦を思う,爭い那ぞ長安路遠く。

鳳帳 鴛被 徒らに燻じ,寂寞 花鏁 千門。

把を競い 黃金 賦を買う,妾為す 將に明君に上る。

 

 

()

清平樂二首其二

(唐の東都洛陽の町には、終日、あちこちで柳の枝を手折っては旅立ついろんな人を詠う。)

洛陽愁,楊柳花飄雪。

春も盛り、柳架は花のように、雪のように乱れ散るというのに、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願すると、それにつられて橋の下流れさる春水は嗚咽して泣いてくれるのだ。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

旅立とうとして馬に上ってまでも、人々は争って別れを傷むので盃をわたし見送りの酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

 

(改訂版)
清平樂二首其二

(春にはいろんな階層、いろんな人たちが別れの涙を流す、中でも、春の行楽での無礼講での貴公子たちのふるまいにおおくの娘たちが千行の涙を流すと詠う)

洛陽愁,楊柳花飄雪。

高官の移動、貴公子が存在感を見せる春も盛り、楊柳はもえ、柳絮の花は、雪のように乱れ散るころには、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、宮女、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願するのであるが、そればかりでなく、貴公子たちのおもちゃにされた娘たちの悲しみの嗚咽が春水の音にまじって橋の下を流れ去る。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

貴公子たちは、馬に上ったままで、新酒の封を切ってそのままラッパ飲みをしたり、別れの盃をわたし酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいで哭している。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

戦国「平原君」を気取って春の無礼講にむれをなし、洛陽の高級住宅地の貴公子たちのやることはこれ以上の心配はない程極まったもので、あっちでも、こっちでも振り返れば多くの女たちが千行の涙を拭っているのだ。

(清平樂二首其の二)

洛陽に愁絶す、楊柳 花 雪を飄【ひるが】えす。

終日 行人 攀折を爭い、橋下 水流 鳴咽す。

馬に上れば 争いて離れの觴を勧む、南浦 鶯声 腸を断つ。

愁殺す 平原の年少、首を遅らし涙千行を揮う。

 


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(改訂)-1溫庭筠51《巻2-01 清平樂二首》(天子のために、妃嬪は大明宮六宮、興慶宮、洛陽内裏、上陽宮、離宮、御陵など宮殿陵廟に配置され、寵愛を得ようとそれぞれ努力をすることだけを生きるあかしとしている。美貌、音楽舞踊、芸、文学、裁縫、・・・を競って努力をする。しかしそのまま埋もれてしまうことがほとんどで、漢の陳皇后のようにいずれ寵愛を取り戻せることだけを信じていきていくと詠う)

 

 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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33-01-§1-1 《讀巻05-06 太學生何蕃傳 -(1)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1293> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5449 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-29-#2奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#2》 杜甫index-15 杜甫<891-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5450 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠51《巻2-01 清平樂二首》溫庭筠66首巻二1-〈51〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5452 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠51《巻2-01 清平樂二首》溫庭筠66首巻二1-51〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5452

 

 

 

《清平樂二首其一》温庭筠≫(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410)  二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『清平樂』九首

 

 

溫助教庭筠

巻二

清平樂二首其一

上陽春晚,宮女

 

 

巻二

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二

清平樂四首其一

春愁南陌,故國

 

 

巻二

清平樂四首其二

野花芳草,寂寞

 

 

巻二

清平樂四首其三

何處游女,蜀國

 

 

巻二

清平樂四首其四

鶯啼殘月,繡閣

 

 

孫少監光憲

巻八

清平樂二首其一

愁腸欲斷,正是

 

 

巻八

清平樂二首其二

等閑無語,春恨

 

 

毛秘書熙震

巻九

清平樂一首

春光欲暮,寂寞

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠50《巻1-50 玉蝴蝶一首》溫庭筠66首巻一50-〈50〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5447

(改訂)-1溫庭筠50《巻1-50 玉蝴蝶一首》(遠い異国から嫁いで来たのに、長期の行役で家を空けたまま、気が変わって帰ってこないのではないのかと心配でやせ細っても、誰もわかってはくれないと詠う)

 

 
 2015年1月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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169 -#2(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <169 -#2> Ⅰ李白詩1379 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5443 
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