玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

2015年03月

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》三巻15-〈115〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5777

改訂版  韋荘 巻3-15 思帝郷二首 其一 帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う。

 

 
 2015年3月31日の紀頌之5つのBlog 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》三巻15-115〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5777

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二06

(改訂版) 思帝一首 

花花、満枝紅似霞。

 

 

韋相莊

巻三15

思帝二首 其一 

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三16

思帝鄕二首 其二 

春日遊,杏花吹滿頭

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更多。

 

 

 

 

 

 

 

 

教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 

 

内職、冊封

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。彼女らの運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたのであり、それを失えば、いつまでその場、立場いられるかというのは難しいことだった。

 

彼女たちは生前は孤独に苦しんだが、死後はより一層寂しく惨めであった。後宮で一生を終えない人もいたが、その運命は堀川の流れに漂う紅葉よりもさらにあてどのないものであった。天子は気ままに宮人を贈物とし、外洋(臣従してくる異民族)や功臣に褒美として与えたので、彼女たちの結末がどうなるのか、全く運命の流れに身を委ねるはかなかった。老いて天寿を全うできたなら、彼女たちにとってはやはり幸せなことだった。後宮にはいたるところ危険が潜んでおり、宮人たちは常に政治闘争や宮廷の政変に巻きこまれ、身分が下賎であったから、しばしば理由もなく刀刃の露と消えた。

 

唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

 

 

(旧解)

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと)

雲髻墜,鳳釵垂,

雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れている。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

もとどりが落ち、カンザシがかろうじてついているということはもう何もする気が無く無気力な状態なのだ、枕の箱も壊れかけている。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風には部屋の奥深い所にあり、月が落ちかかってそこにまで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるであろう。

盡人間天上,兩心知。

女も年増になって來ると愚痴も言い尽くしてしまうし、下世話な世でおこる女の儚さと高貴なところでの女の一生は全く異なった二つの心情があるということがいまさらにわかるというものだ。

 

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,兩つの心 知る。

 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

雲髻墜,鳳釵垂,

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

長安城皇城図
紅梅002
 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

『思帝』二首 其一 現代語訳と訳註

(本文)

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,

髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。

盡人間天上,兩心知。

 

(下し文)

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

(現代語訳)

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

 

 

(訳注) 改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。

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唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻、③③666③の詞形をとる。

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  


 

雲髻墜,鳳釵垂, 
寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

・雲髻 女性の髪が雲の形のように大きなものとしていた。大きいほど高貴であった。これを雲鬢とするテキストがあるが、それでは三国志の「関羽」の顔がイメージされ意味が限定され通らない。756年ウイグルの王女が粛宗の妾になる際に、ウイグル国王に嫁いだ姫君の髪型が有名。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

・鳳釵 鳳凰のかんざし。通常、つがいの物を云い、ここではそのの片方が壊れて垂れ下がっていることを云う。


髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

・枕函 箱型のまくら。

・欹 新しい簪に取り換えて気分を変える、身支度を整えるのをやめた。

 

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

・漏 五更の時をつげる

・依依 名残惜しく離れにくいさま。

 

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

盡 このままの退屈な毎日を送るより、尼寺、道観に出家をさせ貰うことを願い出る。解放を願い出る。

・人間天上 世間の中から選抜され、その中からまた選ばれて、妃嬪になった事、世俗の人間が、天上の御殿に生活する。孤独と暇との戦いをしていることをいう。(韋荘の愛妾が蜀王の王建に召されていて、別々の世界で暮らすこと。)

・兩心 二つの心情。寵愛を受けたい、解放されたいという心。白居易《長恨歌》「臨別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知」(別れに臨みて殷勤に重ねて詞を寄す、詞中に誓い有り 両心のみ知る。)別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。韋荘の愛妾は蜀王の王建に召されている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-〈114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772

改訂版 韋荘 巻3-14喜遷鶯二首 其二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。

 

 
 2015年3月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769 
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 孟郊張籍     
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772

 

 

喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,天上探人回。

長安の街は朝早くから太鼓の音が鳴り響き、人々も早くから動きにぎわうのである。宮中の正門はひらかれ、宮中では人を探し回るほどの騒ぎだ。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

金沙の入った袋を鳳凰が口に銜え雲の合間から飛んできた。平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

春を告げる鶯は既にもう帰っていて、龍は既に化身されてお席に着かれた。その夜は長安城には溢れるほどの車馬でいっぱいなのだ

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

どの家でも、高楼の上には仙郷の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴というべき科挙合格者が天に登るかのように宮中の御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

 

喜遷鶯二首 其二

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲より出でて來り,平地 一聲の雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 滿城の車馬。

家家 樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って鶴の天に冲【のぼ】るを看る。


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(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

長安城皇城図
 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》三巻13-〈113〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5767

改訂版 韋荘 巻0313 喜遷鶯二首其一 科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまでまったく経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》三巻13-113〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『喜遷鶯』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

3-13

喜遷鶯二首 其一

人洶洶,鼓鼕鼕,

 

 

 

3-14

喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,

 

 

 

03-43

9 16 喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,

 

 

薛侍郎昭蘊

03-44

9 17 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,

 

 

 

03-45

9 18 喜遷鶯三首 其三

清明節,雨晴天,

 

 

毛司徒文錫

0509

8 -11 喜遷鶯一首

芳春景,曖晴煙,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧解)

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

夜明け前というのに人が町に出て騒がしくしている、鼓の響きが轟きわたった、合格して、得意満面、颯爽と明け方近くの風が襟袖を吹き過ぎる、時はまだ五更、風を切って朝廷に向う。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

宮中には天空よりおぼろの月が照らしている、馬に跨り、その虚空の宮中にはれて昇るのだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

何処でも香が焚かれて衣に香が満たされる、街路にも宮中の通路にも雲のように人がいっぱいで、この身に着けた刺繍の鳳凰は人々の雲の間を身を巡り飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、いよいよ神であるところの玉華君の最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅天の上 月 朦朧【もうろう】たり、馬に騎して 虚空に上る。

 

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。 


喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,天上探人

鳳銜金榜出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴沖天。

 

 

(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

 

 

(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》 

『喜遷鶯二首』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯二首 其一

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

 

(下し文)

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

 

(現代語訳)

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

芍薬003
 

(訳注) (改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

○遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。前段は、天子に拝謁に向かう騎馬の行列の鳴り物入りの賑やかなさまは他人の騒がしさ、襟や袖を吹き過ぎる夜明けの風の模様、五更の空は自分自身が感じるこれまでと違った感覚などを描写する。後段は、参内する科挙の合格者の騎馬の列、それを導く儀仗隊の盛んなさま、合格者の豪華な着衣などを描写した後、いよいよ天子に拝謁するさまを述べる。韋荘は科挙の試験に幾度も失敗を重ね、晩年、五十九歳になって初めて合格した。この詞には、その歓びのさまが言葉の端々に表れている。後段最後の「玉華君に引見せらる」の句は、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

韋莊 長安の春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892 

薛昭蘊 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

9 17 喜遷鶯三首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-394-9-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3517

またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

人洶,鼓鼕,襟袖五更

大羅天上月朦,騎馬上虛

香滿衣,雲滿,鸞鳳繞身飛

霓旌絳節一群,引見玉華

   

 

   
  

 

霓裳羽衣舞001

人洶洶,鼓冬冬,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

○洶洶 人声の騒がしいさま。車馬の準備で、下男たちが越えろ擧、馬が嘶く、車馬の行き交う音、朝ご飯の支度と唐のことを言う。

○鼕鼕 大鼓の音の擬音語。どんどん。

○襟袖有更風 襟や袖のあたりを吹き過ぎてゆく明け方の風。五更は夜明け近い時刻。夜明け前に朝廷に整列するためいえをはやくでて、この句からは、受験をしている時と、科挙に合格し、朝礼に参列するようになると、すべて違ってくる。作者の得意満面、颯爽と明け方近くの風を切ってゆくさまが窺える。

 

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

〇大羅天 道家の説く最高の人。ここでは宮中を喩える。
○上虚空 宮中に上ることをいう。

 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

○雲満路 宮中に参内する合格者の騎馬や、それを導く儀仗隊の人々が道に溢れること、雲はお香に加えて彼らの足元から舞い上がる土埃を喩える。なお、道端に居並ぶ宮女のこと、あるいは車馬の盛んなさますべてが、天上、天界ということでもある。

○鸞鳳繞身飛舞 天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようであるこという。

 

霓族絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

○霓旌絳節 儀仗隊が手にする五色や紅の旗指物。

○玉華君 道教の上帝。ここでは天子を喩える。

羣羣  むれ。ひとかたまりになったあつまり。また、なかま。みうち。もろもろ。。 まるく円陣をなして集まる。仲間たちが一つ所に集まる。

《鄭箋》孔羣,言和調也。 又緹羣,山名。《後漢·五行志》出門,望緹羣。 又羣羣。《李嘉祐詩》荻花寒漫漫,鷗鳥暮羣羣。

(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》

金似衣裳玉似身、眼如秋水鬢如雲、霞裙月帔一羣羣。

來洞口 望煙分、劉阮不歸春日曛。

引見 地位・身分の高い者が、相対的に身分の低い者を、自分のもとへ招いて面会すること。 特に天子が使節などと面会されることを指す際に用いられる。ここでは、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》三巻12-〈112〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5762

(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》(天にある仙郷にいる人の詩。 其の五;出会う人が誰もが美人と認める女性と好きあったが、天子のもとに召されたが、やがて寵愛を失い、後宮から解放されて、道教に出家したことを詠う)

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》三巻12-112〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5762

 

 

宮人の解放

    ――― 天仙子五首 其五 に関する参考 ―――

唐朝後宮の宮人の数はたいへん多かったが、それでも、宮人の採用は止むことはなかったので、後宮では恨みつらみが積もり、また民間でも不満が生れた。それで宮人問題は社会と朝廷の注目をあびることになった。どの皇帝の時代にも、この悪政を批判し、宮人たちが家族や恋人と離別させられる恨みや苦しみに同情して、彼女たちを放ち帰らせるようにと皇帝に願い出る人がいた。

 

皇帝たちは、自分が徳政を実施し、歌舞音曲や女人を好まない振りをするために、また時には純粋に宮廷費用を節約するために、あるいはまた、後宮に怨恨が満ち溢れたせいで、災難にあって「天罰」を受けることを恐れるために、しばしば詔勅を発して宮人を解放した。唐朝では高祖より後、ほとんどの皇帝が宮人を解放したという記録がある。多い時には三千人、少ない時でも数百人であった。

 

これら宮人は宮中を出てから家のある者は家に帰り、嫁に行くことも可能だった。老いて病いのある者、身寄りのない者などは寺院や道観(道教の寺院)に送って収容し、時々少しばかりの金品を支給し生活の用とした(『全唐文』巻四二、粛宗「宮人を放つ詔」)。これは唐朝の皇帝のわずかばかりの仁政ということができる。しかし解放したといっても、宮人の数はいぜんとして相当なもので、唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。

 

その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天仙子五首其一

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

 

天仙子五首其三

蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。

人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。

 

天仙子五首其四

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

 

天仙子五首其五

金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。

來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。


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花間集』全詩訳注解説(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》三巻11-〈111〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5757

(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》(寵愛を受けたころの迹片を残して、毎日寵愛を受けるべく準備をする、又春を過ぎようとしているが夢がかなうことはない、縁起を担いだ跡形も消えかけ、毎日泣き腫らすと詠う。)

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》三巻11-111〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5757

 

 

 

天仙子 其四 ----111

(天仙子【てんせんし】 其の四)
夢覚雲屏依舊空、杜鵑聲咽隔簾墻。

雲母を散らした屏風のかげに、あの人とのたのしいかたらいの夢がさめると、やっぱり相変わらず空しいものなのです。それはすだれを隔て、垣根を隔てて、ほととぎすの啼く声が、悲しくむせぶようにきこえてくるのです。

玉郎薄幸去無蹤。

薄情なおとこのあの人は、どこへいったのか、ゆくえもわからないのです。

一日日、恨重重。

あの人の迎えを待っているその一日と重ねる日々は恨みを重ねていく一日なのです。

涙界蓮腮兩線紅。

なみだのあとが、お化粧のほほをつたい紅のふたすじのなみだとなってながれるのです。

 

(天仙子【てんせんし】 其の四)

夢覚むれば雲屏舊に依りて空しく、杜鵑【とけん】聲咽【むせ】びて 簾墻【れんしょう】を隔つ。

玉郎は薄幸にして去るも 蹤無し。

一日日、恨み重重。

涙は蓮腮【れんさい】に界たりて 両線 紅し。

 

 

(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》

天仙子五首其四

(寵愛を受けたころの迹片を残して、毎日寵愛を受けるべく準備をする、又春を過ぎようとしているが夢がかなうことはない、縁起を担いだ跡形も消えかけ、毎日泣き腫らすと詠う。)

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

あの寵愛を受けた日々は夢だったのだろうか、現実に引き戻らされると、そこには、雲母を散らした屏風は壁に寄せ、寝牀は相い変わらず空しいものである。今年ももう、春は過ぎて、すだれを隔て、垣根を隔てて、ほととぎすの啼く声が、悲しくむせぶようにきこえてくる。美しい顔立ちのあのお方は薄情もので、ここを去って行ったけれど、又帰って来ることを思ってそのままにしていたけれど、その跡形もなくなってしまうほど時は絶ってしまった。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

寵愛を受けることを思い続けて一日、また一日、先のこと考えず活きる。確かにそこに、恨みも、一つ、また一つと重なってゆく、化粧も毎日し直すけれど、涙がこぼれ、眼の淵にはレンゲの花の顎様に残り、両の頬紅を落した涕の痕は蓮華の花の茎の様になる。そしてまた次の日も繰り返す。

(天仙子【てんせんし】五首 其の四)

夢は覚め 雲屏は舊に依りて空し、杜鵑【とけん】聲咽【むせ】びて 簾墻【れんしょう】を隔ち、玉郎は薄幸 去って 蹤無し。

一日【いつじつ】に日【じつ】、恨みは重ねて重ぬ、涙は蓮腮【れんさい】に界し 両たながらの紅に線とす。

tsuzji00
 


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(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》やがて蟋蟀も鳴きやみ、御殿の閨には寂しさと静けさが入り、庭の木の葉に風に吹かれて地面を揺れ動く音だけが聞える。たとえわずかの眠りでも、以前、寵愛を受けた愉しかった思い出を夢見たいと思うのに寝付けない。


 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752

 

 

三百年間も続いた大唐帝国は、まさに輝ける封建時代の盛世にへり、封建道徳も後世のように厳格で過酷な段階にまでは発展していなかったからである。封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳は、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていった。

 

七情六欲

『礼記』 の記載にある喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲。

 

先秦時代(秦の始皇帝以前の時代)から唐代以前まで、どの時代にも常に女道徳を称揚する人がいたけれども、大体において支配者たちはまだそれほど切迫した危機感がなかったので、女性に対する束縛もそれほど厳重ではなく、彼女たちもまだ一定の地位と自由をもっていた。ただ宋代以降になると、支配者たちは種々の困難に遭遇し、自分に対して日ごとに自信を喪失したので、道徳家たちはそこで始めて女性に対するしつけを厳格にするようになった。明、清という封建時代の末期になると、封建道徳はますます厳格になり、完備して厳密になり、残酷になり、ついには女性を十八界の地獄の世界に投げ込むことになった。まさに封建社会の最盛期にあった唐朝は、非常に繁栄し強盛であったから、支配者たちは充分な自信と実力を持っており、人々の肉体と精神をさらに強く束縛する必要を感じなかったため、唐朝は各方面でかなり開明的、開放的な政策を実施したのである。

 

 

彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。「錦を集め花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流」(施肩吾「少婦遊寿詞」)、「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。

瓜田李下の疑い、唐人はらず。「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」

「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。

宋洪邁《容齋三筆白公夜聞歌者》:然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。”

 

彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。

またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。

杜甫の《哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。)と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。

彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、妃嬪たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃嬪たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》三巻9-〈109〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5747

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》 (天にある仙郷にいる人の詩。 其の二:春行楽の酒は無礼講であっても、楽しく愉快な酒でなければいけない、「人生百年、それがどれほどのものか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのかと詠う)

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》三巻9-109〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5747

 

 

韋莊

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836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅梅004

(旧解)

天仙子 其二 ----109

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の二 酒)

深夜歸來長酩酊。扶入流蘇猶未醒。

夜も更けてから帰ってゆく長い時間酩酊状態にあるようだ。万幕を張ったような流蘇樹の中に助けられて入っていったのだが、やっぱりまだ酔いがさめてはいないのだ。

醺醺酒気麝蘭和。

酒に酔ってにこにこしている状態は続いているのにさらに酒を呑んでいるけれど、美人の蘭の香りや麝香の香りが和んでいる。
驚睡覚、笑呵呵。

眠りから覚めて驚いたようで、次に大声で笑い始めている。

長道人生能幾何。

そして、何度も言うことは「人生というものはどれだけものであるか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのか。

 

(天仙子【てんせんし】 其の二)

深夜 歸り来たりて長く酩酊【めいてい】し、扶けられて流蘇【りゅうそ】に入るも 猶お未だ醒めず。

醺醺【くんくん】たる酒気、麝蘭【じゃらん】と和じる。

驚いて睡りより覚むれば 笑ふこと呵呵【かか】とし。

長【さか】んに道【い】ふ「人生能く幾何ぞ」と。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子五首其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで、後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

 

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

幔幕に流蘇の房が付いている高貴な宴席に、酔っていたから、高貴な婦人に助けられて入っていったのだが、しばらくたってもやっぱりまだ酔いがさめてはいない、結局、深夜になって帰って来た随分長い時間飲んだので、酩酊状態にあって、なかなか醒めない。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

酔えば酔うほどってにこにこしている状態は続いていて、それでもさらに酒を呑んで、酒のにおいに、蘭の香りや麝香の香りが和んでたのしむものである。少しうとうとして、驚いて眠りから覚める、次に大声で声高らかに笑い始めればよい。そして、もうながいこと言われてきた「人生百年、それがどれほどのものか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのか。

(天仙子【てんせんし】 其の二)

深夜 歸り来たりて長く酩酊【めいてい】し、流蘇【りゅうそ】に扶けられて入るも 猶お未だ醒めず。

醺醺【くんくん】たる酒気、麝蘭【じゃらん】と和し、驚いて睡りより覚むれば、呵呵【かか】と笑い、長【さか】んに道【い】ふ「人生能く幾何ぞ」と。

紅梅002
 

  

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》三巻8-〈108〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5742

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

 

 

 


 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》三巻8-108〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5742

 

 
『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天仙子五首其一

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

 

天仙子五首其三

蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。

人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。

 

天仙子五首其四

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

 

天仙子五首其五

金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。

來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。

 

 (旧解)

天仙子 其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 薄情な男)

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

うらむ気持ちをもってこの前の夢の中での情事の約束を思い出しています。それは花を観賞しても苦しく尋ねても、思いをうちあけても少しも私に語りかけてはくれませんでした。

露桃花裏小腰肢。

小さい枝のような腰の私の存在感は庭に咲くどの桃の花に同じように降りる露のようでしかないのでしょうか。

眉眼細、鬢雲垂。

私はまだ自信を持っているのです。眉や眼は柳の葉のように細く長いのです。そして、鬢は雲の形にかたちよくととのえています。

唯有多情宋玉知。

ただ、わたしは楚の文学者「宋玉」のことを知っていますし、あなたが同じように能力は持っていても多情の浮気者であることも知っているのです。

 

前回の夢裏の期を惆望し、花を看るも苦尋の思いを語らず。

露しく桃花の裏の小腰肢。

眉眼細く、鬢雲垂しを。

唯だ多情の宋玉の知ること有らん。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子五首其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで、後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》 

『天仙子 其一』 現代語訳と訳註

(本文) 

天仙子五首其一  ----108

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

(下し文)

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

(現代語訳)

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

 

 

(訳注) 改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子 其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

後宮は天上界、仙郷に喩えられ、一旦はいれば二度と出ることはできないとまで言われたが、娯楽、遊戯を愉しんでは致し、自由な性倫理もそこには在った。

原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」一夫多妻は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、ごく最近まで、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。(形態の違いこそあれ、未だに真の平等までにいたっていないのかもしれない。)

そうした中で、彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生、ごりごりの儒学者たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。これは、世界的にも同時期に同じような婚姻制度、性倫理が存在した、日本での万葉集から、源氏物語と六朝文学から花間集の時期、全く同じということではないが、中世封建制の儒教的性倫理の前の自由な文学と共に興味深いものである。

この詩は、韋荘は、宋玉の《登徒子好色賦》の民間逸話に基づいて、春の行楽というものに、貴族の男女が期待を持ち、自由な恋愛を行った結果、それがあまりに楽しかったために、「後日悲しみ恨むことになってしまう」と分かっていてもそれに流されてしまうものだ、というものである。

『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
  
   

 

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

・惆望 うらむ、いたむ、気落ちするなどの気持ちをもって遠くを眺める。

前回 前回の逢瀬。

夢裏期 前回の逢瀬の逢瀬で次回の逢瀬の日を約束したことが夢のこととなり、夢でしか逢瀬できないこと。

 

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

露桃花裏小腰肢 春の行楽の様子。

細くてしなやかな腰。多く、美人のたとえ。李商隠『楚宮』「楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。」楚宮詩でいう「腰支在」は妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

また、同様に細腰について、女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。

眉眼細 若い美人、美男子をいう。

鬢雲垂 艶めかしさを形容する語。

唯有多情 好色であることをいう。

宋玉知 楚の文学者、美男子「宋玉」は好色男であることを知っている。《登徒子好色賦》・宋玉 中国,戦国時代末期、楚の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

《登徒子好色賦》

宋玉と登徒子はともに楚国の大夫であり、楚の王とは親しい関係にある。だが登徒子は宋玉の才能を妬み、楚王の前で彼の悪口を言い続けた。ある日、登徒子は「宋玉は美男子であり、才能もありますが、好色な人間ですから、陛下は後宮に行かれるときは決して彼をともにしてはなりませんぞ。後宮には美しい妃たちがいらっしゃるので、宋玉に会ってしまえばあとで面倒なことが起こりかねますから」と楚王に助言した。

 

それを聞いた楚王は宋玉を謁見し、登徒子の言葉を確認しようとした。そこで宋玉は「わたしの外見がいいのは、生まれつきであり、学問が豊富なのは、学問に励んだからです。しかし、わたしのことを好色というのは、まったくありもしないデタラメでございます」と答えた。すると楚王は「ならば証拠を見せよ」という。そこで宋玉は「天下の美人は、楚の国に最も多くいて、なかでも美人が最も多いのはわたしの故郷の臣里です。さらに臣里で一番の美人はわたしの隣に住んでおります。この美人の背丈が高くも低くもなく、なんの化粧もする必要はありません。彼女の歯、髪とその仕草などは美そのものであり、彼女は一つの笑顔を見せるだけで多くの貴公子を酔わせることができましょう。しかし彼女は三年の間、壁の隙間を通してわたしを覗きましたが、わたしの心は動きませんでした。わたしは好色な人物ではありません。実は、登徒子こそが好色な人間なのです」と答えた。

 

楚王がその理由を聞くと、宋玉は「登徒子の妻は決して美しい人ではありませんが、登徒子は彼女に一目惚れし、今ではすでに五人の子供が出来ているのですよ。」というので、これには楚王も言葉を失ったのである。これが“隣の女が壁に窺う”という故事である。

 

韋莊

836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-〈107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737

(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》(錦江のほとり望江樓に官妓として詩を作り、恋愛をした逸話から 其の三;海棠の花いっぱいの錦江のほとりに薛濤は春の歌を多くの詩人たちと和した、高官の男たちは、やがて去っていったが、官妓の薛濤は、いつまでも望江樓で春を詠った錦江の流れ淵の畔、海棠の花いっぱいの春に魅せられた女がいたが、それは刺繍の衣に金の糸にかざられ、霧が薄くかかり、雲淡くうかぶ官妓の望江樓にいたのだ。

 
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