玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

2015年04月

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》巻三4445-〈145〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5927

(改訂版)女冠子二首其二
雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。

髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。

往來雲過五,去往島經三。

正遇劉郎使,瑤緘。

(女冠子二首其の二:清廉な礼拝の修行の成果、神女となって昇天し、雲に乗って五岳、神仙三山を廻ったが、劉郎の使者が訪れ寵愛を受けると詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》巻三4445-145〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5927

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-〈144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922

女冠子二首其一 .薛昭蘊(改訂版)

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922

 

 
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李白《江上送女道士褚三清游南岳》

江女道士,頭戴蓮花巾。

霓衣不雨【霓裳不雨】,特異陽臺雲。

足下遠遊履,凌波生素塵。

尋仙向南嶽,應見魏夫人。

 

南岳魏夫人(神仙・上清派の開祖) 道教上清派の開祖とされている女神仙。南岳衡山(こうざん)の支配者ともいわれ、紫虚元君(しきょげんくん)とも呼ばれる。 もとは魏華存(ぎかそん)(251~334年)という名で、西晋の司徒魏舒(ぎじょ)の娘として山東省に生まれたと伝えられている。若いときから『道徳経』などに親しみ、胡麻散などの長生薬を服用し、神仙術に打ち込んだ。結婚後に河南省に移り二男をもうけたが、子供が成長すると斎室を建て、家族と離れて修道生活に入った。288年12月16日、ついに神々が降下してきて、『上清経』などの経典や道法を授けられた。83歳のときには東華帝君から仙薬を与えられ、その薬を飲んで尸解(しかい)して昇天し、天界で紫虚元君に封じられ、南岳衡山を支配するようになったという。  また、それから30年後に茅山(ぼうざん)の楊羲(ようぎ)、許穆(きょぼく)のもとに降霊し、上清派の諸経典を授け、これによって上清派が始まったのだという。

 

唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。『唐六典』(巻四)に、盛唐の時代、天下に女道士のいる五五〇の道観、二一二二の尼寺があったと記されている。尼や女道士の数はさらに相当なものである。『旧唐書』 の 「侍突伝」 に、唐初「天下の僧尼の数は十万に満ちる」とあり、『新唐書』 の 「百官志」には「天下の女冠は九八八人、女尼は五万五七六人」とある。『唐会要』の「僧籍」によれば、唐後期の会昌年間(八讐-八四六)、僧尼は二六万五百人に達した。これらの記録から推測すると、尼僧は少ない時でも数万人、多い時には十余万人にも達していたと想像される。都から遥か遠方の敦蝮地区でも、普通の寺の尼僧は常に一寺院に百人はいた(『敦蛙資料』第一輯「敦塩寺院僧尼等名牒」)。道教寺院の女道士の数はやや少なめであった。これに各地で自由に活動している女巫(女占師)を加えて合計すると、無視できない階層を形成していたのである。

この数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬢・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。彼女たちはどうして同じ道を歩んで出家するに至ったのだろうか。

【出家の動機】

およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の斎璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下務の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、輩県(河南省筆県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(侠名『宝応録』)。焼騎将軍桃李立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『全唐文』巻五三一、張貫「桃李立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に人らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、成宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。睾参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は榔州(湖南省榔県)で出家し尼になった(『新唐書』睾参伝)。

 

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

 

長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

靜夜松風下,禮天壇。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

(改訂版)(女冠子 二首其の一)

仙を求めて去るなり,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫 白玉の冠。

野煙 溪洞に冷やかなり,林月 石橋に寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》

『女冠子二首其一』現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

 

(下し文)

(改訂版)(女冠子 二首其の一)

仙を求めて去るなり,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫 白玉の冠。

野煙 溪洞に冷やかなり,林月 石橋に寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

 

(現代語訳) (改訂版)女冠子二首其一

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

 

 

(訳注)

(改訂版)女冠子二首其一

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

前段は、女道士となるために、家も身を創る品々もすべてを捨て去って、山に入ると、いつしかもやのようにつつまれて同化する衣裳に変わること述べる。後段は、月の照る静かな夜、風渡る松の木の下で、天壇、地壇に祈りを捧げるさまを描く。

『花間集』には薛昭蘊の作が二首収められている。双調四十一字、前段二十三字五句、二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

女冠子二首其一

求仙去、翠鈿金篦盡、入嵒

霧捲黃羅帔、雲彫白玉

野煙溪洞冷、林月石橋

靜夜松風禮天





 

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

求仙 仙人になることを求める。ここでは南岳魏夫人(神仙・上清派の開祖)にあこがれて高貴な身分を棄てる(しかし、宮人を引き連れて入山する。)

翠細金箆 翡翠や金で飾った櫛や簪。

嵒巒 自然に同化するため岩山に入る。道教は、南北朝の時代に成熟し、唐代には国教となり、宗教としての質をどんどん向上させた。宗教人類学・宗教歴史学・宗教心理学・宗教社会学の観点から分析すると、道教は宗教の基本要素を全て備えている。キリスト教・イスラム教・仏教の三大世界宗教と比べると、道教は一般の宗教としての特徴だけでなく独特の民族文化の特色も備えている。道教の一般的な宗教としての特徴を次に示す。道教は自然発生した自然宗教と人為的な倫理宗教の結合体である。人格化した主神(元始天尊・太上老君など)に対する信仰だけだけでなく、自然界の本質である汎神論の「道」の信仰(ヒンズー教の「ブラーフマン」、大乗仏教の「仏性」と類似している)もある。祠に女妓ともなった。

 

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

霧捲黃羅帔 薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。

古代婦女披於肩背的一種紗巾,多為薄質紗羅所制。

白玉冠 白い玉。白壁。《禮記》「衣白衣、服白玉。」

 

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

野煙溪洞冷 渓谷の洞窟から靄が発生し、雲に成長するというのが古代中国の考えであった。道教はこの煙、霞と一体化することが修業である。

林月石橋寒 この後段からは、自然と一体化していく修行の場の様子をいう。

 

靜夜松風下,禮天壇。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

靜夜・松風下 どちらも清いことに喩える語。杜甫《陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九》「醒酒微風入,聽詩靜夜分。」(酒を醒まさんとして微風入り 詩を聴けばかんとして静夜分かる)酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。

杜甫 《玉華宮》「溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。」(渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る。)谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書禮志三》:光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。” 《南齊書禮志上》:郊為天壇。 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。 杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:王屋山 頂曰 天壇 。” 陳師道 《談叢》卷十八:王屋 天壇 道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

**********************************************************************************

(旧解)

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

(家を出て山間に入り道士となった女を詠う。)

女道士になるために家を出るにつけて、翡翠の飾り、黄金の櫛、簪、なにもかもみな投げ捨てて、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

霧は巻かれることもあり、きれいな薄絹の肩掛けをつけるようになり、『高唐の賦』にいう雲は祠にかざられた彫刻に白い玉の冠をつけるようになった。

野に靄がひろがり、渓谷の洞窟が冷ややかにして靄は生まれ、この祠の近くに散歩する木々のあいだから月あかりに映えていたが、いまは石橋をわたるのもひとりで寒い。

あの人が来てくれなくなった静かな夜、小高い丘の松をぬけて風が吹いてくる、こうして恵まれてきたことを天壇に祈りを捧ぐ。

女冠子 二首其の一

仙を求めて去る也,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲く 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫る 白玉の冠。

野煙 溪洞 冷やかに,林月 石橋 寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

(旧解)

女冠子二首其二

雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。

髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。

往來雲過五,去往島經三。

正遇劉郎使,瑤緘。

(家を出て山間に入り道士となった女を詠う。)

その日、ここ仙郷に雲の薄絹に覆われ、霧は谷を被う、新たに晴れやかに道女としての法籙を授かった。そうして、真の女道士の教授として里に下りてゆく。

髪を書き上げ髻をしっかりし、若さある髪を整え、そして冠を選んで、碧玉の簪を付けた。

行き過ぎるの雲が過ぎる様に今宵を過した、行きつ戻りつして中州、島々、一年を過していった。

まさに、遊び人のあの劉郎の使いのものと出会った、そしてもう、道教の経典の「啓瑤壇」を封印してしまった。

女冠子二首其の二

雲は羅に 霧は縠に,新らたに明威なる法籙を授り,真函に降ろ。

髻綰 青絲の髮,冠抽 碧玉の篸。

往來して雲 五を過り,去往して島 三を經る。

正に劉郎の使に遇い,瑤 緘ず。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-〈143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917

花間集 巻三42《醉公子》薛昭蘊(改訂版)

慢綰青絲髮,光砑綾襪。

床上小燻籠,韶州新退紅。

叵耐無端處,捻得從頭汚。

惱得眼慵開,問人閑事來。

(最初は大切にしてくれ、贅沢なもの、華美なものを身に付けさせてくれたのに、今はどこにいるのだろう、何時も酔っていてかえってこなくなった貴公子に、心が捻じ曲がり、汚れていったと、なにもしたくないと生きる意欲も失せたと詠う。)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917

 
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花間集 教坊曲『醉公子』 四首

 

 

作者



初句7字

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三42

醉公子一首

慢綰青絲髮

 

 

(顧太尉

巻七35

醉公子二首其一

漠漠秋雲澹

 

 

 

巻七36

醉公子二首

岸柳垂金線

 

 

尹鶚

巻九32

醉公子一首

暮煙籠蘚砌

 

 

 

 

 

 

 

薛侍郎昭蘊 十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収。

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭筠に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊142《巻三41相見歡》巻三4142-〈142〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5912

花間集巻三41   相見歡

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

  (改訂版)薛昭蘊 《相見歡》(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)


 

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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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薛侍郎昭蘊 十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収。

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

(旧解)

相見歡一首

(浮気男に棄てられた女の愁いの情を詠う。)

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

今日も夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あの人を待つ鳳凰の画かれた奥まった閨の中にいる。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

そこには、あの人が好きな小草生う広がる砂地に戒の駿馬の小さな屏風をかざった。 

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

待っても来ないから、薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い化粧の部屋の窓辺に寄りながめるけれど、いくら思っても果てがない。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

女として若くないことを実感させる暮れ方の雨のあとの靄、これで完全に女のもとに訪れるという思いは断たれてしまった、ここから出ることもかなわない身の上の者には窓にかかる簾は檻であり、あの人の居る世界と隔離されてしまっている。 

(相見歡【そうけんかん】)

羅襦【らじゅ】繡袂【しゅうべい】紅に香り,畫堂の中。

細艸 平沙の蕃馬【ばんば】,小屏風にあり。

羅幕を卷き,粧閣に凭【よ】れば,思 窮り無し。

暮の雨 輕き煙 魂は斷たれ,簾櫳を隔つるに。

 

唐宋代の絵画、彫像に出てくる女性の姿を見ると、彼女たちはみな確かに顔は満月のようにふくよかであり、からだは豊満でまるまるとしている。そして、胡や、国軍服を着て馬に乗って弓を引く女性は、特に堂々とした勇敢な姿を示しており、痩せて弱々しい姿はほとんど見られない。これはまさに唐宋代の人々の審美観と現実の生活そのものの反映であった。唐宋代第一の美人楊玉環(楊貴妃)は豊満型の美人であり、漢代の痩身型の美人趨飛燕と並んで、「燕は痩せ、環は肥え」といわれ、美人の二つの典型と称された。

 

このような美意識は、唐代の社会生活と社会の気風から生れた。というのは、唐宋代の物質生活は比較的豊かであったから、身体がふっくらとした女性が多くいたのである。また社会の気風は開放的であり、北朝の尚武の遺風を受け継ぎ、女性は家から出て活動することもわりに多く、また常に馬に乗って矢を射る活動にも加わっていた。それで、往々女性は健康的で颯爽たる姿をしていたのである。こうした現実が人々の審美観に影響し、そしてこの審美観と時代の好みとが、逆に女性たちにこの種の美しさを極力追求させたのである。少なくとも「楚王、細き腰を好む*」ために、食を減らすといったことはなかった。これによって、女性は健康で雄々しくかつ豊満であるといった傾向が助長されたのである。審美観と密接な関係がある服装と化粧は、女性の生活の重要な一部分であった。

 『筍子』等に、昔、楚の霊王は腰の細い美人を好んだ。それで宮中の女性は食を減らし餓死したという故事がある。

 

唐宋代の女性の服装は、貴賤上下の区別なく、だいたいにおいで衫(一重の上着)、裙(スカート)、帔(肩かけ)の三つからなっていた。上着の衫の裾は腰のあたりで裙でとめる。裙はたいていだぶだぶとして大きく、長くて地面をひきずるほどであり、普通六幅(一幅は二尺二寸)の布で作られた。肩に布をかけるが、これを「帔服」といい、腰のあたりまでゆったりと垂れている。また、常に衫の上に「半臂」(袖の短い上着)をはおったが、これはかなり質のよい布で作り、主に装飾のためのものであった。足には靴か草履をはいたが、これらは綿布、麻、錦帛、蒲などで作られていた。


胡装

胡服を着て胡帽を被る 「女が胡の婦と為り胡妝を学ぶ」(元稹「法曲」)、これは唐代女性の特別の好みの一つであった。唐代の前期には、女性が馬に乗って外出する際に被った「冪蘺」(頭から全身をおおうスカーフ)は、「戎夷」(周辺の蛮族)から伝わった服装であった。また、彼女たちは袖が細く身体にぴったりした、左襟を折り返した胡服を好んで着た。盛唐時代(開元〜大暦の間)には、馬に乗る時に胡帽をかぶるのが一時流行した。胡服・胡帽の姿は絵画や彫刻、塑像の中で、随所に見ることができる。

彼女たちは、また胡人の化粧をも学んだ。

 

「新楽府」「其三十五 時世妝」 白居易

時世妝,時世妝,出自城中傳四方。

時世流行無遠近,腮不施朱面無粉。

烏膏注唇唇似泥,雙眉畫作八字低。

妍媸黑白失本態,妝成盡似含悲啼。

圓鬟無鬢堆髻樣,斜紅不暈赭面狀。

昔聞被發伊川中,辛有見之知有戎。

元和妝梳君記取,髻堆面赭非華風。

 

時世の妝 時世の妝、城中より出でて四方に傳はる。

時世の流行 遠近無し、腮に朱を施さず面に粉無し。

烏膏唇に注(つ)けて唇泥に似たり、雙眉畫きて八字の低を作す。

妍媸 黑白 本態を失し、妝成って盡く悲啼を含めるに似たり。

圓鬟(かん)鬢無く堆髻の樣、斜紅暈せず赭面の狀。

昔聞く 被髪伊川の中、辛有之を見て戎有るを知る。

元和(806820年)の妝琉(顔の化粧、髪型) 君 記取よ、髻椎、面赭は華風に非ざるを。

 

流行の化粧は、都会から出て四方に伝わる、時勢の流行には近在も遠方もない、頬紅をささず顔に白粉を塗らぬ、黒い油を口に塗って泥を見るようだ、眉を書けば八の字に垂れ下がって見苦しい(時世妝:流行の化粧法、腮:顎から頬にかけて)

美醜と黒白がひっくり返って、化粧した顔は泣きべそ顔だ、丸髷にはふくらみがなくさいづちまげのようだし、頬紅はぼかしてないのでまるで赤ら顔だ(妍媸:美醜、含悲啼:泣きべそ顔、圓鬟:丸髷、堆髻:さいづちまげ、胡人の女が結ぶ、斜紅:斜めに引いた頬紅、赭面:赤ら顔)

昔のことに、髪をふり乱した者たちが伊川で踊っているのを見て、辛有はその地が戎の地だといったというではないか、元和の流行の化粧について記録しておいてほしい、さいづちまげや赤ら顔は華風ではないと(被髪:髪を振り乱す、妝梳:化粧とヘアスタイルのこと)

 

 

同時代に流行したファッションを批判したもの。都の人々が中国固有の化粧やヘアスタイルを捨てて、戎の風俗にしているという内容で、白居易は中国風でない化粧や髪型の流行を慨嘆している。こうした胡服や胡粧は大半が北方と西北の遊牧系少数民族から伝わってきた。服装と装飾が胡族化したことは、まさに強盛な大帝国が率先して外来文化を吸収したことを、最も良く示す現象である。

唐代の人々には、宋代の人のような「〔中華の〕遺民 涙尽く 胡塵の裏」(陸游「秋夜将に暁に籬門を出で涼を迎えんとして感有り」)といった亡国の痛みはなかったので、当然にも胡服や胡粧によって中華の中心たる中原が胡化するとか、生臭い土地に変り「蛮夷」の邦になるといった恐れや心配は全く頭に浮かんではいない。ただ唐の中期になり、「胡騎 煙塵を起こす」というようになると、始めて「女が胡の婦と為り胡敏を学ぶ」(元稹「法曲」)のは乱国の兆であると、悲しみ嘆く人が出てきた。国勢が衰退したので、統治者の自信が揺らいだのである。女性からすると、一瞥の女卑からの解放、自由な外出へと、社会的な大変革をもたらすものであった。これは、文化的頽廃、性倫理の変貌と有機的に化学反応したものである。

 

 

戎装と男装

唐宋代の女性、とりわけ宮廷の女性は、常に戎装(軍装)と男装を美しいものと考えていた。高宗の時代、太平公主は武官の服装をして宮中で歌舞を演じたことがある。また、武宗の時代、王才人は武宗と同じ服を着て一緒に馬を駆って狩りをした。それで天子に上奏する人はいつもどちらが天子か見まちがったが、武宗はそれを面白がった。宮女たちが軍服を着たり、男装するのは全く普通のことだった。「軍装の宮妓、蛾を掃くこと浅し」(李賀「河南府試十二月楽詞」)、「男子の衣を着て靴をはく者がいる。あたかも奚、契丹の服のようである」(『新唐書』車服志)などの記録はたいへん多い。絵画や彫像の中にはさらに多くの戎装、男装の宮女の姿を見ることができる。こうした風潮は民間にも伝わり、妓女や俳優(役者)たちも常に「装束 男児に似たり」(李廓「長安少年行」)といわれ、また「士流(士人階級)の妻は、あるいは大夫の服を着、あるいはまた男物の靴、衫(上着)、鞭、帽子などを用いて、妻も夫も身仕度が同じだった」(『大唐新語』巻十)といわれている。男女が同じ服を着て、妻と夫の区別も無いとは、本当に平等な感じがする。こうした風潮が生れたのは、社会の開放性と尚武の気風があったからにはかならない。当時の若干の保守的な人々は、男女の服装に違いがなく、陰陽が逆さまになっている情況に頭を横に振りながら、「婦人が夫の姿になり、夫は妻の飾りとなっている。世の中の顛倒でこれより甚だしいものはない」(『全唐文』巻三一五、李華「外孫崔氏二孩に与うる書」)と慨嘆した。これぞまさしく、女性が男装する風潮は封建道徳の緩みであると説明する直接的表現ではないか。

 

(改訂版)《巻三41相見歡》

相見歡

(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ。

 

 

(改訂版)《巻三41相見歡》

『相見歡一首』 現代語訳と訳註

(本文)

相見歡

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

 

(下し文)

相見歡

羅襦【らじゅ】繡袂【しゅうべい】紅に香り,畫堂の中。

細艸 平沙の蕃馬【ばんば】,小屏風にあり。

羅幕を卷き,粧閣に凭【よ】るも,思 窮り無し。

「暮雨輕煙」の魂 斷つ、簾櫳に隔たる。

 

(現代語訳)

(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ。

 

 

(訳注) (改訂版)《巻三41相見歡》

相見歡

(浮気男に棄てられた女の愁いの情を詠う。)

妃嬪の愁いが詠われる時、季節は多く晩春である。「暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳」妃嬪は待つのが使命である、寵愛を失えば、これほど人格を否定されるものがないから、詩に登場する。この時代、その他の階層の女性は、比較的、自由な性生活をしている。不倫や自由恋愛多いから、役所で取り締まらなければいけなかった。妃嬪には、その可能性が極めてない。その間、春が来るごとに「暮の雨」花が落ち、年増になってゆくこと、それでも、地位が変わらなければ、あいかわらず、ちょうあいをうけるじゅんびをして、まちつづけなければならないのである。と、詠うものである。

寵愛を受けている時と寵愛を失って以降の対比、一人で出かけることはできないので、この語を使用する。なかにわに出るくらいの生活を意味するもの。

唐の教坊の曲名。『花間集』には薛昭蘊の一首のみ所収。双調三十六字、前段十八字四句二平韻、後段十八字五句二仄韻二平韻で、⑥③6③/❸❸③6③の詞形をとる。

羅襦繡袂香畫堂
細艸平沙蕃馬小屏
卷羅凭粧、思無

暮雨輕煙魂斷隔簾





 

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

香紅 もみの上着に薫きしめた香が香ること。

羅襦 杜甫.新婚別詩:「自嗟貧家女、久致羅襦裳。羅襦不復施、対君洗紅粧。(自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。)

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

繡袂  袂に縋る願いを聞いてもらうまでは離すまいと、人のたもとをとらえる。転じて、相手の同情を引いて助けを求める。

 

細艸平沙蕃馬,小屏風。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

蕃馬 戎の馬、小ぶりの足の速い遊牧民族の馬、騎馬兵士の勇壮さが好きだから飾っている。駿馬が好きで、おそらく女性自身も、男装して馬に乗るのであろう。だから屏風にもそうしたえがかれたもおを飾った。

 この時代の女性は、男装にあこがれ、馬の画を善く飾った。この馬を以て意中の男が最果ての砂漠の地に旅立って帰ってこないことを連想するというのは、短絡である。

 

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

粧閣 化粧の部屋。明かりをよくいれるために他の部屋より独立し、階床が高かった。物見もできるもの。

班婕妤 王維 (後宮の妃嬪を詠う)

怪來妝閣閉,朝下不相迎。

總向春園裏,花間笑語聲。

怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。

總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。

この三句でわかることは、西域のどこか、砂漠に出征したのでなくて、何時でも女のもとに来られることをあらわす句である。

 

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ

暮雨軽煙 夕暮れの雨と簿霞は高唐の賦の「朝雲暮雨」の故事をいう。晩春に降る雨はここで必ず春の花は落花する。妃嬪の希望、期待を完全に断たれたことを意味する。

簾櫳 簾のかかる連子窓。1窓.2(動物を入れる)おり.寵愛を受けているころは、事あるごとに、連れ立って出かけた、寵愛を失っても、寵愛を受けるための準備と、ただ待つだけが使命であるから、動くことができないから、御殿のその場所から出られないことをいう。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-〈141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907

薛昭蘊 花間集巻三40《離別難一首》

離別難一首

寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

那堪春景媚,送君千萬里。

半粧珠翠落,露華寒。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

未別心先咽,欲語情難

出芳艸,路東西。

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。


薛昭蘊(改訂版)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907


 

 

 

(旧解)

離別難

(男性から見た、宮女・官妓が情のかよった男を送り出し、これから先どうして貞操を守ってゆくのかその心持を詠う。)
寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

夜明け前に出発する男の宝飾で盛装した馬を整え、車には暁の斜め横からの日差しを防ぐためのとばりがかけられ、彫刻に飾られた車前の横木のおおいや鞍も準備されている。閨の薄絹のとばりの中で二人は離れがたい気持ちでいたのだ。

那堪春景媚,送君千萬里。

どうしてまだ春の最中で、この景色を楽しみたいのに、それを堪えねばならないのでしょうか。あのお方を千里も万里もはるかなところへ送らないといけないのでしょうか。

半粧珠翠落,露華寒。

玉と翡翠の簪を落したまま兮そそくさと薄化粧を整えて外に出たのですが、朝露がきれいに降りて光っていてとても寒いのです。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

昨日の夜の赤い蝋燭と瑟で「靑絲の曲」を奏でたことで一つになった、そんなことを思い出すとひたすら涙を誘い、涙にぬれて渡り廊下の欄干にすがっているのです。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

こんな素敵な春の夜を二人で過ごせたいい夜だったが、春の夜は短く二人で過ごす良い夜の時はあっという間に過ぎてしまったし、蝋燭の火も燃え尽きそうで、香炉のお香もいつしか消えていたのも気が付かず過したのです。別れるのがつらく眉が檀になり、眉間にしわを寄せてしままったままで、愁いの気持ちでただそこへ蹲ってしまうのです。

未別心先咽,欲語情難

本当に別れたわけではないのに一緒に居たい気持ちはどうにもならずむせび泣いています。声を掛けようと思うのですが別れがつらすぎて声にならないのです。

出芳艸,路東西。

あの人は良い香りの街道の草花の中へ旅立って、東西に長い街道を隔てて別れるのです

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。

私はこの袖を揺らして別れを惜しんで立ち尽くし、一人で春の突風に晒されるのです。ああこんなに桜が咲いても、こんなにも、楊も柳も葉をつけて繁っても、私が巫山の巫女となって雨に化身しても、それはただ寂しくさらさらと降るだけなのです。

 

(離別【わかれ】難し)

馬を寶【かざ】り曉の鞲【ふく】彫の鞍【くら】,羅幃【らい】は乍【たちま】ちの別 情【なさけ】難し。

那んぞ春景の媚に堪えん,君を千萬里に送るを。

珠翠の落るに半粧して,露華の寒。

燭【かつしょく】紅にし,絲曲に青しものを,偏えに能く鉤引【こういん】し 闌干に淚す。

 

良夜は促し,香塵は綠す,魂は迷わんと欲し,檀眉 半ば斂して愁いて低す。

未だ心は咽を先んじて別れず,語らんと欲れど 情 難し。

芳艸に出で,東西に路す。

袖を搖して立し,春風急す,櫻花 楊柳 雨 淒淒【せいせい】。

9 15-#1 離別難一首-#1(薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-391-9-15-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3502 

9 15-#2 離別難一首 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-392-9-15-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3507

 


(改訂版) 薛昭蘊 花間集巻三40《離別難一首》

離別難一首

寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

天子のお馬車に夜明け前から彫刻に飾られた輦、馬には彫刻の鞍が、そしてうす絹のとばりが足らされて待っているが、別れをされながら情が離れがたいのだろうお出ましが遅い。

那堪春景媚,送君千萬里。

天子を千里、万里もはるかなところへ送りすれば、一緒にこの春の景色をいつくしむことが出来ないのをどうして堪えられようか?という別れもある。

半粧珠翠落,露華寒。

「徐妃半面妝」というので珠翠の寵愛を失い、鬱くちい妃嬪が後宮を出て、四つを浴び寒い寺観に追いやられたという別れもある。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

紅い蝋燭のもと天子に“壽陽來”と侯景は渦陽を大敗させた戦果に錦を求めたが、朝廷は靑布を給したことで、童謠の「靑絲の曲」のように謀反を起こした。錦の変わりに蒼絲ということが引き金になって謀反を起し、涙で御殿の欄干から別離をしたこんな偏ったこともある。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

春の夜、二人で過ごせたいい夜だが短くすぐにすぎる、香炉のお香もいつしか消えていたのも気が付かず過したというのに、愛する心はどこへ行ったのか、ここにはいなくなった、つらく眉間に横の皺と縦の皺が出来てしまって、愁いの気持ちは心沈ませて高まることはない。

未別心先咽,欲語情難

いまだに別れを告げられたのではない、別れの事が咲きに考えるから嗚咽してしまう、声を掛けようと思うが別れがつらすぎて声にならない。

出芳艸,路東西。

門を出れば、良い香りの草草は沢山あるし、路は東と西にわけてしまうと、あとは何にをしようと分からない。

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。

袖を揺らして立ち見送る、一人ですごす春の風は急いで過ぎてゆく。桜の花を吹き飛ばし、柳絮もいそいでとびさるし、雨はただ寂しくさらさらと降るだけで、それが別れというものである。

 
 2015年4月26日の紀頌之5つのBlog 
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(離別難一首:別れというのは昔からいろいろあるが、別れて仕舞えば、あれほど「那堪春景媚」と春景色をいつくしんでいたものが、櫻も花も楊も柳も雨も淒淒としてただ寂しいだけであると詠う)
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岳飛《小重山一首》花間集関連詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5902

小重山
岳飛《小重山一首》 むかし、閨で一緒に聞いた蟋蟀の声、昨夜は、晩秋というのにコオロギが鳴きやまず、うとうとしては、驚いて目を覚ます、きっとおまえも、遥か千里の彼方のわたしのことを夢見ていてくれるだろう。 すでに午前零時を過ぎているころのことだった。

昨夜寒蛩不住鳴,驚回千里夢。已三更。

起來獨自遶階行,人悄悄,簾外月朧明。

白首爲功名,舊山松竹老,阻歸程。

欲將心事付瑤琴,知音少,絃斷有誰聽。


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-岳飛《小重山一首》花間集関連詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5902

 
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小重山二首 其二

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。
薛昭蘊 小重山二首





『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897



 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『小重山』 六首

 

作者



初句7字

 

韋相莊

巻三

(改訂版)小重山 韋荘

一閉昭陽春又春

 

薛侍郎昭蘊

巻三

小重山二首 其一

春到長門春草青

 

巻三

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃

 

和凝

巻六

小重山二首其一

春入神京萬木芳

 

巻六

小重山二首其二

正是神京爛熳時

 

毛秘書熙震

巻十

小重山一首

梁鷰雙飛畫閣前

 

薛侍郎昭蘊十九首:

小重山二首 

浣溪紗八首 

喜遷鶯三首 

離別難一首 

相見歡一首 

醉公子一首 

女冠子二首

謁金門一首

 

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

 

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

 

(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。



 

(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》

(小重山二首 其の二:漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている)

秋到長門秋草黃,畫梁雙去,出宮牆。

寵愛を失ったまま秋が来る、長門宮には草木が枯れ始め、菊の黄色も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちもその巣を去って行き、軽快な身のこなしの燕は、後宮の土塀の外に出て東南の宮殿に行ってしまった。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

ここの宮殿で、きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の踊りの練習さえもすることはなくなった。金蝉の簪は化粧台に置かれたまま、鳳鸞鳥の鏡に掩いがしたまま、化粧さえしなくなった。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

昔の昭陽殿にいたころは花形であった、舞着物には紅の綬帶の佩びていたし、鴛鴦鳥の刺繍がいっぱいに際江の寵愛を受けた。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

寵愛を失った今に至っても、化粧や飾り付けの花鈿、簪を付けなくても、閨の褥の準備だけは毎日して、なお、香炉に焚くことに惹かれてはいるものの、もう夢にも出てくることはなく、秋の夜長に時を刻む漏更の音は愁いを聞くにほかならない。

凌波曲舞002
 

 



 


 
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其二(小重山二首 其の二:漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている)寵愛を失ったまま秋が来る、長門宮には草木が枯れ始め、菊の黄色も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちもその巣を去って行き、軽快な身のこなしの燕は、後宮の土塀の外に出て東南の宮殿に行ってしまった。
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-〈138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892

薛昭蘊(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

 

 

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(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

 

(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。

 

花蕊夫人002
紅梅003
 

(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

『小重山二首 其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

小重山二首 其一

春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

 

(下し文)
(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉堦 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。


(現代語訳)
(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。



(訳注)

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

「長門宮」は、前漢の武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられた、そんな宮殿である。この歴史的経緯を説明すると次のとおりである。

陳氏は、武帝の従姉妹に当たる伯母の子である。また、武帝、劉徹が太子になる事が出来たのは、母の陳氏によるのと、館陶公主の力添えがあってこそであった。陳氏との間には子は生まれなかったから、二人は血縁的に強い結び付きが合った。そのような折り、姉である平陽公主の下を訪れた武帝は、謳者の一人であった衛子夫を見初め、そのまま宮中に連れ帰ってきた。この二人の間には、三女一男が生まれた。これによって、いよいよ陳氏の嫉妬が強まり、それは武帝の我慢の限界を超える程のものとなった。衛子夫が男児を生んだのが、元朔元年(前128)で、陳氏が皇后を廃されたのはが、元光五年(前130)である事から、子の男女に関わらず、子が出来た事が、寵を奪われた事に加算されて、嫉妬に狂ったのである。その嫉妬のあまり、媚道を行うに至った。媚道とは、つまり、呪詛である。これが露見し、死罪は減じられたものの、長安城の東南にあった長門宮に隠居させられた。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。衛子夫は男児を生んだその年、皇后に立てられている。

 

小重山は《柳色新》《小冲山》、《小重山令》という別名がある。『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

春到長門春草、玉堦華露滴、月朧

東風吹斷玉簫聲、宮漏促、簾外曉啼鶯。
愁起夢難、紅粧流宿淚、不勝

手挼裙帶遶宮行、思君切、羅幌暗塵生。





 

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

・長門 漢代の宮殿の名。漢武帝の陳皇后がはじめ天子の寵愛を得ていたが、人の妬みを受けて長門官に別居し、憂悶の日を送っていた。時に司馬相如の文名を聞き、黄金百斤を奉じて長門既を作らせ天子に献上し、再び寵幸を得たという故事に本づく。寵愛を受けていた女性が棄てられることを比喩するもの。長門宮は長安城の東南にあった。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。

韋荘『小重山』

一閉昭陽春又春,夜寒宮漏永,夢君恩。

臥思陳事暗消魂,羅衣濕,紅袂有啼痕。

歌吹隔重閽,繞庭芳草綠,倚長門

萬般惆悵向誰論?凝情立,宮殿欲黃昏。

126 小重山 韋荘 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-290-5-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2997

・玉堦 玉のきざはし、階段。

・華露 露草に同じ。ここは月の光をうけてきらきらひかるつゆ。階の露は甘露、男女の混じり合いを云う。

・朧月 - 霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。《季 春》朧月は月が女性を意味し男女の混じり合いを連想させる。

 

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

・宮漏 宮中の漏刻。水時計。

・促 水時計の音がほやくせわしくきこえること。

 

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

・夢難成 夢が完成しにくいこと。たのしい夢が愁いに断たれて十分見つくすことが困難になること。

・紅粧 紅をほどこしたうつくしい化粧。ここは陳皇后をさす。

・流宿涙 循涙を流す。宿涙は昨夜から泣きつづけて、枕も布団もぬれてしまうほど涙を流すこと。

 

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

・手挼裙帶 裾(もすそ)を手にとって揉むこと。裙帶:①もすそのひも。もすそとおび。②女官の制服に着用した装飾の具。③后妃の力によってその地位を得ること。武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられたということを暗示させる。

・遶宮行 長門宮に回り道をしてゆく。遶越/遶行:回り道をしてゆく。皇后を廃され、長門宮に隠居させられたことを暗示。

・思君切 陳皇后が天子を思うことがはなはだしいこと。

・羅幌 うすぎぬのとばり。

・暗塵生 産暗生といういい方もあり、ひそかに塵がつもっていること。寵愛を失っている状態をあらわすことは。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》巻三3737-〈137〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5887

薛昭蘊 改訂版)喜遷鶯三首其三(何年も頑張って来て進士に及第した、その日は春の盛りの清明節に晴天であったのに、雨がぱらついたが馬を飛ばし、野山に行楽に出かけ、楽しみ、帰り道まで、雨に濡れたも活力を出している、自分も次の目標にむかって頑張ろうと詠う。)清明節の日、朝から晴天であったのに突然雨が降り出した。それでも、まさに積年の願いがみのり、おもいが叶ったということだ。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》巻三3737-137〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5887

 

 

(旧解)

喜遷鶯三首 其三

(前の年から願っていた春の盛り、清明節もはれわたり、野山に行楽に出かけ、楽しみ、帰り道まで、草むらで楽しんだ。春を謳歌する詩。)

清明節,雨晴天,得意正當年。

清明節が来る、雨が上がって晴れている。まさに昨年から思っていたことが叶ったということ。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

馬も喜び跳ね回り、歩く道を軟弱にしていたがそれも乾いて、みちには、錦の飾りを列ねている。女たちも袖口にしっかりと香りをしみこませて、半分のブランコで遊ぶ。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。

花が咲き乱れるとこの街にも華やかな色に和らいでいるし、人々も、競うように着飾っている、こんなはるはだれもことごとく刺繍で飾った馬の鞍をつけ、赤の馬のむながいをあたらしくしてやる。

日斜無計更留連,歸路艸和煙。

しかし、今日も日が傾いて来ても、何の計画もない、さらにここに留守居のように又過ごしているけれど、帰り道には草も成長していて、夕靄に覆われ馴染んできているところで楽しむのだ。 

喜遷鶯三首 其の三

清明節,晴天に雨ふり,意を得る 正に年りに當るを。

馬驕 泥軟 錦連として乾,香袖 半ば籠鞭す。

花色 融け,人は賞を競う,是を盡せば 繡鞍 朱鞅。

日斜となり計無く 更に留り連る,路に歸り艸煙に和む。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》
喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

殘蟾【ざんせん】落ち,曉鐘【ぎょうしょう】鳴る,羽化 身輕を覺ゆ。

乍ち春睡無く餘酲有り,杏苑 初めて晴れ雪のごとし。

紫陌 長く,襟袖 冷か,是れなく人間風景を。

迴看し塵土 前生に似たり,羨むを休む 谷中の鶯。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

喜遷鶯三首 其二

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)
金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。



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