欧陽烱 南鄉子八首其三
岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。
(南国の水路駅に向かう船からの情景、夕暮れ時になり水辺近くの砂浜に、美しい孔雀を見る、旅人におどろくが悠然としている)
岸は遠く、日は照り、砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きかけて、帰り航路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。岸辺の砂地に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すが、その金と緑の美しさゆえに、その尾をあわれにおもう、それはただ江水を臨むだけだから。静かな情景に孔雀は旅人に気が付き驚くが、悠然として飛び立つこともない。
9欧陽烱《巻六03南鄉子八首 其三》『花間集』254全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6542
欧陽炯 【おうようけい】(896-971) 中国,五代の詞人。初め前蜀に仕えたが,滅亡後,洛陽に出る。後蜀が建って蜀に帰り,滅亡後は宋に仕えた。詞は《花間集》《尊前集》に収める。
益州の華陽、今の四川省成郡の人。若くして前蜀の王衍に仕えて中書舎人となり、後唐に前蜀が滅ぼされると、王衍に従って洛陽に行った。その後、孟知祥が後蜀を建てたので、欧陽烱は蜀に移り、中書舎人、翰林学士、礼部侍郎、陵州の刺史、吏部侍郎等に任じられた。後蜀が宋によって亡ぼされると、宋朝に帰した。欧陽烱は笛に長じていたので、末の太祖超匡胤は常に彼を召し出し笛を演奏させたと伝えられる。欧陽烱は音楽に明るかったということで、『花間集』の編者、後蜀の趙崇祚に請われて『花間集』の序文を書いた。序文の日付は、後蜀の広政三年(940年)夏四月になっている。欧陽烱の詞は、『花間集』には十七首が収められている。
この南郷子八首は花間集の縮刷版のように詠われている。特に欧陽烱は、花間集の序文を書いていて、その序文を詞詩で表現したもののように感じられる。
歐陽舍人炯 南鄉子八首
巻六01南鄉子八首其一 嫩草如煙,石榴花發海南天。日暮江亭春影淥,鴛鴦浴。水遠山長看不足。 |
巻六02南鄉子八首其二 畫舸停橈,槿花籬外竹橫橋。水上遊人沙上女,迴顧,笑指芭蕉林裏住。 |
巻六03南鄉子八首其三 岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。 |
巻六04南鄉子八首其四 洞口誰家,木蘭舡繫木蘭花。紅袖女郎相引去,游南浦,笑倚春風相對語。 |
巻六05南鄉子八首其五 二八花鈿,胸前如雪臉如蓮。耳墜金鐶穿瑟瑟,霞衣窄,笑倚江頭招遠客。 |
巻六06南鄉子八首其六 路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。 |
巻六07南鄉子八首其七 袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆蔻花間趖晚日。 |
巻六08南鄉子八首其八 翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。 |
(改訂版Ver.2.1)
南鄉子八首 其一
(長江下流域の春景色の思い)
嫩草如煙,石榴花發海南天。
若々しく柔らかい草原に火炎のように陽炎がたつ、石榴の花は南国の海辺の郷に開き始める。
日暮江亭春影淥,鴛鴦浴。
日暮れになると、近くの水辺の樓亭は春景色の中きれいな水に影を落とす。そばには鴛鴦が水浴びをする。
水遠山長看不足。
長江を下る水ははるか遠くにつづく山並みが長く、だから、ここの春景色は満足できない。
南鄉子 其一
嫩草【わかくさ】煙の如く,石榴の花發く海南の天【そら】。
日暮れて江亭は淥に春影し,鴛鴦 浴す。
水 遠く 山 長【はる】かにして 看れど足るなし。
巻六02(改訂版Ver.2.1)
南鄉子八首其二
(長江下流域の舟遊びの時を思い出すと、風流な畫船に乗り、めぐると、沙上に女がいて、「あそこの家によって」と誘ってきたと詠う。)
畫舸停橈,槿花籬外竹橫橋。
舟遊びの畫塗り舟のさおをとめ、むくげの花が籬の外に顏を出していて、少し進むと、その横には、風流な竹の橋が架かっている。
水上遊人沙上女,迴顧,笑指芭蕉林裏住。
畫舟には遊び人々がおり、渚には佇む女が居る。首を回らせば、微笑んで芭蕉の林の中の風流な家を「あそこに住んでいます。」と指さしていた。
(南鄉子八首其の二)
畫舸 橈を停め,槿花 籬の外 竹橫の橋。
水上の遊人 沙上の女,迴顧して,笑み指す「芭蕉 林裏の住」を。
(改訂版Ver.2.1)
南鄉子八首其三
(南国の水路駅に向かう船からの情景、夕暮れ時になり水辺近くの砂浜に、美しい孔雀を見る、旅人におどろくが悠然としている)
岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。
岸は遠く、日は照り、砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きかけて、帰り航路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。
孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。
岸辺の砂地に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すが、その金と緑の美しさゆえに、その尾をあわれにおもう、それはただ江水を臨むだけだから。静かな情景に孔雀は旅人に気が付き驚くが、悠然として飛び立つこともない。
(南鄉子八首其の三)
岸 遠く 沙平らかなり,日 斜めに 歸路 晚霞 明らかなり。
孔雀 自ら憐れむ 金翠の尾,水に臨む,行人を認めるも 驚き起つを得ず。
(改訂版Ver.2.1)
『南鄉子』 現代語訳と訳註
(本文)
南鄉子八首其三
岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。
孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。
(下し文)
(南鄉子八首其の三)
岸 遠く 沙平らかなり,日 斜めに 歸路 晚霞 明らかなり。
孔雀 自ら憐れむ 金翠の尾,水に臨む,行人を認めるも 驚き起つを得ず。
(現代語訳)
(南国の水路駅に向かう船からの情景、夕暮れ時になり水辺近くの砂浜に、美しい孔雀を見る、旅人におどろくが悠然としている)
岸は遠く、日は照り、砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きかけて、帰り航路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。
岸辺の砂地に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すが、その金と緑の美しさゆえに、その尾をあわれにおもう、それはただ江水を臨むだけだから。静かな情景に孔雀は旅人に気が付き驚くが、悠然として飛び立つこともない。
(訳注) (改訂版Ver.2.1)
(南国の水路駅に向かう船からの情景、夕暮れ時になり水辺近くの砂浜に、美しい孔雀を見る、旅人におどろくが悠然としている)
南郷郡という名称が初めであり、中国古代の郡であり、前漢末年、王莽新朝末(23年),析人鄧華起兵南郷以應漢。東漢始置南郷縣,属南陽郡。建安十三年(208年),曹操奪荆州,分南陽郡西部設置南郷郡。西晋太康十年(289年),改南郷郡爲順陽郡,郡治南郷縣(今淅川縣滔河郷一带)。東晋咸康四年(338年),又改爲南郷郡。永和十年(354年),桓温伐前秦,水軍自襄陽入均口,至南郷。后陷后秦。義熙元年(405年),后秦文桓帝姚興割南郷郡歸東晋。隋朝開皇初年(581年),廢南郷郡。大業初年,又改淅州爲淅陽郡。
唐の教坊の曲名。『花間集』には《南鄉子》十八首所収。欧陽烱の作は八首収められている。三十字、二十八字、二十七字で、単調二平韻三仄韻である。
南鄉子八首其三 は、二十七字で、単調二平韻二仄韻で④⑦❼2❼の詞形である。
岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。
●●△○ ●○○●●○○
孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。
●●●○○●● △● ●●△○○△●
南鄉子八首其一は、二十八字単調、前二句十一字二平韻、後三句十七字三仄韻で④⑦❼❸❼の詞形である。
南鄉子八首 其一
嫩草如煙 石榴花發海南天
●●△○ ●○○●●○○
日暮江亭春影淥 鴛鴦浴
●●○○○●● ○○●
水遠山長看不足
●●○△△△●
唐の教坊の曲名。『花間集』には《南鄉子》十八首所収。李珣の作は十首収められている。三十字、単調二平韻三仄韻で、3③⑦❼❸❼の詞形である。
李珣 南鄉子十首其一
蘭棹舉 水紋開 競攜藤籠採蓮來
○●● ●○○ ●○○△●△△
迴塘深處遙相見 邀同宴 淥酒一巵紅上面
△○△●○△● ○○● ●●●○○●●
岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。
岸は遠く、日は照り、砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きかけて、帰り航路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。
○晩霞 夕焼け。霞は朝焼け雲または夕焼け雲。ここは、黄昏て夕靄が漂ってきたことを云う。
○この二句はそれ洛の中で時間経過と場所が変化している、動的な詩であることに注目する。
孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。
岸辺の砂地に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すが、その金と緑の美しさゆえに、その尾をあわれにおもう、それはただ江水を臨むだけだから。静かな情景に孔雀は旅人に気が付き驚くが、悠然として飛び立つこともない。
○孔雀自憐金翠尾 孔雀鳥が、折角の見事な羽を広げても、長江を望んでその翅を見せているだけなことを自らを憐れむいがいにないということ。
○行人 旅人。其二作の遊人同様、作者を指す。
この詩で、王維の詩を連想する。
《輞川集二十首、欒家瀬》 |
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颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。 | 颯颯たる秋雨の中、浅浅として石溜【せきりゅう】に瀉ぐ。 |
波跳自相濺、白鷺驚復下。 | 波は跳って自ら相い濺(そそ)ぎ、白鷺は驚きて復(ま)た下れり。 |
「欒家瀬」は早瀬の名で、臨湖亭の奥、「柳浪」の柳の近くにあった。王維の詩は山水画の中の情景、水しぶきに驚いて白鷺が飛び立つが、また降りてくると観察の鋭さを示している。役人生活への比喩を含んでいる。 | |
















