魏承班 菩薩蠻二首
其一
羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。相見綺筵時,深情暗共知。
翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。宴罷入蘭房,邀入解珮璫。
(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)
うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。
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巻 八49 |
菩薩蠻二首
其一 |
13 魏承班 |
(改訂版Ver.2.1) |
《花間集》401巻八49 |
全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7269 |
菩薩蠻の世界(1)
歴史絵巻は私たちに唐代の女性の生き生きとした姿を示してくれる。
彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。
唐·施肩吾《少婦游春詞》
「簇錦攢花鬬勝遊,萬人行處最風流。無端自向春園裏,笑摘青梅呌阿侯。」
(錦を集め、花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流。端無くも自ら向う春園の裏,笑うて摘む青梅呌阿侯。)(七言絕句押尤韻)
「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。
杜甫《卷二41 麗人行》
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三月三日天氣新,長安水邊多麗人。 |
三月三日 天氣新たに,長安の水邊 麗人多し。 |
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態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。 |
態は濃く 意は遠くして淑且かつ真に,肌理きりは 細膩さい ぢ にして 骨肉は勻ひとし。 |
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繡羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。 |
繍羅しう ら の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金しゅくきんの孔雀 く じゃく 銀の麒麟 き りん。 |
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頭上何所有,翠微盍葉垂鬢脣。 |
頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉おうようと爲して鬢びん脣しんに 垂たる。 |
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背後何所見,珠壓腰衱穩稱身。 |
背後何の見る所ぞ,珠は腰衱えうけふを壓して穩やかに身に稱かなふ。』 |
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就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。 |
就中なかんづく 雲幕の椒房せうばうの親しん,名を賜ふ 大國 虢くゎくと秦しんと。 |
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紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。 |
紫駝しだの峰を翠釜すゐ ふ より 出いだし,水精の盤に 素鱗 行くばる。 |
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犀箸厭飫久未下,鑾刀縷切空紛綸。 |
犀箸さいちょ 厭飫えんよして久しく未だ下さず,鸞刀らんたう 縷切る せつして 空しく紛綸たり。 |
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黃門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。 |
黄門 鞚くつわを飛ばして塵を動かさず,御廚ぎょちゅう 絡繹らくえきとして 八珍を送る。 |
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簫鼓哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。 |
簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從ひんじゅう 雜遝ざったふして 要津えうしんに實みつ。』 |
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後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。 |
後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡んする,軒に當たりて 馬より下りて 錦茵きんいんに入る。 |
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楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。 |
楊花やうくゎ 雪のごとく落ちて 白蘋はくひんを覆ひ,靑鳥 飛び去りて 紅巾こうきんを銜ふくむ。 |
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炙手可熱勢絕倫,慎莫近前丞相嗔。 |
手を炙あぶらば 熱す可べし 勢は絶倫なり,慎みて 近前する莫れ 丞相じょうしゃう 嗔いからん。』 |
麗人行 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65
彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。
「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」(瓜田李下の疑い、唐人は譏らず。)
「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。
宋の洪邁《容齋三筆‧白公夜聞歌者》「然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」
彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。
またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。
杜甫の《卷四32哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。)““天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ。”” 《卷四32哀江頭》と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。
彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。
彼女たちの家庭における地位は比較的高く、「婦は強く夫は弱く、内(女)は齢く外(男)は柔かい」(張鷲『朝野愈載』巻四)といった現象はどこにでも見られた。唐朝の前期には上は天子から下は公卿・士大夫に至るまで、「恐妻」がなんと時代風潮にさえなったのである。ある道化の楽人は唐の中宗の面前で、「かかあ天下も大いに結構」(孟築『本事詩』嘲戯)と歌ったことで、韋皇后から褒美をもらったという。御史大夫の襲談は恐妻家としてたいへん有名であったばかりか、妻は恐るべしという理論までもっていた。妻たちが家で勝手気ままに振舞っているのを見聞したある人は、大いに慨嘆して次のようにいった。「家をもてば妻がこれをほしいままにし、国をもてば妻がそれを占拠し、天下をもてば妻がそれを指図する」(干義方『異心符』)と。
この時代には、まだ「女子は才無きが輒ち是れ徳なり」(清の石成金の『家訓抄』が引く明の陳眉公の語)という観念は形成されていなかった。宮廷の妃嫁、貴婦人、令嬢から貧しい家の娘、尼僧や女道士、娼妓や女俳優、はては婦女にいたるまで文字を識る者がきわめで多く、女性たちが書を読み文を作り、詩を吟じ賊を作る風潮がたいへん盛んであった。これによって唐代には数多くの才能ある女性詩人が生れたのである。女道士の魚玄機はかつて嘆息して、「自ら恨む 羅衣の 詩句を掩うを、頭を挙げて空しく羨む 模中の名(女に生れて詩文の才を発揮できないのが恨めしい。むなしく科挙合格者の名簿を眺める)」(「崇真観の南楼に遊び、新及第の題名の処を括る」)と詠んだ。この詩句は、女性が才能の点で男性に譲らぬ自信をもってはいるが、男とともに金棒(科挙合格者発表の掲示板)に名を載せ、才能を発揮できない無念さをよく表している。
花間集 巻八 魏太尉承班二首 / 花間集 巻九 魏太尉承班十三首
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魏承斑(生卒年未詳、およそ九三〇年前後に在世) |
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前蜀の詞人。字、出身地ともに未詳。魏承斑の父親の魏宏夫は、前蜀の王建の養子となり、王宗弼の名を賜り、斉王に封じられた。蜀承斑は鮒馬都尉(皇女の婿に与えられる官職)となり、官は大尉に至った。その詞は、専ら抒情を主とし、淡白にして明噺で、人々は好んでその詞を模倣したと言われ、薛昭蘊や牛橋には譲るが、毛文錫には勝ると評価されている。『花間集』には十五首の詞が収められている。全唐詩によりなお六首を補うことができる。詞風は溫庭筠に近い。 |
菩薩蠻二首 其一
(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)
羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。
うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。
相見綺筵時,深情暗共知。
秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。
翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。
女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。
宴罷入蘭房,邀入解珮璫。
やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。
(菩薩蠻二首 其の一)
羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。
相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。
翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。
宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。
菩薩蠻二首 其二
羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。
聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。
酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。
繡幌麝煙沉,誰人知兩心。
『菩薩蠻二首 其一』 現代語訳と訳註
(本文)
羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。
相見綺筵時,深情暗共知。
翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。
宴罷入蘭房,邀入解珮璫。
(下し文)
(菩薩蠻二首 其の一)
羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。
相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。
翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。
宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。
(現代語訳)
(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)
うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。
秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。
女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。
やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。
(訳注)
菩薩蛮二首其一
(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)
『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。
菩薩蠻二首 其一
羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。
相見綺筵時,深情暗共知。
翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。
宴罷入蘭房,邀入解珮璫。
○○●●○○● ○△●○○●●
△●●○○ △○●△○
●△○●● ●●△○●
●△●○○ ○●●●○
羅裾 薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。
うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。妃嬪の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。
1 羅:絡み織を用いた、目の粗い絹織物の一種。 もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなった。2 裾:膝から下という意味。転じて、衣服の下の方。
3 眉間山兩點 花鈿をかくこと。
相見綺筵時,深情暗共知。
秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。
翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。
妃嬪は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。
4 翹《意味》. あげる。鳥の尾羽のように、高くかかげる。つまだてる。つま先だって背を高くする。
特に秀でた人。また、特にすぐれているさま。ぬきんでる。
【翹楚】ぎょうそ. 大勢の中でとびぬけてすぐれていること。また、その人。 「楚」は、特に丈の高い木。
5 斂態彈金鳳 服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。斂態:服の乱れをまとめること。
酒泉子三首其三
斂態䆫前,裊裊雀釵拋頸。
鷰成雙,鸞對影,耦新知。
玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。
翠連娟,紅縹渺,早粧時。
12孫光憲《巻八19酒泉子三首其三》『花間集』371全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7127
宴罷入蘭房,邀入解珮璫。
やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。
6 珮璫 佩び玉と耳飾り。・珮:①
身につけるもの。腰にさげる装飾品。
②
奈良時代,礼服(らいふく)に用いた装飾品。組み糸に玉を通し,胸の下から沓(くつ)のところまで垂らし,歩くときに鳴るようにしたもの。おんもの。玉佩。・璫:耳珠・冠飾。〔「木尻」の意〕 ① 刀剣の鞘(さや)の末端。また,そこにはめる金物。
②
〘建〙(「木尻」とも書く)部材の先端の総称。主として,破風板・垂木などの下方の端。
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