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『菩薩蠻 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-6-6 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1640

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『菩薩蠻 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-6-1-#6    花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1640


10.温庭筠 菩薩蠻
寶函鈿雀金鸂鵣,沈香閣上吳山碧。
あの人をまちわびている女妓が、目をさまし、うつくしい匣枕、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしがそばにおちている。起き出すのも物憂い女妓は、朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、呉山のみどりの彼方をながめやる。
楊柳又如絲,驛橋春雨時。
健康と無事を祈って折った青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。驛亭にしっとりと春雨がふって、あの日ここであの人と別れを告げた。あれからどれほど月日がたったのか。
畫樓音信斷,芳草江南岸。
美しい高楼あの人を待ち侘びているけれど音信はとぎれたままなのだ。かんばしい春の草が江南の岸にはまたさきだした。
鸞鏡與花枝,此情誰得知。

このさびしいこころは、鸞鳥を背に彫んだ鏡と花が咲き誇る枝だけがいつもみている。この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。

寶函【ほうかん】鈿雀【てんじゃく】金の鸂鵣【けいちょく】,沈香【ちんこう】の閣上 吳山の碧【みどり】。
楊柳 又 絲の如し,驛橋 春雨【はるさめ】の時なり。
畫樓から音信 斷つ,芳草 江南の岸のあり。
鸞鏡と花枝とあり,此の情は誰か知るを得る。

宮島(5)

『菩薩蠻 六』 現代語訳と訳註
(本文)
菩薩蠻
寶函钿雀金鸂鵣,沈香閣上吳山碧。
楊柳又如絲,驛橋春雨時。
畫樓音信斷,芳草江南岸。
鸞鏡與花枝,此情誰得知。


(下し文)
寶函【ほうかん】鈿雀【てんじゃく】金の鸂鵣【けいちょく】,沈香【ちんこう】の閣上 吳山の碧【みどり】。
楊柳 又 絲の如し,驛橋 春雨【はるさめ】の時なり。
畫樓から音信 斷つ,芳草 江南の岸のあり。
鸞鏡と花枝とあり,此の情は誰か知るを得る。


 (現代語訳)
あの人をまちわびている女妓が、目をさまし、うつくしい匣枕、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしがそばにおちている。起き出すのも物憂い女妓は、朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、呉山のみどりの彼方をながめやる。
健康と無事を祈って折った青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。驛亭にしっとりと春雨がふって、あの日ここであの人と別れを告げた。あれからどれほど月日がたったのか。
美しい高楼あの人を待ち侘びているけれど音信はとぎれたままなのだ。かんばしい春の草が江南の岸にはまたさきだした。
このさびしいこころは、鸞鳥を背に彫んだ鏡と花が咲き誇る枝だけがいつもみている。この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。


(訳注) 菩薩蠻
寶函鈿雀金鸂鵣,沈香閣上吳山碧。

あの人をまちわびている女妓が、目をさまし、うつくしい匣枕、鈿雀のかんざしと、金のおしどりにかざられたかんざしがそばにおちている。起き出すのも物憂い女妓は、朝のお化粧をして沈香のただよう樓閣のうえにのぼって、呉山のみどりの彼方をながめやる。山々はみどりいろにかすみ、夫のいっているかなたはとおくて見ることもできない。
・寶函鈿雀金鸂鵣 宝函はうつくしい匣の意であるが、枕函(まくら)とか、化粧箱をさす。鈿雀は花鈿(かんざし)雀釵のたぐいであろう。金鸂鵣、これも金のおしどりのかんざしである。枕のほとりに叙のおちているけしき。夫が居たら考えられない景色というところであろう。
・沈香閣上吳山碧 全唐詩により閣に改める。ここは美しい楼閣としておそらく陳後主の故事を借りているのであろう。・沈香:〔じんこう〕熱帯や広東省に産する香木の名で、水に沈むからこう呼ばれる。香の名。呉山は浙江省杭県にある山名。古来名勝の地として知られる。山上に伍子胥廟があるので青山とも呼ばれる。ここは呉の山々という意かもしれない。
李白『楊叛兒』
君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。
何許最關人、烏啼白門柳。
烏啼隱楊花、君醉留妾家。
博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

漢詩ブログについて、と李白36 楊叛兒と蘇東坡-蘇軾 ⑪江城子 密州出猟

楊柳又如絲,驛橋春雨時。
健康と無事を祈って折った青柳は又芽をふいて、糸のようにほそい枝を風になびかせている。驛亭にしっとりと春雨がふって、あの日ここであの人と別れを告げた。あれからどれほど月日がたったのか。
・楊柳 楊柳はしなやかな女性を示す。大業元年(605年)煬帝は西苑から穀洛二水を引いて黄河へ。板渚から熒沢を経て汴水へ。また汴水を泗に入れ准河に到る運河。及び刊溝を開き山陽から揚子江に入る、大運河工事を起し、その堤に街道を作り、楊柳を一千三百里にわたって植えた。その柳を指す(「隋沓」本紀及び食貨志)。旅立ち別れる男に楊柳を折って健康と無事を祈るのである。


畫樓音信斷,芳草江南岸。
美しい高楼あの人を待ち侘びているけれど音信はとぎれたままなのだ。かんばしい春の草が江南の岸にはまたさきだした。


鸞鏡與花枝,此情誰得知。
このさびしいこころは、鸞鳥を背に彫んだ鏡と花が咲き誇る枝だけがいつもみている。この心情はだれが察っしてくれるのだろうか。
・鸞鏡 鸞鳥を背に彫んだ鏡。ケイ賓(カシミ-ル地方にあった国の名)の王が鷲を飼っていたが三年たっても鳴かなかった。夫人が「鸞はその姿を見たらなく」というので鏡をかけてこれをうつさせたら夜中に鳴き出して死絶したという。よって後世鏡のことを鸞鏡というという。
李商隠『無題』
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
樓響將登怯、簾烘欲過難。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。
・鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

無題 (含情春晼晩) 李商隠 16




1 温庭筠 おんていいん
(812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は超崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。



 
1 温庭筠 おんていいん
(812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は超崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。