春日野行 温庭筠


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春日野行 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-51-4-#  花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1820

春日野行
騎馬踏煙莎,青春奈怨何。
蝶翎朝粉盡,鴉背夕陽多。
柳豔欺芳帶,山愁縈翠蛾。
別情無處說,方寸是星河。

男の乗った馬は春霞の中ハマスゲを踏みつつ進んで、盛春のこの時この憤怒をどうしてどうしたらよいのですか。
蝶のようなあでやかな羽を広げ朝から花弁の花粉をつくしてとび行楽の宴を回っていき、夕日の中多くのその背の姿はシルエットであり、黒い影は烏が巣に帰っていくようなのです。
蝶のようなあでやかな羽を広げ朝から花弁の花粉をつくしてとび行楽の宴を回っていき、夕日の中多くのその背の姿はシルエットであり、黒い影は烏が巣に帰っていくようなのです。
柳の動きは艶めかしいものであり春の芳しい草に思わず帯を解くほどに欺かれてしまうのです。屏風に寝姿を影し、緑の蛾眉は今を盛りにしています。
あの人とのこの感情を忘れ去るということは説明することさえできない。この私の小さな心はこの天の川の織女のように又一年待てというのでしょうか。

(春日【しゅんじつ】野行【やこう】)
騎馬 煙莎を踏み,青春 奈【いか】に怨を何【いか】んせん。
蝶の翎【はね】に朝の粉は盡き,鴉【からす】の背に夕べの陽多し。
柳の豔【えん】に芳しき帶するを欺き,山の愁に翠蛾を縈にする。
別情して處說無し,方に是れの星河を寸するなり。


『春日野行』 現代語訳と訳註
(本文)

騎馬踏煙莎,青春奈怨何。蝶翎朝粉盡,鴉背夕陽多。
柳豔欺芳帶,山愁縈翠蛾。別情無處說,方寸是星河。


(下し文)
(春日【しゅんじつ】野行【やこう】)
騎馬 煙莎を踏み,青春 奈【いか】に怨を何【いか】んせん。
蝶の翎【はね】に朝の粉は盡き,鴉【からす】の背に夕べの陽多し。
柳の豔【えん】に芳しき帶するを欺き,山の愁に翠蛾を縈にする。
別情して處說無し,方に是れの星河を寸するなり。


(現代語訳)
男の乗った馬は春霞の中ハマスゲを踏みつつ進んで、盛春のこの時この憤怒をどうしてどうしたらよいのですか。
蝶のようなあでやかな羽を広げ朝から花弁の花粉をつくしてとび行楽の宴を回っていき、夕日の中多くのその背の姿はシルエットであり、黒い影は烏が巣に帰っていくようなのです。
蝶のようなあでやかな羽を広げ朝から花弁の花粉をつくしてとび行楽の宴を回っていき、夕日の中多くのその背の姿はシルエットであり、黒い影は烏が巣に帰っていくようなのです。
柳の動きは艶めかしいものであり春の芳しい草に思わず帯を解くほどに欺かれてしまうのです。屏風に寝姿を影し、緑の蛾眉は今を盛りにしています。
あの人とのこの感情を忘れ去るということは説明することさえできない。この私の小さな心はこの天の川の織女のように又一年待てというのでしょうか。


(訳注)
春日野行

ある晴れた春の日の行楽の景色を詠う。春には庭園、野原に万幕を張り、筵を敷き宴を開くのである。朝から夜まで、あるいは夜を徹して宴会は続けられるのである。この詩で歌われる、各句の語はどの語も男女の性に関したものである。詳しい解釈説明は省略する。
五言律詩 


騎馬踏煙莎,青春奈怨何。
男の乗った馬は春霞の中ハマスゲを踏みつつ進んで、盛春のこの時この憤怒をどうしてどうしたらよいのですか
・莎 スゲやチガヤのようなしなやかな草。編んで蓑(みの)やむしろを作った。


蝶翎朝粉盡,鴉背夕陽多。
蝶のようなあでやかな羽を広げ朝から花弁の花粉をつくしてとび行楽の宴を回っていき、夕日の中多くのその背の姿はシルエットであり、黒い影は烏が巣に帰っていくようなのです。


柳豔欺芳帶,山愁縈翠蛾。
柳の動きは艶めかしいものであり春の芳しい草に思わず帯を解くほどに欺かれてしまうのです。屏風に寝姿を影し、緑の蛾眉は今を盛りにしています。


別情無處說,方寸是星河。
あの人とのこの感情を忘れ去るということは説明することさえできない。この私の小さな心はこの天の川の織女のように又一年待てというのでしょうか。
・方寸 一寸四方。こころ。
・星河 あまのかわ


参考
「春日野行」溫庭筠
雨漲西塘金堤斜,碧草芊芊晴吐芽。
野岸明媚山芍藥,水田叫噪官蝦蟆。
鏡中有浪動菱蔓,陌上無風飄柳花。
何事輕橈句溪客,綠萍方好不歸家。