贈少年 温庭筠


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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贈少年 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-56-9-#  花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1840


贈少年 温庭筠
江海相逢客恨多,秋風葉下洞庭波。
漂泊の旅をつづけ江南を進んでいる、旅での出会いに旅愁を感じることが多くあるのだ。季節も変わり秋風に葉が散り落ち、悲愁の洞庭湖は波立っている。
酒酣夜別淮陰市,月照高樓一曲歌。

酒の宴がたけなわになった夜更け、韓信の故事のある淮陰の市場を別れることになるが、月の光は、高楼で別れの歌を一曲歌っている少年たちを照している。
(少年に贈る)
江海【かうかい】相【あ】ひ逢【あ】ひて客恨【かくこん】多く,秋風 葉は 下くだりて洞庭【どうてい】波だつ。
酒 酣【たけなわ】にして 夜 別る淮陰【わいいん】の市,月は照らす 高樓 一曲の歌。



oborotsuki03h『贈少年』温庭筠 現代語訳と訳註
(本文)

江海相逢客恨多,秋風葉下洞庭波。
酒酣夜別淮陰市,月照高樓一曲歌。


(下し文)
(少年に贈る)
江海【かうかい】相【あ】ひ逢【あ】ひて客恨【かくこん】多く,秋風 葉は 下くだりて洞庭【どうてい】波だつ。
酒 酣【たけなわ】にして 夜 別る淮陰【わいいん】の市,月は照らす 高樓 一曲の歌。


(現代語訳)
漂泊の旅をつづけ江南を進んでいる、旅での出会いに旅愁を感じることが多くあるのだ。季節も変わり秋風に葉が散り落ち、悲愁の洞庭湖は波立っている。
酒の宴がたけなわになった夜更け、韓信の故事のある淮陰の市場を別れることになるが、月の光は、高楼で別れの歌を一曲歌っている少年たちを照している。


(訳注)
贈少年

いわゆる貴公子とか、游侠の若者に詩を贈る。作者の心と若者の心の絡み合うさまを詩にする。詩中の「淮陰市」はキーワードで、「隠忍自重した游侠の徒・韓信のようにあれ。」と歌う。両者は、出逢って楽しむということはなく「客恨」「秋風」「淮陰市」と失意の情感を醸している。 
少年:若者。年若い者。唐詩で「少年」といえば、王維 少年行
新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。
相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
李白 17少年行
少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
杜甫 少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
 王昌齢『少年行』
走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。
いなせな若者や壮士を詠う。


江海相逢客恨多、秋風葉下洞庭波。
漂泊の旅をつづけ江南を進んでいる、旅での出会いに旅愁を感じることが多くあるのだ。季節も変わり秋風に葉が散り落ち、悲愁の洞庭湖は波立っている。
・江海 他郷。長江下流域、江南地方。
・相逢 出逢う。作者が若者に偶然に出逢ったこと。 
・客恨 女性と別れて旅にでて、その寂しさを旅で感じ続けていること。旅中の寂しい気持ち。旅愁。客愁。
・秋風 侘びしげな秋の風。万物の精気が衰えてくる季節の風。夏がすぎ秋風が吹く新たな季節となりと時間経過を示す。


酒酣夜別淮陰市、月照高樓一曲歌
酒の宴がたけなわになった夜更け、韓信の故事のある淮陰の市場を別れることになるが、月の光は、高楼で別れの歌を一曲歌っている少年たちを照している。 
・酣 たけなわ。
・淮陰市 韓信が人生を変えた漂母と出会った街。

李白『猛虎行』朝過博浪沙。 暮入淮陰市。

猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

・淮陰 現・江蘇省淮安の地。淮陰侯・韓信の游侠時代の股くぐりや、食べ物を恵んでもらった故事等を指そう。恐らく詩中の「少年」は、何か屈辱的なことにあって、傷つき落ち込んでいたのだろう。 ・市:市街。いち。物品を売買を販売する所。人や物資の多く集まる場所。

經下邳圯橋懷張子房 李白-272

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3215

淮陰書懷寄王宗成李白350-199

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



韓信が人生を変えた漂母と出会った故事。
貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」と語ったという。

韓信の「股をくぐり」の故事

韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。