楊柳枝 (之一)


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楊柳枝 (之一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-57-10-#  花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1844



楊柳枝 (之一)
蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
黃莺不語東風起,深閉朱門伴舞腰。


楊柳枝 (之二)
金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。


楊柳枝 (之三)
禦柳如絲映九重,鳳凰窗映繡芙蓉。
景陽樓畔千條路,一面新妝待曉風。


楊柳枝 (之四)
織錦機邊莺語頻,停梭垂淚憶征人。
塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春。


楊柳枝 (之呉)
兩兩黃鹂色似色,袅枝啼露動芳音。
春來幸自長如線,可惜牽纏蕩子心


楊柳枝 (之六)
宜春苑外最長條,閑袅春風伴舞腰。
正是玉人腸絕(一作斷)處,一渠春水赤闌橋。


楊柳枝 (之七)
南內牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?


楊柳枝 (之八)
館娃宮外邺城西,遠映征帆近拂堤。
系得王孫歸意切,不關(一作同)芳草綠萋萋。



楊柳枝 (之一)
蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳は、万条のしだれやなぎでがある 細長くふさふさとして垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平らな橋を撫で払うように、風にゆれる。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。
ウグイスが春の訪れを告げていないのに春風が吹きはじめたときにそのひとはおとずれて、もう夏が来ようというのに立派な朱塗りの南門を閉ざしたその街の奥深い所に、腰の細いたおやかな女性を伴っているのだ。
楊柳枝 (之一)
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。



楊柳枝001










『楊柳枝』 現代語訳と訳註 
(本文)

蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。


(下し文)
(楊柳枝)
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。


(現代語訳)
南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳は、万条のしだれやなぎでがある 細長くふさふさとして垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平らな橋を撫で払うように、風にゆれる。
ウグイスが春の訪れを告げていないのに春風が吹きはじめたときにそのひとはおとずれて、もう夏が来ようというのに立派な朱塗りの南門を閉ざしたその街の奥深い所に、腰の細いたおやかな女性を伴っているのだ。


(訳注)
楊柳枝

柳を詠う。連作八首のうち第一首。


蘇小門前柳萬條、毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳は、万条のしだれやなぎでがある 細長くふさふさとして垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平らな橋を撫で払うように、風にゆれる。
・蘇小 蘇小小のこと。南斉時代の妓女。錢唐・蘇小蘇小小の作品は『玉臺新詠』に残されている。
『歌一首』(『蘇小小歌』『西陵歌』)
妾乘油壁車,郞乘靑馬。
何處結同心?西陵松柏下。
」 というのがそれになる。南斉(南齊)時代、謝朓と同時期、銭塘の名妓。才色兼備の誉れが高かった。現・浙江省杭州市、「銭塘」のこと。唐代に「唐」字を避けて「錢唐」を「銭塘」とした。白楽天、杜牧、羅隱も詩の中に詠う。
後世、蘇小小については、
白居易 『楊柳枝』其五
蘇州楊柳任君誇,更有錢塘勝館娃。
若解多情尋小小,綠楊深處是蘇家。
白居易 『楊柳枝』其六
蘇家小女舊知名,楊柳風前別有情。
剥條盤作銀環樣,卷葉吹爲玉笛聲。
白居易 『餘杭形勝』
餘杭形勝四方無,州傍靑山縣枕湖。
遶郭荷花三十里,拂城松樹一千株。
夢兒亭古傳名謝,敎妓樓新道姓蘇。
獨有使君年太老,風光不稱白髭鬚。
杜牧 『自宣城赴官上京』
瀟灑江湖十過秋,酒杯無日不淹留。
謝公城畔溪驚夢,蘇小門前柳拂頭。
千里雲山何處好,幾人襟韻一生休。
塵冠挂卻知閒事,終擬蹉訪舊遊。
五代・梁・羅隱 『江南行』
江煙雨蛟軟,漠漠小山眉黛淺。
水國多愁又有情,夜槽壓酒銀船滿。
細絲搖柳凝曉空,呉王臺春夢中。
鴛鴦喚不起,平鋪綠水眠東風。
西陵路邊月悄悄,油碧輕車蘇小小。
牛嬌 『楊柳枝』
呉王宮裏色偏深,一簇纖條萬縷金。
不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

と、多くの作品が作られている。現在、杭州西湖畔(西北)に墳墓 がある。
・萬條 極めてたくさんの枝の本数。万朶。
・毵毵 毛や柳の枝が細長く垂れ下がるさま。毛の長いさま。毛の長くふさふさとしたさま。 
・金線 新芽が金色に輝いているシダレヤナギの枝のこと。 
・平橋 平らな橋。写真のようになっていない橋。
靈江浮橋という橋が南宋淳熙年間に建設されている,当初の名前は“中津橋”と称していた。浙江省臨海縣南門城外の靈江の上にかけられている。現存に於ける最古の橋といわれる河北省趙縣交河の上にかけられている趙州橋(隋,原名安濟橋)写真
古橋001
 









黄鶯不語東風起、深閉朱門伴細腰。

ウグイスが春の訪れを告げていないのに春風が吹きはじめたときにそのひとはおとずれて、もう夏が来ようというのに立派な朱塗りの南門を閉ざしたその街の奥深い所に、腰の細いたおやかな女性を伴っているのだ。 
・黄鶯 ウグイス。 
送李億東歸 溫庭筠
黃山遠隔秦樹,紫禁斜通渭城。
別路青青柳弱,前溪漠漠苔生。
和風澹蕩歸客,落月殷勤早鶯。
灞上金樽未飲,宴歌已有餘聲。
・不語 話さない。春を告げないままでいる。 
・東風 春風。 
・起 (吹き)始める。
・深閉 奥深く閉ざす。尋ねた人が出てこないことを云う。 
・朱門 赤い色で塗られた立派な門。赤い門は南向きの門であり、夏をあらわす。
・伴 連れ立つ。一緒にいる。ともなう。 蘇小々のところで春になる前から夏になろうというまでいつづけるということ。
・細腰 腰の細いたおやかな女性であり、女性に擬せられる柳の表現でもある。女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。
『南歌子』(六)
轉盼如波眼,娉婷似柳腰
花裏暗相招,憶君腸欲斷,恨春宵。
○細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。

李商隱 『聞歌』 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。