同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩送應氏二首 其一 曹植 魏詩<31-1>文選 祖餞 662 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1865 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓退之(韓愈)詩<115-3>Ⅱ中唐詩575 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1866 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集南山下與老圃期種瓜 孟浩然 (02/01) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『楊柳枝 之七』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-63-16-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1868 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
      


古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
*****************************************************************




『楊柳枝 之七』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-63-16-#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1868


楊柳枝 (之七)
南內牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
長安城興慶宮を南内にはその東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるのです。そこではもう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいなので自然にわかるのです。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?

杏の花が咲き盛春も過ぎようとしている宮女の慎み深い情愛を思うこと、片思いの感情を止めようと思うけれどそれもできず、役目で旅に出たあの人を思う気持ち、最も強い断腸の思いをどうしようもないのです。

(之七)
南內【なんだい】牆の東 禦路の帝,須らく春色知るべし、柳絲の黃を。
杏花 未だ肯えて情思するを無くするをなさず,何事か行人最も斷腸するも?


楊柳枝0007










『楊柳枝(之七)』 現代語訳と訳註
(本文) 

南內牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?


(下し文)
(楊柳枝 之七)
南內牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?


(現代語訳)
長安城興慶宮を南内にはその東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるのです。そこではもう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいなので自然にわかるのです。
杏の花が咲き盛春も過ぎようとしている宮女の慎み深い情愛を思うこと、片思いの感情を止めようと思うけれどそれもできず、役目で旅に出たあの人を思う気持ち、最も強い断腸の思いをどうしようもないのです。


(訳注)
楊柳枝 (之七)

柳を詠う。連作八首のうちこれは第七首。


南內牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
長安城興慶宮を南内にはその東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるのです。そこではもう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいなので自然にわかるのです。
・南內 興慶宮のこと。興慶宮は長安城北にある「太極宮」、「大明宮」と区別するため、「南内」と呼ばれた。南北1.3キロメートル、東西1.1キロメートルあり、北側が宮殿、南側が庭園となっていた。南には、「竜池」という湖が存在し、船を浮かべることもあった。732年(開元20年)には、興慶宮と長安の東南隅にある曲江池の付近にある離宮「芙蓉園」、北部にある「大明宮」へとつなぐ皇帝専用の通路である「夾城」が完成している。「夾城」は、二重城壁で挟まれた通路であり、住民たちに知られることなく、皇帝たちが移動するためのものであった。


杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?
杏の花が咲き盛春も過ぎようとしている宮女の慎み深い情愛を思うこと、片思いの感情を止めようと思うけれどそれもできず、役目で旅に出たあの人を思う気持ち、最も強い断腸の思いをどうしようもないのです。
・杏花 ウメ、スモモの近縁種であり、容易に交雑する。ただし、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、種と果肉が離れないのに対し、アンズは熟すと甘みが生じ、種と果肉が離れる(離核性)。またアーモンドの果肉は、薄いため食用にしない。 耐寒性があり比較的涼しい地域で栽培されている。春(3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメによく似た実を付ける。美しいため花見の対象となることもある。自家受粉では品質の良い結実をしないために、他品種の混植が必要であり、時には人工授粉も行われる事がある。収穫期は6月下旬から7月中旬で、一つの品種は10日程度で収穫が終了する。『乙女のはにかみ』『慎み深さ』
杏の花001