唐才子傳 :李郢 


2013年2月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其五-#2 曹植(曹子建) 魏詩<44>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1958
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓愈(韓退之) 14段目最終<115-24>Ⅱ中唐詩596 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1964
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18) <404> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1965 杜甫詩1000-404-587/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集送朱大入秦 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1966 (02/22)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 
 


唐才子傳 李郢   ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-84-20-#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1967


唐才子傳
李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
初居余杭,出有山水之興,
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
人有琴書之娛,疏于馳競。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。 

郢,字を楚望【そぼう】,大中十年崔铏榜【さいけいぼう】の進士に及第。
初めに余杭【よこう】に居る,出でては山水之興有り,
人とし 琴書之娛【たのし】み有り,疏に馳競【ちきょう】なり。
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。


『唐才子傳;李郢』 現代語訳と訳註
(本文)

郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。


(下し文)
郢,字を楚望【そぼう】,大中十年崔铏榜【さいけいぼう】の進士に及第。
初めに余杭【よこう】に居る,出でては山水之興有り,
人とし 琴書之娛【たのし】み有り,疏に馳競【ちきょう】なり。
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。


((現代語訳)
李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。


(訳注)
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第

李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
832年唐、太和六年うまれ、代表作有《南池》、《陽羨春歌》、《茶山貢焙歌》、《園居》、《中元夜》、《晚泊松江驛》、《七夕》、《江亭晚望》、《孔雀》、《畫鼓》、《曉井》等がある。


初居余杭,出有山水之興,
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
・余杭 いま、浙江省杭州市に位置する市轄区。杭嘉湖平原の南端にあたる。


人有琴書之娛,疏于馳競。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい
 一条ずつわけて意見を述べた上奏文
・于 ~で、~にくわえて。


歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
・侍御史 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。


郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。


其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。


與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
・清塞 晚唐「苦吟詩人」李洞、清塞、曹松、馬戴、裴說、許棠、唐求、方干、雍陶、. 無可、喻鳧、劉得仁,與姚合、賈島などがあげられる。

・賈島 (浪仙・無本) 779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。 <韓愈Groop>渡桑乾(客舍并州已十霜)尋隱者不遇(松下問童子) 題李凝幽居(閒居少鄰並) 劍客(十年磨一劍) 三月晦日贈劉評事(三月正當三十日)
韓愈『送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)』

清塞,字南卿,居廬嶽為浮屠,客南徐亦久,後來少室、終南間。俗姓周,名賀。工為近體詩,格調清雅,與賈島、無可齊名。寶歷中,姚合守錢塘,因攜書投刺以丐品第,合延待甚異。見其《哭僧》詩雲:『凍須亡夜剃,遺偈病中書。』