薛濤《春望詞四首 其四》
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
春望詞四首 其四 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-145-17-#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2272
春望詞四首
花開不同賞,花落不同悲。
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのです
欲問相思處,花開花落時。
お聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。
嚂草結同心,將以遺知音。
行楽を愉しむ中、二人で声を上げてたくさん草をとり、それを愛のあかしとして「同心むすび」にむすぶ。
まさに客とそれをしたことで恋しい人への思いをふと忘れ得たような思いがするのです。
春愁正斷絕,春鳥復哀吟。
女の春の愁いというものはそんなことでも断ちることになるのです。春に盛んな鳥が啼くと、おんなにとってはまた悲しそうな聲でさえずっているように聞こえてきます。
風花日將老,佳期猶渺渺。
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。
不結同心人,空結同心草。
心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
那堪花滿枝,翻作兩相思。
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
『春望四首 其四』 現代語訳と訳註
(本文)
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
(下し文)
那んぞ堪えん 花 枝に満つるに、翻って 両相思を作す。
玉箸 朝鏡に垂る、春風 知るや知らずや。
(現代語訳)
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
(訳注)
春望詞四首
春になっても来てくれない客がどうしているのかあいさつ代わりに贈った詩で、通り一遍の手紙、一般的な詩ではなくこのような詩は上品であっても心をかなり動かすなかなかのテクニックである。
自分の気持ちを表に出してはいけない時代である。したがって、日本における訳注はどうも間違ったものが多く、参考にならない。
那堪花滿枝,翻作兩相思。
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。
・那堪 反語。とてもたえきれない。
・翻 ふりかえって。満開の花を背にすること。 花が咲きはこって、はなやかであればあるほど、かえって自分の孤独寂蓼の感じが増す。
・作 つくる。なしとげる。おこす。いつわる。なまける。
・兩相思 自分と相手の男と両方で恋しあっている、思いあっていること。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。
・玉箸 キラキラしている簪。空しい表現。
・朝鏡 寝化粧をなおす、朝の化粧をする鏡。男性と夜を過ごしていない場合は「朝鏡」という表現がよく使われる。一緒に過ごした場合は、天上のが明るくなる表現、梁に朝日が当たるという表現をする。
この春望四首は薛濤個人のことを詠ってはいない。女盛りを過ぎようとしている女性の一般論を述べたのである。ここには女性が男性にすがって生きていくことしかできない時代を反映しているのである。余生を過ごすには数名の下女に身の回りの世話をさせられるだけのものを残していないと隠棲できないのである。
したがって、この頃の芸妓は高級官僚か、富貴の者の夫人にり、手切れ金で余生を送ることが一番の願いであったのだ。一夫多妻制はともに白髪の映えるまでという思想は全くないのである。こうした前提の上での男女交際を考えなくてはいけないのである。















