薛濤 《罰赴邊有懷上韋令公二首》
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

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罰赴邊有懷上韋令公二首其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。


(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。

(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。




『罰赴邊有懷上韋令公二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
成都薛濤の地図015黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。


(下し文)
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。


(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。


(訳注)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
801年貞元17年松州方面への吐蕃の侵略があったころのこと。詩はその前年の作。罰をうけた原因については、「鑑戒録」には、彼女が有名になり、中央から遣わされてくる役人が、韋皐へ口効きをする。彼女を通じて韋皐の側近へ金品をとどけてもらったり、彼女自身に金品を贈ったりしたことがあった。薛濤33・34歳頃のことである。詩により名声が高くなるに伴い増加したとある。ここでいう罰はこの収賄により国境の軍隊慰問をさせられたということなのだ。
この2年後に薛濤を寵愛した剣南節度使韋皐は蜀の地で死んでいる。61歳であった。


黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことです。
・黠虜/黠賊 吐蕃を蔑んでこう呼んだ。蜀から西域涼州にかけて国境を接していて、唐に問題があると必ず局地戦を仕掛けてきている。したがって、この侵略行為に対して不安状態にあったことは間違いないことなのだ。しかし吐蕃の側から見れば、漢民族が日常的に浸透、侵略をしており、それを我慢しきれず跳ね返したということで、本気で蜀を侵略しようというものではなかったのだ。そういった漢民族の浸透侵略性は現在にも受け継がれている民族性である。(チベット、ウイグル、内モンゴル、満州民族を完全に中国化してしまっている。)
・違命 唐にそむいたこと。
・烽煙 のろしの煙。山頂で薪を焚いて煙をあげ、順に急を告げることになっていた。焚火に狼の糞を加えると煙が細くまっすぐにあがるので、狼煙ともいう.
・直北 松州方面は、成郡の真北成都の北180kmのところに当たる。


卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
・嚴譴 きびしい譴責をうける。おしかり。
・妾 わたし。
・松州 今の四川省の西北部成都の北180kmのところ。蔵族自治区の松藩。チベット族が岷山台地から四川盆地へ侵入してくる場合の要衝の地。唐では恭州に都護府を置いていたが、貞元十六年吐蕃の侵攻によって陥落した。