薛濤《海棠溪》
春を教えてくれる神様は、風であったり、光と影、景色であったり、谷いっぱいの花がかすみか雲であったりを以て知らせてくれる。清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのように映る。

2013年5月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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海棠溪 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-175-47-#37   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2422  


海棠溪
春教風景駐仙霞,水面魚身總帶花。
海棠花011春を教えてくれる神様は、風であったり、光と影、景色であったり、谷いっぱいの花がかすみか雲であったりを以て知らせてくれる。清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのように映る。
人世不思靈卉異,競將紅纈染輕沙。
この人の世では、この自然の霊妙な技を使おうと思うわけではないが、神に競うように人間だって赤いしぼり布を河原の砂の上に干している。(渓谷に咲く花に対して人が染め着けた色の布を干して春をおしえてくれている。)

(海棠溪)
春は風景をして仙霞を駐【とど】めしめ、水面の魚身総て花を帯ぶ。
人世【じんせい】思わず霊卉【れいき】の異【い】を、競って紅纈【こうけつ】を将【も】って軽沙【けいさ】を染む。


『海棠溪』 現代語訳と訳註
(本文)
春教風景駐仙霞,水面魚身總帶花。
人世不思靈卉異,競將紅纈染輕沙。


(下し文)
(海棠溪)
春は風景をして仙霞を駐【とど】めしめ、水面の魚身総て花を帯ぶ。
人世【じんせい】思わず霊卉【れいき】の異【い】を、競って紅纈【こうけつ】を将【も】って軽沙【けいさ】を染む。


(現代語訳)
(海棠溪)
春を教えてくれる神様は、風であったり、光と影、景色であったり、谷いっぱいの花がかすみか雲であったりを以て知らせてくれる。清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのように映る。
この人の世では、この自然の霊妙な技を使おうと思うわけではないが、神に競うように人間だって赤いしぼり布を河原の砂の上に干している。(渓谷に咲く花に対して人が染め着けた色の布を干して春をおしえてくれている。)


(訳注)
海棠溪

・海棠溪 二つ考えられるが、蜀全体の海棠花が咲き乱れる渓谷とする。地図上で確認されるところとしては第一は四川省の重慶から長江を渡った対岸にある名所。おそらく薛濤は巫山へ行ったときでも上流運河を利用すると重慶を通過したかどうか、ここに立ち寄るには回り道である。第二は、四川省越雋県の北百二十五里に海棠関というのがあり、その南十五里を清水堡という。その附近にもあるが、營妓である薛濤が行くには遠すぎる。いずれにしても「百花譜」 に「海棠は蜀に盛んにして、秦中これに次ぐ」というから、あちこちに名所があるのであろう。その意味で詩人の場所を特定しないで、感じさせる用語としての海棠渓と考える方が良い意味になる。
『蜀中三首』其二 鄭谷
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。

海棠花04



















春教風景駐仙霞,水面魚身總帶花。
春を教えてくれる神様は、風であったり、光と影、景色であったり、谷いっぱいの花がかすみか雲であったりを以て知らせてくれる。清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのように映る。
・仙霞 花がすみ。ここでその花は海棠であり、「百花譜」の著者王禹偁は、海某を花のなかの神仙といっている。また「群芳譜」にも、唐の相の賈耽が「花譜」を著わして、海棠を花のなかの神仙といったことが記されている。


人世不思靈卉異,競將紅纈染輕沙。
この人の世では、この自然の霊妙な技を使おうと思うわけではないが、神に競うように人間だって赤いしぼり布を河原の砂の上に干している。(渓谷に咲く花に対して人が染め着けた色の布を干して春をおしえてくれている。)
・靈卉 卉は草木。「詩経」の小雅の四月の詩に、「日に嘉卉あり」という句がある。霊は、神のような、すぐれたの意味。靈卉で海棠をさしていったもの。
・紅纈 あかいしぼり。
「なんと人間のわざのつたないことであろうか。」という解釈をしている書籍もあるが、これは思い込みで解釈している。
神が「海棠花」「風」「景色」「水」「魚」で春を教えてくれるが、人間のすることの中にも春を知らせることがあるというものである。
薛濤が作った薛濤䇳でも教えてくれるのであろうか。海棠の花がすみ、澄みきって下に泳ぐ魚の姿のはっきり見える谷川の水、それと白砂、そこにほされている赤いしぼりの布の美しさ。それだけのものがいっしょになって、一つの海棠渓の印象を、読者の眼のなかに、焼きつける。自然の景のあざやかな描写が目に浮かんでくる。薛濤の作品のなかでは、すぐれたものの一つで、かわいらしく感じているのがいい。