薛濤 《賊平后上高相公》 それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。

2013年6月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


賊平后上高相公 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-200-66-#60   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2547


賊平后上高相公
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
始信大威能照映,由來日月借生光。

それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。


『賊平后上高相公』 現代語訳と訳註
甘粛省-嘉峪関(本文)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。


(下し文)
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。


(現代語訳)
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。


(訳注)
賊平后上高相公

(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
・賊 劉闢の乱をいう。元和元年(西暦806年)、相次ぐ皇帝の死で重臣と宦官が抗争を繰り広げ、朝廷は荒れていた。憲宗皇帝が即位し、綱紀粛正に努め、朝廷は収まる。
しかし、蜀(剣南、後の四川省)の西川(せいせん)節度使・劉闢(りゅうへき)が挙兵し、蜀は劉姓の者が支配するべき(自分は劉備の再来である)と公言、朝廷に背く。劉闢討伐で朝廷の意見は割れるが、劉闢が成都に逃げ帰った後で、皇帝もようやく劉闢討伐の決断を下す。
その頃成都には、陳昭という孔目典(文書担当官)がいた。陳昭は劉闢の部下であるが、家臣ではないため騒ぎを静観していた。ある夜、仕事を終えて帰ろうとすると、上司に呼び止められ、劉闢の内衙(ないが、住居のこと)へ行くよう命じられる。部屋に先客がいたようで、ふと奇妙な勘が働き、陳昭は窓から部屋を覗き見る。すると、劉闢が口を大きく開き、客を丸呑みする異様な光景を見てしまう。
劉闢と目が合ってしまい、すぐに逃げ出す陳昭。劉闢からは、問答無用で殺せと命令が下る。必死に逃げる陳昭だが、眼前に兵士が現れ、ほこが突き下ろされる、そう思った瞬間、凄まじい叫びと共に兵士は倒れる。陳昭を助けたのは、美貌の若い女、名を尋ねると、聶隠、劉闢を殺しに来たと冷淡に答える。・元和二年[807年]西川劉闢の乱を鎮定した高崇文が諸軍都統を兼ねて転任してきた。
邠寧は關内の諸鎭のうちで朔方に代わり最も有力であり、
対吐蕃の前線として常に緊張を求められていた。
・崇文は元和4年[809年]卒した。その後神策系を中心とした武将の赴任先として続く、
閻巨源・李光顔・高霞寓・李聴などがみられる。


驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
・白荒荒(はくこうこう) 荒荒は、薄暗いこと。誓淡におなじ。杜甫 五言律詩『漫成二首其一』「野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。 只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。」

漫成二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 6)  杜甫 <411 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2000 杜甫詩1000-411-594/1500

・青山 遠く春霞の中の山々。夕日のシルエットの山ではない。
・旧夕陽 昨日一昨日とおなじく輝いている夕日。


始信大威能照映,由來日月借生光。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
・大威 一本に天成、また火威につくるものもある。いずれにしても、高崇文将軍の武威をいったもの。劉闢をとりこにし、乱をたいらげたことをさす。
借生光 借は、かりる意ではなく、貸す意。成都に入城した高崇文が、乱に関係した諸官吏をすべて助命し、城民からも何一つ奪わなかったことをいったものと思われる。


・高相公 高崇文(746~809) 幽州、或いは渤海の人。 早くから平盧軍にあって軍幹を称され、789年に寧州を侵した吐蕃を大破して行営節度・御史中丞とされた。順宗の末年(805)に西川節度使劉闢が叛くと工部尚書・左神策行営指揮使とされて神策軍を以て平定し、検校司空・剣南西川節度使・南平郡王とされた。
劉闢(未詳~806)徳宗の貞元年間(785~805)の進士。韋皋の死に伴い強請によって西川節度使に直されたが、翌年には三川(剣南西川・剣南東川・山南西道)兼領を強請し、左神策行営指揮使高崇文・山南東道節度使らに討平された。 これは同時期の淮南節度使李錡の叛乱失敗とともに、憲宗の対藩鎮強硬策の契機になったとされる。
miyajima594