薛濤 《鄉思》 峨嵋山の麓を流れる川の水は、まるで油でも流したようにかに、しずかに、よどみなくたえず流れてゆく。その川面に、浮かべられた小舟のように帰るところが定めない身は、時の流れに、ともづなを解かれて、ほうりだされている舟のようなありさまなのです。


2013年6月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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鄉思 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-209-75-#69   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592


鄉思
峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。
(故郷を思う詩)
峨嵋山の麓を流れる川の水は、まるで油でも流したようにかに、しずかに、よどみなくたえず流れてゆく。その川面に、浮かべられた小舟のように帰るところが定めない身は、時の流れに、ともづなを解かれて、ほうりだされている舟のようなありさまなのです。
何時の日か、この成都の船津から、片帆を挙げて舟出しようとおもう。その時は、船頭の舟歌を、みんなで合唱して、舟を中流にのり出そうと思っている。


『鄉思』 現代語訳と訳註
(本文)
峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。


(下し文) 鄉思
峨嵋 山の下 油の如く水あり,我が心 繫舟をがざるを同じうするを憐む。
何れの日にか 片帆 錦の浦を離れん,棹聲 齊唱して 中流を發す。


(現代語訳)
(故郷を思う詩)
峨嵋山の麓を流れる川の水は、まるで油でも流したようにかに、しずかに、よどみなくたえず流れてゆく。その川面に、浮かべられた小舟のように帰るところが定めない身は、時の流れに、ともづなを解かれて、ほうりだされている舟のようなありさまなのです。
何時の日か、この成都の船津から、片帆を挙げて舟出しようとおもう。その時は、船頭の舟歌を、みんなで合唱して、舟を中流にのり出そうと思っている。


(訳注)
*成都から南の嘉州にくだる岷江川幅が広がり、の流れがなく、葦の間を油のように静かに流れているとあるから、第一句は、実景そのままだという。この詩は、前詩『摩訶池贈蕭中丞摩訶池贈蕭中丞』とまったく同じ韻(油,舟。流。)であり、テーマとして与えられたことに応えてのものである。お座敷遊び化、書簡によるものかは不明であるが、そういった要求が無ければ詩を作る意味がないし、時機を逸して同じ韻を踏むことそのものに文学的な意味を見いだせない【漢詩大系の辺に詳しい解説も的外れで苦笑する。】
摩訶池贈蕭中丞摩訶池贈蕭中丞
昔以多能佐碧油,今朝同泛舊仙舟。
淒涼逝水頹波遠,惟有碑泉咽不流。

鄉思(故郷を思う詩)
・郷思 故郷をしたうこと。薛濤は長安のうまれ。本籍は河東といわれるが、薛濤は自分のことをこの詩で詠っているのではない。誰かを想定して、韻を踏んで詠ったに過ぎないもので、感情がこもったものではない。


峨嵋山下水如油,憐我心同不繫舟。
峨嵋山の麓を流れる川の水は、まるで油でも流したようにかに、しずかに、よどみなくたえず流れてゆく。その川面に、浮かべられた小舟のように帰るところが定めない身は、時の流れに、ともづなを解かれて、ほうりだされている舟のようなありさまなのです。
・峨眉山 四川省にある名山。成都の南方に当たる。かなり距離があるから、成郡からは見えない。成都に入るには船旅が多く長い船旅で峨眉が見えれば成都に入ることを思い、峨眉山と別れをすることが成都に別れを告げることになる。李白が成都を後にして江南への旅をする際『峨眉山月下』を詠っており、詩情の中では、成都といえば、峨眉山が連想されるのである。
・水如池 成都の町を流れ下る水は、油を流したように静かである。
錦江は、かの所謂蜀江の錦を洗ったというその蜀江だ。水清く、静かに流れ、成郡の南で岷江に入る。岷江は、その源を岷算に発し、東南流して灌県都江堰で、水数流に分れて蜀の平野に治水、潅漑し、成都の南で諸水合流して南に流れ、嘉定の城南で大渡河の水を合してさらに南に流れるもので、成都盆地で河川の黄梅が急になくなるので、黄梅のゆるくなる箇所で灌漑のための水というより治水調整が必要であった。このため川幅の大きな河川をいくつも作ったのである。この河川は農業ばかりでなく商工業に盛んに利用され、中国内陸部では珍しく安定した地域であった。
蜀の秋は静かであった。岷江の水も静かで、両岸に護花咲き乱れ、風光絵のやうであった。その静かな眠江を下りつつ、いよいよ帰るのだと息へは、急に旅愁身にしむを覚えた。
・不繋舟 船頭もなく、ただ水面に浮いている舟。運命にまかせたすがた。


何日片帆離錦浦,棹聲齊唱發中流。
何時の日か、この成都の船津から、片帆を挙げて舟出しようとおもう。その時は、船頭の舟歌を、みんなで合唱して、舟を中流にのり出そうと思っている。
・錦浦 成都を錦官城という。錦を産するからである。その城のあきを錦江が流れている。その河辺の船着場。
・棹聲 権は、舟の側にとつけて舟を漕ぐ道具。棹声は宣唐の歌う舟歌。