薛濤 《贈段校書》大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。


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贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647


贈段校書
(段校書さまにこの詩を贈る。)
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。

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段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。
段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。

段校書は、後に二度も剣南西川節度使として、成郡に赴任し「新唐書」によれは、に景初のあざな段文昌といい、もあり、剰州の生まれ。さっぱりした人物で、が嫌いで、刑南節度使の襲胃に愛されたが、やがて成都に出て彼はあざなを墨卿といい、別義侠な男、こせこせとしたこと、ここでもまた節度使の尊卑に醇清が死んだとき、彼女のために墓誌を書いてやった段文昌であろう。めに墓誌を書いた。
かわいがられ、葦皐は彼を中央政府に願って校苦邸とした。そして偶宗の永貞元年に、葦皐が覇で死に、語荒め元卸二年に、李書簡が宰相となると、彼は抜擢されて登封(河南省にある)の尉になった。したがってこの作は、その前のことであるから、彼女の三十五歳から四十歳までの問のことであろう。段は彼女よりおそらく若干年下であった


『贈段校書』 現代語訳と訳註
(本文)
70
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 


(下し文)
贈段校書 
公子は翩翩たりと校書を說【たと】う,玉弓金勒して 紫綃裾【ししょうきょ】なり。 
玄成は便ち 名譽に驕ること莫れ,文采は風流にして 定めて知らざらん。 


(現代語訳)
(段校書さまにこの詩を贈る。)
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。


(訳注)
贈段校書 70
(段校書さまにこの詩を贈る。)
・段校書 校書は校書郎の官名。段は段文昌。


公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
・公子翩翩 趙の平原君の趙勝のことを司馬遷はその「史記」の「平原君伝」において、「翩翩たる濁世の佳公子なり」と評している。佳公子とは、よい若殿の意また魏の文帝が、「呉質に与ふる暑」(「文選」におさむ)では、阮瑀のことを「阮瑀書記は翩翩、致、楽むに足るなり」といっている。ともに文釆風流なことをたとえたもので、後者の註には、「翩翩は
美しきかたち、その文雅の致、楽しむに足るをいふなり」とある。

・玉弓 玉で飾った弓。弓の美称。
・金勒 勒はくつわ。上に玉字を使ったので、こちらでは金字を用いたもの。
・紫綃裾 綃はきざぬ、またあやぎぬ。裾は下衣のすそ。


玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。
・玄成 漢の韋玄成のこと。あざなは少翁。鄒魯の大儒といわれた宰相韋賢の子で、わかくして経書に通じ、元帝の朝に相となった。そこで、鄒魯地方(山東省西部)では、「子供には金をいっぱい遺してやるより、経書を教えておいた方がよい」ということをいった。宰相をつとめること七年、守正持重は父に及ばなかったが、文采風流は、父以上であったという。
・文釆 文章著述の世に伝うるに足るものをいう。司馬遷の「任少卿に報ずる書」に、「鄙陋没世、而して文采、後世に表はれざるなり」 の語がある。
・風流 挙止蕭散にして品格清高をいう。さっぱりして気が利き上品たこと。