薛濤《酬楊供奉法師見招》遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。


2013年7月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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酬楊供奉法師見招 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-231--#87   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2702



酬楊供奉法師見招
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。

(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)
遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。 
袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。



『酬楊供奉法師見招』 現代語訳と訳註
DCF00021(本文)
遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 


(下し文)
(楊供奉法師の「招かる」を見ゆ に酬ゆ)
遠水 長流 潔くして復た清く,雪窗 高臥して 雲と平かなり。 
袁室 煙火 無きを嫌わず,惟だ商山 姓名有るを笑う。


(現代語訳)
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。


(訳注)
酬楊供奉法師見招
(山中に隠棲していた楊法師が、宮中供奉官として、天子のお側近くお招かれになり「招かれた」という詩をお作りになって、わたしに賜わったので、その詩にお返しする。)
・供奉 官名。唐の時代に、文芸や技芸にすぐれた者を宮中へ奉仕させた。僧や道士なども宮中にあがって経典の講義・法話をしたりした。(13)においてもみえる。
宣上人見示與諸公唱和 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-148-20-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2287

見招 見るを受身によむ。この二字が楊法師の原作の題。供奉官として都へよばれたので、その感想を記した詩を昏清に贈ったものと思われる。


遠水長流潔復清,雪窗高臥與云平。 
遠く遙かにながく流れてゆくさまを、潔癖なまでに清らかな水の流れのもとに隠棲されておられたが、窓に雪がふりつもり、その場所は雲と同じぐらいの高さであったときいています。
・雪窗 雪は清らかな意と、山上の書斎の窓であることとから加えた修飾語。
・高臥 世を避け、山に隠れなどして、自由な生活をすること。「晋蓄」の謝安伝に「東山に高臥す」という語が見えている。


不嫌袁室無煙火,惟笑商山有姓名。 
後漢の袁閎が隠棲していた土室は、自分では煮焚きしなかったという故事があるが、ただ、漢の初めに、商山にかくれていた四皓が、呂后からお迎えをうけて都へと山をおりていったのと同様であるが、楊法師さまは、その四皓のように、自分が有名であることを苦笑していらっしゃると思われる。
・袁室 後漢の袁閎が、朋党の争いが起こると、それに抱きこまれたくないので、土室を築いて入口をつくらず、窓から食物を入れてもらい、妻子とも顔をあわせず、十八年にわたって、経をつ誦えづけたという故事がある。
・煙火 ご飯を焚く煙。
・商山は陝西省の商県の東にある山の名。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。ところが、有名なりつばな人物たちであったので、漢の高祖は、招こうとしたが、四人ともことわった。後に高祖が太子を廃して趙王の如意を立てようとしたとき、母の呂后は、張良の計にょって、厚く礼してこの四人を招き、太子の相談役として、太子といっしょに高祖に会わせたので、高祖は、自分がよんだときには山をおりてこなかった四人が、太子のためにはきたのかと驚き、「羽翼すでに成る」(もうりつばに天子になる準備資格ができているな)といって、廃立をあきらめたという。
DCF00023