長安の春 韋荘  当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市。大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。杏園は大雁塔の皆々あった庭園である。春、都では科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。貴族たちの家々は合格者に解放され、無礼講。


2013年8月26日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 
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長安春 韋荘  Ⅹ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892

 


当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市であった。
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世紀に建立された大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。
この詩の杏園は大雁塔の皆々あった庭園である。
春、都では官僚になるための試験、科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。

貴族たちの家々は合格者に解放され、無礼講。

庭の花を競い、酒を競い、華やかな歌舞に宮廷料理、宴は賑やかに行われる。

科挙に合格した者だけがわが世の春を謳歌するのだ。
この日だけは、華やかな高殿の若き乙女たちも主役の座を譲ってくれる。

この試験のために全国から若者が集まってくる。

何年もかかってやっと合格するもの、どうしても及第しないもの悲喜こもごもの日なのだが、この詩は長安のにぎわいを詠った有名な詩である。
作者韋荘も合格した一人だが、合格後しばらくして唐王朝は滅亡している。
この詩は、絢爛たる輝きを見せた長安最後の姿かもしれない。

長安の春」 韋荘
 長安は旧暦2月、春の盛りの大賑わい、都の大通りには、車馬が音を立てて行きかう。家々には、花も恥じらう乙女たちが集まり、木々の枝にはほころんだ蕾のように艶めかしい。
 簾の中で笑い、ざわめき、長安の春はわたしのためにあるとばかりに自慢顔。
 長安の春は、皆のもののはずだが昔から、高殿の乙女たちの独り占め。
 それでも今日だけは彼女たちもどうしようもない。杏園に向かう人たちが軽快な馬車で春を連れ去ってしまうのだから。



長安の春
長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。
家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。
簾間笑語自相問、何人占得長安春。
長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。
如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。


■ 韋荘 (いそう)836910晩唐の詩人。字は端己。
杜陵(現・陝西省西安附近)の人。字(あざな)は端己(たんき)。杜陵(陝西省西安)の人。温庭均(おんていいん)とともに唐五代の詞を代表する
・唐末の都の荒廃をうたった長編の七言古詩「秦婦吟」が有名。
・秦婦吟  金陵圖(江雨霏霏江草齊)   古別離(晴煙漠漠柳??)   題酒家(酒綠花紅客愛詩)
botan00


上記、唐の詩人、韋荘いそうの長編詩の巻頭にみる如く繁栄を誇った「長安」も紀元前221年、初めて戦国乱世に終止符を打ち全中国を統一した、秦の始皇帝に始まっている。


■ 長安をめぐる
 秦王朝の首都「咸陽」は渭水の北岸にあった。現在の咸陽市であえる。始皇帝は更に空き地の多い南岸を開発し「阿房宮」を中心とする壮麗な離宮を建造した。この「渭水」南岸地域が以後の長安の基礎となった。 

そればかりではない、同時に死後の離宮の意味で陵みささぎを造営したのが、2000年以上の時を経て、現在我々が接することの出来る始皇帝陵であり兵馬俑なのである。

始皇帝の死後、「咸陽」は徹底的に破壊されたが、南岸の離宮は破壊を免れた。紀元前202年、項羽を滅ぼし天下を統一した前漢(前208年~後8年)の高祖、劉邦は、この南岸の離宮を基盤にして新首都を築き「長安」と名付けた。 

以後、後8年、王莽おうもうに滅ぼされるまで前漢の首都であり続けた。王莽の敗死後、前漢の一族劉秀が光武帝として後漢の王朝を立てるが、後漢は首都を「洛陽」に定め、以後「三国時代」の魏王朝(220年から265年)、次いで中国全土を統一した「西晋王朝」(265~316)に至るまで約300年間、洛陽が首都、長安が副都として機能したに止まった。 

長安が生まれ変わり、再び首都として復帰したのは、それから270年後の隋王朝の時代である。因みに、4世紀初め西晋滅亡後、中国は南北に分裂、南部を漢民族の王朝(南朝)が、北部を異民族の王朝(北朝)が支配する状況が続く。
北朝系の隋王朝の創始者、文帝(楊堅)は581年、南朝最後の王朝陳を滅ぼして分裂状態を終息させ、中国全土を統一した。

文帝は北朝の前王朝北周を滅ぼし、隋を創設した翌年の開皇2年(582)、前漢の旧都を受け継いだ北周の首都、長安を破壊し、その東南に整然とした都市計画に基ずき新首都を建設、「大興」と名付けた。

隋は第2代皇帝煬帝の失政が祟り、短期間で滅亡したけれども、文帝の建造した大興は、次なる唐王朝に受け継がれ、唐の首都「長安」として、華々しい発展を遂げる。

函谷関長安地図座標001




















唐代、長安が最も栄えたのは、絶世の美女楊貴妃との恋で知られる、第6代皇帝玄宗(685~712)の時代である。当時、長安の人口120万、多くの留学生や商人が滞在する、絢爛たる国際都市であった。その中には空海や安部仲麻呂など日本からの留学生も含まれていた。当時の華やぎは冒頭の詩「長安の春」で想像出きるでしょう。


現在の西安は唐の長安の一部だが、市内に聳える大鴈塔、郊外の華清池や乾陵(玄宗の祖父母、高宗と則天武后の陵)等々無数の旧跡によってその栄華を偲ぶことが出来る。
このように、西安(長安)は始皇帝の時代から輝ける唐の時代を経て現在に至るまで、悠久の歴史を内包した稀有の歴史都市である。 

  大雁塔


大雁寺02
  慈恩寺 大雁塔

歴代の王朝が都を定めた長安。その長安で古都の雰囲気を演出しているもののひとつに大雁塔があります。塔は現在の西安の東南郊外慈恩寺境内にあります。

 慈恩寺は648年、唐の第三代皇帝高宗李治が亡くなった母、文徳皇后の慈恩を追慕して建立した寺で、高宗の皇太子時代に立てられました。当時の慈恩寺は僧房1897室、僧侶300人が集まっていました。しかし、唐代末期、戦乱のため焼き払われ、今の大きさは昔の十分の一に過ぎません。現在の境内にある当時の建物は大雁塔だけですが、塔の前方には明代と清代の建物が残っています。

 

 

長安春
長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

長安の盛春は、花の香りがあつまって塵が多く舞い立つのです。長安の目ぬき通りには、車や馬などの乗り物の音が、ガラガラ、リンリンときしり音が轟いているのです。 

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

どの家でも、建物の上には花のように美しい女の人が庭の花をみている。多くの枝々で赤い花があでやかで新鮮であり、そのように、べにおしろいがあでやかな女性たちが多くいる。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。』

すだれをした部屋で、笑って気楽なことばはなしている、そして自分に問いかけてくる。その話題は「どういう人が、長安の春を独占しているのかということだ。 

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

長安の春の景色は、本来、あるじというものが無いものです。昔からことごとく、高楼から望む女性に附属するものだったのです。 

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

だが、現在は、どうしようもないことだが、科挙に合格し、新たに進士となった人たちが杏園で、祝宴を賜っている。彼等が軽快な車で長安の春を独占して、紅の女たちを携えて持って行くようになってしまった。

長安 二月  香塵【かうじん】多く,六街【りくがい】の車馬  聲【せい】轔轔【りんりん】。

家家【かか】樓上 花の如き人,千枝萬枝 紅豔【こうえん】新あらたなり。

簾間【れんかん】笑語 自みづから相い問う、何人なんぴとか 占しめ得たる長安の春を。

 

長安の春色 本もと主じ無く,古來 盡【ことごと】く屬す  紅樓【こうろう】の女に。

如今【じょこん】奈【いかん】ともする無し 杏園【きゃうえん】の人,駿馬【しゅんめ】輕車にて擁し將て去る。

 

 

『長安春』 現代語訳と訳註

(本文)

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

 

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。

 

(下し文)

(長安春)

長安二月 香塵【かうじん】多く,六街【りくがい】の車馬  聲【せい】轔轔【りんりん】。

家家【かか】樓上 花の如き人,千枝萬枝 紅豔【こうえん】新あらたなり。

簾間【れんかん】笑語 自みづから相い問う、何人なんぴとか 占しめ得たる長安の春を。

 

長安の春色 本もと主じ無く,古來 盡【ことごと】く屬す  紅樓【こうろう】の女に。

如今【じょこん】奈【いかん】ともする無し 杏園【きゃうえん】の人,駿馬【しゅんめ】輕車にて擁し將て去る。

 

 

(現代語訳)

長安の盛春は、花の香りがあつまって塵が多く舞い立つのです。長安の目ぬき通りには、車や馬などの乗り物の音が、ガラガラ、リンリンときしり音が轟いているのです。 

どの家でも、建物の上には花のように美しい女の人が庭の花をみている。多くの枝々で赤い花があでやかで新鮮であり、そのように、べにおしろいがあでやかな女性たちが多くいる。

すだれをした部屋で、笑って気楽なことばはなしている、そして自分に問いかけてくる。その話題は「どういう人が、長安の春を独占しているのかということだ。 

長安の春の景色は、本来、あるじというものが無いものです。昔からことごとく、高楼から望む女性に附属するものだったのです。 

だが、現在は、どうしようもないことだが、科挙に合格し、新たに進士となった人たちが杏園で、祝宴を賜っている。彼等が軽快な車で長安の春を独占して、紅の女たちを携えて持って行くようになってしまった。 

 

 

(訳注)

長安春 帝都・長安での進士合格者に対する春の花の宴に対して。長安の春。 *作者が進士の試験に落ちた時の詩作だろうか、進士合格者の花の宴に対して、複雑な気持ちを詠ったもの。進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、後出・長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

・長安:唐の首都。現・陝西省・西安 。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

孟郊はそれに落第して、落胆のさまを『再下第』「一夕九起嗟,夢短不到家。兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。この詩もそれと似た感情を詠っていよう。

孟郊は『登科後』で「昔日齷齪不足誇,今朝放蕩思無涯。春風得意馬蹄疾,一日看盡長安花。」と、がらりと変わった詩を作っている。 唐宋詩236 登科後 Ⅶ孟郊(孟東野)<19>紀頌之の漢詩ブログ

 

 

長安二月多香塵、六街車馬声轔轔。

長安の盛春は、花の香りがあつまって塵が多く舞い立つのです。長安の目ぬき通りには、車や馬などの乗り物の音が、ガラガラ、リンリンときしり音が轟いているのです。 

・二月:陰暦二月のことで、盛春。太陽暦の三月下旬~四月中旬頃。 

・香塵:塵に香りが移ったこと、花が散ったこと。今まで吹いていた風で花が散ってしまったことを表す。また、沈香を削った粉。石崇の家で働く歌妓が軽やかに舞えるかを試すために、床に沈香を削った粉を撒き、その上を歌妓に通らせ、足跡がつかなかった者には褒美として真珠を与え、跡がついた者には罰として食べ物を減らして細身にさせた。

・六街:長安の街並み(通り・辻)。長安城の街衢。下図に見る様に唐代、長安は東市と西市の間に六つ街衢があった。このあたりが最も人が集まった。

長安城図 座標






































『資治通鑑』巻二百九「中書舎人韋元徼巡六街。
長安城中左、右六街,金吾街使主之;左、右金吾将軍,掌晝夜巡警之法,以執禦非違。」とある。 

・車馬:車と馬。車や馬などの乗り物。 

・声:音声。音。せい。 

・轔轔:車のきしり轟(とどろ)く音。さかんなさま。杜甫の『兵車行』に「車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。道旁過者問行人,行人但云點行頻。或從十五北防河,便至四十西營田。去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。長者雖有問,役夫敢申恨。且如今年冬,未休關西卒。縣官急索租,租税從何出。信知生男惡,反是生女好。生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」とある。

 

 

家家楼上如花人、千枝万枝紅艶新。

どの家でも、建物の上には花のように美しい女の人が庭の花をみている。多くの枝々で赤い花があでやかで新鮮であり、そのように、べにおしろいがあでやかな女性たちが多くいる。

・家家:どの家でも。全ての家で。 

・楼上:高い高樓上の。建物の上の。 

・如花人:花のように美しい(女の)人。

・千枝万枝:多くの枝々で。・千…万…:数え切れないほど多いさま。強調を表す。 

・紅艶新:べに(おしろい)の化粧があでやかで粧(よそお)いたてである。 *この「紅艶新」の部分は「紅艶・新」(べにの化粧があでやかで、したてである、の意)なのか、「紅・艶又新」((べにの化粧は、あでやかで、したてである、の意)なのか、よく分からない。思うに、「如花人」と女性の美しさを称えたことから、「紅」は、「花(赤いはな)」と「べに(化粧)」と両方の意を持たせた相関語としているだろうことから、「紅艶新」も双方にとるのだろう。

 

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

すだれをした部屋で、笑って気楽なことばはなしている、そして自分に問いかけてくる。その話題は「どういう人が、長安の春を独占しているのかということだ。 

・簾間:すだれの中。すだれをした部屋。女性の部屋。 

・笑語:笑いながら話す。 ・自相問:自問(自答)をする意。 

・自:みづから。また、自然と。おのづから。ここは、前者の意。 

・相問:問いかける。…に問いかける。

・何人:どういう人。いかなる人。なにびと。「誰」よりも、疑問・詰問の感じが強い。「何人」を「誰人」とすると反語となり、意味が異なる。 

・占得:独占する。

 

長安春色本無主、古来尽属紅楼女。

長安の春の景色は、本来、あるじというものが無いものです。昔からことごとく、高楼から望む女性に附属するものだったのです。 

・春色:春の景色。春の気配。韋莊の『古別離』で「晴煙漠漠柳毿毿,不那離情酒半酣。更把玉鞭雲外指,斷腸春色在江南。」と使う。古別離 韋荘  Ⅹ唐五代詞・宋詩Gs-273-5-#27   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2912 

・本:本来。もともと。 

・無主:(愛でてくれる)あるじがいないこと。また、死者を祀る施主がいない。

・古来:むかしから。 ・尽:ことごとく。 

・属:つながる。属する。附属する。 ・紅楼:富家の女の住居。また、妓楼。本来の意は、朱塗りのたかどの。

 

如今無奈杏園人、駿馬軽車擁将去。

だが、現在は、どうしようもないことだが、科挙に合格し、新たに進士となった人たちが杏園で、祝宴を賜っている。彼等が軽快な車で長安の春を独占して、紅の女たちを携えて持って行くようになってしまった。 

・如今:いま。ただいま。現今。 

・無奈:どうしようもない。いかんともし難い。いたしかたがない。いかんともすることがない。いかんせん。いかんともするなし。「無可奈何」の略。

・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 

・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

・駿馬:足の速い優(すぐ)れた馬。李白の『襄陽歌』「此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」とある。 

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教48襄陽歌 ⅱ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

・軽車:軽快な車。小さな車。 

・擁将去:抱(だ)き抱(かか)えて持って行く。 

・将去:持って行く。・将:持つ。孟郊は落胆のさまを『再下第』「兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。botan00