薛昭蘊《小重山二首 其二》きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の楊貴妃の運命が筋書きとなる。頭に着けた金の蝉飾りは地に落ち、鳳鸞鳥の鏡も化粧をすることがなくなって蔽い隠されたままだ。

2013年12月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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小重山二首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊  Ⅹ唐五代詞・「花間集」 Gs-378-9-#2   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3437

 

 

薛侍郎昭蘊十九首:

小重山二首
小重山二首 其一 薛侍郎昭蘊(薛昭蘊)  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-377-9-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3432
小重山二首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-378-9-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3437 

浣溪紗八首 

喜遷鶯三首 

離別難一首 

相見歡一首 

醉公子一首 

女冠子二首

謁金門一首



薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。
 

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

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小重山二首

其一

(宮女の寵愛された日々とその後の閏怨を詠う。)

春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも若草芽吹き青くしげる、美しい階に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

宮殿の中ではきれいに飾られた簫の吹奏の音は春一番の風に吹きだすと中段され、春の夜は短く時せわしなくすすむ、気が付くと窓の外にもう明けの鶯が啼いて春を喜んでいる。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

それが愁いがはじまりつづいて極まってしまい、夢に見たことはかなわないことになってしまう、頬を紅く染めた化粧は夜具まで涙でぬらすほどになり、耐えることができないほどの思いでいる。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

それで、裙のひもを手にまさぐりつつ階をめぐってもとおり行くのである、いよいよ貴君を慕うこのせつなさはどれほどのものであろうか。随分おみかぎりであるために絹のとばりに塵が積もってしまっている。

 

其二

(栄誉栄華を誇った楊貴妃の楽曲と同じように愁い、悲しむ宮女たちを詠う。)

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

秋が来てしまうと長門宮にも青々と茂った草も秋の黄色い花も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちも去って行き、後宮の土塀の外に出て行った。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の楊貴妃の運命が筋書きとなる。頭に着けた金の蝉飾りは地に落ち、鳳鸞鳥の鏡も化粧をすることがなくなって蔽い隠されたままだ。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

昔の昭陽の殿にいた昭儀ことを思い出す、舞着物には紅の綬帶鳥の帯を、鴛鴦鳥の刺繍がいっぱい。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

しかし、今に至っても、なお、香炉でしっかり焚かれることに惹かれ、女たちの魂、夢を抱きくことは断絶され、愁いを聞くのは、秋の夜長の時を刻む漏更の音ばかり。

 

 

『小重山二首』 現代語訳と訳註

(本文)

其二

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

 

(下し文)

其二

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

 

(現代語訳)

(栄誉栄華を誇った楊貴妃の楽曲と同じように愁い、悲しむ宮女たちを詠う。)

秋が来てしまうと長門宮にも青々と茂った草も秋の黄色い花も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちも去って行き、後宮の土塀の外に出て行った。

きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の楊貴妃の運命が筋書きとなる。頭に着けた金の蝉飾りは地に落ち、鳳鸞鳥の鏡も化粧をすることがなくなって蔽い隠されたままだ。

昔の昭陽の殿にいた昭儀ことを思い出す、舞着物には紅の綬帶鳥の帯を、鴛鴦鳥の刺繍がいっぱい。

しかし、今に至っても、なお、香炉でしっかり焚かれることに惹かれ、女たちの魂、夢を抱きくことは断絶され、愁いを聞くのは、秋の夜長の時を刻む漏更の音ばかり。

 

 

(訳注)

小重山二首

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『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

花間集では

韋相莊              小重山一首

薛侍郎昭蘊       小重山二首

歐陽舍人炯       小重山二首

毛秘書熙震       小重山一首

 

其二

(栄誉栄華を誇った楊貴妃の楽曲と同じように愁い、悲しむ宮女たちを詠う。)

 

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

秋が来てしまうと長門宮にも青々と茂った草も秋の黄色い花も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちも去って行き、後宮の土塀の外に出て行った。

 

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の楊貴妃の運命が筋書きとなる。頭に着けた金の蝉飾りは地に落ち、鳳鸞鳥の鏡も化粧をすることがなくなって蔽い隠されたままだ。

・霓裳 霓裳羽衣の曲【げいしょう ういのきょく】とは唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。

しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。

白居易『長恨歌』

「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓地を動もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

 

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

昔の昭陽の殿にいた昭儀ことを思い出す、舞着物には紅の綬帶鳥の帯を、鴛鴦鳥の刺繍がいっぱい。

・昭陽 殿の名。成帝の趙(飛燕)皇后の妹が、昭儀(女官の最高位。位は丞相に比し、爵は諸侯王に比す)となり、昭陽の殿舎にすむ。姉は飛燕といわれたが後に寵愛されなくなり、妹が愛された。趙飛燕(?‐前1)中国,前漢末の女性で,成帝の皇后。もと踊り子の出で,軽快な身のこなしが燕を思わせるところから飛燕と称された。成帝に見そめられて,妹とともに後宮に入り,帝の寵愛を一身に集めて栄華を誇った。哀帝が立つと皇太后となったが,帝の死とともに権勢を失墜して自殺した。彼女の故事を物語化した《飛燕外伝》1巻があり,漢の伶元(れいげん)の撰と称されるが,おそらく六朝人の創作であろう。

・紅綬帶 綬帶鳥。

綬帶鳥00
 

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

しかし、今に至っても、なお、香炉でしっかり焚かれることに惹かれ、女たちの魂、夢を抱きくことは断絶され、愁いを聞くのは、秋の夜長の時を刻む漏更の音ばかり。

・御爐香 女を愛する男を待つのはお香をたいた部屋であること。ここでは男が通わなくなっても依然として男を待ってお香を炉に燻らせている。

・漏更 漏は水時計。更は夜を5分割した時間。

・長 秋の夜長、待ち続ける時間が長いこと。
寒梅002