牛嶠≪酒泉子一首≫ その若い宮妓のみどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった事のように、行楽で梅の下の筵の上で情を交わした時に宮女は梅の花で化粧をし、飾っていたことを思い出した。


2014年1月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(聖帝の中の聖帝) 文選 賦<113―4>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1008 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3588
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《贈別元十八協律,六首之五》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <921>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3589韓愈詩-236
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 253 《秋懐詩十一首之三(3)》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3591 (01/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 6 -26 酒泉子一首 牛嶠ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-409-6-#26  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3592
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

6 -26 酒泉子一首 牛嶠Ⅹ唐五代詞・「花間集」 Gs-409-6-#26   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3592

 

1

女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107

2

女冠子四首 其二 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-315-5-#57-(6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3122

3

女冠子四首 其三 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-316-5-#57-(7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3127

4

女冠子四首 其四 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-317-5-#57-(8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3132

5

夢江南二首其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-318-5-#57-(9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3137

6

夢江南二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞、「花間集」 Gs-319-6-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3142

7

感恩多 一 牛嶠【ぎゅうきょう】ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」Gs-320-6-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3147

8

感恩多二首 二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-321-6-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3152

9

應天長二首 其一 牛嶠 ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-322-6-#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3157

10

應天長二首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-323-6-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3162

11

望江怨 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-324-6-#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3167

12

更漏子三首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-325-6-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3172

13

更漏子三首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-326-6-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3177

14

更漏子三首 其三 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-327-6-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3182

15

江城子二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-328-6-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3187

16

江城子二首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-329-6-#57-(20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3192

17

菩薩蠻七首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-330-6-#57-(21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3197

18

菩薩蠻七首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-331-6-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3202

19

菩薩蠻七首 其三 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-332-6-#19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3207

20

菩薩蠻七首 其四 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-333-6-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3212

21

菩薩蠻七首 其五 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-334-6-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3217

22

菩薩蠻七首 其六 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-335-6-#22  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3222

23

菩薩蠻七首 其七 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-336-6-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3227

24

定西番 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-337-6-#24  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3232

25

《西溪子》牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」Gs-338-6-#25 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3237

26

6 -26 酒泉子一首 牛嶠ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-409-6-#26   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3592

 

 

酒泉子

(若い宮女と春の行楽で過ごしたことの思い出を詠う。)

記得去年,煙暖杏園花發。

忘れることのできない記憶として残っている、春霞に暖かな日、曲江の杏園には花が咲き誇っていた。

雪飄香,江艸綠,柳絲長。

雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆく。曲江のほとり杏園に花々草木が繁り緑に萌えている。土手の柳はみどりのかたまりをつらね、長く枝垂れは風に揺れ靡いている。

鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。

青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい宮妓の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めた。その宮妓の眉は春の山の姿に倣って書かれていた。

鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。

その若い宮妓のみどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった事のように、行楽で梅の下の筵の上で情を交わした時に宮女は梅の花で化粧をし、飾っていたことを思い出した。

 杏00紅白花00

 

『酒泉子一首』 現代語訳と訳註

(本文)

酒泉子一首

記得去年,煙暖杏園花發。

雪飄香,江艸綠,柳絲長。

鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。

鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。

 

(下し文)

酒泉子一首

記 去年に得,煙 暖に杏園の花發く。

雪 飄いて香り,江 綠に艸し,柳 長く絲す。

鈿車 纖手 簾を捲げて望み,眉は春山の樣を學ぶ。

鳳釵 裊を低く 翠鬟の上,落梅の粧。

 

(現代語訳)

(若い宮女と春の行楽で過ごしたことの思い出を詠う。)

忘れることのできない記憶として残っている、春霞に暖かな日、曲江の杏園には花が咲き誇っていた。

雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆく。曲江のほとり杏園に花々草木が繁り緑に萌えている。土手の柳はみどりのかたまりをつらね、長く枝垂れは風に揺れ靡いている。

青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい宮妓の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めた。その宮妓の眉は春の山の姿に倣って書かれていた。

その若い宮妓のみどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった事のように、行楽で梅の下の筵の上で情を交わした時に宮女は梅の花で化粧をし、飾っていたことを思い出した。

春爛漫の美女007

(訳注)

酒泉子一首

『花間集』には牛嶠の作は一首収められている。双調四十三字、前段二十字五句二平韻二仄韻、後段二十三字五句二平韻で、④❼3❸③/⑦733③の詞形をとる。

花間集 『酒泉子一首』

溫助教庭筠

酒泉子四首

韋相莊

酒泉子一首

牛嶠(牛給事嶠)

酒泉子一首

張舍人泌

酒泉子二首

毛文錫(毛司徒文錫)

酒泉子一首

牛學士希濟

酒泉子一首

(顧太尉

酒泉子七首

孫少監光憲

酒泉子三首

毛秘書熙震

酒泉子二首

李秀才珣

酒泉子四首

 

牛嶠 酒泉子一首

(若い宮女と春の行楽で過ごしたことの思い出を詠う。)

牛嶠は、878年進士に及第している。合格発表の日は、長安の街全体でいわってくれ、無礼講であった。その時の経験を思い出してこの詩を作ったものだ。

 

記得去年,煙暖杏園花發。

忘れることのできない記憶として残っている、春霞に暖かな日、曲江の杏園には花が咲き誇っていた。

・杏園 長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 

・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

杏の白花012

 

雪飄香,江艸綠,柳絲長。

雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆき、曲江のほとり杏園に花々草木が繁り緑に萌えていた。土手の柳はみどりのかたまりをつらね、長く枝垂れは風に揺れ靡いてた。

・雪飄香 雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆくこと。

・江艸綠 春になって曲江のほとり杏園に花々草木が繁り咲き誇ることを言う。

 

鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。

青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい宮妓の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めた。その宮妓の眉は春の山の姿に倣って書かれていた。

・鈿車 青貝細工を施した美しい乗り物、輦車。

・纖手 優しい女官、宮妓の手。

・眉學春山樣 その女の眉は春の山の姿に倣って書かれている。

 

鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。

その若い宮妓のみどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった事のように、行楽で梅の下の筵の上で情を交わした時に宮女は梅の花で化粧をし、飾っていたことを思い出した。

・鳳釵 鳳凰のかんざし。

・低裊 簪が低くしなやかに揺らめいている。

・翠鬟上 若いみどりの黒髪のもとどりの上。

・落梅粧 梅花妝 蕊粉新妝 額點梅花

宋武帝 壽陽公主宋武帝 壽陽公主 梅花 五出の花

武帝女壽陽公主人日臥于含章簷下,梅花落公主額上,成五出之花,拂之不去。皇后留之,自後有梅花粧。(據《事類賦》卷二十六「壽陽之妝更新」注引)

 

韋莊『春愁』

其一:

  寓思本多傷,逢春恨更長。

  露沾湘竹淚,花堕越梅妝。

  睡怯交加夢,閑傾瀲灩觴。

  後庭人不到,斜月上松篁。

 

其二:

  自有春愁正斷魂,不堪芳草思王孫。

  落花寂寂黄昏雨,深院無人獨倚門。

 

当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市であった。

7世紀に建立された大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。

この詩の杏園は曲江の西にあった庭園である。

春、都では官僚になるための試験、科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。

 

貴族たちの家々は合格者に解放され、無礼講。

 

庭の花を競い、酒を競い、華やかな歌舞に宮廷料理、宴は賑やかに行われる。

 

科挙に合格した者だけがわが世の春を謳歌するのだ。

この日だけは、華やかな高殿の若き乙女たちも主役の座を譲ってくれる。

 

この試験のために全国から若者が集まってくる。

 

何年もかかってやっと合格するもの、どうしても及第しないもの悲喜こもごもの日なのだ。

 

 

 

 

牛嶠(生卒年不詳),字を松卿といい,また延峰ともいった。隴西(今の甘肅省西部)の人,唐の宰相、牛僧孺の孫である。唐の僖宗、878年乾符元年の進士,拾遺,補尚書郎を歷任した。王建が蜀の鎮守になると,牛嶠は判官に任じられ、王建が建国して帝を称えると給事中等職に任じられ,故に後の人は “牛給事”と稱した。牛嶠博學、文才有り,詩は李賀に學んだ,尤も其の詞を以って世に聞く,現在《歌詩集》三捲あったことは知られているが今日うしなわれていて傳わらない。花間集に三十二首収められている。