顧夐 虞美人六首 其六 》 貴公子は、艶めかしく良い色気を持っていて、それは飾り珠の花より美しいのであるから、聖女祠の三天といわれる美女であると雖も、そう遅くない時期には別れを告げられるだろう。聖女子は蓮の花の冠を付け、揺れることのないしっかりした感じの簪を付け、額に花鈿を化粧し髪の横に櫛箆を付け、完全な装いをしている、風がヒューと吹くと薄絹の袖が揺れ、緑の黒髪が軽く動く。この輝かしい艶やかな雰囲気は絵にするには難しい。

2014年3月3日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(20)(甘泉官)#9-1 文選 賦<114―(20)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1057 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3833
孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《次石頭驛寄江西王十中丞閣老〔仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <970>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3834韓愈詩-263
・李商隠詩 (1)・李商隠詩 (2)●韓愈index-1 青年期・孟郊、張籍と交遊・汴州の乱に遭遇●韓愈詩index-2[800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳]●韓愈詩index-3 [805年貞元21年 38歳]陽山から江陵府参事軍 36首●韓愈詩index-4 [806年元和元年 39歳]江陵府参事軍・権知国子博士 51首(1)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログこれまでの杜甫詩 作時年別整理(1) 青年期・李白と交遊期・就活の詩 杜詩(1)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3835 -iDex-1
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ謝霊運 詩 index kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3836 (03/03)
      
●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-6《 虞美人六首 其六 》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集」Gs-458-13-(6) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3837 
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13-6 虞美人六首 其六 》顧太尉(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集」Gs-458-13-(6)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3837

 

 

虞美人六首 其六

(美しい女子が見初められ、道教の祠で結婚の儀式をするが、将来的には男の浮気で捨てられることを心配して詠う)
少年豔質勝瓊英,早晚別三清。

貴公子は、艶めかしく良い色気を持っていて、それは飾り珠の花より美しいのであるから、聖女祠の三天といわれる美女であると雖も、そう遅くない時期には別れを告げられるだろう。

蓮冠穩篸鈿篦橫,飄飄羅袖碧雲輕,畫難成。

聖女子は蓮の花の冠を付け、揺れることのないしっかりした感じの簪を付け、額に花鈿を化粧し髪の横に櫛箆を付け、完全な装いをしている、風がヒューと吹くと薄絹の袖が揺れ、緑の黒髪が軽く動く。この輝かしい艶やかな雰囲気は絵にするには難しい。

遲遲少轉腰身裊,翠靨眉心小。

少し遅れがちにぷいっとそっぽを向いて腰をうごかし体をしなやかに動かす、唇の横に緑の靨鈿の化粧をし、眉は心配な気持ちをあらわして小さく書かれた。

醮壇風急杏花香。

結婚の儀式の祭壇の前に立つと風が急に吹いて来て杏の花の香りがしてくる。

此時恨不駕鸞皇,訪劉郎。

この時仙郷に行く馬車にのくことが出来なかったことは恨みに思うのだ、やっぱりここ訪れたこの人はやがて帰っていく「劉郎」の様な人なのだ。

 

虞美人六首 其の六

少年 豔質にして瓊英に勝れり,早晚 三清に別る。

蓮冠 穩篸 鈿篦橫たえ,飄飄として羅袖 碧雲輕くし,畫 成し難し。

遲遲として少轉し腰身裊【じょう】にし,翠靨【すいよう】 眉心小さきなり。

醮壇【しょうたん】 風急にして杏花香る。

此の時 鸞皇に駕らざるを恨み,劉郎を訪る。

 

 

『虞美人六首 其六』 現代語訳と訳註

(本文)

虞美人六首 其六

少年豔質勝瓊英,早晚別三清。

蓮冠穩篸鈿篦橫,飄飄羅袖碧雲輕,畫難成。

遲遲少轉腰身裊,翠靨眉心小。

醮壇風急杏花香。

此時恨不駕鸞皇,訪劉郎。

 

(下し文)

虞美人六首 其の六

少年 豔質にして瓊英に勝れり,早晚 三清に別る。

蓮冠 穩篸 鈿篦橫たえ,飄飄として羅袖 碧雲輕くし,畫 成し難し。

遲遲として少轉し腰身裊【じょう】にし,翠靨【すいよう】 眉心小さきなり。

醮壇【しょうたん】 風急にして杏花香る。

此の時 鸞皇に駕らざるを恨み,劉郎を訪る。

 

(現代語訳)

(美しい女子が見初められ、道教の祠で結婚の儀式をするが、将来的には男の浮気で捨てられることを心配して詠う)

貴公子は、艶めかしく良い色気を持っていて、それは飾り珠の花より美しいのであるから、聖女祠の三天といわれる美女であると雖も、そう遅くない時期には別れを告げられるだろう。

聖女子は蓮の花の冠を付け、揺れることのないしっかりした感じの簪を付け、額に花鈿を化粧し髪の横に櫛箆を付け、完全な装いをしている、風がヒューと吹くと薄絹の袖が揺れ、緑の黒髪が軽く動く。この輝かしい艶やかな雰囲気は絵にするには難しい。

少し遅れがちにぷいっとそっぽを向いて腰をうごかし体をしなやかに動かす、唇の横に緑の靨鈿の化粧をし、眉は心配な気持ちをあらわして小さく書かれた。

結婚の儀式の祭壇の前に立つと風が急に吹いて来て杏の花の香りがしてくる。

この時仙郷に行く馬車にのくことが出来なかったことは恨みに思うのだ、やっぱりここ訪れたこの人はやがて帰っていく「劉郎」の様な人なのだ。

 

(訳注)

3 –虞美人六首 其六

『花間集』には顧夐の作が六首収められている。双調五十八字、前後段五句二十九字二仄韻三平韻で、❼❺⑦⑦③/❼❺⑦⑦③の詞形をとる。他の男が手を出せない、美しい女妓、宮女を虞美人としてうたうもの。

 

海棠花022

虞美人六首其

(美しい女子が見初められ、道教の祠で結婚の儀式をするが、将来的には男の浮気で捨てられることを心配して詠う)

 

少年豔質勝瓊英,早晚別三清。

貴公子は、艶めかしく良い色気を持っていて、それは飾り珠の花より美しいのであるから、聖女祠の三天といわれる美女であると雖も、そう遅くない時期には別れを告げられるだろう。

瓊英 玉のように美しい輝くばかりの花。瓊:赤い玉という意味。美しい玉、玉のように美しい、赤い玉、サイコロという意味がある。〔説文解字・巻一〕には「赤玉なり。玉に從ひ聲」とある。[1]〔詩経・衞風・木瓜〕の「之れに報ずるに瓊琚を以ってす」について、〔毛伝〕で「瓊、玉の美なる者なり」と注しており、美しい玉という意味、また瓊のように美しいという修飾語として用いられる。瓊筵・瓊琚・瓊漿・瓊楼玉宇。・英 咲いても実のならないはな。はなぶさ。美しい。優れている。姪よ。芽。めばえ。*瓊花 隋から唐の時代、「瓊花(チウンホア)」は「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられたという。ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたそうだが、やがて元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったという。この花は薛濤らしい花である。

三清(さんせい)は、道教の最高神格のこと。「太元」を神格化 ... 老君)の三柱。 それぞれ道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。

 

蓮冠穩篸鈿篦橫,飄飄羅袖碧雲輕,畫難成。

聖女子は蓮の花の冠を付け、揺れることのないしっかりした感じの簪を付け、額に花鈿を化粧し髪の横にへらを付け、完全な装いをしている、風がヒューと吹くと薄絹の袖が揺れ、緑の黒髪が軽く動く。この輝かしい艶やかな雰囲気は絵にするには難しい。

蓮冠 頭巾蓮冠 三元(さんげん)とは、1年の中で上元(じょうげん)・中元(ちゅうげん)・下元(かげん)の3つの日の総称である。

篦の用語解説 - 1 竹・木・象牙(ぞうげ)・金属などを細長く薄く平らに削り、先端を少しとがらせた道具。布や紙に折り目や印をつけ、または物を練ったり塗ったりするのに用いる。2 「篦鮒(へらぶな)」の略。

穩篸  穩:おだやか。揺れ動かない。 篸:かんざし。

鈿 花鈿の用語解説 - 仏粧は唐代に入ってからさらに中国の特徴的な化粧として完成した。〈的〉は紅で眉間にさまざまな紋様を描く〈花鈿(かでん)・花子(かし)〉に発達し,また唇の両側に黒点や緑点を描く〈靨鈿(ようでん)・粧靨(しようよう)〉がうまれた。さらに女子俑(よう)に見られるように両ほおに紅で華やかな草花模様を描くようになった。

 

遲遲少轉腰身裊,翠靨眉心小。

少し遅れがちにぷいっとそっぽを向いて腰をうごかし体をしなやかに動かす、唇の横に緑の靨鈿の化粧をし、眉は心配な気持ちをあらわして小さく書かれた。

靨とは?名字辞典。 〔笑()(くぼ)の意〕 (1)笑うと、頬にできる小さなくぼみ。 (2)ほくろ。靨鈿のこと。

 

醮壇風急杏花香。

結婚の儀式の祭壇の前に立つと風が急に吹いて来て杏の花の香りがしてくる。

醮壇 仲良くすることを祈願して作醮の時、一番大事な仕事は壇を設けることで、醮壇は外壇と内壇があります。外壇は各方位の祭り場として建てられ、各方位の壇がお互いに競争するので、いつも全力を尽くして華麗で壮観な醮壇を見せてくれる。

醮:酒を飲み干す。結婚の儀式に返杯をしないこと。嫁入りする。道士が祭壇をつくる。

 

此時恨不駕鸞皇,訪劉郎。

この時仙郷に行く馬車にのくことが出来なかったことは恨みに思うのだ、やっぱりここ訪れたこの人はやがて帰っていく「劉郎」の様な人なのだ。

鸞の用語解説 - 1 「鸞鳥(らんちょう)」に同じ。2 中国で、天子の馬車の軛(くびき)、または天子の旗などにつけた鈴。音を鸞鳥の鳴き声に擬したものという。皇の用語解説 - [音]コウ(クヮウ)(漢) オウ(ワウ)(呉) [訓]きみ すめらぎ すべらぎ[学習漢字]6年〈コウ〉1 天の偉大な神。造物主。「皇天」2 天子。王。君主。

『詩経』『春秋左氏伝』『論語』などでは「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」といわれる瑞獣(瑞鳥)のひとつとされる。

劉郎 別れ去る愛しい男。仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である夢心地の状態にある男、何年も訪れてくれなくなっているのでこのようにいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、ここにいる女を含めみんなが全く変わっていたというものだ。 

劉禹錫『再遊玄都觀』

百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。

種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。

再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

白居易『贈薛濤』

蛾眉山勢接雲霓,欲逐劉郎北路迷。

若似剡中容易到,春風猶隔武陵溪。

贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202

牛嶠『女冠子 其三』

星冠霞帔,住在蘂珠宮裏。佩叮

明翠搖蟬翼,纖珪理宿粧。

醮壇春艸綠,藥院杏花香。

青鳥傳心事,寄劉郎

女冠子四首 其三 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-316-5-#57-7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3127

牛嶠『夢江南二首 其二』

紅繡被,兩兩間鴛鴦。

不是鳥中偏愛爾,為緣交頸睡南塘,全勝薄情郎

夢江南二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞、「花間集」 Gs-319-6-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3142 

○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉部は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。

江南二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞、「花間集」 Gs-319-6-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3142
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