楊柳枝二首其一》皇甫松≫(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。


 
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4-402《楊柳枝二首其一》皇甫先輩松(皇甫松)唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-585-4-(402)  巻二漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4472

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首

 

 

溫助教庭筠(温庭筠)

巻一

楊柳枝八首之一

館娃宮外鄴城西

 

 

巻一

楊柳枝八首之二

宜春苑外最長條

 

 

巻一

楊柳枝八首之三

金縷毿毿碧瓦溝

 

 

巻一

楊柳枝八首之四

御柳如絲映九重

 

 

巻一

楊柳枝八首之五

織錦機邊鶯語頻

 

 

巻一

楊柳枝八首之六

蘇小門前柳萬條

 

 

巻一

楊柳枝八首之七

牆東御路傍

 

 

巻一

楊柳枝八首之八

兩兩黃鸝色似金

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)

巻二

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微

 

 

巻二

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時

 

 

牛給事嶠(牛嶠)

巻三

柳枝五首其一

解凍風來末上青

 

 

巻三

柳枝五首其二

橋北橋南千萬條

 

 

巻三

柳枝五首其三

狂雪隨風撲馬飛

 

 

巻三

柳枝五首其四

王宮裡色偏深

 

 

巻三

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波

 

 

張舍人泌(張泌)

巻四

柳枝一首

膩粉瓊粧透碧紗

 

 

和學士凝(和凝)

巻六

柳枝三首  其一

軟碧瑤煙似送人

 

 

巻六

柳枝三首  其二

瑟瑟羅裙金縷腰

 

 

巻六

柳枝三首 其三

鵲橋初就咽銀河

 

 

顧太尉(顧

巻七

楊柳枝一首 顧夐

秋夜香閨思寂寥

 

 

孫少監光憲(孫光憲)

巻八

陽柳枝四首 其一

閶門風暖落花乾

 

 

巻八

陽柳枝四首 其二

有池有榭即濛濛

 

 

巻八

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河

 

 

巻八

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)楊柳枝二首

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

 

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

 

 

牛給事嶠(牛嶠)柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

 

張舍人泌(張泌)              巻四      

柳枝一首 

膩粉瓊粧透碧紗,雪休誇。

金鳳搔頭墮鬢斜,髮交加。

倚著雲屏新睡覺,思夢笑。

紅腮隱出枕函花,有些些。

 

 

 

皇甫松)楊柳枝二首 其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)

春景色は後宮の庭にも入ってきて、庭園の山に薄緑色に生える。ここに暮らした、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の舞う紫煙のように儚いものなのだ。

その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。

(楊柳枝二首 其の一)

春入り 行宮 翠微に映り,玄宗 侍女 煙絲に舞う。

如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。

 

大明宮-座標

 

『楊柳枝二首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

楊柳枝二首 其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

 

(下し文)

(楊柳枝二首 其の一)

春入り 行宮 翠微に映り,玄宗 侍女 煙絲に舞う。

如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。

 

(現代語訳)

(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)

春景色は後宮の庭にも入ってきて、庭園の山に薄緑色に生える。ここに暮らした、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の舞う紫煙のように儚いものなのだ。

その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。

 

(訳注)

楊柳枝二首

唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「柳枝」九首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊貴妃清華池002
 

其一

(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)

 

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

春景色は後宮の庭にも入ってきて、庭園の山に薄緑色に生える。ここに暮らした、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の舞う紫煙のように儚いものなのだ。

○翠微  1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

○玄宗侍女 唐太宗位之初后の時の女は実に三千人,であった。百年後玄宗のときには侍女は八千人になった。『新唐書』「宦者傳」、「開元、宮嬪はおおよそ四万に至る。」と、玄宗の時の宮女の数を示している。杜甫は、「先帝侍女八千人」といい、白居易も「後宮の佳麗三千人」李百薬は「無用の宮人は数万に達する」といっている。女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

○舞煙絲 公の煙が糸引いて立ち上る様子をいう。

 

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹

その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。

○如今 今,今どき,近ごろ如今的年人近ごろの若者

○玉笛 美人であるか、一芸に秀でていることで後宮に召された。

 

皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなくなるので、早くから考えをめぐらせた人たちもいた。男子を生んだ后妃は、いうまでもなくあらゆる手段を講じてわが子を皇太子にし、その貴い子の母たる地位を手に入れようとした。こうして跡継ぎを決めることも、后妃たちの激しい競争となった。玄宗はすでに趨魔妃の生んだ子を皇太子にしていたが、武恵妃が玄宗の寵愛を受けるようになると、現皇太子の位を奪って我が子寿王を皇太子に立てようと画策した。まず彼女は皇太子を廃するため罠をしかけて、〝宮中に賊が出た〞と言って皇太子と二人の王子に鎧を着て来させ、その後で玄宗に三人が謀反を起したと告げた。それで、太子と二人の王子は処刑された。男子のない后妃、あっても皇太子になる望みのない后妃は別に出路を求め、皇太子かその他の皇子たちにとりいって自己の安全を図ったのである。高祖李淵が晩年に寵愛したダ徳妃、張捷好などは子がなかったり、あっても助かったので、すでに勢力をもっている他の何人かの皇子と争うことはたいへん難しかった。そこで彼女たちは皇太子の李建成と互いに結びあい、利用しあって建成の即位を助け、高祖の死後のわれとわが子の不測の運命にそなえたのである。后妃たちは表面的には高貴で優閑な生活を送っていたが、裏では緊張に満ちた活動をしており、それは彼女たちの別の生活の大きな部分をなしていた。こうした様々な手段は決して公明正大なものとはいえない。しかし、政治の変動と後宮の生活が彼女たちにもたらす残酷無情な状況を見るならば、そしてまた天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったことを考えるならば、彼女たちが自分の運命を変えようと少しあがいたからといって、どうして厳しく責めることができよう。

 

杜甫詩Index-17 767年大暦2年 杜甫56歳・夔州・西閣・赤甲・瀼西・東屯 255 その1 132

杜甫 大娘弟子舞器行《唐 064

 大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。問其所師,曰余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚,記於郾城觀公孫氏舞劍器渾。瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者,聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

昔有佳人公孫氏一舞劍器動四方

觀者如山色沮喪天地為之久低昂

霍如羿射九日落矯如群帝驂龍翔

來如雷霆收震怒罷如江海凝清光

絳唇珠袖兩寂寞晚有弟子傳芬芳

臨潁美人在白帝妙舞此曲神揚揚

與余問答既有以感時撫事增惋傷

先帝侍女八千人公孫劍器初第一

五十年間似反掌風塵澒洞昏王室

梨園子弟散如煙女樂餘姿映寒日

金粟堆前木已拱瞿塘石城草蕭瑟

玳筵急管曲復終樂極哀來月東出

老夫不知其所往足繭荒山轉愁疾

 

 

上陽白髪人 白居易

#1

上陽人        上陽の人

  紅顏暗老白髪新  紅顏暗く老いて白髪新たなり

  綠衣監使守宮門  綠衣の監使宮門を守る

  一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少の春ぞ

  玄宗末初選入  玄宗の末 初めて選ばれて入る

  入時十六今六十  入る時十六今六十

  同時採擇百余人  同時に採擇す百余人

  零落年深殘此身  零落して年深く 此の身を殘す

  憶昔吞悲別親族  憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ

  扶入車中不教哭  扶けられて車中に入るも哭せしめず

  皆云入便承恩  皆云ふ 入すれば便ち恩を承くと

  臉似芙蓉胸似玉  臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり

  未容君王得見面  未だ君王の面を見るを得るを容れざるに

  已被楊妃遙側目  已に楊妃に遙かに側目せらる

  妒令潛配上陽宮  妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ

  一生遂向空房宿  一生遂に空房に宿る

 

#1

上陽の人は、紅顏暗く老いて白髪が新たである、(以下、上陽の人の言葉)

 

綠衣の監使が宮門を守っています、ここ上陽に閉ざされてどれほどの年月が経ったでしょうか、玄宗皇帝の末年に選ばれて宮廷へお仕えしましたが、その時には16歳でしたのが今は60

 

同時に100人あまりの女性が選ばれましたが、みなうらぶれて年が経ちわたしばかりがこうして残りました、思い起こせば悲しみを呑んで親族と別れたものでした、その時には助けられて車の中に入っても泣くことを許されませんでした

 

皆は入内すれば天子様の寵愛をうけられるといいました、あの頃のわたしは芙蓉のような顔と玉のような胸でした、だけれどもまだ天子様にお会いできる前に、楊貴妃に睨まれてしまい、妬みからここ上陽宮に押し込められて、一生を遂に空しく過ごしました

#2

  秋夜長      秋夜長し

  夜長無寐天不明  夜長くして寐ぬる無く天明ならず

  耿耿殘燈背壁影  耿耿たる殘燈 壁に背く影

  蕭蕭暗雨打窗聲  蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲

  春日遲      春日遲し

  日遲獨坐天難暮  日遲くして獨り坐せば天暮れ難し

  宮鶯百囀愁厭聞  宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ

  梁燕雙棲老休妒  梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む

  鶯歸燕去長悄然  鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり

  春往秋來不記年  春往き秋來して年を記さず

  唯向深宮望明月  唯だ深宮に明月を望む

  東西四五百回圓  東西四五百回 圓かなり

  今日宮中年最老  今日 宮中 年最も老ゆ

  大家遙賜尚書號  大家遙かに賜ふ尚書の號

  小頭鞋履窄衣裳  小頭の鞋履 窄(せま)き衣裳

  青黛點眉眉細長  青黛 眉を點ず 眉細くして長し

  外人不見見應笑  外人は見ず 見れば應に笑ふべし

  天寶末年時世妝  天寶の末年 時世の妝ひ

#2

秋の夜は長い、夜が長くて眠ることもできず空もなかなか明けません、ちらちらと揺れる灯火が壁に影を写し、しとしと降る雨が窓を打つ音がします、

 

春の日は遅い、日が遅い中一人で坐し得いますが空はいつまでも暮れません、

 

宮殿の鶯が百度囀ってもわたしは悲しくて聞く気になれません、梁の燕がつがいで巣くっても老いた私には妬む気にもなれません、鶯は故郷へ帰り燕は去ってもわたしは悲しい気持ちのまま、季節が移り変わってもう何年になるでしょうか

 

ここ深宮で月の満ち欠けを見てきましたが、満月はすでに四・五百回も東西を往復しました、おかげで宮中第一の年寄りになってしまいました、天子様はそんなわたしに尚書の號を賜ってくださいました

 

そのわたしときたら先のとがった靴を履いてぴったりとした衣装を着て、黛で眉を描きますがその眉は細くて長いだけ、もしよその人に見られたら笑われるでしょう、これは天宝の昔に流行った御化粧なのです

 

#3

  上陽人           上陽の人

  苦最多           苦しみ最も多し

  少亦苦           少くして亦苦しみ

  老亦苦           老いて亦苦しむ

  少苦老苦兩如何    少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何

  君不見昔時呂向美人賦 君見ずや 昔時 呂向の美人の賦

  又不見今日上陽白髪歌 又見ずや 今日 上陽白髪の歌

#3

上陽の人は、苦しみが最も多い、若くしても苦しみ、老いてもまた苦しむ、若くして苦しむのと老いて苦しむのとどちらが辛いだろうか、

 

どうかご覧あれ、昔は呂向の美人の賦、またご覧あれ、いまは上陽白髪の歌

 

上陽とは後宮のひとつ、天子に仕えるべく召し出されながら、天子のお傍に近づくことを得ず、空しく待機する女性たちを収める場所である、この楽府は、そこで一生を過ごした薄幸の女性の生涯を歌ったもの