(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は広がっているけれど、そんな妖艶な気配は感じることはできないけど、これだけの史蹟を遺すということは改めて認識をさせるものである。)

 
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4-403《楊柳枝二首其二》皇甫先輩松(皇甫松)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-586-4-(403)  巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4477

 

 

皇甫松)楊柳枝二首 其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)

春景色は後宮の庭にも入ってきて、庭園の山に薄緑色に生える。ここに暮らした、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の舞う紫煙のように儚いものなのだ。

その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。

(楊柳枝二首 其の一)

春入り 行宮 翠微に映り,玄宗 侍女 煙絲に舞う。

如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。

 

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は広がっているけれど、そんな妖艶な気配は感じることはできないけど、これだけの史蹟を遺すということは改めて認識をさせるものである。)

花の咲き乱れる春が、呉國江南の水郷の一帯にも景色をひろげてきた。姑蘇台の王宮殿にも柳の目を緑に繁らせて、枝を垂らしている。

高麗鶯が春の訪れを告げる泣き声を長く引っ張って叫んで知るけれど、西施の閨のあとにはもう何もなく曠湖畔の景色があるだけである。西施は本当にその微笑で呉の国を滅ぼすという故事があったのだろうか、今の此処の景色からわかることはできないが、ここに残された史蹟からさらに認識することが出来るだろう。

 

(楊柳枝二首其の二)

爛熳 春歸 水國の時,王 宮殿 柳絲 垂る。

黃鶯 長叫 空閨の畔,西子 無因 更に知るを得る。

roudai112
 

『楊柳枝二首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

 

(下し文)

(楊柳枝二首其の二)

爛熳 春歸 水國の時,王 宮殿 柳絲 垂る。

黃鶯 長叫 空閨の畔,西子 無因 更に知るを得る。

 

(現代語訳)

(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は広がっているけれど、そんな妖艶な気配は感じることはできないけど、これだけの史蹟を遺すということは改めて認識をさせるものである。)

花の咲き乱れる春が、呉國江南の水郷の一帯にも景色をひろげてきた。姑蘇台の王宮殿にも柳の目を緑に繁らせて、枝を垂らしている。

高麗鶯が春の訪れを告げる泣き声を長く引っ張って叫んで知るけれど、西施の閨のあとにはもう何もなく曠湖畔の景色があるだけである。西施は本当にその微笑で呉の国を滅ぼすという故事があったのだろうか、今の此処の景色からわかることはできないが、ここに残された史蹟からさらに認識することが出来るだろう。

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(訳注)

楊柳枝二首

唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「柳枝」九首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝二首其二

(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は広がっているけれど、そんな妖艶な気配は感じることはできないけど、これだけの史蹟を遺すということは改めて認識をさせるものである。)

 

 

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

花の咲き乱れる春が、呉國江南の水郷の一帯にも景色をひろげてきた。姑蘇台の王宮殿にも柳の目を緑に繁らせて、枝を垂らしている。

○爛熳 ① 花の咲き乱れるさま。 「桜花-」 -と咲く」 「花の-たるも/世路日記 香水」 ありのままに輝き現れるさま。ひかり輝くさま。

○水國 水郷。江南の地一帯のこと。 越に比較して呉の交通は運河、湖を結んだ航行によるものが主要で、輸送力が国力につながっていた。

王宮殿 姑蘇台。呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた台。中国江蘇省呉県(現、蘇州市)の南西、姑蘇山上にあった離宮。呉王夫差が越を破って得た美人西施らを住まわせた。(胥台しょだい。)○館娃官 呉の宮殿の名。西施の居所。○古臺・館娃宮・木涜 姑蘇台と 館娃宮は木涜にある。これは、春秋時代、呉の王が越から貢がれた木材を使って西施のために霊岩山に「館娃宮」を建てさせ、紫石山に姑蘇台を建てさせた際、工事が非常に大規模になって材木を集めるのに3年かかり、水路が木で埋め尽くされたことから「木涜」という地名で呼ばれるようになったという。蘇州市から西に5キロ、太湖に隣接し、霊岩山のふもとに位置す。池が無数にあることから、堤防強化の植樹の柳の緑が目立ち、七句の「橫淥水」という表現につながる。

 

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

高麗鶯が春の訪れを告げる泣き声を長く引っ張って叫んで知るけれど、西施の閨のあとにはもう何もなく曠湖畔の景色があるだけである。西施は本当にその微笑で呉の国を滅ぼすという故事があったのだろうか、今の此処の景色からわかることはできないが、ここに残された史蹟からさらに認識することが出来るだろう。

○西子 西施のこと。西施は、中国の女性。美人として知られ、王昭君・貂蝉・楊貴妃を合わせて中国古代四大美女といわれる。

西施についての詩

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 會吟行#3 詩集 354

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李白「烏棲曲」
姑蘇台上烏棲時、王宮里醉西施。
歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
東方漸高奈樂何。

 

蘇台覧古

旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。
李白8  蘇台覧古

李白 9 越中覧古
越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

李白9  越中覧古

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

江上吟  李白特集350 -288

古風五十九 第十八 李白

浣紗廟

越相謀計策多,浣紗神女已相和。

一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。

範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。

只今諸長江畔,空有青山號苧蘿。

浣紗廟 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-74-10-#  804_6 【浣紗廟】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1912 

 

羅隱 江南行 

江煙雨蛟綃軟,漠漠小山眉黛淺。

水國多愁又有情,夜槽壓酒銀船滿。

細絲搖柳凝曉空,呉王臺榭春夢中。

鴛鴦喚鸂鶒不起,平鋪綠水眠東風。

西陵路邊月悄悄,油碧輕車蘇小小。

 

西施(または西子)とは、古代中国の女性である。紀元前5世紀頃の人。

 姓が施、諱が夷光とされる。中国四大美女の一人に上げられることが多い。

浙江省紹興市諸曁県(浙江省紹興市)の人。生まれた苧蘿村には施という姓の家族が多かったが、西側の村に住んでいたため、西施と呼ばれるようになったという。

 

当時、この地方は春秋戦国時代の真っ只中、呉と越の国が争っていた。呉王夫差に敗れた越王勾践は、呉への復讐の過程で、夫差を骨抜きにするため西施や鄭旦などの美女を呉に献上した(謀臣の范蠡の進言を採用したといわれる)。

 夫差はやがて朝政を顧みなくなり西施にのめり込むようになったという。その間に着々と復讐の準備をしていた勾践は呉に対し攻勢に立ち、紀元前473年にこれを滅ぼした。

 

西施のその後については下記の説がある。

越王勾践の夫人や呉の民からその美貌を恐れられ、生きたまま革袋に入れられ長江に沈められた。その後長江ではハマグリがよく獲れるようになり人々は「西施の舌」と呼んだ。

彼女を呉王に送るなど世話した范蠡に付き従って、越を出奔し共に余生を過ごした。

 

伝説

 

果たしてどこまで西施が呉と越の運命を動かしたかは分からないが、傾国の美女として見られたことが西施を絶世の美女と扱う要因の一つになったと思われる。

 

『荘子』天運編にこんな話がある。西施の生まれた苧蘿村の東側の村にも施を姓とする女性がいて東施と呼ばれていたが、お世辞にも美女ではなくブ…だった。

西施には胸が痛むという持病があり、その発作が起きると、胸元を押さえ眉間に皺をよせるその姿はあまりに美麗だった。東施もこれを真似した所、ただでさえ醜い顔がもっとひどくなり、人々は戸を閉めたり遠くに逃げる有様だった。

これが「顰に倣う」(ひそみにならう;中国語では東施倣顰)の故事の由来となった。