(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

 
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7-406《柳枝五首其三》牛給事嶠(牛嶠)唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-589-7-(406)  巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4492

 

 

牛給事嶠(牛嶠)柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

(凍りつく寒さの厳しいなかに新しい芽をはぐくみ、暖かい陽気に芽吹き、緑の葉を茂らせてゆく、その盛りには、歓迎、送別にその魅力を発揮するが、やがてその一生を終えるものなのだ。柳を女の一生に喩えて詠ったものである。)

凍るような寒さの風が暖かくなってくると柳の梢の先に青い目が膨らみやがて葉になる。凍っていた枝が緑に垂れると、まるでその枝は、薄絹の袖を仰いで、身分の高い人にえしゃくをしてキョウキョウとして招いてくるのだ。

柳の並木道は細い腰の女たちのように、かぼそい腕の者たちのようにしなやかに城郭の中心の大道に並んで臨んでいる。ここを通る人、出征していくあの人を舞いで送り出して、こうしてその一生を過ごし終えるのだ。(花の盛りには後宮でその魅力で魅了するが、時期を過ぎれば一生は終わる。)

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來れば 末上の青となり,羅袖を解き垂れ、卿卿に拜す。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

(春になって柳が芽を吹くと西施がすごした後宮跡や、錢塘の蘇小小の花街に来て柳は同じように繁っているし、西陵の松の下にこの世では無理だったけど、きっと結ばれているだろうと詠う。)

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた宮殿跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、柳の並木は色濃くなっていく、そこには群れて茂っている極めてたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いている。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳の所で別れても憤慨することなどないのだ、檀郎のあの人とは西陵の松の下で契り、一緒になることが決まっているのだから。

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いては 松の下 同心を結ぶ。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって柳が植えられ、千本万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に折楊柳としていのるものだけれど、南朝宋の張緒のように廟堂、公平にできるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である楊家の将軍でさえも、柳のようにか細い腰、妖艶な動きの女性に対しては静かにして愛するものということをだれもが認識している。

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 婉腰に靜るを認得す。

 

枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

 

『柳枝五首其三』 現代語訳と訳註

(本文)

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 

(下し文)

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 婉腰に靜るを認得す。

 

(現代語訳)

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって柳が植えられ、千本万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に折楊柳としていのるものだけれど、南朝宋の張緒のように廟堂、公平にできるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である楊家の将軍でさえも、柳のようにか細い腰、妖艶な動きの女性に対しては静かにして愛するものということをだれもが認識している。

 

 

(訳注)

柳枝五首

唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「楊柳枝」十五首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

折楊柳が基本にあって、男の楊と女の柳を折り絡ませリーフを造り、出征する男の健康を願うものであるが、それが女の柳の枝だけであるというところに作者の意図を感じるものである。

柳枝五首其三

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

 

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって柳が植えられ、千本万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に折楊柳としていのるものだけれど、南朝宋の張緒のように廟堂、公平にできるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

緒(ちょう しょ、422 - 489年)は、南朝宋から斉にかけての官僚・学者。字は思曼。本貫は呉郡呉県。太子中舎人の張寅の子として生まれた。若くして名を知られ、つつましく欲が少なく、叔父の張鏡は「この子は今の楽広である」と評した。揚州に召されて議曹従事となり、秀才に挙げられた。建平王護軍主簿・右軍法曹行参軍・司空主簿・撫軍南中郎二府功曹・尚書倉部郎を歴任した。都令史が郡県に米の上納について訊ねると、張緒はもの寂しい様子で見つめて、包み隠すことがなかった。巴陵王文学・太子洗馬・北中郎参軍・太子中舎人・呉郡中正・車騎従事中郎・中書郎・揚州治中・黄門郎をつとめた。宋の明帝は張緒と会うたびに、そのさっぱりした人柄に感心していたことで出世した。

不相饒 

杜甫《立秋後題》

日月不相饒、節序昨夜隔。

玄蝉無停号、秋燕已如客。

平生独往願、惆悵年半百。

罷官亦由人、何事拘形役。

(立秋の後に題す)

日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。

玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。

平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。

官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。

 

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である楊家の将軍でさえも、柳のようにか細い腰、妖艶な動きの女性に対しては静かにして愛するものということをだれもが認識している。

 

「楊家将」は、宋の建国期に敵国・遼を相手に勇猛果敢に戦い、宋に一筋の光明を与えてきた将軍・楊業率いる楊一族の物語だ。宋のため、命を惜しまず戦った楊業と七人の息子たちの英雄伝説は中国全土で長く敬愛されている。

楊業の時代

物語は、宋が北漢を攻めるところから始まる。このとき、北漢の武将であった何継業(楊業)・佘賽花らは太祖(趙匡胤)らをさんざん苦戦させる。しかし、結局は北漢は宋に敗北する。何継業も宋に降るが、このとき太宗により「楊」の姓を賜るとともに、英武帝・劉継元とつながる「継」の字を削除し、以後は「楊業」と名乗ることになる。北漢の武将として宋将をさんざ苦しめたことがのちのちまで尾を引くことになり、楊家軍はいまひとつ宋将らの信頼を得ることができない。ことに潘仁美などは佘賽花に矢傷を負わさせられたことで、楊家軍を恨み、たびたび対立する。

 

宋に降った後、楊業は息子らとともに遼と戦うことになる。激戦の末、息子の大郎、二郎、三郎は戦死、四郎は遼の捕虜となり、五郎は行方不明になる。それでも楊業は戦い続けるが、楊家軍を恨む宋将・潘仁美らの姦計により、勝算のない死地に追い込まれる。そして、援軍を求めてきた七郎は潘仁美により殺害される。ついに力尽きた楊業は自決し、楊家軍も敗北する。