柳枝五首其四》牛嶠≫六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と若い女たちが靈和殿に召されていくとそれぞれが交わってはいけないとされてきたのだ、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が巻いているところなのだ。

 
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7-407《柳枝五首其四》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-590-7-(407)  巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4497

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首

 

 

溫助教庭筠(温庭筠)

巻一

楊柳枝八首之一

館娃宮外鄴城西,

 

 

巻一

楊柳枝八首之二

宜春苑外最長條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之三

金縷毿毿碧瓦溝,

 

 

巻一

楊柳枝八首之四

御柳如絲映九重,

 

 

巻一

楊柳枝八首之五

織錦機邊鶯語頻,

 

 

巻一

楊柳枝八首之六

蘇小門前柳萬條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之七

牆東御路傍,

 

 

巻一

楊柳枝八首之八

兩兩黃鸝色似金,

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)

巻二

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微

 

 

巻二

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時

 

 

牛給事嶠(牛嶠)

巻三

柳枝五首其一

解凍風來末上青,

 

 

巻三

柳枝五首其二

橋北橋南千萬條,

 

 

巻三

柳枝五首其三

狂雪隨風撲馬飛,

 

 

巻三

柳枝五首其四

王宮裡色偏深,

 

 

巻三

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,

 

 

張舍人泌(張泌)

巻四

柳枝一首

膩粉瓊粧透碧紗,

 

 

和學士凝(和凝)

巻六

柳枝三首  其一

軟碧瑤煙似送人,

 

 

巻六

柳枝三首  其二

瑟瑟羅裙金縷腰,

 

 

巻六

柳枝三首 其三

鵲橋初就咽銀河,

 

 

顧太尉(顧

巻七

楊柳枝一首 顧夐

秋夜香閨思寂寥,

 

 

孫少監光憲(孫光憲)

巻八

陽柳枝四首 其一

閶門風暖落花乾

 

 

巻八

陽柳枝四首 其二

有池有榭即濛濛,

 

 

巻八

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,

 

 

巻八

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)楊柳枝二首

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

 

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

 

 

牛給事嶠(牛嶠柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

張舍人泌(張泌)              巻四      

柳枝一首 

膩粉瓊粧透碧紗,雪休誇。

金鳳搔頭墮鬢斜,髮交加。

倚著雲屏新睡覺,思夢笑。

紅腮隱出枕函花,有些些。

 

 

牛給事嶠(牛嶠)柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

(凍りつく寒さの厳しいなかに新しい芽をはぐくみ、暖かい陽気に芽吹き、緑の葉を茂らせてゆく、その盛りには、歓迎、送別にその魅力を発揮するが、やがてその一生を終えるものなのだ。柳を女の一生に喩えて詠ったものである。)

凍るような寒さの風が暖かくなってくると柳の梢の先に青い目が膨らみやがて葉になる。凍っていた枝が緑に垂れると、まるでその枝は、薄絹の袖を仰いで、身分の高い人にえしゃくをしてキョウキョウとして招いてくるのだ。

柳の並木道は細い腰の女たちのように、かぼそい腕の者たちのようにしなやかに城郭の中心の大道に並んで臨んでいる。ここを通る人、出征していくあの人を舞いで送り出して、こうしてその一生を過ごし終えるのだ。(花の盛りには後宮でその魅力で魅了するが、時期を過ぎれば一生は終わる。)

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來れば 末上の青となり,羅袖を解き垂れ、卿卿に拜す。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

(春になって柳が芽を吹くと西施がすごした後宮跡や、錢塘の蘇小小の花街に来て柳は同じように繁っているし、西陵の松の下にこの世では無理だったけど、きっと結ばれているだろうと詠う。)

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた宮殿跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、柳の並木は色濃くなっていく、そこには群れて茂っている極めてたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いている。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳の所で別れても憤慨することなどないのだ、檀郎のあの人とは西陵の松の下で契り、一緒になることが決まっているのだから。

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いては 松の下 同心を結ぶ。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって柳が植えられ、千本万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に折楊柳としていのるものだけれど、南朝宋の張緒のように廟堂、公平にできるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である楊家の将軍でさえも、柳のようにか細い腰、妖艶な動きの女性に対しては静かにして愛するものということをだれもが認識している。

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 婉腰に靜るを認得す。

 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

(春が来て春景色も移り変わるがそこで頽廃的なことを隠してくれるが、六朝斉の宮殿に柳絮のようにたくさんの宮女は新たに召されたがそこにはたくさんの嫉妬が生まれると詠う。)

春も盛りに柳絮が飛び交うのは吹雪のようで春の突風に馬をたたいてそして飛んでゆく、やがて、春霞に覆われると春の景色も柳絮もその魅力わからない、行楽に出かけてそこでの事を隠し、春霞は春を欺いているのだ。

六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と若い女たちが靈和殿に召されていくとそれぞれが交わってはいけないとされてきたのだ、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が巻いているところなのだ。

(柳枝五首 其の四)

狂雪 隨風 馬を撲し飛ぶ,煙に惹かれば無力にし春欺に被る。

靈和殿に移入するを交わること莫れ,宮女三千 又た伊に妬む。

 

柳絮01
 

柳枝五首其四』 現代語訳と訳註

(本文)

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 

(下し文)

(柳枝五首 其の四)

狂雪 隨風 馬を撲し飛ぶ,煙に惹かれば無力にし春欺に被る。

靈和殿に移入するを交わること莫れ,宮女三千 又た伊に妬む。

 

(現代語訳)

(春が来て春景色も移り変わるがそこで頽廃的なことを隠してくれるが、六朝斉の宮殿に柳絮のようにたくさんの宮女は新たに召されたがそこにはたくさんの嫉妬が生まれると詠う。)

春も盛りに柳絮が飛び交うのは吹雪のようで春の突風に馬をたたいてそして飛んでゆく、やがて、春霞に覆われると春の景色も柳絮もその魅力わからない、行楽に出かけてそこでの事を隠し、春霞は春を欺いているのだ。

六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と若い女たちが靈和殿に召されていくとそれぞれが交わってはいけないとされてきたのだ、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が巻いているところなのだ。

 

 

(訳注)

柳枝五首

唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「楊柳枝」十五首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

折楊柳が基本にあって、男の楊と女の柳を折り絡ませリーフを造り、出征する男の健康を願うものであるが、それが女の柳の枝だけであるというところに作者の意図を感じるものである。

柳枝五首其四

 

 

 

狂雪 隨風 撲馬飛,惹煙 無力 被春欺。

春も盛りに柳絮が飛び交うのは吹雪のようで春の突風に馬をたたいてそして飛んでゆく、やがて、春霞に覆われると春の景色も柳絮もその魅力わからない、行楽に出かけてそこでの事を隠し、春霞は春を欺いているのだ。

狂雪 柳絮が飛ぶのを吹雪のようとしたもの

撲 うつなぐる打ちたたく。なぐる。

春欺 

 

莫交 移入 靈和殿,宮女 三千 又妬伊。

六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と若い女たちが靈和殿に召されていくとそれぞれが交わってはいけないとされてきたのだ、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が巻いているところなのだ。

○靈和殿 南朝武帝時 所建殿の名。南斉の文化的な中心は、武帝の第2子である竟陵王蕭子良(460 - 494年)のサロンであった。彼の邸宅である西邸には当時の第一級の文人が集い、その代表的な8名を「竟陵の八友」と呼んでいる。蕭衍もその一人に数えられていた。

○宮女三千 唐太宗位之初后の時の女は実に三千人,であった。百年後玄宗のときには侍女は八千人になった。『新唐書』「宦者傳」、「開元、宮嬪はおおよそ四万に至る。」と、玄宗の時の宮女の数を示している。杜甫は、「先帝侍女八千人」といい、白居易も「後宮の佳麗三千人」李百薬は「無用の宮人は数万に達する」といっている。女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

柳絮02
 

○南朝 439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。建康(江蘇省南京市)に都を置いた東晋・宋・南斉・梁・陳の王朝。西晋末の五胡十六国の乱から隋が統一するまで三百年近く、中国は漢民族による南朝と北方民族による北朝とに分裂した時期が続いた。北朝の質実剛健、南朝の繊細華美という対比で捉えられる。

北魏が華北を統一し、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。

 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。

李商隠にはほかにも「南朝(地険悠悠天険長)」と題する七言絶句がある。

 

 

〇一笑 笑みは美女の蠱惑(こわく)的な表情。周の幽王は寵愛する褒姐が笑ったことがないので、危急を知らせる煙火を燃やして諸侯を集めた。馳せ参じた人々が何事もないのにきょとんとしているのを見て褒姐が初めて「大笑」した。それを喜んでたびたび怪火を焚いたがもはや誰も集まらなくなって滅亡を招いたという話がある(『史記』周本紀)。白居易「長恨歌」にも楊貴妃について「陣を廻らせて一笑すれば百媚生ず」。

○相傾 前漢・李延年は「北方に佳人有り、絶世にして独立す。ひとたび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」とうたって、自分の妹を漢の武帝に薦め、妹は李夫人となって寵愛を受けた(『漢書』孝武李夫人伝)。「傾城」「傾国」の語は、歌の本来の意味は、美しい人を見ようとして町中、国中の人が一箇所に集中し、そのために町や国が文字通り傾いてしまうこと。

○荊棘 「荊」も「棘」もとげのある雑木。二字合わせると子音が重なる双声の語となる。呉の忠臣伍子背が呉王夫差に向かって諌めた言葉に、姦臣に囲まれていたら「城郭は丘墟となり、殿には荊棘生ぜん」(『呉越春秋』夫差内伝)とある。都城の荒廃をいうことと、荊は牛李闘争を示し、棘は宦官による宮廷内の執務の横暴、讒言による貶め、数々の暗殺、などを示す。