柳枝五首其五》牛嶠≫(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには今も女たちがたくさんいると詠う。)

 
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7-408《柳枝五首其五》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-591-7-(408)  巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4502

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)楊柳枝二首

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。

如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。

 

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時,王宮殿柳絲垂。

黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。

 

 

牛給事嶠牛嶠柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

張舍人泌(張泌)             巻四      

柳枝一首 

膩粉瓊粧透碧紗,雪休誇。

金鳳搔頭墮鬢斜,髮交加。

倚著雲屏新睡覺,思夢笑。

紅腮隱出枕函花,有些些。

 

 

牛給事嶠(牛嶠)柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

(凍りつく寒さの厳しいなかに新しい芽をはぐくみ、暖かい陽気に芽吹き、緑の葉を茂らせてゆく、その盛りには、歓迎、送別にその魅力を発揮するが、やがてその一生を終えるものなのだ。柳を女の一生に喩えて詠ったものである。)

凍るような寒さの風が暖かくなってくると柳の梢の先に青い目が膨らみやがて葉になる。凍っていた枝が緑に垂れると、まるでその枝は、薄絹の袖を仰いで、身分の高い人にえしゃくをしてキョウキョウとして招いてくるのだ。

柳の並木道は細い腰の女たちのように、かぼそい腕の者たちのようにしなやかに城郭の中心の大道に並んで臨んでいる。ここを通る人、出征していくあの人を舞いで送り出して、こうしてその一生を過ごし終えるのだ。(花の盛りには後宮でその魅力で魅了するが、時期を過ぎれば一生は終わる。)

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來れば 末上の青となり,羅袖を解き垂れ、卿卿に拜す。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

柳枝五首其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

(春になって柳が芽を吹くと西施がすごした後宮跡や、錢塘の蘇小小の花街に来て柳は同じように繁っているし、西陵の松の下にこの世では無理だったけど、きっと結ばれているだろうと詠う。)

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた宮殿跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、柳の並木は色濃くなっていく、そこには群れて茂っている極めてたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いている。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の置屋の門前の柳の所で別れても憤慨することなどないのだ、檀郎のあの人とは西陵の松の下で契り、一緒になることが決まっているのだから。

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いては 松の下 同心を結ぶ。

 

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって柳が植えられ、千本万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に折楊柳としていのるものだけれど、南朝宋の張緒のように廟堂、公平にできるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である楊家の将軍でさえも、柳のようにか細い腰、妖艶な動きの女性に対しては静かにして愛するものということをだれもが認識している。

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 婉腰に靜るを認得す。

 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

(春が来て春景色も移り変わるがそこで頽廃的なことを隠してくれるが、六朝斉の宮殿に柳絮のようにたくさんの宮女は新たに召されたがそこにはたくさんの嫉妬が生まれると詠う。)

春も盛りに柳絮が飛び交うのは吹雪のようで春の突風に馬をたたいてそして飛んでゆく、やがて、春霞に覆われると春の景色も柳絮もその魅力わからない、行楽に出かけてそこでの事を隠し、春霞は春を欺いているのだ。

六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と若い女たちが靈和殿に召されていくとそれぞれが交わってはいけないとされてきたのだ、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が巻いているところなのだ。

(柳枝五首 其の四)

狂雪 隨風 馬を撲し飛ぶ,煙に惹かれば無力にし春欺に被る。

靈和殿に移入するを交わること莫れ,宮女三千 又た伊に妬む。

 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには今も女たちがたくさんいると詠う。)

翡翠の飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、柳の枝は暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗なのだ。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くいるのである。

(柳枝五首其の五)

裊翠 籠煙 暖波を拂い,舞裙 新らたに 麴塵の羅に染る。

章華臺の畔 隋堤の上【ほと】り,傍に 春風を得て 爾許多し。

 

隋堤01
 

柳枝五首其五』 現代語訳と訳註

(本文)

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

(下し文)

(柳枝五首其の五)

裊翠 籠煙 暖波を拂い,舞裙 新らたに 麴塵の羅に染る。

章華臺の畔 隋堤の上【ほと】り,傍に 春風を得て 爾許多し。

 

(現代語訳)

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには今も女たちがたくさんいると詠う。)

翡翠の飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、柳の枝は暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗なのだ。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くいるのである。

 

楊貴妃清華池002
 

(訳注)

柳枝五首

唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「楊柳枝」十五首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

折楊柳が基本にあって、男の楊と女の柳を折り絡ませリーフを造り、出征する男の健康を願うものであるが、それが女の柳の枝だけであるというところに作者の意図を感じるものである。

柳枝五首其五

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには今も女たちがたくさんいると詠う。)

 

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

翡翠の飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、柳の枝は暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗なのだ。

○麴塵【きくじん】① 色の名。ほとんど灰色みを帯びた黄緑色。古くは刈安(かりやす)と紫根による染め色,近世は黄と青の糸による織り色をいう。天皇の略式の袍(ほう)の色で禁色(きんじき)の一。青色。山鳩。きじん。 「麴塵の袍」天皇が略儀に着用した麴塵色の袍。桐・竹・鳳凰(ほうおう)・麒麟(きりん)を組み合わせて一単位とした文様が用いられた。六位の蔵人(くろうど)が拝領して着用することもあった。青色の袍。

 

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くいるのである。

○章華台 又た章華宮と稱す。是れは楚の靈王六年(前535年)修建された離宮をいう。 後漢書「楚の靈王は特喜歡するための細腰、女子が宮内に輕歌曼舞する在り,少なからず宮女は王に於て求媚を爲,食を少くし餓を忍ぶ,以て細腰を求めらる,章華宮 又た “細腰宮”と之れを稱す有り。後に章華宮 兵亂を。」

○隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。

韋莊『河傳三首』河傳其一

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

○爾許多 阿弥陀様のような女妓をいう。菩薩蠻とか、女冠子、河瀆神、河傳という語と同じように使う。

今時の同生知識等、爾許多の人、恐畏らくは命は石火に同じ、久しく照らすこと期し難し。識性は無常なり、逝くこと風燭に踰えたり。故に人人同じく願じて共に往生の業を結ぶ。各々『彌陀經』を誦すること爾許萬徧、彌陀の名を念ずること爾許萬徧。又某の功德等を造ること、普く皆周備す。故に某月日に於て、院宇を莊嚴し、道場を瑩飾し、僧尼を奉請して、宿宵行道す。又廚皇の百味の種種の甘香を以て、佛及以び僧徒に奉りて、同心に慶喜す。又願はくは持戒・誦經・念佛・行道し、及び諸の功德等を造らん。