《清平樂二首其一》温庭筠≫(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

 
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1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410)  二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『清平樂』九首

 

 

溫助教庭筠

巻二

清平樂二首其一

上陽春晚,宮女

 

 

 

巻二

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二

清平樂四首其一

春愁南陌,故國

 

 

 

巻二

清平樂四首其二

野花芳草,寂寞

 

 

 

巻二

清平樂四首其三

何處游女,蜀國

 

 

 

巻二

清平樂四首其四

鶯啼殘月,繡閣

 

 

孫少監光憲

巻八

清平樂二首其一

愁腸欲斷,正是

 

 

 

巻八

清平樂二首其二

等閑無語,春恨

 

 

毛秘書熙震

巻九

清平樂一首

春光欲暮,寂寞

 

 

 

 

 

清平樂二首其一

(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

寵愛を失った宮女が不遇な一生を送った上陽宮には春を過ぎた景色になる。ここ生きている宮女たちは白居易が「上陽白髪人」と詠ったように眉も薄くなった美人たちの愁いが漂っているのだ。

清平思同輦,爭那長安路遠。

新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることが終わった名残ばかりがあるのである。ここでは、かつて花とさいた宮女たちは心が満たされずにもの寂しいだけであり、その多くの宮女の門は閉じられたままになっているのだ。

競把黃金買賦,為妾將上明君。

若さを失った宮女が寵愛を受けるために本当に競い合うなら、漢の陳后が司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい天子の寵愛を取り戻すということだ。それで、やっと寵愛をうける女として、まさに、賢明な天子のもとにあがることになるのだ。 

清平樂二首其一

上陽の春晚,宮女 蛾淺に愁う。

 清平 同輦を思う,爭い那ぞ長安路遠く。

鳳帳 鴛被 徒らに燻じ,寂寞 花鏁 千門。

把を競い 黃金 賦を買う,妾為す 將に明君に上る。

 

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳花飄雪。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

 

DCF00199
 

『清平樂二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

清平樂二首其一

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

清平思同輦,爭那長安路遠。

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

競把黃金買賦,為妾將上明君。

 

(下し文)

清平樂二首其一

上陽の春晚,宮女 蛾淺に愁う。

 清平 同輦を思う,爭い那ぞ長安路遠く。

鳳帳 鴛被 徒らに燻じ,寂寞 花鏁 千門。

把を競い 黃金 賦を買う,妾為す 將に明君に上る。

 

(現代語訳)

(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

寵愛を失った宮女が不遇な一生を送った上陽宮には春を過ぎた景色になる。ここ生きている宮女たちは白居易が「上陽白髪人」と詠ったように眉も薄くなった美人たちの愁いが漂っているのだ。

新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることが終わった名残ばかりがあるのである。ここでは、かつて花とさいた宮女たちは心が満たされずにもの寂しいだけであり、その多くの宮女の門は閉じられたままになっているのだ。

若さを失った宮女が寵愛を受けるために本当に競い合うなら、漢の陳后が司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい天子の寵愛を取り戻すということだ。それで、やっと寵愛をうける女として、まさに、賢明な天子のもとにあがることになるのだ。

 

楊貴妃清華池002
 

 (訳注)

清平樂二首其一

唐の教坊曲、『花間集』には清平樂は九首溫庭筠の作が二首収められている。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

唐太宗位之初后の時の女は実に三千人,であった。百年後玄宗のときには侍女は八千人になった。『新唐書』「宦者傳」、「開元、宮嬪はおおよそ四万に至る。」と、玄宗の時の宮女の数を示している。杜甫は、「先帝侍女八千人」といい、白居易も「後宮の佳麗三千人」李百薬は「無用の宮人は数万に達する」といっている。女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

 

皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなくなるので、早くから考えをめぐらせた人たちもいた。男子を生んだ后妃は、いうまでもなくあらゆる手段を講じてわが子を皇太子にし、その貴い子の母たる地位を手に入れようとした。こうして跡継ぎを決めることも、后妃たちの激しい競争となった。玄宗はすでに趨魔妃の生んだ子を皇太子にしていたが、武恵妃が玄宗の寵愛を受けるようになると、現皇太子の位を奪って我が子寿王を皇太子に立てようと画策した。まず彼女は皇太子を廃するため罠をしかけて、〝宮中に賊が出た〞と言って皇太子と二人の王子に鎧を着て来させ、その後で玄宗に三人が謀反を起したと告げた。それで、太子と二人の王子は処刑された。男子のない后妃、あっても皇太子になる望みのない后妃は別に出路を求め、皇太子かその他の皇子たちにとりいって自己の安全を図ったのである。高祖李淵が晩年に寵愛したダ徳妃、張捷好などは子がなかったり、あっても助かったので、すでに勢力をもっている他の何人かの皇子と争うことはたいへん難しかった。そこで彼女たちは皇太子の李建成と互いに結びあい、利用しあって建成の即位を助け、高祖の死後のわれとわが子の不測の運命にそなえたのである。后妃たちは表面的には高貴で優閑な生活を送っていたが、裏では緊張に満ちた活動をしており、それは彼女たちの別の生活の大きな部分をなしていた。こうした様々な手段は決して公明正大なものとはいえない。しかし、政治の変動と後宮の生活が彼女たちにもたらす残酷無情な状況を見るならば、そしてまた天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったことを考えるならば、彼女たちが自分の運命を変えようと少しあがいたからといって、どうして厳しく責めることができよう。

白居易 上陽白髪人

 

清平樂二首其一

(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

 

touRAKUYOjou1000
 

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

寵愛を失った宮女が不遇な一生を送った上陽宮には春を過ぎた景色になる。ここ生きている宮女たちは白居易が「上陽白髪人」と詠ったように眉も薄くなった美人たちの愁いが漂っているのだ。

上陽 洛陽上陽宮

上陽人 《「上陽」は唐代、洛陽の宮城内にあった宮殿の名》上陽宮にいた宮女。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めたため、他の宮女が不遇な一生を送ったところから、女性、特に宮女の不遇をたとえる語として用いられる。

唐の玄宗の時,楊貴妃に寵愛(ちようあい)を独占されて上陽宮に移され空しく老いた宮女たち。不遇な宮女。上陽宮の人。白居易「後宮詞」白居易『上陽白髪人』。劉長卿『上陽宮望幸』など多くの作品がある。

白居易「後宮詞」

雨露由來一點恩,爭能遍布及千門?

三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕!

「三千の宮女 胴脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん」(白居易「後宮詞」)。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、官官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

 

清平思同輦,爭那長安路遠。

新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

清平 世の中が清らかに治まっている・こと(さま)。

同輦 同輦を辞す。班婕妤の故事に基づく。

前漢の時代、成帝(せい)が後宮に来て遊んでいた。そこへ、班捷伃という美しい女性が手押し車に乗ってやってきた。それを見た成帝は、戯れに班捷伃の乗っている手押し車に、一緒に乗ろうとした。班捷伃は辞退して言った「古の絵を見ていますと、賢聖の君にはみな名臣がいて、傍らにいます。しかし、夏・殷・周の最後の君は、お気に入りの女がいます。今同じ車に乗ろうとなさるのはこれに似ておりませんか?」それを聞いた、成帝は、それもそうだと思い、一緒に車に乗ることをやめた。

 

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることが終わった名残ばかりがあるのである。ここでは、かつて花とさいた宮女たちは心が満たされずにもの寂しいだけであり、その多くの宮女の門は閉じられたままになっているのだ。

寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。2 心が満たされずにもの寂しいさま。

 ① 金属製の輪をつないだひも状のもの。   物と物とを結び付けているもの。きずな。

千門 千門万戸。非常に多くの家。

 

競把黃金買賦,為妾將上明君。

若さを失った宮女が寵愛を受けるために本当に競い合うなら、漢の陳后が司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい天子の寵愛を取り戻すということだ。それで、やっと寵愛をうける女として、まさに、賢明な天子のもとにあがることになるのだ。

黃金買賦/千金買賦  ①漢武帝陳皇後的故事。漢司馬相如《長門賦》序:"孝武皇帝陳皇後,時得幸,頗妒,在長門宮,愁悶悲思。聞蜀郡成都司馬相如,天下工爲文,奉黄金百斤,爲相如文君取酒,因於解悲愁之詞。而相如爲文以悟主上,陳皇後複得親幸。

武帝に疎んぜられた陳皇后が、夫の愛を取り戻すため、司馬相如に「賦」の作成を依頼。その作品は「長門の賦」といわれ、皇后は愛を取り戻した。(『文選』) 史記や漢書によると、この陳皇后は廃されたまま亡くなっている。

明君 賢明な君主。賢明な天子。

 

劉長卿. 709年—780年字は文房。河間(現・河北省)の人。進士に合格して官吏となるも下獄、左遷された。ために、詩には失意の情感や離乱を詠うものが多い。

 

上陽宮望幸 劉長卿

 玉輦西巡久未還、春光猶入上陽間。

 萬木長承新雨露、千門空對舊河山。

 深花寂寂宮城閉、細草青青御路閑。

 獨見彩雲飛不盡、只應來去候龍顔。


上陽宮に幸を望む。) 

 玉輦西巡久しくして未だ還らず、春光猶ほ入る上陽の間。

 万木長(つね)に承く新雨露、千門空しく対す旧河山。

 深花寂寂として宮城閉ぢ、細草青青として御路閑かなり。

 独り見る彩雲の飛んで尽きざるを、只応に来去して龍顔を候つべし。
洛陽 函谷関002