温庭筠《清平樂二首其二》洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

 
 2014年7月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
34-#2 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#2> Ⅰ李白詩1193 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4513 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
415-#5 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1106>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4514韓愈詩-415-#5 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor1-63-411《清平樂二首其二》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-594-1-63-(411) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4517 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

1-63-411《清平樂二首其二》温庭筠唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-594-1-63-(411)  二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4517

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『清平樂』九首

 

 

溫助教庭筠

巻二

清平樂二首其一

上陽春晚,宮女

 

 

 

巻二

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二

清平樂四首其一

春愁南陌,故國

 

 

 

巻二

清平樂四首其二

野花芳草,寂寞

 

 

 

巻二

清平樂四首其三

何處游女,蜀國

 

 

 

巻二

清平樂四首其四

鶯啼殘月,繡閣

 

 

孫少監光憲

巻八

清平樂二首其一

愁腸欲斷,正是

 

 

 

巻八

清平樂二首其二

等閑無語,春恨

 

 

毛秘書熙震

巻九

清平樂一首

春光欲暮,寂寞

 

 

 

 

 

清平樂二首其一

(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

寵愛を失った宮女が不遇な一生を送った上陽宮には春を過ぎた景色になる。ここ生きている宮女たちは白居易が「上陽白髪人」と詠ったように眉も薄くなった美人たちの愁いが漂っているのだ。

清平思同輦,爭那長安路遠。

新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることが終わった名残ばかりがあるのである。ここでは、かつて花とさいた宮女たちは心が満たされずにもの寂しいだけであり、その多くの宮女の門は閉じられたままになっているのだ。

競把黃金買賦,為妾將上明君。

若さを失った宮女が寵愛を受けるために本当に競い合うなら、漢の陳后が司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい天子の寵愛を取り戻すということだ。それで、やっと寵愛をうける女として、まさに、賢明な天子のもとにあがることになるのだ。 

(清平樂二首其の一)

上陽の春晚,宮女 蛾淺に愁う。

 清平 同輦を思う,爭い那ぞ長安路遠く。

鳳帳 鴛被 徒らに燻じ,寂寞 花鏁 千門。

把を競い 黃金 賦を買う,妾為す 將に明君に上る。

 

清平樂二首其二

(唐の東都洛陽の町には、終日、あちこちで柳の枝を手折っては旅立ついろんな人を詠う。)

洛陽愁,楊柳花飄雪。

春も盛り、柳架は花のように、雪のように乱れ散るというのに、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願すると、それにつられて橋の下流れさる春水は嗚咽して泣いてくれるのだ。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

旅立とうとして馬に上ってまでも、人々は争って別れを傷むので盃をわたし見送りの酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

(清平樂二首其の二)

洛陽に愁絶す、楊柳 花 雪を飄【ひるが】えす。

終日 行人 攀折を爭い、橋下 水流 鳴咽す。

馬に上れば 争いて離れの觴を勧む、南浦 鶯声 腸を断つ。

愁殺す 平原の年少、首を遅らし涙千行を揮う。

 

珠櫻001
 

『清平樂二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳花飄雪。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

 

(下し文)

(清平樂二首其の二)

洛陽に愁絶す、楊柳 花 雪を飄【ひるが】えす。

終日 行人 攀折を爭い、橋下 水流 鳴咽す。

馬に上れば 争いて離れの觴を勧む、南浦 鶯声 腸を断つ。

愁殺す 平原の年少、首を遅らし涙千行を揮う。

 

(現代語訳)

(唐の東都洛陽の町には、終日、あちこちで柳の枝を手折っては旅立ついろんな人を詠う。)

春も盛り、柳架は花のように、雪のように乱れ散るというのに、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願すると、それにつられて橋の下流れさる春水は嗚咽して泣いてくれるのだ。

旅立とうとして馬に上ってまでも、人々は争って別れを傷むので盃をわたし見送りの酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。

洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

 

采蓮004
 

(訳注)

清平楽二首

唐の教坊曲、『花間集』には清平樂は九首溫庭筠の作が二首収められている。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

清平樂二首其二

(唐の東都洛陽の町には、終日、あちこちで柳の枝を手折っては旅立ついろんな人を詠う。)

【解説】 唐の東都洛陽の町の、終日、柳の枝を手折っては旅立つ人を描写する。前段は、まず第一句で、洛陽が愁い極まる町であることを指摘、三、四句で、洛陽が愁い極まる町である理由が明かされる。そして、人生意気に感ずる若者も、さすが別離に当たっては愁い極まり、見送る人々を振り返り見ながらとめどなく流れる涙を拭いつつ去ってゆくと結ぶ。

 

洛陽愁,楊柳花飄雪。

春も盛り、柳架は花のように、雪のように乱れ散るというのに、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

○楊柳花 綿毛の生えた柳の種、柳架。・楊柳 楊柳は男女を示す。また楊は芸妓の色町を示す語である。柳は男性であるが、細柳は女性を示す語として、つかわれる。

 

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願すると、それにつられて橋の下流れさる春水は嗚咽して泣いてくれるのだ。

○行人 ここでは、出征した夫。旅人。行商人。李白『北風行』「倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。」 『古風,五十九首之二十四』「鼻息干虹蜺,行人皆怵惕」

○爭攀折 「折楊柳」のことで、ここでは、我先にと争って柳の枝をとろうと手を上にあげている様子をいう。古く中国では、旅立ちを見送る際に、無事の帰りを願い、旅立つ人に柳の枝を手折って環にして贈る習慣があった。握った手を離すと、環はまっすぐに元に戻るところから、環と帰還の還をかけて、旅立った人がすぐに戻って来るようにとの縁起をかついで行ったもの。

○醉壺觴 酒つぼとさかずき。壺酒は新酒は春の呼び声とともにある。新種の壺酒は油紙のような蓋をして黄色の紐で封印がしてある。

 

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

旅立とうとして馬に上ってまでも、人々は争って別れを傷むので盃をわたし見送りの酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。

○南浦 洛陽城の南の水辺の送別の地。王維《斉州送祖三二首 其二》「送君南浦涙如糸、君向東州使我悲。為報故人憔悴尽、如今不似洛陽時。」(斉州にて祖三を送る 二首其の二)君を南浦(なんぽ)に送れば 涙 糸の如し、君は東州に向かい 我をして悲しましむ。為に報ぜよ 故人は憔悴(しょうすい)し尽くし、如今(じょこん)は 洛陽の時に似ず。

とあるのに基づく。

 

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

○愁殺 愁い極まる。殺は動詞や形容詞の後について程度のきわめて高いことを表す。

○平原年少 人生意気に感ずる若者の意。平原は平原君のこと、戦国時代の都邑。今の山東省平原。食客三千人を養ったと言われる戦国趙の恵文王の弟平原君が封ぜられた地。ここではそれを借りて洛陽の地の意気盛んな若者を指す。

平原君(?~前251 〔平原は号。山東の平原に封ぜられたことから〕 中国,戦国時代の趙の王族。姓は趙,名は勝。趙の恵文王・孝成王に仕え宰相となる。食客は数千人。斉の孟嘗君らとともに戦国の四君に数えられる。

いわゆる貴公子とか、游侠の若者に詩を贈る。作者の心と若者の心の絡み合うさまを詩にする。詩中の「淮陰市」はキーワードで、「隠忍自重した游侠の徒・韓信のようにあれ。」と歌う。両者は、出逢って楽しむということはなく「客恨」「秋風」「淮陰市」と失意の情感を醸している。 
少年:若者。年若い者。唐詩で「少年」といえば、
王維 少年行
新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。
相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
李白 17少年行
少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
杜甫 少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
 
王昌齢『少年行』
走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。
いなせな若者や壮士を詠う。