ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち、暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行ったのは春の終わりで、もう秋に似なるも未練だけが残る。

 
 2014年7月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-415《天仙子二首其二》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-598-4-(415) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4537 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

4-415《天仙子二首其二》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-598-4-(415)  二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4537

 

 

 

天仙子二首其一

(白鷺は番いでいるもの、大毛蓼は女の思い、未練を残して旅立つ男と巫山の巫女を詠う。)

晴野鷺鷥飛一隻,水花發秋江碧。

晴れわたる原野にはぐれ白鷺が一羽飛んでいる、水際に咲く大毛蓼のマゼンダ色の花は、秋の川水にそらの青々とした中に恋い慕う思いをあらわすようにその色を発している。

劉郎此日別天仙,登綺席,淚珠滴,十二晚峯高歷歷。

別れ去る愛しい劉郎はこの日、祠の仙女と別れたのである。送別の宴が催され、その席に着いてみたら、珠の涙は、はらはらと滴る。いつも二人で見た巫山十二の峰はいま、夕空に一峰ごとにくっきりと聳えている。

(天仙子二首其の一)

晴れた野 鷺鷥【ろし】 一隻飛び,水花發っして秋江 碧なり。

劉郎 此日 天仙に別れ,綺席に登り,淚 珠と滴る,十二晚峯 高く歷歷たり。

 

天仙子二首其二

(人里離れた道教の聖女祠の女、年増になって好きな人は去って行った。それでも天仙子として生きていくしかない。)

躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。

ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち、暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行ったのは春の終わりで、もう秋に似なるも未練だけが残る。

行人經始歸來,千萬里,錯相倚,懊惱天仙應有以。

女も年を重ねて行く様に、行き過ぎていく人も年を経た人に変わっていく、若い初めのころに帰って来るのなら、千も、万里もいとうことはない。(待つことだけできるから。)夢では、交じり合い、互いに寄り添う。悩んで苦しむことばかり、「天仙」と呼ばれて、まさにこれからも依然としてここにいるだけなのだ。

(天仙子二首其の二)

躑躅の花 開き 紅い水に照し,鷓鴣 飛びて遶ぐり 青山の觜に飛遶す。

行人 を經て 始めて歸り來りて,千萬里,錯り相い倚る,懊惱するも天仙 應に以ってする有り。

 

翠冠001
 

『天仙子二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

天仙子二首其二

躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。

行人經始歸來,千萬里,錯相倚,懊惱天仙應有以。

 

(下し文)

(天仙子二首其の二)

躑躅【つつじ】花開き紅に 水に照し,鷓鴣 青山の觜に飛遶す。

行人 を經て 始めて歸り來りて,千萬里,錯り相い倚る,懊惱するも天仙 應に以ってする有り。

 

(現代語訳)

(人里離れた道教の聖女祠の女、年増になって好きな人は去って行った。それでも天仙子として生きていくしかない。)

ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち、暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行ったのは春の終わりで、もう秋に似なるも未練だけが残る。

女も年を重ねて行く様に、行き過ぎていく人も年を経た人に変わっていく、若い初めのころに帰って来るのなら、千も、万里もいとうことはない。(待つことだけできるから。)夢では、交じり合い、互いに寄り添う。悩んで苦しむことばかり、「天仙」と呼ばれて、まさにこれからも依然としてここにいるだけなのだ。

 tsuzji00

(訳注)

天仙子二首

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花問集』 には九首所収。皇甫松の作は二首収められている。単調三十四字、六句五仄韻で、❼❼❼❸の詞形をとる。

「天仙子」であるから、①宮女、②道観に併設された館。祠の巫女、について詠ったもの。

天仙子二首其二

(人里離れた道教の聖女祠の女、年増になって好きな人は去って行った。それでも天仙子として生きていくしかない。)

 

躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。

ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち、暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行ったのは春の終わりで、もう秋に似なるも未練だけが残る。

○躑躅 1 足踏みすること。ためらうこと。2 つつじ。ツツジとはツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属の植物の総称である。ただしドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものがあるので注意が必要である。

鷓鴣 ① キジ目キジ科の鳥のうち,ウズラよりひとまわり大きく,尾が短くて,茶褐色の地味な色彩をしたものの一般的な呼称。 古く,ヤマウズラを誤って呼んだ称。

青山 遠くに見える春の山。・青山 孟浩然の自然を動的に表現、遠近法的表現する。また、青は春を意味する。城郭の向こうに小高い山、峴山を遙かに望むことを意味する。襄陽城郭の外側、向こう側。孟浩然の自然を動的に表現、遠近法的表現する。また、青は五行思想で春を意味する。孟浩然は、春の季語として、青山を使っている。『峴山餞房琯、崔宗之』『登安陽城樓』『舟中曉望』『送友人之京』などに見える。城郭の向こうに小高い山、春の峴山を遙かに望むことを意味する。そびえる山には斜めという表現をしない。この「青き山」は次の「桑麻」の語にかかり、邵平などの故事に繋がっていく。

過故人莊

故人具雞黍,邀我至田家。

綠樹村邊合,青山郭外斜。

開筵面場圃,把酒話桑麻。

待到重陽日,還來就菊花。

311  〃   過故人莊       

觜 【し】二十八宿の一。西方の第六宿。オリオン座北部の三つの星をさす。とろきぼし。觜宿。この語は、西を意味し、秋を指す。

鷓鴣 ① キジ目キジ科の鳥のうち,ウズラよりひとまわり大きく,尾が短くて,茶褐色の地味な色彩をしたものの一般的な呼称。 古く,ヤマウズラを誤って呼んだ称。鷓鴣 『南越志』「常に日に向ひて飛ぶ。飛びて数ば月に随ふ。蓋し正月の如きは一飛して止む()。霜露を畏れ、早晩出づること稀なり。時有りて夜に飛ぶ。飛べば則ち木葉を以て自ら其の背を覆ふ。古牋に云ふ、偃鼠は河に飲むも腹を満たして止み、鷓鴣は葉を銜ふるも才かに能く身を覆ふとは、此れの謂ひなり。臆前に白円点文有り、多く対ひて啼く、志は常に南に嚮ひ、北に徂くを思はず。」、「鷓鴣は東西に回翔すと雖も、然れども開翅の始め必ず先づ南に翥ぶ」とは、亦胡馬は北に嘶くの義なり。『本草』「鷓鴣は形は母雞に似たり。鳴きて鉤輈格磔と云ふ」と。『嶺表異録』「肉は白くして脆なり。味は雞雉に勝る」と。

「早晩出づること稀なり」とあるのは餌をとる姿が観察されたためだろう。「時有りて夜に飛ぶ。飛べば則ち木葉を以て自ら其の背を覆ふ」とは、シャコの地上で生活し樹上で眠るという習性を指していると考えられるが、陸佃は『荘子』の言を引き、シャコの慎み深さを指していると考えている。ここでは、一羽が鳴きはじめると近くにいるものもすぐにこれに加わるというシャコの習性をいう。

 

行人經始歸來,千萬里,錯相倚,懊惱天仙應有以。

女も年を重ねて行く様に、行き過ぎていく人も年を経た人に変わっていく、若い初めのころに帰って来るのなら、千も、万里もいとうことはない。(待つことだけできるから。)夢では、交じり合い、互いに寄り添う。悩んで苦しむことばかり、「天仙」と呼ばれて、まさにこれからも依然としてここにいるだけなのだ。

行人 出征するに別れて行く人。別れてゆく人。旅人。牛嶠《柳枝五首其一》「解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。」

 何年も年を経過する。

始歸來 初めて帰って来る。

千萬里 千里も万里も遠いさま。

錯相倚 錯:1 乱れて入りくむ。まじる。「錯雑・錯綜(さくそう)/交錯」2 まちがえる。あやまる。

懊惱 悩みもだえること。 「 -の極み」 「人生の岐路に立って-する」二 ( トタル ) [文] 形動タリ 悩みもだえるさま。

天仙 天上の仙人。神仙。道妓、巫女。

 

 

 【女尼、女冠、女巫】 (2

<!--[if !vml]-->bijo02
<!--[endif]-->

家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。しかし、こうした人は少数で圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。また、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に入らざるをえなかった者もいる。

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。

宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちは女尼,女冠,女巫かつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

  

 

芸妓について

妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと。娼妓、娼女という呼称もある。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。また、道教の寺観にも娼婦に近い巫女がいた。この時代において、女性が男性と対等にできる唯一の場所であった。

もともとは国家による強制的な徴発と戦時獲得奴隷が主な供給源だったと考えられるが、罪人の一族を籍没(身分を落とし、官の所有とする制度)する方法が加わった。また、民間では人身売買による供給が一般的であった。区分すると以下の通り。

1.宮妓 2.家妓 3.営妓、4.官妓、5.民妓、6.道妓)

 

1 宮妓

皇帝の後宮に所属。籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上された女性。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務をし、技芸を学び、皇帝を楽しませた。道教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。班婕妤・趙飛燕や上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。

 

2 家妓

高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。

 

3営妓

軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。蘇小小。唐代女流詩人の薛濤が有名。

 

4官妓

中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。唐代はその活動は最大なものであった。

唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。

 

5民妓

民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。

6.道妓

道教の祠に学問等していない娼婦に近いものが多かった。

 

妓館には、花や植物が植えられ、狆や鸚鵡が飼われ、香炉が置かれ、また、雲母屏風、山水画や骨董が飾られているところが多く、庭園風になっているものもあった。妓館は、互いに奇をてらい合い、提供される様々な香りが数里先まで漂ったと伝えられる。さらに、厨女(女料理人)が働いており、彼女らが料理する山海の珍味がすぐに作れるように準備されていた。旧院には商店もあり、客が妓女に贈るための高級品が置かれていた。また、茶を専門とする茶坊もあった。夜には、妓女による音楽が奏でられ、芝居が上演された。妓館の額もまた、名人の手になるものがいくつもあった。妓館には、他に下働きの下女と男衆が別にいた。