等の心配事は、国境を待るための角笛であり、征圧するために鼓を鳴らし大声をあげて攻めることであった。異民族とは他にもある、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、皇帝と共に青塚に葬られ立派に役割を果たしたし、また唐遣大将薛仁、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

 
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9-429

《甘州遍二首其二》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-612-9-(429)  五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4607

 

 

毛文錫(毛司徒文錫)    甘州遍二首

 

甘州遍二首其一

春光好,公子愛閑遊,足風流。

金鞍白馬,雕弓寶劍,紅纓錦襜出長鞦。

花蔽膝,玉銜頭。

尋芳逐勝歡宴,絲竹不曾休。

美人唱,揭調是《甘州》。醉紅樓。

堯年舜日,樂聖永無憂。

(宮女、官妓らにより琴、瑟、管弦楽の演奏がなされ、雅楽「甘州子」、「四時白紵歌」が歌われて、春の行楽の宴がなされたことを詠う)

春が来て日のひかりも快いものであり、ここでは、諸侯、貴公子は静かな風流の行楽の遊びを好んでいるようだし、そこでは風流に満足したようだ。

ここに集まっているのは、黄金でかざられた鞍をつけた白馬、彫刻で飾られた弓、宝飾の絵の剣べにいろのたずな錦の前掛け、馬の尾の下から後輪に三繫を付けて轅を固定している。

膝までを花で蔽っていて、頭から轡を銜える所にも飾り付けられている。

芳しい女妓を訪ねて春景色を歓勝し、行楽の宴を遂行してきて、琴、瑟、管弦楽の演奏はやむことはない。

宮女、官妓らはずっと歌いつづけ、雅楽「甘州子」は調子を揃えて詠われている。高楼全体で酒宴に酔うのである。

古代賢君の堯と舜が施政した天下太平で国力も隆盛と「四時白紵歌」もうたわれて、このように聖天子のもとに音楽が演奏されれば長しえにこれから先のこと愁いなどすることはないのだ。

甘州遍二首 其の一

春光 好しく,公子 閑遊を愛で,風流に足る。

金鞍 白馬に,雕弓 寶劍あり,紅纓の錦 襜は長鞦を出づ。

花は膝を蔽い,玉は頭を銜む。

芳を尋ね 逐に歡宴に勝り,絲竹 曾て休ず。

美人 唱し,是《甘州》を揭調す。紅樓に醉う。

堯年とし舜日とす,樂聖 永らく憂い無し。

 

甘州遍二首其二

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

青塚北,黑山西。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

(西域の雅楽「甘州子」の生まれた元々の辺りの事と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになると詠う。)

秋風が吹きはじめ身をちじめ、引き締める頃になる。北の砂漠地帯では、雁が列をなして低く飛んでゆく。鉛色の空がどこまでも続く。

蕭々颯々かぜはつよくなっていくばかり、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族と叛乱などを平定する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、彼等の心配事は、国境を待るための角笛であり、征圧するために鼓を鳴らし大声をあげて攻めることであった。

異民族とは他にもある、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、皇帝と共に青塚に葬られ立派に役割を果たしたし、また唐遣大将薛仁、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

砂漠の砂は飛び散っていき又集まって山を造り、また散っていくものであり、ここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍ってしまい、戦いの中で人馬の血に溢れ、蹄鉄餅に染まり、固まってしまう、そうなれば異民族の地、そこら一帯の谷間には人馬で埋め尽くされるのである。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐるのである。

 

(甘州遍二首其の二)

秋風 緊し,平磧 鴈行 低くし,陣雲齊し。

蕭蕭 颯颯,邊聲 四起,愁 戍角と征鼙とを聞く。

青塚の北,黑山の西。

沙飛 聚散 定る無し,往路を往き 人は迷う。

鐵衣 冷く,戰馬 血 蹄に沾い,蕃溪を破る。

鳳皇 詔下し,步み步みて丹梯に躡ばせる。

 

 

『甘州遍二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

甘州遍二首其二

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

青塚北,黑山西。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

 

 

(下し文)

(甘州遍二首其の二)

秋風 緊し,平磧 鴈行 低くし,陣雲齊し。

蕭蕭 颯颯,邊聲 四起,愁 戍角と征鼙とを聞く。

青塚の北,黑山の西。

沙飛 聚散 定る無し,往路を往き 人は迷う。

鐵衣 冷く,戰馬 血 蹄に沾い,蕃溪を破る。

鳳皇 詔下し,步み步みて丹梯に躡ばせる。

 

(現代語訳)

(西域の雅楽「甘州子」の生まれた元々の辺りの事と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになると詠う。)

秋風が吹きはじめ身をちじめ、引き締める頃になる。北の砂漠地帯では、雁が列をなして低く飛んでゆく。鉛色の空がどこまでも続く。

蕭々颯々かぜはつよくなっていくばかり、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族と叛乱などを平定する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、彼等の心配事は、国境を待るための角笛であり、征圧するために鼓を鳴らし大声をあげて攻めることであった。

異民族とは他にもある、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、皇帝と共に青塚に葬られ立派に役割を果たしたし、また唐遣大将薛仁、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

砂漠の砂は飛び散っていき又集まって山を造り、また散っていくものであり、ここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍ってしまい、戦いの中で人馬の血に溢れ、蹄鉄餅に染まり、固まってしまう、そうなれば異民族の地、そこら一帯の谷間には人馬で埋め尽くされるのである。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐるのである。

 

(訳注)

甘州遍二首其二

(西域の雅楽「甘州子」の生まれた元々の辺りの事と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになると詠う。)

唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻一仄韻、後段三十一字七句四平韻一仄韻で、❸⑤③44⑦3③/6⑤❸⑤③4⑤ の詞形をとる。

○△●  ○●●△○ ●○△。

○○●● ○○●●  ○△●●△○○。

○●●  ●○○。

△○●●○●  ●●●○○。

●△△  ●●●△○ ●○○。

●○●● ●●●○○。

 

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

秋風が吹きはじめ身をちじめ、引き締める頃になる。北の砂漠地帯では、雁が列をなして低く飛んでゆく。鉛色の空がどこまでも続く。

緊 1 固く引きしまる。引きしめる。「緊縮・緊張・緊縛・緊密」2 物事が差し迫っている。「緊急・緊迫・緊要/喫緊」

. qì. ㄑㄧˋ. 1. 淺水中的沙石。 2. [沙~]沙漠。不生草木的沙石地。

/斉【せい】[漢字項目]とは。意味や解説。[常用漢字][音]セイ(漢)サイ(慣)[訓]ととのえるととのうひとしい1 凸凹がなく等しくそろっている。そろえる。ととのえる。「斉一・斉唱/一斉・均斉・整斉・修身斉家」2 中国、春秋時代の国名。「

 

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

蕭々颯々かぜはつよくなっていくばかり、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族と叛乱などを平定する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、彼等の心配事は、国境を待るための角笛であり、征圧するために鼓を鳴らし大声をあげて攻めることであった。

蘇武と李陵 涼秋九月, 塞外草衰. 夜不能寐, 側耳遠聽,胡笳互動, 牧馬悲鳴, 吟嘯成群, 邊聲四起. 晨坐聽之, 不覺淚下.

李陵と蘇武の二人のうち、蘇武が英雄として帰国を果たしたのに対し、反逆者の汚名を着せられた李陵は遂に帰国せず、辺境の地で一生を終えた。「答蘇武書」は、帰国を勧める蘇武の書簡に対し、自らの国を捨てる決心を綴った李陵の返信である。

 

青塚北,黑山西。

異民族とは他にもある、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、皇帝と共に青塚に葬られ立派に役割を果たしたし、また唐遣大将薛仁、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

青塚 内蒙古自治区呼和浩特市にある王昭君の墓を「青塚」という。辺りは草も生えない荒地なのに墓の近くだけは青い草が生えたことからいう。紀元前33年、匈奴の君主である呼韓邪単于が入朝した時、漢の女性を妻に娶りたいと言ってきたので王昭君が嫁ぐ事になった。 王昭君は呼韓邪単于との間に一男を儲けるが紀元前31年に呼韓邪単于が死ぬと、匈奴の風習に従い次の皇帝の妻になる。

李白33-35 王昭君を詠う 三首

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黑山 中国古代戦場内蒙巴林右旗小罕山。石城で戦い、単騎突撃して、敵の弓手を生け捕りにした。また唐遣大将薛仁、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

 

沙飛聚散無定,往往路人迷。

砂漠の砂は飛び散っていき又集まって山を造り、また散っていくものであり、ここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

 

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍ってしまい、戦いの中で人馬の血に溢れ、蹄鉄餅に染まり、固まってしまう、そうなれば異民族の地、そこら一帯の谷間には人馬で埋め尽くされるのである。

蕃溪 1 未開の異民族。「蕃夷(ばんい)・蕃俗」2 外国。

【谷・渓▽・谿▼】①山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。一般には河川の浸食による河谷が多い。成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また,山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく),山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。②高い所にはさまれた低い部分。「波の-」 「気圧の-」

③二つの屋根の流れが交わる所。 「 -樋」

 

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐるのである。

 ①足音を忍ばせる.•他着脚走出去了。〔+目〕=彼は足音を忍ばせながら出て行った.②(文語文[昔の書き言葉]) 追跡する,尾行する.例•踪=追跡する.(文語文[昔の書き言葉]) 足で踏みつける.

 

「漢書」によると、李陵の物語とはこんな話である・・・。

 昔から中国は北方に住む遊牧民である匈奴たちと攻防を繰り返してきた。秦の始皇帝が長城を造り始めたのも匈奴の侵入をふせぐためというから、その深刻さの程がわかる。それは李陵の生きた漢の時代でも同じであった。

 

 あるとき、武帝は匈奴を征討することを決め、李広利を大将軍とする一大部隊を繰り出した。その一翼として、李陵には輜重隊を任せようとしていた。輜重隊というのは食料や兵器など要するに主力部隊のための物資運搬係りである。武人としての戦果は望めない地味な役割である。李陵はこれを聞いて武帝に泣きを入れ、「兵の5千も与えてくだされば匈奴の奥深く侵入して征伐してみせましょう」と言ったところ、武帝の気に入り、兵を与えられた。ただし、騎兵ではなく歩兵であった。

 

 こうして李陵軍は北に向けて出陣する。李広利将軍の部隊とは合流する手筈であったが、その途上、匈奴の主力部隊と遭遇してしまう。その数3万。もちろん、全員騎兵である。6倍もの兵力差がある上に、馬に乗った相手に歩兵で立ち向かうのだから、戦う前から勝敗は決まったようなもので、実際、最終的には敗れるのだが、しかし、李陵軍は死闘を繰り広げること8日に及び、その間に匈奴1万を討ち取るという獅子奮迅の働きをみせる。そうして文字通り刃折れ矢尽きて李陵は降伏し捕虜となる。

 

 武帝は激怒する。このとき群臣も武帝に迎合して降伏した李陵は罰せられて当然だと言い立てる中でただ一人、李陵の勇戦と無実を訴えて武帝の逆鱗に触れて宮刑に処されたのが司馬遷であった。 しかし、匈奴は捕虜となった李陵を殺すでもなく逆に帰順するよう求めた。その戦いぶりに匈奴の王も武人として好感をもったのである。

 

   蘇武という武将は忠節の武人として知られている。「平家物語」巻二に「蘇武」と題する一節がある。喜界島に流刑になった康頼が都を想うあまり歌を書きつけた卒塔婆を流す。都に流れ着いて思い出しておくれと云う望郷の歌だが、これがほんとに流れ着いて世の哀れをさそったという一節である。 この康頼の故事が、かつて、はるか昔の漢の武将の蘇武の故事とよく似ていることから引用されたものらしい。というのは、蘇武は使者として匈奴の地へ赴くのだが、そこで囚われの身になってしまい、以来、19年もの間、匈奴の地にあって変節することなく生き抜き、かつて雁に託した都への手紙が届き、それがもとになって晴れて帰国できたという来歴の持ち主だからである。

 

 

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

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