宮殿の土塀の畔に、半ば出た様に柳の枝が艶めかしい動きをするし、時によっては宮女たちの影が見え隠れし、それは、星列宿を祭りをする巫女の様に軽く梳けて見える着物を羽織っている、その着物はやんごとなきお方しか着られない黄緑色のうす絹の着物の波が揺れる。

 
 2014年8月8日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> Ⅰ李白詩1215 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4623 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
425 《南溪始泛,三首之一》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1128>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4624韓愈詩-425 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ460 韓昌黎集 巻五 393 《送張侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <834>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3154韓愈詩-206 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4626 (08/08) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor9-433《柳含煙四首其四》毛文錫Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-616-9-(433) 五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4627 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

9-433《柳含煙四首其四》毛文錫唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-616-9-(433)  五巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4627

 

 

柳含煙四首

柳含煙四首 其一

隋堤柳,汴河旁。

夾岸綠陰千里,龍舟鳳舸木蘭香,錦帆張。

因夢江南春景好,一路流蘇羽葆。

笙歌未盡起橫流,鏁春愁。

(運河を利用した春の行楽の船が行き交う。春景色に色を添えて妓女たちが演奏し、歌い進む。)

煬帝が作った運河の堤に柳がある、そこから続く汴河通済渠の運河の側にも柳がつづく。

それは両岸に緑の影を成して、千里先まで続く。またそこには竜のフナ飾りの糞絵が行き交い、鳳凰の絵が描かれた舟が、蘭の木で作られ香りを遺してすすむ。そして、その船には錦の帆を張っている。

長安や洛陽から、夢を抱いて、江南地方の春の景色を楽しみになる。一筋の水路の流れこの地域を結ぶことでそれぞれの地域を守り、蘇らせる。

笙の笛に歌声を乗せた船は進み、未だにこの流れに横から入り込む、ことごとく波を起こしたりすることはない。この中においては春の愁いのこころを蓋をして、隠してくれる

(柳含煙四首 其の一)

隋堤の柳,汴河の旁。

夾岸の綠陰千里なり,龍舟 鳳舸 木蘭の香,錦帆 張る。

夢に因って江南 春景好なり,一路 流蘇して 羽葆す。

笙歌 未だ盡く起きて橫流し,春愁を鏁す。

 

柳含煙四首 其二

河橋柳,占芳春。

映水含煙拂路,幾迴攀折贈行人,暗傷神。

樂府吹為橫笛曲,能使離腸斷續。

不如移植在金門,近天恩。

(柳が鬱蒼と茂る夕方の霞と一体となって悲しく霞む様子をいうが、この詩は長安城の西市の横を流れる渠溝に架かる橋、そのたもとの柳、花街の妓女を題材にしたものである。)

川を渡る橋のたもとに柳がある、今度のかんばしい春はどうなるんだろう。

柳の緑は水に映り、柳が鬱蒼として霞にけむり、土手の道を枝は揺れて掃いているようだ。もう何度もここに来て、折楊柳をして、上にかかげて旅に行く人の安全を祈った事だろう、でもその陰に帰ってこぬ人を待つものは神に傷ついたと恨むものがいる。

柳の楽府は沢山あり、女妓が横笛曲として吹奏する、そしてまた、別れの断腸の思いを続けさせられることになる。

この柳は今長安城の西の金門にあるがよそに植え替えることなどできるわけはない、それは天子の御恩がある近くのものであるからだ。

柳含煙四首 其の二

河橋の柳,芳春を占【たず】ねる。

水に映え煙を含み路を拂う,幾びか迴り折るを攀げ行人に贈り,暗くして神に傷む。

樂府 吹きて橫笛曲を為し,能く離れて腸斷の續すを使む。

移植 金門に在るに如かず,天恩に近し。

 

柳含煙四首 其三

章台柳,近垂旒。

低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇州,瑞煙浮。

直與路邊江畔別,免被離人攀折。

最憐京兆畫蛾眉,葉纖時。

(長安の章華台の下にある花柳界の女たちを見てきた柳が見たことを詠う。)

台の下にある柳の木を見てきた、その街の近く、皇帝の冕冠のおそばに柳は垂れている。

柳の枝は低く垂れ、そこを往来する、冠帽子や、車蓋を拂っているし、春も盛りなので鬱蒼としてぼんやりとして来て、春の運気もこの帝都全体に広がる。

真っ直ぐな道路と道路に沿って渠溝のほとりに柳があり河川本流の渭水で別れている、この町の人はこの柳を折って奉げて旅人の安全を祈ってわかれた人には柳に被われるのは免れたのだ。

最も憐れに思ったのはこの長安の平康里の女妓たちであるが、彼女らは若くて細くて魅力ある時だけの人生なのだ。

(柳含煙四首 其の三)

章台の柳,垂旒を近くす。

低拂す 往來する冠蓋を,朦朧として 春色 皇州に滿ち,瑞煙 浮ぶ。

直與の路 邊に江に畔に別れ,免被して人と離れ 攀折する。

最も憐れなるは 京兆 蛾眉を畫くもの,葉纖の時のみ。

 

 

柳含煙四首 其四

(渠溝の土手に植えられた柳、天子のもとに集められた宮女・妓優たちとはその場所を得ることでその力を発揮できると詠う。)

御溝柳,占春多。

天子のお庭に続く渠溝の土手に植えられた柳は、多くの宮女・妓優たちの春を訪ね見てきた。

半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

宮殿の土塀の畔に、半ば出た様に柳の枝が艶めかしい動きをするし、時によっては宮女たちの影が見え隠れし、それは、星列宿を祭りをする巫女の様に軽く梳けて見える着物を羽織っている、その着物はやんごとなきお方しか着られない黄緑色のうす絹の着物の波が揺れる。

昨日金鑾巡上苑,風亞舞腰纖軟。

昨日は天子が大明宮にいる間、金鑾殿にいて、その後は、上林苑の中を巡り歩く。細腰で舞い繊細で柔らかに踊り、衣擦れの舞の起す風がとどいてくる。

栽培得地近皇宮,瑞煙濃。

柳の樹の栽培も地を得ねば育たない、芸を持った妓優・宮女も場所を得てその芸が発揮されるそれを梨園ということで育てられたのは、天子の宮殿の御傍に置かれたからであり、天子の御蔭のめでたい祥煙に覆われたからなのだ。

(柳含煙四首 其の四)

御溝の柳,春を占う多し。

宮牆を半ば出で 婀娜なり,時に有 影に倒って 輕羅を醮す,麴塵の波。

昨日 金鑾 上苑を巡り,風亞すは 舞腰 纖軟なり。

地を得て皇宮近くに栽培す,瑞煙 濃なり。

  

 bijo02

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることでた。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、倡優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。薛瓊瓊はもとは色町の妓女であったが、箏が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、雀令欽『教坊記』による。以下『教坊記』を出典とするものは一々注記しない)。

 

* 楽戸とは、楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

玄宗は宮中に梨園*、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃∵勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「寛裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

* 梨園、宜春院。玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婦」 の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。その記載によると、選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲藷院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」 には凧魚(五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバッジ)が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二日、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。

 

 

 

彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでひじょうに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。

宮廷の名妓粛煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府雑録』「歌」)。

俳優、芸人など芸を売って暮らしている女性は、一般の貴族、平民の女性に比べてより独立性があり、男に従属することも少なく、男女の地位も自然で比較的平等であったこと、また彼女たちは娼妓と同じではなかったが、男女関係に対する観念は同じょうに大いに自由奔放であった。

 

 大明宮-座標

『柳含煙四首 其四』 現代語訳と訳註

(本文)

柳含煙四首 其四

御溝柳,占春多。

半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

昨日金鑾巡上苑,風亞舞腰纖軟。

栽培得地近皇宮,瑞煙濃。

 

(下し文)

(柳含煙四首 其の四)

御溝の柳,春を占う多し。

宮牆を半ば出で 婀娜なり,時に有 影に倒って 輕羅を醮す,麴塵の波。

昨日 金鑾 上苑を巡り,風亞すは 舞腰 纖軟なり。

地を得て皇宮近くに栽培す,瑞煙 濃なり。

 

 

(現代語訳)

(渠溝の土手に植えられた柳、天子のもとに集められた宮女・妓優たちとはその場所を得ることでその力を発揮できると詠う。)

天子のお庭に続く渠溝の土手に植えられた柳は、多くの宮女・妓優たちの春を訪ね見てきた。

宮殿の土塀の畔に、半ば出た様に柳の枝が艶めかしい動きをするし、時によっては宮女たちの影が見え隠れし、それは、星列宿を祭りをする巫女の様に軽く梳けて見える着物を羽織っている、その着物はやんごとなきお方しか着られない黄緑色のうす絹の着物の波が揺れる。

昨日は天子が大明宮にいる間、金鑾殿にいて、その後は、上林苑の中を巡り歩く。細腰で舞い繊細で柔らかに踊り、衣擦れの舞の起す風がとどいてくる。

柳の樹の栽培も地を得ねば育たない、芸を持った妓優・宮女も場所を得てその芸が発揮されるそれを梨園ということで育てられたのは、天子の宮殿の御傍に置かれたからであり、天子の御蔭のめでたい祥煙に覆われたからなのだ。

 

(訳注)

柳含煙四首 其四

()

唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、四仄韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、❸③⑥⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

●○●  △○○

●●○○○●  ●○●●△△○ ●○○

●●○○○●● △△●○○●

△△●●●○○ ●○○

 

 

 

御溝柳,占春多。

天子のお庭に続く渠溝の土手に植えられた柳は、多くの宮女・妓優たちの春を訪ね見てきた。

 

半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

宮殿の土塀の畔に、半ば出た様に柳の枝が艶めかしい動きをするし、時によっては宮女たちの影が見え隠れし、それは、星列宿を祭りをする巫女の様に軽く梳けて見える着物を羽織っている、その着物はやんごとなきお方しか着られない黄緑色のうす絹の着物の波が揺れる。

○婀娜 ① 女性の色っぽくなまめかしいさま。「―な年増(としま)」② 美しくたおやかなさま。性行為の際のなまめかしい女性しなやかな体のラインを言う。

李商隠《石榴》

榴枝婀娜榴實繁、榴膜軽明榴子鮮。

可羨瑤池碧桃樹、碧桃紅頬一千年。

石榴)榴枝は婀娜として榴實は繁し、榴膜は軽明として榴子は鮮かなり。羨むべし 瑤池 碧桃の樹、碧桃の紅頬は一千年。

ザクロをつける枝はしなやかに延びる、たわわに熟れるザクロの実はすばらしい。透き通るように薄いザクロの皮膜の内側、ザクロの種は色鮮やかなものだ。でももっと羨ましいのは西王母の住まう瑤池に植えられている碧桃の木である。三千年に一度実をつける碧桃は、その紅色の肌を一千年もの長く保ち続けるという。

 

石榴 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 68

 中国における道教の祭祀の一つ。《隋書》経籍志の道経序録によれば,醮とは災厄を消除する方法の一つで,夜中,星空の下で酒や乾肉などの供物を並べ,天皇太一や五星列宿を祭り,文書を上奏する儀礼をいう。

軽羅の用語解説 - (しゃ)・絽()などの薄い絹織物。また、それで作った単(ひとえ)。うすもの。《季 夏》

羅切 (らせつ)とは、人間の男性の外部生殖器を切断すること。日本において「羅切」という場合は、陰茎のみ切断する場合と、陰茎と陰嚢を同時に切断する場合に使用し、睾丸のみ摘出する狭義の去勢は含まない。

麴塵 【きくじん】①色の名。ほとんど灰色みを帯びた黄緑色。古くは刈安(かりやす)と紫根による染め色,近世は黄と青の糸による織り色をいう。天皇の略式の袍(ほう)の色で禁色(きんじき)の一。青色。山鳩。②「麴塵の袍」の略。

 上林苑01

昨日 金鑾 巡上苑,風亞 舞腰 纖軟。

昨日は天子が大明宮にいる間、金鑾殿にいて、その後は、上林苑の中を巡り歩く。細腰で舞い繊細で柔らかに踊り、衣擦れの舞の起す風がとどいてくる。

金鑾 長安大明宮 金鑾殿 帝が大明宮にゐる間は金鑾殿にゐる

上苑 中国,秦・漢代の天子の苑の名。苑とは囲いを設けて,その中で鳥獣などを養うところの意。上林苑はすでに秦代にあったが荒廃していたため,前漢の武帝がこれを修復,拡大した。長安 (西安) を中心に,周囲三百余里。

風亞 衣擦れの舞の起す風

亜[音]ア(漢) [訓]つぐ1 上位や主たるものに次ぐ。次位の。準ずる。「亜将・亜聖・亜流・亜熱帯」2 化合物中で酸化の程度の低いものを表す語。「亜硝酸・亜硫酸」

 

栽培 得地 近皇宮,瑞煙濃。

柳の樹の栽培も地を得ねば育たない、芸を持った妓優・宮女も場所を得てその芸が発揮されるそれを梨園ということで育てられたのは、天子の宮殿の御傍に置かれたからであり、天子の御蔭のめでたい祥煙に覆われたからなのだ。

瑞煙 天子のおかげのめでたい祥煙
 唐長安城図