うす絹の靴下をはいている年を重ねた宮女は俗塵から選定された者たちが出てくれば、遊女としていくことになる。そこに来る人は、逢瀬をし、春心をあらわして、珠の女妓たちと戯れて帰っていく。

 
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毛司徒文錫三十一首

 

 

虞美人二首 其一

虞美人二首 其二

酒泉子一首

 

 

喜遷鶯一首

贊成功一首

西溪子一首

 

 

中興樂一首

更漏子一首

接賢賓一首

 

 

贊浦子一首

甘州遍二首其一

甘州遍二首其二

 

 

紗窗恨二首 其一

恨二首 其

柳含煙四首其一

 

 

柳含煙四首其二

柳含煙四首其三

柳含煙四首其四

 

 

酔花間 二首 其一

酔花間 二首其二

浣沙溪一首

 

 

浣溪沙一首

 

 

月宮春一首

戀情深二首其一

戀情深二首其二

 

 

訴衷情二首其一

訴衷情二首其二

應天長一首

 

 

何滿子一首

巫山一段雲一首

臨江仙一首

 

 

 

 

 

 

 

 


浣沙溪一首

(宮殿の庭の河洲にかかわる鴛鴦に比して、宮女の世代交代を詠うものである。)

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

春の雪解けの増水で軽やかな波を起てて流れる、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せている。琵琶の花は春を迎えて花ビラを中州の上に散らしている、宜春院や沈香亭の扉が啓かれて、春の宴が始まる。

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

長閑な晴れの天気が続き、砂に隠れたりして遊んだり、眠ったりしている鴛鴦たちが群れでいる、暖かさは寄り添って隅っこの方にツガイの者たちをやる。

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

うす絹の靴下をはいている年を重ねた宮女は俗塵から選定された者たちが出てくれば、遊女としていくことになる。そこに来る人は、逢瀬をし、春心をあらわして、珠の女妓たちと戯れて帰っていく。

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

集められた若い宮女は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解いたのだ、宮女はもう帰っていき処のことは忘れてしまわねばならない。

(浣沙溪一首)

春水 輕波して 綠苔を浸し,枇杷 洲上 紫檀開く。

晴日 沙に眠り 鸂鸂穩し,暖かにして相い隈す。

羅襪【らべつ】塵より生ずれば 遊女過ぎ,人有り 逢著して珠を弄び迴る。

蘭麝 飄香し 初めて珮を解き,歸來するを忘る。

 

浣溪沙一首

七夕年年信不違,銀河清淺白雲微,蟾光鵲影伯勞飛。

每恨蟪蛄憐婺女,幾迴嬌妬下鴛機,今宵嘉會兩依依。

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『浣溪紗』五十六首

 

 

作者名/

初句

 

 

韋荘(韋相莊)巻二

 

浣溪沙 其一

清曉粧成寒食天

 

 

浣渓沙 其二 

欲上鞦韆四體慵

 

 

浣渓沙 其三 

惆悵夢餘山月斜

 

 

浣渓沙 其四 

綠樹藏鶯鶯正啼

 

 

浣渓沙 其五 

夜夜相思更漏殘

 

 

薛昭蘊(薛侍郎昭蘊)巻三

 

浣溪紗八首 其一

紅蓼渡頭秋正雨

 

 

浣溪紗八首 其二

鈿匣菱花錦帶垂

 

 

浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚痕

 

 

浣溪紗八首 其四 

握手河橋柳似金

 

 

浣溪紗八首 其五

簾下三間出寺牆

 

 

浣溪紗八首 其六

江館清秋纜客舡

 

 

浣溪紗八首 其七

傾國傾城恨有餘

 

 

浣溪紗八首 其八

越女淘金春水上

 

 

張泌(張舍人泌)

 

浣渓沙 十首 其一

花滿驛亭香露細

 

 

浣渓沙 十首 其二

早是出門長帶月

 

 

浣渓沙 十首 其三

雲雨自從分散後

 

 

浣渓沙 十首 其四

依約殘眉理舊黃

 

 

浣渓沙 十首 其五

微雨小庭春寂寞

 

 

浣渓沙 十首 其六 

天上人間何處去

 

 

浣渓沙 十首 其七

人不見時還暫語

 

 

浣渓沙 十首 其八 

小檻日斜風悄悄

 

 

浣渓沙 十首 其九 

消息未通何計是

 

 

浣渓沙 十首 其十 

飲散黃昏人草草

 

 

毛文錫(毛司徒文錫)

浣沙溪一首

春水輕波浸綠苔

 

 

 

浣溪沙一首

七夕年年信不違

 

 

欧陽烱(歐陽舍人烱)

 

浣渓沙 三首 其一

落絮殘鶯半日天

 

 

浣渓沙 三首 其二

天碧羅衣拂地垂

 

 

浣渓沙 三首 其三

相見休言有淚珠

 

 

(顧太尉

 

浣溪紗八首,其一

春色迷人恨正

 

 

浣溪紗八首,其二

紅藕香寒翠渚平

 

 

浣溪紗八首,其三

荷芰風輕簾幕香

 

 

浣溪紗八首,其四

惆悵經年別謝娘

 

 

浣溪紗八首,其五

庭菊飄黃玉露濃

 

 

浣溪紗八首,其六

雲澹風高葉亂飛

 

 

浣溪紗八首,其七

鴈響遙天玉漏清

 

 

浣溪紗八首,其八

露白蟾明又到秋

 

 

孫光憲(孫少監光憲)

 

浣溪紗九首其一

蓼岸風多橘柚香

 

 

浣溪紗九首其二

桃杏風香簾幕閑

 

 

浣溪紗九首其三

花漸凋疎不耐風

 

 

浣溪紗九首其四

攬鏡無言淚欲流

 

 

浣溪紗九首其五

半踏長裾宛約行

 

 

浣溪紗九首其六

蘭沐初休曲檻前

 

 

浣溪紗九首其七

風遞殘香出繡簾

 

 

浣溪紗九首其八

輕打銀箏墜鷰泥

 

 

浣溪紗九首其九

烏帽斜欹倒佩魚

 

 

閻選(閻處士選)

浣溪紗一首

寂寞流蘇冷繡茵

 

 

毛熙震(毛秘書熙震)

  

浣溪紗七首其一

春暮黃鶯下砌前

 

 

浣溪紗七首其二

花榭香紅煙景迷

 

 

浣溪紗七首其三

晚起紅房醉欲銷

 

 

浣溪紗七首其四

一隻橫釵墜髻叢

 

 

浣溪紗七首其五

雲薄羅裙綬帶長

 

 

浣溪紗七首其六

碧玉冠輕裊鷰釵

 

 

浣溪紗七首其七

半醉凝情臥繡茵

 

 

李絢(李秀才珣)

浣溪紗四首其一

入夏偏宜澹薄粧

 

 

浣溪紗四首其二

晚出閑庭看海棠

 

 

浣溪紗四首其三

訪舊傷離欲斷魂

 

 

浣溪紗四首其四

紅藕花香到檻頻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春水001
 

『浣沙溪』 現代語訳と訳註

(本文)

浣沙溪

春水輕波浸綠苔,枇杷洲上紫檀開。

晴日眠沙鸂鸂穩,暖相隈。

羅襪生塵遊女過,有人逢著弄珠迴。

蘭麝飄香初解珮,忘歸來。

 

 

(下し文)

(浣沙溪一首)

春水 輕波して 綠苔を浸し,枇杷 洲上 紫檀開く。

晴日 沙に眠り 鸂鸂穩し,暖かにして相い隈す。

羅襪【らべつ】塵より生ずれば 遊女過ぎ,人有り 逢著して珠を弄び迴る。

蘭麝 飄香し 初めて珮を解き,歸來するを忘る。

 

(現代語訳)

(宮殿の庭の河洲にかかわる鴛鴦に比して、宮女の世代交代を詠うものである。)

春の雪解けの増水で軽やかな波を起てて流れる、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せている。琵琶の花は春を迎えて花ビラを中州の上に散らしている、宜春院や沈香亭の扉が啓かれて、春の宴が始まる。

長閑な晴れの天気が続き、砂に隠れたりして遊んだり、眠ったりしている鴛鴦たちが群れでいる、暖かさは寄り添って隅っこの方にツガイの者たちをやる。

うす絹の靴下をはいている年を重ねた宮女は俗塵から選定された者たちが出てくれば、遊女としていくことになる。そこに来る人は、逢瀬をし、春心をあらわして、珠の女妓たちと戯れて帰っていく。

集められた若い宮女は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解いたのだ、宮女はもう帰っていき処のことは忘れてしまわねばならない。

 

 

(訳注)

浣沙溪

(宮殿の庭の河洲にかかわる鴛鴦に比して、宮女の世代交代を詠うものである。)

『花間集』には毛文錫の作が三十一首収められている。この詞調の「教坊曲」浣沙溪は毛文錫の一首のみで、教坊曲『浣溪紗』五十六首にも毛文錫の一首は所収されている。双調四十八字、前段二十四字四句三平韻、後段二十四字三句二平韻一仄韻で、⑦⑦7③/⑦⑦❼③の詞形をとる。

○●△○△●○  △△○●●○○

○●○△○○●  ●△△

○●△○○●△  ●○○△●○△

○●○○○●●  ●○△

春水0026
 

春水 輕波 浸綠苔,枇杷 洲上 紫檀開。

春の雪解けの増水で軽やかな波を起てて流れる、水は澄んでいて、水底の綺麗な緑の苔を色濃く見せている。琵琶の花は春を迎えて花ビラを中州の上に散らしている、宜春院や沈香亭の扉が啓かれて、春の宴が始まる。

○春水 春の雪解け水で増水した河川をあらわす。川が増水しているのに透き通った水であることに特徴を持つ。期待感を表す語である。

○枇杷 ビワ。初冬から咲き始め、大寒を耐え、立春の頃まで咲いている。バラ科の常緑高木。冬、枝先に帯黄白色の五弁の小花をつける。 目立たない花ではあるが芳香があり、この季節に咲く花としては趣がある。

○紫檀開 興慶宮にある沈香亭・宜春院 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

李白《清平調詞其三》「名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。」 名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。)

 

晴日 眠沙 鸂鸂穩,暖相隈。

長閑な晴れの天気が続き、砂に隠れたりして遊んだり、眠ったりしている鴛鴦たちが群れでいる、暖かさは寄り添って隅っこの方にツガイの者たちをやる。

○鸂鶒 おしどり。12・3世紀以前の性の倫理観は非常に自由であったので、鴛鴦の様に男女の番という表現は、必ずしも決まった男女ということではないのである。明時代以降の朱子学から貞操感の厳格化と性の隠蔽、頽廃の二極化していく。

 

羅襪 生塵 遊女過,有人 逢著 弄珠迴。

うす絹の靴下をはいている年を重ねた宮女は俗塵から選定された者たちが出てくれば、遊女としていくことになる。そこに来る人は、逢瀬をし、春心をあらわして、珠の女妓たちと戯れて帰っていく。

○羅襪 うす絹の靴下。李白《玉階怨》「玉階生白露、夜久侵羅襪。却下水精簾、玲瓏望秋月。」(玉階(ぎょくかい)に白露(はくろ)生じ、夜久しくして羅襪(らべつ)を侵(おか)す。水精(すいしょう)の簾(すだれ)を却下(きゃっか)するも、玲瓏(れいろう)として秋月(しゅうげつ)を望む)

○生塵 俗塵から選定された若い者たちが出てくれば

 

蘭麝 飄香 初解珮,忘歸來。

集められた若い宮女は、蘭麝のお香が漂いかおる中で、佩魚が許され、はじめて帯を解いたのだ、宮女はもう帰っていき処のことは忘れてしまわねばならない。

○初解珮 はじめて帯を解いて経験するということだが、佩び玉を腰につけることは宮女の中でも身分が高い方であろう。その場合宜春院に入った「内人」であれば、佩魚が許されるという、この場合並はずれた飛び切りの芸を持っている出身の家柄も良い場合ということになる。

○忘歸來 宮女として仕えはじめれば、帰ることは許されない。天子の所有物となることをいう。

美女004
 

 

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることでた。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、倡優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。薛瓊瓊はもとは色町の妓女であったが、箏が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、雀令欽『教坊記』による。以下『教坊記』を出典とするものは一々注記しない)。

 

* 楽戸とは、楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

玄宗は宮中に梨園*、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃∵勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「寛裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

* 梨園、宜春院。玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 鬢毛01

これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婦」 の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。その記載によると、選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲藷院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」 には凧魚(五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバッジ)が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二日、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。

 

 

 

彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでひじょうに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。

宮廷の名妓粛煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府雑録』「歌」)。

俳優、芸人など芸を売って暮らしている女性は、一般の貴族、平民の女性に比べてより独立性があり、男に従属することも少なく、男女の地位も自然で比較的平等であったこと、また彼女たちは娼妓と同じではなかったが、男女関係に対する観念は同じょうに大いに自由奔放であった。