(出家して自由恋愛も可能になり、思い人が通ってくれることを期待して過ごす女性を詠うものである。)春も盛り、梨の白い花は庭一面にほのかな香りとともに時折りおこるつむじ風により雪のように散り敷いている、高殿は静かな夜に時折りのつむじ風の音が琴曲を奏で、それによって侘しさに咽び泣きをしているかのようだ。


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花間集 教坊曲『菩薩蠻』四十一首

毛熙震 巻一『菩薩蠻 一』 小山重疊金明滅,

『菩薩蠻 二』 水精簾裡頗黎枕,

『菩薩蠻 三』 蘂黃無限當山額,

『菩薩蠻 四』 翠翹金縷雙鸂鶒,

『菩薩蠻 五』 杏花含露團香雪,

『菩薩蠻 六』 玉樓明月長相憶,

『菩薩蠻 七』 鳳凰相對盤金縷,

『菩薩蠻 八』 牡丹花謝鶯聲歇,

『菩薩蠻 九』 滿宮明月梨花白,

『菩薩蠻 十』 寶函鈿雀金鸂鶒,

『菩薩蠻十一』 南園滿地堆輕絮,

『菩薩蠻十二』 夜來皓月纔當午,

『菩薩蠻十三』 雨晴夜合玲瓏日

『菩薩蠻十四』 竹風輕動庭除冷,

韋 荘   菩薩蠻 一 韋荘 紅樓別夜堪惆悵

菩薩蠻 二 韋荘 人人盡江南好

菩薩蠻 三 韋荘 如今卻憶江南樂

菩薩蠻 四 韋荘 勸君今夜須沉醉

菩薩蠻 五 韋荘 洛陽城裡春光好

牛 嶠   菩薩蠻七首 其一 舞裙香暖金泥鳳,

菩薩蠻七首 其二 柳花飛處鶯聲急,

菩薩蠻七首 其三 玉釵風動春幡急,

菩薩蠻七首 其四 畫屏重疊巫陽翠

菩薩蠻七首 其五 風簾鷰舞鶯啼柳,

菩薩蠻七首 其六 綠雲鬢上飛金雀,

菩薩蠻七首 其七玉樓冰簟鴛鴦錦,

和 凝 巻八 菩薩蠻一首 其一 越梅半拆輕寒裏

孫光憲 巻八 菩薩蠻五首其一 月華如水籠香砌,

                    菩薩蠻五首其二花冠頻皷牆頭翼,

                    菩薩蠻五首其三小庭花落無人掃,

                    菩薩蠻五首其四青巖碧洞經朝雨,

                    菩薩蠻五首其五木綿花映叢祠小,

魏承班 巻八 菩薩蠻二首其一 羅裾薄薄秋波染,

                    菩薩蠻二首其二羅衣隱約金泥畫,

尹鶚隴 巻九 菩薩蠻一首  雲暗合秋天白,

毛熙震    巻十       菩薩蠻三首其一 梨花滿院飄香雪
        巻十       菩薩蠻三首其二 繡簾高軸臨塘看

巻十       菩薩蠻三首其三 天含殘碧融春色

李秀才珣                  巻十       菩薩蠻三首其一 迴塘風起波紋細

巻十       菩薩蠻三首其二 等閑將度三春景

巻十       菩薩蠻三首其三 隔簾微雨雙飛鷰

 
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菩薩蠻三首           其一

(出家して自由恋愛も可能になり、思い人が通ってくれることを期待して過ごす女性を詠うものである。)
梨花滿院飄香雪,高樓夜靜風箏咽。             

春も盛り、梨の白い花は庭一面にほのかな香りとともに時折りおこるつむじ風により雪のように散り敷いている、高殿は静かな夜に時折りのつむじ風の音が琴曲を奏で、それによって侘しさに咽び泣きをしているかのようだ。

斜月照簾帷,憶君和夢稀。             

君のお越しの準備のため簾を降ろし、待ち侘びてその簾に傾く月がすでに照らし、君を思っていてもたまに夢の中で逢瀬に和んでいるだけだ。 

燈影背,鷰語驚愁態。             

いつ来てもいい様に、小窓には灯火の影を背にうつし、愁いに沈んで夢うつつなところに話しかけられたと思ってはっと我に返る。

屏掩斷香飛,行雲山外歸。             

寝牀を囲う屏風は香の漂いはすでに遮れてしまった、あのお方は流る雲のように山の彼方へ帰り去ってしまった。

(菩薩蠻三首 其の一)

梨花は院に満ちて 香雪を飄【まいあが】らせ、高楼は夜静かに 箏咽を風にする。

月斜めにして 簾帷を照らし、君を憶う 夢稀に和【なご】む。

小窓 灯影 背にし、燕語 愁態を驚かす。

屏 掩い 香 飛ぶを断ち、行雲 山 外に帰る。

 

菩薩蠻三首           其二

繡簾高軸臨塘看,雨飜荷芰真珠散。             

殘暑晚初涼,輕風渡水香。             

無憀悲往事,爭那牽情思。             

光影暗相催,等閑秋又來。             

             

菩薩蠻三首           其三

天含殘碧融春色,五陵薄倖無消息。             

盡日掩朱門,離愁暗斷魂。             

鶯啼芳樹暖,鷰拂迴塘滿。             

寂寞對屏山,相思醉夢間。             

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『菩薩蠻三首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

菩薩蠻三首           其一

梨花滿院飄香雪,高樓夜靜風箏咽。             

斜月照簾帷,憶君和夢稀。             

燈影背,鷰語驚愁態。             

屏掩斷香飛,行雲山外歸。             

 

 

(下し文)

(菩薩蠻三首 其の一)

梨花は院に満ちて 香雪を飄【まいあが】らせ、高楼は夜静かに 箏咽を風にする。

月斜めにして 簾帷を照らし、君を憶う 夢稀に和【なご】む。

小窓 灯影 背にし、燕語 愁態を驚かす。

屏 掩い 香 飛ぶを断ち、行雲 山 外に帰る

 

(現代語訳)

(出家して自由恋愛も可能になり、思い人が通ってくれることを期待して過ごす女性を詠うものである。)

春も盛り、梨の白い花は庭一面にほのかな香りとともに時折りおこるつむじ風により雪のように散り敷いている、高殿は静かな夜に時折りのつむじ風の音が琴曲を奏で、それによって侘しさに咽び泣きをしているかのようだ。

君のお越しの準備のため簾を降ろし、待ち侘びてその簾に傾く月がすでに照らし、君を思っていてもたまに夢の中で逢瀬に和んでいるだけだ。 

いつ来てもいい様に、小窓には灯火の影を背にうつし、愁いに沈んで夢うつつなところに話しかけられたと思ってはっと我に返る。

寝牀を囲う屏風は香の漂いはすでに遮れてしまった、あのお方は流る雲のように山の彼方へ帰り去ってしまった。

瓊花02
 

(訳注)

菩薩蛮の背景

・唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。

・この数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬪・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。娼屋のOGなどの駆け込み寺観が存在していたのである。

  ここに登場する女性は、公主クラスの女性で、優雅に独り生活をしていると思われる。古代の恋愛事情は、多くの詩歌から読み取れるようにかなり自由な性倫理であったようだ。それは世界的にも言えることである。日本では源氏物語辺りから以前のこと、ほとんど、通い婚、一夫多妻制などから自由な性交渉があった。

 

菩薩蠻三首        其一

(出家して自由恋愛も可能になり、思い人が通ってくれることを期待して過ごす女性を詠うものである。)

◎菩薩蠻はどんな女性を詠ったものか?   参考

◎菩薩蠻の基本的な詞形はどんなものか?  参照。

『花間集』 には毛照震の作が三首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二灰韻二平韻、後段二十字四句二灰韻二平韻で、❼❼⑤⑤/❺❺⑤⑤の詞形をとる。温庭第の菩薩蛮の解説参照。

梨花滿院飄香  高樓夜靜風箏
斜月照簾  憶君和夢
燈影背  鷰語驚愁態
屏掩斷香  行雲山外

○○●△○○●  ○○●●△○△

○●●○○  ●○△△○

●?○●●  ●●○○●

△●●○○  △○○●○

梨花滿院飄香雪,高樓夜靜風箏咽。     

春も盛り、梨の白い花は庭一面にほのかな香りとともに時折りおこるつむじ風により雪のように散り敷いている、高殿は静かな夜に時折りのつむじ風の音が琴曲を奏で、それによって侘しさに咽び泣きをしているかのようだ。。

○飄 つむじ風。方向の一定しない風。ただよう。ひるがえる。おちる。はやい。

○香雪 白く香しい梨の花びらを雪に喩えたもの。

○風箏咽 風の音が琴曲を奏で、それによって侘しさに咽び泣きをする。・箏咽 琴の音によって咽び泣きをする。・風箏 風に乗ってあがる凧。伝説では、秦人の兄弟(父子とも)が二五弦の瑟をめぐって相争い、一二弦と一三弦との二つの楽器に分けたというのが箏という文字の起源であると伝えられている。

 

斜月照簾帷,憶君和夢稀。    

君のお越しの準備のため簾を降ろし、待ち侘びてその簾に傾く月がすでに照らし、君を思っていてもたまに夢の中で逢瀬に和んでいるだけだ。 

○斜月照簾帷 夕暮れには簾を降ろして、男を待つ準備をしたものの、真夜中を過ぎて月が落ち掛けてきたら部屋の中まで照らしていると夜通し待ち続けることを意味する。詩中の「月がどこにあるのか」これを意識しないと理解はできない。ただ単に、月の明かりが簾と戸張を照らしている程度の理解ではだめである。更に、月は女性自身であり、女としてその盛りを過ぎてしまったことも意味している。

○和 ほどよい。~とともに。こたえる。おうずる。まぜあわす。ここは、なごませる。

 

燈影背,鷰語驚愁態。    

いつ来てもいい様に、小窓には灯火の影を背にうつし、愁いに沈んで夢うつつなところに話しかけられたと思ってはっと我に返る。

○小窓灯影背 灯火は小窓を背にして。。

○燕語驚愁態 花間集の中での夜の燕語はベッドの中で男女の会話をいうもので、愁いに沈んで夢うつつなところに話しかけられたと思ってはっと我に返る。

 

屏掩斷香飛,行雲山外歸。    

寝牀を囲う屏風は香の漂いはすでに遮れてしまった、あのお方は流る雲のように山の彼方へ帰り去ってしまった。

○屏掩断香飛 屏風は情事の際、閨は広いので寝牀のまわりに立てるものである。したがって、何時男が来てもいいように準備をしたということ。・断香飛 夕方から香を焚き閨に飛び広がっても、時間経過ですでに消えてしまった状態をいう。

○行雲山外歸 雲は、古く中国では雲は谷間の岩場、洞窟から湧き出るもの、そしてその山から生まれ山に帰ると考えられていたことで、この女の所ではなく、どこかの女のもとに行ってしまったということである。又、花間集では、宋玉の《高唐賦》に基づき、巫女、女を雨とし、懐王、男を雲として情事を重ねるということを前提にしているものが多い。

 

菩薩蠻の基本的な詞形はどんなものか?

 

溫庭筠

小山重疊金明滅  鬢雲欲度香顋雪

懶起畫蛾眉  弄妝梳洗遲

照花前後鏡  花面交相映

新帖繡羅襦  雙雙金鷓鴣

●○△●○○●  ●○●●○○●

●●●△○  ●○○●○

●○○●●  ○●○△●

○●●○○  ○○○●○

菩薩蠻 (一)

小山 重疊して  金 明滅,鬢の雲 度(わた)らんと欲(す)  香顋の雪に。

懶げに起き   蛾眉を 畫く。妝を弄び  梳洗 遲し。

花を照らす  前後の 鏡。花面  交(こもご)も 相(あ)ひ映ず。

新たに帖りて 羅襦に綉りするは、雙雙  金の 鷓鴣。

韋莊

紅樓別夜堪惆悵  香燈半捲流蘇帳

殘月出門時  美人和涙辭

琵琶金翠羽  絃上黄鶯語

勸我早歸家  綠窗人似花

○○●●○○●  ○○●△○○●

○●●○○  ●○△?○

○○○●●  △●?○●

●●●○○  ●○○●○

菩薩蛮

紅樓の別れの夜 惆悵に堪へんや。香燈に半ば捲く 流蘇の帳【とばり】を。

殘月 門を出でし時、美人 涙と和【とも】に辭す。

琵琶 金翠の羽。絃上 黄鶯 語るに:

我に勸む 早【つと】に 家に歸れと。綠窗に 人 花の似【ごと】し。

 

 

牛嶠 菩薩蠻七首其一

舞裙香暖金泥鳳,畫梁語鷰驚殘夢。

門外柳花飛,玉郎猶未歸。

愁勻紅粉淚,眉剪春山翠。

何處是遼陽,錦屏春晝長。

●○○●○△●  ●○●●○○△

○●●○○  ●○△●○

○○○●●  ○●○○●

△●●○○  ●△○●△

(菩薩蠻七首 其の一)

舞裙 香 暖かく 金泥の鳳,畫梁【がりょう】語る鷰 殘夢を驚く。

門外 柳花 飛,玉郎 猶お未だ歸らず。

愁いて紅粉の淚を勻え,眉は春山の翠を剪る。

何處か 是れ遼陽なる,錦屏 春晝 長し。

 

 

菩薩蠻はどんな女性を詠ったものか?

【女尼、女冠、女巫】 (1

 

唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。『唐六典』(巻四)に、盛唐の時代、天下に女道士のいる550の道観、2,122の尼寺があったと記されている。尼や女道士の数はさらに相当なものである。『旧唐書』の「傅奕伝」に、唐初「天下の僧尼の数は十万に満ちる」とあり、『新唐書』の 「百官志」には「天下の女冠は9,888人、女尼は50,576人」とある。『唐会要』の「僧籍」によれば、唐後期の会昌年間(841846)、僧尼は二26万人を超えていた。これらの記録から推測すると、尼僧は少ない時でも数万人、多い時には二十余万人にも達していたと想像される。都から遥か遠方の敦煌地区でも、普通の寺の尼僧は常に一寺院に百人はいた(『敦煌資料』)。道教寺院の女道士の数はやや少なめであった。これに各地で自由に活動している女巫(女占師)を加えて合計すると、御らく数倍にはなるのではないだろうか。国としても無視できない階層を形成していたのである。

 

 【女尼、女冠、女巫】 (2

鬢毛01

家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。しかし、こうした人は少数で圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。また、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に入らざるをえなかった者もいる。

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。

宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。長安の政平坊にあった安国観の女道士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちは女尼,女冠,女巫かつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである

 

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。