欧陽烱《花間集序 (3)》 詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

 
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《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちほ陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

海棠花101
 

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 


-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

917年 五代十国
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

何止言之不文,所謂秀而不實。

有唐已降,率土之濱,

家家之香徑春風,寧尋越豔。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

 

(下し文) -#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

 

(現代語訳) -#3

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

 

(訳注) -3

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。
 

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

○南朝 東晋の後を受けて建康(今の南京)に都を置いた宋、斉、梁、陳の四王朝。

○宮体 南朝の斉、梁時代に流行した詩体。主として後宮の女性を題材とした艶麗な詩を指す。

○扇 煽る。

○倡風 少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行させて、俗っぽく頽廃してゆく。

 

何止言之不文,所謂秀而不實。

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

 

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

率土之濱 国の津々浦々に至るまで広がる。長安、洛陽中心の文学、特に、唐の教坊の詞曲が唐の滅亡、都の政情不安により各地に分散し、特に、各地の交通の要衝の地を中心に広がったことをいう。

 

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

越豔 江南の美女、江南の文化。

 

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

常娥 誇蛾、恒蛾、嫦娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。ここでは占いの雰囲気作りにはみょうれいな女性の神、巫女の登場というシチュエーションというところか。 ○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには轄蛤(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。素蛾 月ひめ常蛾のこと。夫の努の留守中、霊薬をぬすみ飲んで月中にのがれ、月の楕となった神話中の人物。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。○嬋娟 艶めかしく姿あでやかなるさま。顔や容姿があでやかで美しい。魏の阮籍(210263年)の詠懐詩に「秋月復た嬋娟たり。」とブログ阮籍 詠懐詩、白眼視 嵆康 幽憤詩

 

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