(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》 ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

 

 

 
 2015年2月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
185 《巻24-30 寄遠,十一首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <185> Ⅰ李白詩1408 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5588 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
37-(1) 《巻02-21 駑驥 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1321> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5589 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#4奉節-31-#4 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -4》 杜甫index-15 杜甫<903-05> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5590 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》皇甫松12首巻二28-〈78〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5592 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》皇甫松12首巻二28-78〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5592

 

 

(改訂版)-77-2皇甫松11《巻2-27 採蓮子二首其一》

採蓮子二首 其一

(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)

菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。

未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

晚來弄水船頭濕(舉棹),更紅裙裹鴨兒(年少)。

日が落ちてきたけど水は揺れて波だって、舟の舳先まで水浸し。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、そのうえ、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、若いもの今を楽しめ。)

(採蓮子二首  其の一)

菡萏の蓮は香る 十頃の陂【つつみ】(棹を舉げよ)、小姑 戲れるを貪【むさぼ】り 蓮を採ること遲し (年少なり)

晩來れども 水に弄じて 船頭 濕れる (棹を舉げよ),更に 紅裙を脱ぎ 鴨兒【おうじ】を裹【つつ】む (年少なり)

(旧版)

採蓮子二首 其二

舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。

無端隔水蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その二

舟が動いて月の光がきらきらと影を落とす秋の夜(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。乙女らは丘の上で見ている青年をじっと見つめるものだから船が流されるがままになっているのです。(ああ、そうだよ若いもの。)

ただわけもなく船を岸に向けると、乙女は蓮の実を好きな青年に向けて投げるのです。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。それをはるか離れている人に見られたので、半日も恥ずかしい思いをした。(ああ、そうだよ若いもの。)

 

採蓮子二首  其の二

船は 湖光を動かし 灔灔たる 秋 (棹を舉げよ)

年少を貪り看て 船の流るるに 信【まか】す (年少なり)

端 無くも水を隔てて 蓮子を抛【なげう】てば (棹を舉げよ),遙か人に知られて 半日羞づ (年少なり)。

 

(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》

採蓮子二首 其二

(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)その二

舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。

舟が動けば湖面の波に月の光がきらきらとゆれ、艶やかな波が続いて、艶やかな秋の夜が更ける(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、貴公子がみるのもまた増えて舟は合流し、時に流され、船も流されるがままになっている。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

無端隔水蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。

ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

(採蓮子二首 其二)

舡動すれば湖光して 灔灔の秋なり棹を舉げよ)貪看すれば年少くして 舡 流るるに信【まか】す。 (年少なり)

端 無くも水を隔てれば 蓮子を抛【なげう】つ、棹を舉げよ)遙か人に知られども 半日 羞ずだけ。(年少なり)

05saiko02
 


(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》

『採蓮子二首 其二』現代語訳と訳註

(本文)

其二

舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。

無端隔水蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。

 

(下し文)

採蓮子 其の二

船は 湖光を動かし 灔灔たる 秋 (棹を舉げよ)。

年少を貪り看て 船の流るるに 信【まか】す (年少なり)。

端 無くも水を隔てて 蓮子を抛【なげう】てば (棹を舉げよ),遙か人に知られて 半日羞づ (年少なり)。

 

(現代語訳)

(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)その二

舟が動けば湖面の波に月の光がきらきらとゆれ、艶やかな波が続いて、艶やかな秋の夜が更ける(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、貴公子がみるのもまた増えて舟は合流し、時に流され、船も流されるがままになっている。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

 

(訳注)

(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》

採蓮子二首 其二

(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)その二

採蓮を見に来る貴公子たちは、丘の上から声をかけ、夕暮れには船を出して女たちを誘い、思い思いに一夜を過ごす。翌朝女は棄てられる。しかし、今日も採蓮していると同じように、声をかけて來るから、まあ、半日恥ずかしい、いやな思いをするだけで、又今日一日、楽しめばよいということである。

唐から北宋に掛けて、もっと言えば六朝期から、唐宋にかけて最も性的倫理が自由な時代であったということで詞の解釈をすることである。同時期の日本でいえば、万葉の時代から、平安時代が比較的自由な性倫理であった。

唐の教坊の曲名。「教坊記』は采蓮子と記す。お座敷、宴会の席で詠うもので、意味合い的には男同士で飲みながら、下ネタの意味を込めて、娼妓に歌わせ、踊らせるものである。

『花間集』には皇甫松の二首のみ所収。

単調二十八字、四句・平韻で、各句末に二字の囃子詞が付く。この囃子詞を含めると三十六字になり、⑦❷、⑦❷。7❷、⑦❷。の詞形をとる。韻式は「AAA」。( )内は囃子詞。

菡萏香蓮十頃 (舉棹) 小姑貪戲採蓮(年少)
晚來弄水船頭濕 (舉棹) 紅裙裹(年少)

  
  

其二

舡動湖光灔灔 (舉棹) 貪看年少信舡(年少)
無端隔水蓮子 (舉棹) 遙被人知半日(年少)

  
  

 

皇甫松(生卒年不詳)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。工部侍郎皇甫湜の子、宰相牛僧濡の外甥で、晩唐の詞人。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。隠士は形跡を残さないほど隠士としての価値が高い。『酔郷日月』 『大隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からも、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。『花間集』 には十二首の詞が収められている。 

 

 

舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。

舟が動けば湖面の波に月の光がきらきらとゆれ、艶やかな波が続いて、艶やかな秋の夜が更ける(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、貴公子がみるのもまた増えて舟は合流し、時に流され、船も流されるがままになっている。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

・船動湖光:船が湖面を波打たせたので、水面が動いて日の光がきらきらと反射しているさまをいう。

・灔灔:水の揺れ動くさま。(月光等が水に映って)美しく光るさま。

貪看:蓮の実を採っている少女が、岸辺にいる若者をうっとりとみつめていること。

・信船流:舟が流されるがまま。

 

無端隔水蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。

ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)

・無端:訳もなく。故無く。

・隔水:水を隔てて。舟から岸をめがけて。

・抛:放り投げる。

・蓮子:蓮の実。食用にする。蓮池の側でよく売っている。ここでは、採蓮の女子、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。

・遙被人知:遙か離れている所の人に見られてしまい。

・半日:長時間。長い間。現代語での「半天」(はんにち)と同じで、「半日(はんにち)」の意とともに、「相当長時間」の意味がある。夕方から夜の間の半日。

・羞:はじらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

《花間集》 皇甫松 十二首

 

 

ID

V--No-作者-ID-《巻-詞》

初句七字

備考

 

 

1

(改訂版)-67-2皇甫松1《巻2-17 天仙子二首其一》

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

 

2

(改訂版)-68-2皇甫松2《巻2-18 天仙子二首其二》

躑躅花開紅照水

 

 

 

3

(改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》

灘頭細草接疎林

 

 

 

4

(改訂版)-70-2皇甫松4《巻2-20 浪濤沙二首其二》

蠻歌豆北人愁

 

 

 

5

(改訂版)-71-2皇甫松5《巻2-21 楊柳枝二首其一》

春入行宮映翠微

 

 

 

6

(改訂版)-72-2皇甫松6《巻2-22 楊柳枝二首其二》

爛熳春歸水國時

 

 

 

7

(改訂版)-73-2皇甫松7《巻2-23 摘得新二首其一》

酌一巵,須教玉

 

 

 

8

(改訂版)-74-2皇甫松8《巻2-24 摘得新二首其二》

摘得新,枝枝葉

 

 

 

9

(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》

蘭燼落,屏上暗

 

 

 

10

夢江南二首其二

樓上寢,殘月下

 

 

 

11

採蓮子二首其一

菡萏香蓮十頃陂

 

 

 

12

採蓮子二首其二

舡動湖光灔灔秋

 

 

 

皇甫松(生卒年不詳)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。工部侍郎皇甫湜の子、宰相牛僧濡の外甥で、晩唐の詞人。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。隠士は形跡を残さないほど隠士としての価値が高い。『酔郷日月』 『大隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からも、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。『花間集』 には十二首の詞が収められている。