(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》  去って行った小路も香りと舞い起した塵はそのままにして決して掃除をしない。それで誰もがするのは、掃除をすると、すなわち、劉郎は去ってしまい、帰って来るのが遅くなるばかりか還らないことになるからと縁起を担いでいるという。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》二巻49-99〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5697

 

 

(旧解)

清平楽四首 其四

(世の中が清らかに治まっていることを詠う詩譜)その四

鴬啼残月、綉閣香燈滅。

鴬が啼いて春を告げてくれたと思ったら、もう春の月も10日をきろうとしている。今宵も待ち侘びてきれいな楼閣にも香を焚くのも、燈火も消えてしまうまで眠れない。

門外馬嘶郎欲別、正是落花時節。

この家の門の外で馬が嘶くとあの人は別れたいといったのです。それはまさに、今と同じ、満開の花が散っていく時期のことでした。

 

妝成不畫蛾眉、含愁濁倚金扉。

お迎えする化粧を整えてあの時の様な遠山の眉を書く気にはなれないのです。いろんなことを考えながら、ただ一人で金色に飾られたあの人が入って來る扉に倚りかかるのです。

去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。

去って行った道も香の残りと舞い起した塵はそのままにしているので決して掃き掃除をしてはいけないのです。掃除をしてしまうと、すなわち、あの人があの女のもとを去って私のもとに帰って來るのが遅くなるような気がするのです。

(淸平樂四首 其四) 

鴬啼き月残り 綉閣は香燈滅ゆ。

門外に馬の嘶けば郎は別れんと欲す、正に是れ落花の時節。

妝成るも蛾眉を畫かず、愁いを含んで濁り金扉に倚る。去る路の香塵は掃くことなかれ、掃けば即ち郎去りて歸ること遅からん。

花間集
 

(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂其四其一》

淸平樂其四其一

(蜀である時まで一緒に過ごした美人は召し上げあげられて、後宮の清平楽の生活だ、しかし、雨が降る度、楽しい日々が思い出される、「あたしが住んでいるところは、青々と茂ったエンジュの木陰のところ」と言っていたが、今は何処にいると詠う。)その一

何處遊女,蜀國多雲雨。

好きだったあの游女はどこにいったのだろうか。蜀の国に降る雨は「朝雲暮雨」の言い伝えどおり雨が多いのは、巫女の化身だからだ。

雲解有情花解語,窣地綉羅金縷。

あの時、雲となる男としては情を解して、花である美人はその言葉から情を理解して惚れあった。それからは、金糸の女の身にまとう衣装を脱がせ、突然と風音が地を這っても一緒であった。

妝成不整金鈿。含羞待月鞦韆。

美人だから、お化粧、身繕いができあがったはずなのにあわてて金の髪飾りがゆがんでいるのがかわいかったし、はじらいながら月の出を待つように、ブランコで遊んでまっていたものだ。

住在綠槐陰裏,門臨春水橋邊。

「あたしが住んでいるところは、青々と茂ったエンジュの木陰のところ。」といっていた。そして門から望む景色は春のぞうすいした川の流れに橋のあたりに面しているところだった。

(淸平樂四首其一)

何處にか 遊女ある,蜀國は雲雨多し。

雲は情する有るを解し 花は語を解す,窣地【そつち】 綉羅 金縷。

妝【よそほ】い成るも金鈿整はず。羞いを含み月を鞦韆に待つ。

綠槐の陰裏に住む在り,春水の橋邊に門臨す。

 

(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂其四其二》

淸平樂其四其二

(世の中が清らかに治まっていることを詠う詩譜:寵愛を失って幾度も過ぎる春を見替えやがてその春も過ぎゆき、秋風が胡弓琴の音に聞こえると詠う)

野花芳草,寂寞關山道。

寵愛を失ってもう何度目の春だろうか、野に花が咲き、かぐわしい草花は大地に繁る。この景色も、ここに続く道ももうふるさととなっている。春が巡って、また一年歳が流れてゆく、寂しい春を過ぎてゆく。 

柳吐金絲鶯語早,惆悵香閨暗老。

ヤナギの垂れ枝が黄金色の新芽を出し、ウグイスが春を告げ、一人で過ごす春は早く過ぎ去ってゆく。それでも、寵愛を受ける準備はするだけに、かなしくうらめしい思いはつのるばかり、香を焚いて準備する閨は、重苦しくひそかに老いてゆく。

羅帶悔結同心,獨凭朱欄思深。

羅帶のなかには同心結をぬいこんでいるだけに悔やまれてならない。ほかのことを考えるとこは許されないから、ひとり、窓の朱色の欄干に独りでもたれかかり、遠くの景色を見やって深く思いを巡らす。

夢覺半床斜月,小窗風觸鳴琴。

眠りに付けず、うとうとして夢から目覚めると、半ばまで牀を照らす斜めに落ち掛けた月がら月光が射し込む。小窓に風がぬけると、瑟琴に触れて鳴らしたようにきこえてくる。 

(淸平樂其四其の二)

野花 芳草,寂寞たる 關山の 道。

柳は金絲を吐き 鶯語は早【いそ】ぎ,惆悵たり 香閨 暗かに老ゆる。

羅帶 「結同心」を悔み,獨り朱欄に凭れば思ひ 深し。

夢覺めば 半床の斜月,小窗 風觸りて琴を 鳴らす。

 

(改訂版)-20韋荘98《巻2-48 淸平樂其四其三》

淸平樂其四其三

淸平樂其四(公主は王孫の帰りを待つが、もう何年も期待を裏切られる、しかし、世の中には、帰って来る人も帰りを待つ人も、どちらも期待を裏切られている人々は多くいるものだと詠う詩譜)その三

春愁南陌。故國音書隔。

春には帰ると約束したから、春には正面の門に注目するけれどそれは愁いを増すばかり、公主へ音信がないばかりか、故国への音沙汰も途絶えてしまったという。

細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。

春の長雨がしとしとと降り、梨の花が細雨に濡れている季節もすぎ、ツバメが飛び交い、美しい窓のカーテンの金の装飾や縫いとりのある立派な簾額の側を払って飛んでいるのも過ぎる。  

盡日相望王孫, 塵滿衣上涙痕。

それでも一日中、王孫の帰ってくるのを眺め待ちのぞむ、帰ってきたら着替えしようと畳んでおいてある着物の上に塵が積もり、着ている上衣は涙の痕が一杯ついてしまった。

誰向橋邊吹笛, 駐馬西望消魂。

船で帰るひとを見ていると、誰かが橋のたもとを向いて、笛を吹いている。馬で帰る人がそこにとどめていて、帰らぬ人を待って西の方を望んでいる、帰った人蛾待ち人がいない、邀人には帰ってこない、そこには通い合う情は消え去っている。

(淸平樂其四其三)

春愁の 南陌。故國 音書隔つ。

細雨 霏霏として 梨花白し。燕は畫簾 金額を拂ふ。

盡日 王孫相ひ望み,塵は衣上の涙痕に滿つ。

誰か 橋邊に向いて 笛を吹く,馬を駐【とど】めて 西を望みて消魂す。

 

(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》

清平楽 其四

(妃嬪は、寵愛を受ける事だけを考えてただ準備をして待つだけで、別れた時の状態をそのまま残し、縁起を担いで待っていると詠う詩譜)その四

鴬啼残月、綉閣香燈滅。

あれほど来ると約束した春を、鴬が告げてくれたのに、もう春の月も10日をきろうとしている。寵愛を受ける準備を整え、きれいな御殿閣に香も、燈火も消えても眠れない。

門外馬嘶郎欲別、正是落花時節。

御殿の門の外で馬が嘶く、あのお方は別れていこうとしたときのことである。それはまさに、今とこの春と同じ、満開の花が散っていく時期のことだった。

妝成不畫蛾眉、含愁濁倚金扉。

妃嬪はお迎えする化粧を整えはするけど、あの時の様な遠山の眉を書けない。いろいろと愁えていて、ただ一人で正面の金色に飾られた扉に倚りかかる。

去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。

去って行った小路も香りと舞い起した塵はそのままにして決して掃除をしない。それで誰もがするのは、掃除をすると、すなわち、劉郎は去ってしまい、帰って来るのが遅くなるばかりか還らないことになるからと縁起を担いでいるという。

淸平樂四首 其の四

鴬啼き 月残り 綉閣は香燈 滅ゆ。

門外 馬嘶いて 郎 別れんと欲す、正に是れ 落花の時節。

妝成るも 蛾眉を畫かず、愁いを含んで濁り金扉に倚る。

去る路の香塵 掃くことなかれ、掃けば即ち 郎去り 歸り遅【や】まん。

 

花蕊夫人006
 

 


 (改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》

『清平楽 其四』 現代語訳と訳註

(本文)

清平楽 其四

鴬啼残月、綉閣香燈滅。

門外馬嘶郎欲別、正是落花時節。

妝成不畫蛾眉、含愁濁倚金扉。

去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。

 

(下し文)

淸平樂四首 其の四

鴬啼き 月残り 綉閣は香燈 滅ゆ。

門外 馬嘶いて 郎 別れんと欲す、正に是れ 落花の時節。

妝成るも 蛾眉を畫かず、愁いを含んで濁り金扉に倚る。

去る路の香塵 掃くことなかれ、掃けば即ち 郎去り 歸り遅【や】まん。

 

(現代語訳)

(妃嬪は、寵愛を受ける事だけを考えてただ準備をして待つだけで、別れた時の状態をそのまま残し、縁起を担いで待っていると詠う詩譜)その四

あれほど来ると約束した春を、鴬が告げてくれたのに、もう春の月も10日をきろうとしている。寵愛を受ける準備を整え、きれいな御殿閣に香も、燈火も消えても眠れない。

御殿の門の外で馬が嘶く、あのお方は別れていこうとしたときのことである。それはまさに、今とこの春と同じ、満開の花が散っていく時期のことだった。

妃嬪はお迎えする化粧を整えはするけど、あの時の様な遠山の眉を書けない。いろいろと愁えていて、ただ一人で正面の金色に飾られた扉に倚りかかる。

去って行った小路も香りと舞い起した塵はそのままにして決して掃除をしない。それで誰もがするのは、掃除をすると、すなわち、劉郎は去ってしまい、帰って来るのが遅くなるばかりか還らないことになるからと縁起を担いでいるという。

 

(訳注)  (改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》

清平楽 其四

(妃嬪は、寵愛を受ける事だけを考えてただ準備をして待つだけで、別れた時の状態をそのまま残し、縁起を担いで待っていると詠う詩譜)その四

この作品は『花間集』巻二にある。妃嬪が寵愛を失うが、毎日寵愛を受ける準備をして待つのだが、春には必ず来ると約束していたので、期待をして待つ。その春も終ろうとしている。寵愛を受けていた時の部屋を出て行った道は掃いたりしていない、帰って来ることを縁起を担いでいるからだと、ただ待つ毎日の悲しさを詠うのである。この詩では最終句の、「去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。」が新しい表現で注目する所だ。

唐教坊の曲、詞譜の一。花間集には韋荘の作が四首収められその四首目。詞の形式名。双調。四十六字。平韻相互の換韻。花間集巻第二所収。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

当時の女性は二十代後半以降は独りになってしまうのがほとんどで寂しい老後を迎えるのがふつうであった。

(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂其四其一》

何處遊  蜀國多雲
雲解有情花解  窣地綉羅金
妝成不整金  含羞待月鞦
住在綠槐陰裏  門臨春水橋

  
  
  
  

(改訂版)-19韋荘97《巻2-47 淸平樂其四其二》

野花芳  寂寞關山
柳吐金絲鶯語  惆悵香閨暗
羅帶悔結同  獨凭朱欄思
夢覺半床斜月  小窗風觸鳴

  
  
  
  

(改訂版)-20韋荘98《巻2-48 淸平樂其四其三》
春愁南  故國音書
細雨霏霏梨花  燕拂畫簾金
盡日相望王  塵滿衣上涙
誰向橋邊吹笛  駐馬西望消 

  
  
  

  

(改訂版)-21韋荘99《巻2-49 淸平樂四首 其四》

鴬啼残  綉閣香燈
門外馬嘶郎欲  正是落花時
妝成不畫蛾  含愁濁倚金
去路香塵莫掃  掃即郎去歸

  
  
  
  

 

鴬啼残月、綉閣香燈滅。

あれほど来ると約束した春を、鴬が告げてくれたのに、もう春の月も10日をきろうとしている。寵愛を受ける準備を整え、きれいな御殿閣に香も、燈火も消えても眠れない。

・鴬啼 春が来たことを知らせる鶯。今は来てくれないあの人も、仲睦まじく過ごしたころに鶯の啼き声を聞いていたので、きっと思い出してきてくれるという期待を持った語句である。あるいは、春にはきっと行くよという約束、連絡が来ていたものの来てくれないということ。

・残月 この月もあと十日を切ってしまうこと。ここでの残月は晩春の月の後半の月を示す。まだ春で、残り少なくなってきているがもう来ないものとあきらめはしないというほどの意味になる。この初句四字でこの詩の概要をあらわしている。

綉閣 樓閣の窓や行燈の布張りに刺繍や画がえがかれているもの。綉:刺繍がしてある。縫いとりがしてある。

 

門外馬嘶郎欲別、正是落花時節。

御殿の門の外で馬が嘶く、あのお方は阮郎のように別れていこうとしたときのことである。それはまさに、今とこの春と同じ、満開の花が散っていく時期のことだった。

・門外馬嘶 娼屋の一部にこの詩の主人公が居を構えていた。正面の門の外に馬を繫いだのである。

・郎欲別  ○劉郎 別れ去る愛しい男。仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である夢心地の状態にある男、何年も訪れてくれなくなっているのでこのようにいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、ここにいる女を含めみんなが全く変わっていたというものだ。 劉禹錫『再遊玄都觀』「百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。」○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉郎は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。和凝『天仙子二首』其二「洞口春紅飛蔌蔌,仙子含愁眉黛綠。阮郎何事不歸來,懶燒金,慵篆玉。流水桃花空斷續。天仙子二首 其二  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」情けの強い男を「潘郎」といい、劉郞、阮郎、檀郎、安仁など色町の女が男をそう呼んだ。

・落花時節 初句「残月」がここにかかってくるのである。

 

妝成不畫蛾眉、含愁濁倚金扉。

妃嬪はお迎えする化粧を整えはするけど、あの時の様な遠山の眉を書けない。いろいろと愁えていて、ただ一人で正面の金色に飾られた扉に倚りかかる。

・妝成 お迎えする化粧を整え、閨を整えること。

・蛾眉 遠山、柳の葉を眉に書くこと。

・金扉 その家の正面の扉。

 

去路香塵莫掃、掃即郎去歸遅。

去って行った小路も香りと舞い起した塵はそのままにして決して掃除をしない。それで誰もがするのは、掃除をすると、すなわち、劉郎は去ってしまい、帰って来るのが遅くなるばかりか還らないことになるからと縁起を担いでいるという。

 

 

 

 

 

 

 

 宮島(10) 

 

 

天子のために、妃嬪は大明宮六宮、興慶宮、洛陽内裏、上陽宮、離宮、御陵など宮殿陵廟に配置され、寵愛を得ようとそれぞれ努力をすることだけを生きるあかしとしている。美貌、音楽舞踊、芸、文学、裁縫、・・・を競って努力をする。しかしそのまま埋もれてしまうことがほとんどで、漢の陳皇后のようにいずれ寵愛を取り戻せることだけを信じていきていくと詠う。

 

優雅な生活

后妃たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給した。「唐の法は北周、隋の法を踏襲し、妃嬪、女官には地位に尊卑があったから、その品階によって衣服、化粧の費用を支給した」(『旧唐書』王鉷伝)。唐初以来、国庫が日に日に豊かになると、后妃たちの生活もそれに応じて贅沢になった。玄宗の代になると宮中の生活が贅沢になりすぎたので、皇帝は宮中にあった珠玉宝石、錦柄を焼き捨て、また宮中の衣服を専門に供する織錦坊を閉鎖したことがあった。しかし、いくばくもなく開元の盛世が到来すると、玄宗も初志を全く翻したので、宮中生活はまた華美に復した。玄宗は寵愛した妃嬪に大量の褒美を与えた。王鉷は、毎年百億にものぼる銭、宝貨を皇室に寄進し、専ら玄宗が妃嬪に賜る恩賞の費用とした。そして「三千の寵愛、一身に在り」と称された楊貴妃は、さらに一層贅沢の限りを尽したので、宮中にいた七百人の織物職人が専門に彼女のために刺繍をし、また他に数百人の工芸職人が彼女の調度品を専門に制作していた。また、楊貴妃は荔枝が好きだったので、玄宗は万金を費やすのを惜しまず、昼夜駅伝の馬を走らせ、荔枝を蜀(四川)より長安に運ばせた。詩人杜牧はそれを風刺し、「一騎 紅塵 妃子笑う、人の是れ荔枝来るを知る無し」(「華清宮に過る絶句」)と詠じた。

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。