(改訂版)-27韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》(河を題材にした悲しい逸話 其の一:運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-27韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》三巻5-〈105〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5727
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| 花間集 教坊曲『河傳』十八首 | | ||||||
| 溫助教庭筠 | 巻2-09 | (改訂版)河傳三首其一 | 曉妝仙,仙景箇 | | |||
| 巻2-10 | (改訂版)河傳三首其二 | 雨蕭蕭,煙浦花 | | ||||
| 巻2-11 | (改訂版)河傳三首其三 | 杏花稀,夢裡每 | | ||||
| 韋相莊 | 巻二 | 何處,煙雨,隋堤 | | ||||
| 巻二 | 春晚,風暖,錦城 | | |||||
| 巻二 | 錦浦,春女,繡衣 | | |||||
| 張舍人泌 | 巻五 | 渺莽雲水,惆悵暮 | | ||||
| 巻五 | 紅杏,交枝相映, | | |||||
| 顧太尉敻 | 巻七 | 鷰颺,晴景。小䆫 | | ||||
| 巻七 | 曲檻,春晚。 | | |||||
| 巻七 | 棹舉,舟去,波光 | | |||||
| 孫少監光憲 | 巻七 | 太平天子,等閑遊 | | ||||
| 巻七 | 柳拖金縷,着煙籠 | | |||||
| 巻七 | 花落,煙薄,謝家 | | |||||
| 巻七 | 風颭,波斂。 | | |||||
| 閻處士選 | 巻九 | 秋雨,秋雨, | | ||||
| 李秀才珣 | 巻十 | 朝雲暮雨,依舊 | | ||||
| 巻十 | 落花深處,啼鳥 | | |||||
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河傳三首
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
河傳其二
春晚,風暖,錦城花滿,狂殺遊人。
玉鞭金勒,尋勝馳驟輕塵,惜良晨。
翠娥爭勸邛酒,纖纖手,拂面垂絲柳。
歸時煙裏,鐘鼓正是黃昏,暗銷魂。
河傳其三
錦浦,春女,繡衣金縷,霧薄雲輕。
花深柳暗,時節正是清明,雨初晴。
玉鞭魂斷煙霞路,鶯鶯語,一望巫山雨。
香塵隱映,遙見翠檻紅摟,黛眉愁。
(旧解)
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
(河を題材にした悲しい逸話 其の一)
何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。
五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。
江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。
(河傳【かでん】其の一)
何處【いずこにか】?煙雨ありて,隋堤 春の暮,柳色蔥籠【そうろう】たり。
畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めく,水光 融【やわら】ぐ。
青娥【せいが】殿腳【でんきゃく】に春妝【しゅんしょう】して媚【なまめ】かし,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たり司花の妓。
江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月は迷樓に映え,古今 愁う。
河傳三首 其一
(河を題材にした悲しい逸話 其の一:運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。)
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
この運河を作るために妓優や、機織りの女たちまでも土を掘り、土を運んだがその女たちの迹は何処にあるのだろうか?春雨が柳並木に降り煙霧がかかって、京杭大運河の隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
その時煬帝は、自ら龍船に乗って行幸し、絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませたという。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
その日のために、五百人もの船牽く乙女を「殿腳女」とよび、艶やかな薄絹の春の粧装をさせてその堤に侍らせ、それを後宮から軽やかな雲がかかるように隋堤に並ばせ、そして献上された迎輦花をうで一杯に持たせた麗しい司花宮妓、女官が居並べさせた。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
煬帝は反乱の鎮圧に努める江都揚州に宮殿を立てて、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、ついに、帝星が勢いを失い傍らにあった大星が妖しげな光を放っているを見るに至った、その江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、煬帝の遺跡、江都宮闕、迷樓、運河の柳並木は人々を愁いに誘うのである。
(河傳【かでん】其の一)
何處【いずこか】ぞ?煙雨ある,隋堤 春の暮,柳色 蔥籠【そうろう】たり。
畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めき,水光 融【やわら】ぐ。
青娥【せいが】殿腳【でんきゃく】に春妝【しゅんしょう】して媚【なまめ】かしく,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たる司花の妓。
江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月 迷樓に映え,古今 愁うなり。
(改訂版)-27韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
『河傳三首』 現代語訳と訳註
(本文)
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
(下し文)
(河傳【かでん】其の一)
何處【いずこか】ぞ?煙雨ある,隋堤 春の暮,柳色 蔥籠【そうろう】たり。
畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めき,水光 融【やわら】ぐ。
青娥【せいが】殿腳【でんきゃく】に春妝【しゅんしょう】して媚【なまめ】かしく,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たる司花の妓。
江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月 迷樓に映え,古今 愁うなり。
(現代語訳)
(河を題材にした悲しい逸話 其の一:運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。)
この運河を作るために妓優や、機織りの女たちまでも土を掘り、土を運んだがその女たちの迹は何処にあるのだろうか?春雨が柳並木に降り煙霧がかかって、京杭大運河の隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
その時煬帝は、自ら龍船に乗って行幸し、絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませたという。
その日のために、五百人もの船牽く乙女を「殿腳女」とよび、艶やかな薄絹の春の粧装をさせてその堤に侍らせ、それを後宮から軽やかな雲がかかるように隋堤に並ばせ、そして献上された迎輦花をうで一杯に持たせた麗しい司花宮妓、女官が居並べさせた。
煬帝は反乱の鎮圧に努める江都揚州に宮殿を立てて、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、ついに、帝星が勢いを失い傍らにあった大星が妖しげな光を放っているを見るに至った、その江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、煬帝の遺跡、江都宮闕、迷樓、運河の柳並木は人々を愁いに誘うのである。
(訳注) (改訂版)-27韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
河傳三首其一
(河を題材にした悲しい逸話 其の一:運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。)
隋の煬帝が開いた運河の堤について詠う。京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。煬帝は暴君として描写され、その業績は否定的に評価される傾向にある。大運河に関しては女性までも動員した急工事でこれを開鑿し、開通のデモンストレーションとして自ら龍船に乗って行幸したために、「自らの奢侈のために多数の人民を徴発した」などと後世に評されることになる。しかし大運河の建設は長期間分裂していた中国を統一するための大事業でもあった。また共に次子でありクーデターによって帝位に就くなど、環境や行動に類似点の多い唐太宗の正統性を主張するため、煬帝(ようだい)と言う貶字を謚号に用い、『隋書』にも暴君であるように編纂したとするのが正当のようだ。
『隋書・帝紀・煬帝下』に「六軍不息,百役繁興,行者不歸,居者失業。人飢相食,邑落爲墟,上不之恤也。東西遊幸,靡有定居,毎以供費不給,逆收數年之賦。所至唯與後宮流連耽湎,惟日不足,招迎姥媼,朝夕共肆醜言,又引少年,令與宮人穢亂,不軌不遜,以爲娯樂。」
皇帝の軍隊は、休む閑が無く、数多くの仕事が次から次に起こり、出て行った者は帰ってくることがなく、留まっている者は失業している。(煬帝は)各地を遊び回り、定まった住所が無く、お金を渡すことはなく、逆に数年分の税金を取り立てる。ただ、後宮の女性の所に居続け、それでもの足らないときは、熟年の老女を呼び込み、朝夕に亘って、醜い言葉をほしいままにしていた。その上、若者に対して宮人に穢らわしいことをさせて、むちゃくちゃなことをさせ、それを楽しみとしていた。)とある。
この詩は、運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。前段は、「何処ぞ」と問いを発して煬帝の暴君であることをしめす遺跡のありかを尋ねることで連想を起こし、第二句以下は、煬帝が開通の船団を仕立て、そこに江南の少女たち、花を手にした司花の宮女、女官をならべて江都揚州に向かうさまを述べる。現実逃避、奢侈にふけった行宮、迷樓は今も江淮の清らかな月の光に包まれ、人を愁いに誘わずにはいないと言い、権力者の滅亡につながった、民への負担、強引な手法の象徴としての「青娥」「殿腳」「春妝媚」「司花妓」というものを並び立て憐れを誘っている。この詩は、煬帝が、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われたことを連想させ、批判めいたことを一切述べているわけではないが充分に理解させるものである。
『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三仄韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。
韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
何處 煙雨 隋堤春暮 柳色蔥籠
畫橈金縷 翠旗高颭香風 水光融
青娥殿腳春妝媚 輕雲裏 綽約司花妓
江都宮闕 清淮月映迷樓 古今愁
△● ○● △△○● ●●○▲
●△○● ●○○●○△ ●△○
○○●●○○● △○● ●●○○△
○○○● ○○●●○○ ●○○
温庭筠に『河傳』がある。双調五十五字、前段二十七字七句二仄韻五平韻、後段二十八字六句三仄韻四平韻で❷❷③⑥⑦⑤/❼❸❺③③②⑤
河傳
湖上、閑望。
雨蕭蕭 煙浦花橋路遙。
謝娘翠蛾愁不消、終朝、夢魂迷晚潮。
蕩子天涯歸棹遠、春已晚、莺語空腸斷。
若耶溪、溪水西。
柳堤、不聞郎馬嘶。
○● ○△
●○○ ○●○○●○
●○●△○△○ ○○ △○○●○
●●○○○●● ○●● ?●△○●
△○○ ○●○
●△ △△○●○
(河傳)
湖の上り,閑かに望む。
雨 蕭蕭として,煙める浦に花橋の路遙なり。
娘 翠蛾を謝するは愁い消さず,終に朝なり,夢魂は晚の潮に迷う。
蕩子は天涯にあり棹して歸るは遠く,春 已に晚く,鶯語 空しく腸斷す。
若耶溪,溪水の西。
柳の堤,郎の馬嘶くも聞えず。
『河傳』温庭筠 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-# 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
この運河を作るために妓優や、機織りの女たちまでも土を掘り、土を運んだがその女たちの迹は何処にあるのだろうか?春雨が柳並木に降り煙霧がかかって、京杭大運河の隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
○隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。
○葱寵 草木の青々と茂るさま。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
その時煬帝は、自ら龍船に乗って行幸し、絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませたという。
○畫橈 彩色を施した棹や櫂、楫などの船具。
○金縷 ここでは橈の金糸の房飾りを指す。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
その日のために、五百人もの船牽く乙女を「殿腳女」とよび、艶やかな薄絹の春の粧装をさせてその堤に侍らせ、それを後宮から軽やかな雲がかかるように隋堤に並ばせ、そして献上された迎輦花をうで一杯に持たせた麗しい司花宮妓、女官が居並べさせた。
○青娥 靑は若く美しい、娥は艶めかしい女。選ばれた女。
○殿腳/殿脚 殿脚女。煬帝が船で江都に向かう際、船を引くために選び集めた女性。煬帝は詔を出して大型の船を造らせ、江に浮かべて淮河に沿って下り、呉や越で民間の十五、六歳の少女五百人を選び殿腳女と呼んで、羊とともに引き船をさせたと言う。
○雲裏 朝廷、後宮にかかる雲がこの隋堤につながってかかっている。
戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕
雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。
秋風嫋嫋吹江漢,祗在他鄉何處人。
702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <609> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500
○綽約 たおやかなさま。
○司花妓 煬帝は江都に向かう際、洛陽の人から迎輦花を献じられたので、御者の袁宝児にそれを持たせて司花女と呼んだと言う。・玉輦 ぎょくれん天子の鳳輦(れん)。天子の乗り物。ここでは、隋・煬帝を指している。煬帝〔ようだい〕569~618年(義寧二年)隋の第二代皇帝。楊広。英。宮殿の造営や大運河の建設、また、外征のため、莫大な国費を費やし、やがては、隋末農民叛乱を招き、軍内の叛乱で縊(くび)り殺された。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
煬帝は反乱の鎮圧に努める江都揚州に宮殿を立てて、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、ついに、帝星が勢いを失い傍らにあった大星が妖しげな光を放っているを見るに至った、その江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、煬帝の遺跡、江都宮闕、迷樓、運河の柳並木は人々を愁いに誘うのである。
○江都 今の江蘇省揚州に煬帝の行在所宮を置いた。。
○宮闕 宮城の門の両側に建てられた楼門。ここでは宮殿全体をあらわす意。
○清淮 江淮地帯。長江と淮河に挟まれた地帯。ここで揚州一帯を指す。地図参照。
○迷樓 煬帝は行宮に楼閣を建て、仙人をこの楼閣に遊ばせたならば真の仙人でもきっと迷うことであろうと言い、迷倭と名付けたと言われている。
煬帝は反乱の鎮圧に努める中で次第に現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われた。ある日、煬帝は眠れなかったので天を仰ぐと、帝星が勢いを失い傍らにあった大星が妖しげな光を放っているのを見て、不吉なものを感じて天文官に聞いてみると、「近頃、賊星が帝星の座をおかしています。また日光は四散してあたかも流血のごとき模様を描いております。このまま時が過ぎますと、恐らくは近々に不測の禍が起こりましょうから、陛下には直ちに徳をおさめられてこの凶兆を払う事が肝要と存じます」と述べた。この日から煬帝は国事の奏上を受け付けなくなり、奏上する者は斬罪に処すという命令を出した。618年、江都で煬帝は故郷への帰還を望む近衛兵を率いた宇文化及・宇文智及兄弟や裴虔通らによって、末子の趙王楊杲(13歳)と共に50歳にして殺害された。