毛文錫  柳含煙四首 其四  

御溝柳,占春多。半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

昨日金鑾巡上苑,風亞舞腰纖軟。栽培得地近皇宮,瑞煙濃。

(京兆には章台の柳は、冕冠旒を満たし、東西の水陸駅に続く柳は毎日のように折楊柳、結同心しれ割られを見てきた、そうした見送り見送られての別れではない人たちがいる。それは若さを失えば、棄てられるという別れである。柳が見てきたと詠う。)

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柳含煙四首

柳含煙四首 其一

(煬帝が国を傾けるほどして作った運河は国を豊かにした。春の行楽の画船が行き交い、春景色に色を添え、船引きの笙歌は春の愁いを消してくれる。)隋堤の柳 其の一

隋堤柳,汴河旁。

煬帝が作った運河の堤に柳がある、そこから続く汴河通済渠の運河の側にも柳がつづく。

夾岸綠陰千里,龍舟鳳舸木蘭香,錦帆張。

両岸は千里先まで緑の影を成し続く。またそこには竜のフナ飾りの鮮やかな絵が行き交い、鳳凰の絵の舟が、香りたかい蘭の木で作られている。その船に錦の帆を張る。

因夢江南春景好,一路流蘇羽葆。

長安や洛陽いて夢で思うのは、江南地方の春の景色がよいものであるという、楽しみになる。隋堤の運河により一筋の水路の流れこの地域を結ぶことでそれぞれの地域を守り、蘇らせる。

笙歌未盡起橫流,鏁春愁。

そしてこの運河、娘たちの船引きの笙の笛に歌声を乗せた船は進んでも、未だにこの流れに横から入り込むが、波を起こしたりすることはない。この中においては春の愁いのこころに蓋をして、隠してくれる。

 

(柳含煙四首 其の一)

隋堤の柳,汴河の旁。

夾岸の綠陰千里なり,龍舟 鳳舸 木蘭の香,錦帆 張る。

夢に因って江南 春景好なり,一路 流蘇して 羽葆す。

笙歌 未だ盡く起きて橫流し,春愁を鏁す。

 

柳含煙四首 其二

(柳が鬱蒼と茂る夕方の霞と一体となって悲しく霞む様子をいうが、この詩は長安城の西市の横を流れる渠溝に架かる橋、長安周辺の河川、運河の柳並木に、まつわるいろんな逸話があったことを思わせる)堤の柳 其の二

河橋柳,占芳春。

隋堤運河を渡る橋のたもとの柳、かんばしい春はこれからどうなるのか。

映水含煙拂路,幾迴攀折贈行人,暗傷神。

柳の緑は水に映り、柳が鬱蒼として霞にけむり、土手の道を枝は揺れて掃いているようだ。もう何度もここに来て、折楊柳をして、上にかかげて旅に行く人の安全を祈った事だろう、しかしその陰に約束が果たされず、失い、傷つき、恨むものがいる。

樂府吹為橫笛曲,能使離腸斷續。

“柳”の楽府は沢山あり、宮女、妓優が横一面に並んで、笛曲を吹奏する、そして、それはまた、別れの断腸の思いを続けさせられることになる。

不如移植在金門,近天恩。

隋堤の柳は植え替えておなじようにはなるというものではないが、今、長安城の西の金門にある、それは天子の御恩がふりそそぐ近くにある。

(柳含煙四首 其の二)

河橋の柳,芳春を占【たず】ねる。

水に映え煙を含み路を拂う,幾びか迴る 折るを攀げ行人に贈り,暗に 神を傷む。

樂府 吹きて笛曲を橫に為し,能く離れて腸斷の續かわ使む。

移植に如かずも 金門に在る,天恩に近し。

 

柳含煙四首 其三

(京兆には章台の柳は、冕冠旒を満たし、東西の水陸駅に続く柳は毎日のように折楊柳、結同心しれ割られを見てきた、そうした見送り見送られての別れではない人たちがいる。それは若さを失えば、棄てられるという別れである。柳が見てきたと詠う。)

章台柳,近垂旒。

古今、各王朝の章台にある柳の冕冠旒を見てきた、その近く、皇帝の冕冠の前後に十二旒、計二十四旒が垂れている。

低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇州,瑞煙浮。

柳の枝は低く垂れ、そこを往来する、冠帽子や、車蓋を拂っている。春も盛りになれば、鬱蒼としてぼんやりとして来て、めでたい春の覇気、運気もこの帝都全体に広がる。

直與路邊江畔別,免被離人攀折。

真っ直ぐな道路と道路に沿って渠溝のほとりに柳があり、長安城の東でも、西でも河川本流の渭水で支流と別れて合流してゆく、ここの人は、この柳を折って奉げて旅人の安全を祈るがわかれた人には柳に被われるのは迷惑な事である。

最憐京兆畫蛾眉,葉纖時。

最も憐れに思ったのはこの長安の後宮の妃嬪たちはこうした折楊柳の別れではなく、若くて細くて魅力ある時が過ぎれば、寵愛を失うという別れが待っているのである。

 

(柳含煙四首 其の三)

章台の柳,垂旒を近くす。

低拂す 往來する冠蓋を,朦朧として 春色 皇州に滿ち,瑞煙 浮ぶ。

直與の路 邊に江に畔に別れ,免被して人と離れ 攀折する。

最も憐れなるは 京兆 蛾眉を畫くもの,葉纖の時のみ。

 

柳含煙四首 其四

御溝柳,占春多。

半出宮牆婀娜,有時倒影醮輕羅,麴塵波。

昨日金鑾巡上苑,風亞舞腰纖軟。

栽培得地近皇宮,瑞煙濃。

 

 

『柳含煙四首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

柳含煙四首 其三

章台柳,近垂旒。

低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇州,瑞煙浮。

直與路邊江畔別,免被離人攀折。

最憐京兆畫蛾眉,葉纖時。

 

(下し文)

(柳含煙四首 其の一)

隋堤の柳,汴河の旁。

夾岸の綠陰千里なり,龍舟 鳳舸 木蘭の香,錦帆 張る。

夢に因って江南 春景好なり,一路 流蘇して 羽葆す。

笙歌 未だ盡く起きて橫流し,春愁を鏁す。

 

(現代語訳)

(京兆には章台の柳は、冕冠旒を満たし、東西の水陸駅に続く柳は毎日のように折楊柳、結同心しれ割られを見てきた、そうした見送り見送られての別れではない人たちがいる。それは若さを失えば、棄てられるという別れである。柳が見てきたと詠う。)

古今、各王朝の章台にある柳の冕冠旒を見てきた、その近く、皇帝の冕冠の前後に十二旒、計二十四旒が垂れている。

柳の枝は低く垂れ、そこを往来する、冠帽子や、車蓋を拂っている。春も盛りになれば、鬱蒼としてぼんやりとして来て、めでたい春の覇気、運気もこの帝都全体に広がる。

真っ直ぐな道路と道路に沿って渠溝のほとりに柳があり、長安城の東でも、西でも河川本流の渭水で支流と別れて合流してゆく、ここの人は、この柳を折って奉げて旅人の安全を祈るがわかれた人には柳に被われるのは迷惑な事である。

最も憐れに思ったのはこの長安の後宮の妃嬪たちはこうした折楊柳の別れではなく、若くて細くて魅力ある時が過ぎれば、寵愛を失うという別れが待っているのである。

 

(訳注)

柳含煙四首 其三

(京兆には章台の柳は、冕冠旒を満たし、東西の水陸駅に続く柳は毎日のように折楊柳、結同心しれ割られを見てきた、そうした見送り見送られての別れではない人たちがいる。それは若さを失えば、棄てられるという別れである。柳が見てきたと詠う。)

この詩は、長安には東西に柳並木があり、それぞれ春明、金門を出て一駅の間に別れを惜しんで折楊柳や結同心を行って離人となるが、後宮には、三千人、三万人という女性たちがおり、その最上級の妃嬪たちでさえ、若さと美しさの失えば、離人となってしまう。

唐教坊の曲『花間集』には毛文錫の四首所収されている。双調四十五字、前段二十二字五句三平韻一仄韻、後段二十三字四句一仄韻三平韻で、❸③6⑦③/❼⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其一

隋堤、汴河旁。夾岸綠陰千里、龍舟鳳舸木蘭香、錦帆張。

因夢江南春景、一路流蘇羽葆。笙歌未盡起橫、鏁春愁。

旁、香、張 葆、流、愁。

△△● ●○○  ●●●○○●  ○○●●●○○  ●△△

○△○○○●●  ●●○○●●  ○○●●●△○  △○○

双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、後段二十三字四句二仄韻二平韻で、3③6⑥③/❼❻⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其二

河橋柳,占芳。映水含煙拂路,幾迴攀折贈行,暗傷

樂府吹為橫笛,能使離腸斷。不如移植在金,近天

押韻 春、人、神曲、續門、恩

○○● △○○  ●●○○●●  △△○△●△○  ●△○

●●△○△●●  △●△○●●  △△○●●○○  ●○○

 

双調四十四字、前段二十一字五句三平韻、後段二十三字四句三平韻で、3③6⑦③/7⑥⑦③の詞形をとる。

柳含煙四首 其三

章台柳,近垂。低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇,瑞煙

直與路邊江畔別,免被離人攀。最憐京兆畫蛾,葉纖

押韻 時。

○○● ●○○  ○●●△△●  △○○●●○○  ●○○

●△●○○●●  ●●△○○△  ●○○●●△○ ●○○

 

章台柳,近垂旒。

古今、各王朝の章台にある柳の冕冠旒を見てきた、その近く、皇帝の冕冠の前後に十二旒、計二十四旒だ垂れている。

章台柳 ①長安市内西南部にあった楼台「章華台」の名。また、その楼台のあった宮殿の名。《楼台の下が花柳街であったところから》繁華街の遊郭をいう。②章台:秦の殿名。以って内に章台有りでその名を得る。 章台に相如を見る。——《史記·廉相如列 即章台。 ③春秋楚国の離宮。春秋時代、楚の霊王6(紀元前535)がこちらで 古章華台という行宮をたてた。

垂旒 古代帝王礼帽前后垂的玉串。冕冠は皇帝から卿大夫以上が着用した。冠の上に冕板(延とも)と呼ばれる長方形の木板を乗せ、冕板前後の端には旒を垂らした。旒の数は身分により異なり、皇帝の冕冠は前後に十二旒、計二十四旒である。このほか皇帝が天地を祭るのに使う旒の無い大裘冕がある。冠側面から玉笄と呼ばれる簪を指し、底部には纓と呼ばれる組紐がつく。また冕板の中央には天河帯と呼ばれる赤帯がついた。

 

低拂往來冠蓋,朦朧春色滿皇州,瑞煙浮。

柳の枝は低く垂れ、そこを往来する、冠帽子や、車蓋を拂っている。春も盛りになれば、鬱蒼としてぼんやりとして来て、めでたい春の覇気、運気もこの帝都全体に広がる。

○冠蓋 冠帽子や、車蓋

○朦朧 ① ぼんやりとかすんで、はっきり見えないさま。② 物事の内容・意味などがはっきりしないさま。③ 意識が確かでないさま。

○皇州 帝都。李白《古風、五十九首之十八》「衣冠照雲日,朝下散皇州。」(衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。)

 

直與路邊江畔別,免被離人攀折。

真っ直ぐな道路と道路に沿って渠溝のほとりに柳があり、長安城の東でも、西でも河川本流の渭水で支流と別れて合流してゆく、ここの人は、この柳を折って奉げて旅人の安全を祈るがわかれた人には柳に被われるのは迷惑な事である。

○免被 ごめんこうむる。

○離人 長安城内から潏水の船着き場で舟に乗り、潏水がのながれ乗って渭水に合流すると逗留して行き旅立つのでこの何処かで離人を見る事になる。長安の東、㶚橋には、街道駅と水路駅がありここでも離人を見たものである。

○攀折 折楊柳を攀げる。

 

最憐京兆畫蛾眉,葉纖時。

最も憐れに思ったのはこの長安の後宮の妃嬪たちはこうした折楊柳の別れではなく、若くて細くて魅力ある時が過ぎれば、寵愛を失うという別れが待っているのである。

京兆 長安

畫蛾眉 平康里の女妓たちである

葉纖 若くて細くて魅力ある

 

 

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。

 

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局(尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司、司薬、司、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

 

「三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。」(三千の宮女 胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん)《白居易「後宮詞」》。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

 

上陽白髮人白居易

天寶五載已後,楊貴妃專寵,後宮人無復進幸矣。六宮有美色者,輒置別所,上陽是其一也。貞元中尚存焉。

 

上陽人,紅顏暗老白髮新。

綠衣監使守宮門,一閉上陽多少春。

玄宗末初選入,入時十六今六十。

同時采擇百餘人,零落年深殘此身。

 

憶昔吞悲別親族,扶入車中不教哭。

皆雲入便承恩,臉似芙蓉胸似玉。

未容君王得見面,已被楊妃遙側目。

妒令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。

 

秋夜長,夜長無寐天不明。

耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。

春日遲,日遲獨坐天難暮。

宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休妒。

 

鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。

唯向深宮望明月,東西四五百回圓。

今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。

小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。

 

外人不見見應笑,天寶末年時世妝。

上陽人,苦最多。

少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?

君不見昔時呂向《美人賦》,【【天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。呂向獻

《美人賦》以諷之。】〉

又不見今日上陽白髮歌!

 

 

 

 

(上陽白髮人)

上陽の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり

綠衣の監使宮門を守る、一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少の春。

玄宗の末 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。

同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す。

 

憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ、扶けられて車中に入るも哭せしめず。

皆云ふ 入すれば便ち恩を承くと、臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり。

未だ君王の面を見るを得るを容れざるに、已に楊妃に遙かに側目せらる。

妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ、一生遂に空房において宿す。

 

秋夜長し、夜長くして寐ぬる無く天明けず。

耿耿たる殘燈 壁に背く影、蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。

春日遲し、日遲くして獨り坐せば天暮れ難し。

宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ、梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む。

 

鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり、春往き秋來して年を記さず。

唯だ深宮に明月を望む、東西四五百回 圓かなり。

今日 宮中 年最も老ゆ、大家遙かに賜ふ尚書の號。

小頭の鞋履 窄(せま)き衣裳、青黛 眉を點ず 眉細くして長し。

 

外人は見ず 見れば應に笑ふべし、天寶の末年 時世の妝ひ。

上陽の人、苦しみ最も多し。

少くして亦苦しみ、老いて亦苦しむ

少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何せん。

君見ずや 昔時 呂向の美人の賦を、又見ずや 今日 上陽白髪の歌を。

 

 

この白髪の詩一首は、今日でも後宮の不幸な女性たちに一掬の同情の涙を流させる。

九重の深宮は宮人たちの身体を鎖で縛っているが、彼女たちの若い心を縛ることはできなかった。

彼女たちは憂え恨み悲しんだが、しかしなおも愛情と幸福を渇望していた。現世がすでに秒茫たるものであったから、希望と夢を来世に託すはかなかったのである。永く後世に伝わった次の 「紅葉に詩を題す」 の物語は、生々と彼女たちの心情を伝えている。