孫少監光憲  楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。

 

巻八43

楊柳枝四首其三

12孫光憲

(改訂版Ver.2.1

《花間集》396巻八44

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7244

 

 
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楊柳枝四首其一

閶門風暖落花乾,飛遍江城雪不寒。

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄干。

(蘇州水陸駅の風景を詠う)

呉城の西北門の「閶闔門」から見れば春も終わりの風が暖かく花を落下させやがて乾燥させる。やがて、風が北から偏って吹きはじめると大江のほとりに立つ城郭に雪が降ることるがあっても、寒気に堪えられないほどのものではない(が一人で居るのが耐えられない)

一人で居るから夕闇が迫るころになると、水陸駅に入って来る舟を臨む。暇を持て余す人が大勢、同じように紅い欄干に倚りかかって眺めている。

(楊柳枝 四首其の一)

閶門 風暖く 花を落し乾く,飛遍 江城 雪寒からず。

獨り有る 晚來りて 水驛に臨み,人閑にして多く赤欄干に凭れる。

 

楊柳枝四首其二

有池有榭即濛濛,浸潤飜成長養功。

恰似有人長點檢,着行排立向春風。

(離宮の大池のほとりのあずまやに一人妃嬪が佇むが、春が来れば行楽に向かいたいと思うものである。万物春が来ればみんなそうなのだと詠う。)

離宮には大池があり、ほとりに四阿があるが、霧に包まれれば何が何だか分からなくなるし、水につかったり、ずぶぬれになったり、あるいはひっくり返ったり起き上がったり、そうやって長く生物は養われ、育っていくのである。

それは人間の生きていくこと、後宮の妃賓の有様にも似ているものであり、詳しく調べるとそんなものである、旅から戻ってきたり、旅に出ようとするし、一方を排し、他方を立てること、逢うも別れもあるものだし、愛されれていても、捨てられることもあるが、春風が吹いてくれば、万物の成長、行楽への思いは春風に向っての思うものである。

(楊柳枝 四首 其の二)

池有り 榭有る 即濛濛とす,浸潤し 飜成して 長しく 養功す。

恰も 人に有る 長しく點檢するに似たり,行に着き 排立するも 春風に向う。

 

楊柳枝四首其三

(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。

(楊柳枝四首其の三)

根柢  濁河を傍にすると雖然も,無妨にして 終日 笙歌を近くす。

驂驂として 金帶 誰か比に堪えん,還た共に 黃鶯 校せざるを多くす。

 

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹。

 

西湖十景 曲院風荷02
華山000
 

『楊柳枝四首』其三  現代語訳と訳註解説
(
本文)

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

(下し文)
(楊柳枝四首其の三)

根柢  濁河を傍にすると雖然も,無妨にして 終日 笙歌を近くす。

驂驂として 金帶 誰か比に堪えん,還た共に 黃鶯 校せざるを多くす。


(現代語訳)
楊柳枝四首其三(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。

もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。


(訳注)

楊柳枝四首其三

(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

貴公子は、好き勝手に遊びほうけていて、女を作っては棄ててゆく、女は、何もすることができずにただ待つだけである。ただ待つというのは、終日笙の笛を吹き、歌っていた王子喬は士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。というのとおなじではないか。

 

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花,飛遍江城雪不

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄

○○△●●○○  ○●○○●△○

●●●△△●●  ○○○△●○○

楊柳枝四首其二

有池有榭即濛,浸潤飜成長養

恰似有人長點檢,着行排立向春

●○●●●△△  △●○○△●○

●●●○△●●  ?△○●●○△

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁,無妨終日近笙

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校

○△○○△●○  ○△○●●○○

○○○●○○△  ○△○○△●○

大明宮の圖003
 

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。

10 根柢 物事や考え方を成り立たせる土台になっているもの。基礎。根本。

11 雖然 にもかかわらず (雖然…但是…,儘管、卻…) N(である)+にもかかわらず な形+なの / な形である +にもかかわらず 普通体+にもかかわらず.

12 濁河 黄河のこと。《西漢會要/65》「夫齊,東有琅邪、即墨之饒,南有泰山之固,西有濁河之限,北有勃海之利。」斉には東に琅邪・即墨の豊穣があり、 南に泰山の堅固があり、西に濁河(黄河)の限界があり、北に渤海の便宜がある。

13 無妨 妨げるものはない。やりたい放題。

14 終日近笙歌 周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋、王子喬の故事。

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

○笙歌《古くは「しょうが」》笙に合わせて歌うこと。また、その歌。せいか。吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

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201《巻五 34少年行》「少年游俠好經過、渾身裝束皆綺羅。 蕙蘭相隨喧妓女、風光去處滿笙歌。」638《巻十九游泰山六首其六》「仙人游碧峰、處處笙歌發。 寂靜清暉、玉真連翠微。(仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。)」890《巻二十四01題隨州紫陽先生壁》忽耽笙歌樂。 頗失軒冕情。 終愿惠金液。 提攜凌太清。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

 

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。

○驂驂 添え馬を並べて行く馬車。驂は、三頭立ての馬車。富貴の者の護衛に同車するもの。

古代在車旁駕車的兩匹馬。詩經.鄭風.大叔于田:「 執轡如組,兩驂如舞。」楚辭.屈原.九歌.國殤:「 凌余陣兮躐余行,左驂殪兮右刃傷。

15 金帶 的腰。古代帝王、后妃、文武百官所服腰

16 黃鶯 コウライウグイスの別名。

17 不校 仕返しをしない。孔子《論語·泰伯》:“ 曾子日、以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗従事於斯矣。” 曾子日く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若くし、犯さるるも校せず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。

  曾子が言いました。「才能があるにも拘らず、才能のない人の意見も聞き、知識が豊富であるにも拘らず知識の少ない人の意見も聞く。能力が有るにも拘らず無いかのように振舞い、人徳が充実しているにも拘らず、空虚であるように振舞う。又、他人から嫌なことをされても仕返しをすることが無い。昔、私の旧友はこのように努めていました」と。

 

 

楊柳枝四首 【字解】

 

楊柳詞

漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

 

 

1 閶門 閶闔門、天の門、通常は宮城の門をさすが、ここでは蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53」「茂苑城如畫、閶門瓦欲流。詩参照。。

河内詩二首其二(湖中) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。

後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。

莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』

低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。

閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。

後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』

身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。

風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』

低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

2 水驛 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。牛車はまた、運送に利用された。

3 凭れる【もたれる/靠れる】1 人や物に自分のからだの重みをあずける。寄りかかる。「柱に―・れる」「籐椅子に―・れる」2 食べた物が消化されないで胃に残り重苦しく感じられる。

4 榭 榭とは、屋根のあるうてな、あずまや()、水榭、水ぎわの亭(チン)

5 濛濛 1 霧・煙・ほこりなどが立ちこめるさま。「―と砂ぼこりをまき上げる」2 心がぼんやりとしているさま。「木の本に―としてぞ立たりける」

6 飜成 ひっくり返ったり元に戻ったりする。

7 恰 [訓]あたかもちょうど。あたかも。「恰好(かっこう)」◇「恰好(かっこう)」「恰幅(かっぷく)」の「恰」の末尾促音は、「コウ(カフ)」の入声(にっしょう)pの変化したもの。

8 點檢 スル 一つ一つ検査すること。くわしく調べること。 「エンジンを-する」 「人数を-する」 「点検」に似た言葉»。檢〔検〕[音]ケン[訓]しらべる[学習漢字]51 取り調べる。「検閲・検査・検察・検死・検出・検証・検診・検定・検討/実検・点検・剖検」2 とりしまる。「検束」3 検査。

9 排立 二つのものを比べ、一方を排し、他方を立てること。排するとは、1 押しのける。しりぞける。排斥する。「万難を―・して進む」「反対勢力を―・する」2 並べる。排列する。「漢字を画数順に―・する」3 押し開く。