玉-010 玉臺新詠集序⑽§3-2〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7623
玉臺新詠集序⑽§3-2 妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。
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徐陵 | ||
| ⑼§3-1 |
⑼§3-1
旣而椒宮宛轉、柘觀隂岑。
かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。
絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。
早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。
三星未夕、不事懷衾、
未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。
五日猶賖、誰能理曲。
五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。
優逰少託、寂寞多閒。
ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。
厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。
時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。
⑽§3-2
纎腰無力、怯南陽之擣衣、
妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。
生長深宮、笑扶風之織錦。
深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。
雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、
たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。
爭博齊姫、心賞窮於六箸。
斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。
無怡神於暇景、唯屬意於新詩。
真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。
庶得代彼、臯蘇蠲玆愁疾。
したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。
⑾§3-3
但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。
不籍篇章、無由披覽。
於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。
曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。
⑼§3-1
旣にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。
絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。
三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、
五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。
優逰 託すること少く、寂寞 閒なること多し。
長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。
⑽§3-2
纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、
深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。
雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、
爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。
神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。
庶わくは 彼の臯蘇に代り 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん。
⑾§3-3
但 徃世の名篇、當に今の巧製、
諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。
篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。
是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、
艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。
曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。
涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。
《玉臺新詠集序》現代語訳と訳註解説
(本文)
⑽§3-2
纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。
雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊姫、心賞窮於六箸。
無怡神於暇景、唯屬意於新詩。
庶得代彼臯蘇蠲玆愁疾。
(下し文)
⑽§3-2
纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、
深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。
雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、
爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。
神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。
庶わくは 彼の臯蘇に代り 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん。
(現代語訳)
妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。
深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。
たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。
斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。
真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。
したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。
(訳注)
⑽§3-2
纎腰無力、怯南陽之擣衣、
妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。
44. 纎腰無力、怯南陽之擣衣 「纎腰」は一に「軽身」に作る。「無力」はなよなよとして華香なこと。「南陽」は秦漢の郡名。河南省南陽府・湖北省蓑陽府一帯の地。「擣衣」は梼衣・搗衣に同じ。きぬたをうつこと。『水経注』に、「漢水の南に女郎山あり。上に女郎家あり、下に女郎廟及び梼衣石あり。張魯の女なりと言ふ。小水北流して漢水に入る」とあり、司馬彪の『郡国志』に、「梁州の女郎山は、張魯の女の衣を石上に浣(あら)へるに、女便ち懐朶して二龍を生む。女の死して将に残せんとするに及んで、柩車忽ち騰躍して比の山に升る。遂にここに葬る」とある。旧注は刑州記によって、南郡稀帰県にある屈原の姉、女須の覇及び鴇衣石を以てこれに充て、鍾露昇氏はこれによって「南陽」を「南郡」の誤りとするが、「南陽」は南山の南、洪水の北によって名を得て居り、前記の如く、張魯の女の故事とすれば「南陽」でよいと思われる。
生長深宮、笑扶風之織錦。
深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。
45. 笑扶風之織錦 「扶夙」は郡名。漢の郡治は今の駅西省威陽県の東、晋では漢陽県の西北に移っているが、いずれにしても今の陝西省。「織錦」は錦に織ったといわれる蘇意の「回文詩」をさす。蘇意は前奏の符堅の時の人、隣留の令、武功の道質の三女、名は若、字は若蘭、賛治の妻である。賓は符堅の腹心として顕職を歴任していたが、後に有名な妓女趙陽台を寵するや、蕙は嫉妬のあまり之に捶辱を加えたので、賓も怒り、安南将軍として襄陽に赴任する時、ひとり陽台のみを供して蘇氏との音問を絶った。のち蘇氏も恨悔して回文の詩を作って之に寄せた。その詩は縦横八寸の錦に認めたもので、縦横反覆皆章句を成し、名づけて旋磯図といった。賓もその妙絶に感じて、陽台を送りて關中にゆかしめ、再び蘇氏をよび迎え、これより恩好いよいよ厚かったという。今その図は手近なところで王闓運の八代詩選・丁福保の八朝全詩(全漢三国晋南北朝)に載せている。縦横二十九字、題詩二百余首、文字の数は八百四十一字、五色に染めわけてあり、これをいろいろに読むことによって三言より七言に至る凡そ三千八百余首になる。その工巧無比、殆んど神技に近いといわれる。「笑」とは嘲笑すること。
雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、
たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。
46. 雖復 「雖」の字は「心賞窮於六等」までかかる。この場合、「たとい」か「もし」とよむがよい。『礼記』少儀の「推論退可也」の疏に、「経は仮令なり」とあり、『儀礼』士昏礼の「維無梯腰先」の注に、「若し或は梯無くは腰を先にして之を客とするがごとし」といっている。
47. 投壺玉女、為観尽於百験 「観」は一に「歓」に作る。観は見物すること、歓は喜ぶこと。「嬌」は一に「驍」に作るが「矯」の誤写と思われる。「投壷」は古礼の二宴会の席で一つの壷に賓主が矢を投げ入れ、勝ったものが負けたものに酒を飲ませる遊戯。『礼記』「投壷篇」にやり方が詳しく述べてある。『事物紀原』に『西京雑記』を引いて、「漠武の時、郭舎人投壷を善くし、竹を以て矢と為し、嫌を用ひず。古の投壷は中るに取りて還るを求めぎりしが、郭は則ち矢を致して還らしむ。之を験といふ。博の碁を輩中に立て駐傑と為すが如きを言ふなり。今投壷の竹矢を用ひ、激遠を為すを鋲と為すは郭舎人より始まる」といっている。鍾露昇氏は、「京王公が玉女と投壷し、投ずる毎に千二百矯なりしは『神輿経東荒経』に見ゆ。矯は即ち験。院とは其の矢を激して壷より躍り出でしめ、再び手を以て之に接するなり。屡々投じ屡々還し、一矢百余返して失墜せざるなり」と説いている。
爭博齊姫、心賞窮於六箸。
斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。
48. 争博斉姫、心賞窮於大著 「博」は双六の類。「斉姫」のことは未詳。但し、斉国には古より美人を産す。よって美人を斉姫というか。枚乗の「七発」に「越女、前に侍し、斉姫、後に奉ず」とある。「六箸」は一に「大著」に作る。古の博具。『説文』(河)に、「六博は局戯なり。六著は十二棊なり」とあり、『西京雑記』四に、「許博昌、陸博を善くす。賓嬰之を好み、常に居処を与にす。云々。法六等を用ひ、或は之を究と謂ふ。竹を以て之を為る。長さ六分」とある。「投雫争博」の二事は、たとい玉女・斉姫の妙技に対しても、宮女たちはさほど感心賞嘆しない意を述べた。
無怡神於暇景、唯屬意於新詩。
真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。
49. 無怡神於暇景 「暇景」は「暇日」と同じ。ひまなこと。「怡神」は心をよろこばすこと。
庶得代彼臯蘇蠲玆愁疾。
したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。
50. 庶得代彼臯蘇蠲玆愁疾 「皐」は本集には「萱」に作る。萱は忘れ草。「葬蘇」は「白苔」ともいう。木の名。『山海経』「海山経」に、「侖着の山に木あり、其の状穀の如くして赤理あり、其の汁は漆の如く、其の味は飴の如し。食ふ者は飢ゑず、以て労を釈く可し。其の名を白苔と日ふ」とあり、注に「或は皋蘇に作る」と記す。王朗の「銃の太子に与ふる書」に、「奉読歓笑、以て飢渇に籍く。復た萱草の憂を忘れ、皐蘇の労を釈くと蛙も以て加ふるなし」とある。「露」は除くこと。新詩こそ奉蘇のかわりに官女たちの憂愁を除き得ることを述べた。