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2016年11月13日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩(李白詩校注) |
744年-008卷182_22.3 月下獨酌四首 其三(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7637 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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Ⅲ 杜詩詳注 LiveDoorBlog |
757年-13 入宅三首其二 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7639 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog |
花間集 訳注解説 巻一08 (13)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7640 (11/13) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・玉臺新詠・女性 LiveDoorBlog |
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玉-013 玉臺新詠集序⒀§4-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7641
玉臺新詠集序⒀§4-2 あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。
玉-001-#11 |
玉臺新詠集序 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7629 |
徐陵 |
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(11)§3-3 |
玉臺新詠集序
陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。
⑴§1-1
夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬戶、張衡之所曽賦。
周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、
珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。
⑵§1-2
其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。
亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。
楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。
閱詩敦禮、豈東鄰之自媒。
⑶§1-3
婉約風流、異西施之被教。
弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、
無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。
(玉臺新詠集の序) ⑴
夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。
周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。
珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。
⑵
其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。
亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。
楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。
詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。
⑶
婉約風流、西施の被教に異なれり。
協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。
琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。
鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。
⑷§2-1
至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。
東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。
陪逰馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。
⑸§2-2
粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。
南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。
亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。
⑹§2-3
金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。
驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。
雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無别。
⑺§2-4
眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。
加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。
琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。
⑻§2-5
清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。
九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。
其佳麗也如彼、其才情也如此。
⑷§2-1
寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、
畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。
東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。
馺娑に陪逰しては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。
⑸§2-2
鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。
反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。
南都の石黛は、最も雙蛾を發き、
北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。
亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。
⑹§2-3
金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。
驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。
圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、
神仙に異なると言うも、陽臺に戯れて别つなし。
⑺§2-4
眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。
加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。
妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。
琉璃の硯匣、終日 身に隨い、
翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。
⑻§2-5
清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、
新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。
九日 登高、時に緣情の作有り、
萬年公主、累德の辭 無きに非ず。
其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。
⑼§3-1
旣而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。
三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。
優逰少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。
⑽§3-2
纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。
雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊姬心賞窮於六箸。
無怡神於暇景、唯屬意於新詩。
庶得代彼臯蘇蠲玆愁疾。
⑾§3-3
但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。
不籍篇章、無由披覽。
於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。
曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。
⑼§3-1
旣にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。
絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。
三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、
五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。
優逰 託すること少く、寂寞 閒なること多し。
長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。
⑽§3-2
纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、
深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。
雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、
爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。
神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。
庶わくは 彼の臯蘇に代り 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん。
⑾§3-3
但 徃世の名篇、當に今の巧製、
諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。
篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。
是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、
艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。
曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。
涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。
⑿§4-1
於是麗以金箱、裝之瑶軸。
そこでこれに十巻を附添するに黄金の箱を以てし、これを宝玉の軸に被装した。
三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、
筆者はいにしえ、後漢の三台、蔡邕の妙蹟にも比すべきものであるだけに、文字は龍躍り、蠼屈するの姿勢があるのである。
五色花牋、河北膠東之紙。
それは、五色の花模様の詩箋であり、その料紙は河北・膠東の名産である。
高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。
高楼紅粉の才媛が念入りに校勘して魯魚の誤りを正し、書中には麝香の薬剤をはさんで一応蛙損を防いである。
⒀§4-2
靈飛太甲、高擅玉函、
あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。
鴻烈仙方、長推丹枕。
それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。
至如靑牛帳裏、餘曲旣終、
これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。
朱鳥窓前、新粧已竟、
南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。
方當開玆縹帙、散此縚繩、
そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。
永對翫於書幃、長循環於纎手、
それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。
⒁§4-3
豈如鄧學春秋、儒者之功難習、
竇專黃老、金丹之術不成。
固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、
東儲甲觀、流詠止於洞簫。
孌彼諸姬、聊同棄日、
猗歟彤管、無或譏焉。
⑿§4-1
是に於て麗【つ】くるに金箱を以てし、之を瑶軸に裝す。
三臺の妙迹は、龍伸 蠖屈の書、
五色の花牋は、河北 膠東の紙。
高樓の紅粉は、仍りて魚魯の文を定め辟惡の生香、聊さか羽陵の蠹を防ぐ。
⒀§4-2
靈飛の太甲は、高く玉函を擅【ほしい】ままにし、鴻烈 仙方し、長えに丹枕を推す。
靑牛の帳裏、餘曲 旣に終え、朱鳥の窓前、新粧 已に竟るが至るが如し。
方に玆の縹帙を開くに當り、此の縚繩を散じ、
永く書幃に對翫し、長えに纎手に循環す。
⒁§4-3
豈に鄧の春秋を學び、儒者の功 習い難く、竇 黃老に專らにして、金丹の術 成らざるが如くならんや。
固より西蜀の豪家、情を託する魯殿に窮まり、東儲の甲觀、流詠 洞簫に止まるに勝る。
孌たる彼の諸姫、聊か同じく日を棄て、
猗歟【ああ】彤管【とうかん】、或いは焉を譏る無からん。
《玉臺新詠集序》現代語訳と訳註解説
(本文)
⒀§4-2
靈飛太甲、高擅玉函、鴻烈仙方、長推丹枕。
至如靑牛帳裏、餘曲旣終、朱鳥窓前、新粧已竟、
方當開玆縹帙、散此縚繩、
永對翫於書幃、長循環於纎手、
(下し文)
⒀§4-2
靈飛の太甲は、高く玉函を擅【ほしい】ままにし、鴻烈 仙方し、長えに丹枕を推す。
靑牛の帳裏、餘曲 旣に終え、朱鳥の窓前、新粧 已に竟るが至るが如し。
方に玆の縹帙を開くに當り、此の縚繩を散じ、
永く書幃に對翫し、長えに纎手に循環す。
(現代語訳)
あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。
それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。
これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。
南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。
そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。
それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。
(訳注)
⒀§4-2
靈飛太甲、高擅玉函、
あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。
70. 霊飛太甲 「霊飛」は道教の経名、霊飛経と同じ。神霊を招く方法を記録した秘書であるとされるが、道教神仙の徒たちが身に帯びている「 信」 、即ち呪符だとも言い伝えられている。
六朝時代の偽作 班固『 漢武帝内伝』では、西王母がはるばる都に漢の武帝を訪ねてくる話になっている。武帝は西王母に叩頭して、なおも不死の教えを請うた。これに対して西王母は同伴の上元夫人と一緒に「 五岳真形図」と「 五帝六甲霊飛等十二事」の二つの書物を授けて立ち去った。この二つの書物は明らかに当時の道教のもの、いわゆる「 秘書」であり、それを焼失以前に漢の武帝があらかじめ「五岳真形図」のことを董仲舒に、「 五帝六甲霊飛等十二事」を方士の李少君に伝えておいたという。後世、前者は山に入る時に、邪鬼悪霊を祓うために体に帯びる護符とされて、後者は神霊を招く方法を記録した秘書であるとされるが、道教神仙の徒たちが身に帯びている「 信」 、即ち呪符だとも言い伝えられている。要するに、少なくとも六朝時代になって、西王母は時代の推移と一 緒に変化し、道教の長生思想・ 不老不死の神仙代表になったのである。この観念の起源は、後漢時代に遡れるのである。
「太甲」は甲子・甲寅・甲辰・甲午・甲申・甲戊のたい六甲のこと。道教に六甲霊飛経がある。『洪武内伝』に、「上元夫人、六甲霊飛十二事を以て、封するに白玉の函を以てす」とある。「霊飛経」は道教経典の名称で、『上清瓊宮霊飛六甲左右上符』に収録されている。「霊飛経」は唐代でも指折りの小楷字体の名筆として著名であり、名を示す款はないものの、元の袁桷、明の董其昌ともに、鍾紹京の書であると断じている。
太甲は、殷の4代目の王。天乙の孫、中壬の甥にあたる。天乙の後をすぐに継いだという説もある。『孟子』や『史記』などには、太甲の即位時に伊尹が「伊訓」「肆命」「徂后」といった文を作り、太甲に施政の心得として奉ったことが記されている。しかし太甲は暴虐だったため、伊尹は太甲を即位3年目に桐に追放した。
71. 高擅玉函 「擅」はよりたもつ。(拠有)。「玉函」は玉の箱。『漢武内伝』に、「武帝西王母の真形六甲霊飛の十二事を受く。帝盛るに黄巾の几を以てし、封ずるに白玉の函を以てす。」とある。
鴻烈仙方、長推丹枕。
それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。
72. 鴻烈仙方 『淮南子』に鴻烈訓がある。「鴻」は大、「烈」は明の意で、大明道の言の意だという。「仙方」は仙人となる秘法。
73. 長推丹枕 張華の『博物志』に、「准南王劉安に謀反の嫌疑あり、劉徳に命じ、之を査弁せしめたるに、枕中鴻宝の秘書を得たり。劉徳の子劉向・劉咸これを読むに、信に丹砂黄金を錬れば、凡人も神仙と成る可し」とある。この「鴻宝の秘書」といぅのが、『淮南子』鴻烈訓の類をさすものと思われる。「長推」は永蔵の意。
至如靑牛帳裏、餘曲旣終、
これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。
74. 青年帳裏、余曲未終 「青牛」は黒毛の牛。老子が乗ったと伝えられる。「靑牛帳」は青牛の図が刺繍されているとばりである。すこし後の時代ではあるが唐の駱賓王の「帝京篇」に、「丹鳳朱城白日暮れ、青牛紺幰紅塵度る」とある。とばりに青牛を刺繍した例である。「余曲」は昔から伝わっている楽曲。『史記』「楽書索隠述賛」に、「音を審にして政を知り、風を観て俗を変ず。端しきこと貫珠の如く、清きこと叩玉に同じ。洋々として耳に盈つ、咸英の余曲」とある。既終」は一に「「未終」に作る。下の 「新赦巳尭」と対としてみれば、「未終」がよいという説もある。
朱鳥窓前、新粧已竟、
南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。
75. 朱鳥窓前、新妝已寛 「朱鳥」は赤色の鳥。朱雀。南方の神という。王延寿の 「魯霊光殿の賦」に、「朱鳥翼を舒べて以て衝に峙ち、騰虵蟉虯して榱を遶る」とある。又、鳳も朱鳥という。漢代の宮殿に朱鳥殿というのがあって、張興の「西京の賦」に見え、李善の注に、「漢の官闕名に麒麟殿・朱鳥殿有り」とある。「朱鳥窗」は朱鳥牖と同じ。張華の『博物志』巻第三に、「漢の武帝仙道を好み、名山大沢に祭祀して以て神仙の道を求む。時に西王母、使を遣はし白鹿に乗り、帝に当に来るべきを告ぐ。乃ち九華殿に供帳して以て之を待つ。七月七日夜、漏七刻、王母紫雲の車に乗りて至る。(中略)唯帝王母と対坐するのみ。其の従者皆進むを得ず。時に東方朔窃かに殿南の廂、朱鳥の牖の中より母を窺ふ。母之を顧み、帝に謂ひて日く、比の牖に窺ふ小児は、嘗て三たび来りて吾が此の桃を盗めりと。帝乃ち大に之を怪しむ。此より世人、方朔を神仙と謂へり」とある。
『漢武故事』にも略々同じことをのせ、「朱鳥窗」に作る。「新妝」はあらたによそう。つくりたての化粧。劉遵の「繁華応令」に、「蛾眉詎んぞ嫉むむを須ひん、新妝逓ひに宮に入る」、王訓の「応令、舞を詠ず」の詩に、「新妝本と絶世、妙舞亦仙の如し」とある。「已竟」は「もはや済んで」。
方當開玆縹帙、散此縚繩、
そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。
76. 方當 「方」ははじめて。方纔。今し方,たった今.
77. 開玆縹帙 「玆」は「此」と音通。「縹帙」は、はなだいろのほんづつみ。転じて書巻をいう。「帙」は書衣。
78 散此縚繩 「散」は開と同じ。「縚」はくみひも。絛と同じ。「縚繩」は「書帯」をいったもの。
永對翫於書幃、長循環於纎手。
それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。
79. 永對翫於書幃 「対翫」は向かいあってめでよろこぶ。相対して愛翫すること。「書緯」 は書斎のとばり。書緯に同じ。要は書斎の中でというほどの意。
80. 長循環於纎手 「長」は久しく。長時間。「循環」は反復して窮まらないこと。『史記』「高祖本紀」の贊に、「三王の道、循遍の終りて復た始まるが若し」とある。「繊手」は細い手。宮女の細い手中に倦むことなく反復誦読されること。