20161114

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-014 玉臺新詠集序⒁§4-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7647

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

 

-001-#11

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7629

徐陵

 

(11)§3-3

 

 

 

 

玉臺新詠集序

        陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

⑴§1-1

夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬、張衡之所曽賦。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

玉-001 玉臺新詠集序.docx

⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

玉-001-#2 玉臺新詠集序⑵§1-2〈徐陵〉

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、

無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

玉-001-#3 玉臺新詠集序⑶§1-3〈徐陵〉

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

玉-001-#4 玉臺新詠集序⑷§2-1〈徐陵〉

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

玉-001-#5 玉臺新詠集序⑸§2-2〈徐陵〉

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

玉-001-#6 玉臺新詠集序⑹§2-3〈徐陵〉

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

玉-001-#7 玉臺新詠集序⑺§2-4〈徐陵〉

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

玉-001-#8 玉臺新詠集序⑻§2-5〈徐陵〉

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

 

⑿§4-1

於是麗以金箱、裝之瑶軸。 

そこでこれに十巻を附添するに黄金の箱を以てし、これを宝玉の軸に被装した。

三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、

筆者はいにしえ、後漢の三台、蔡邕の妙蹟にも比すべきものであるだけに、文字は龍躍り、蠼屈するの姿勢があるのである。

五色花牋、河北膠東之紙。

それは、五色の花模様の詩箋であり、その料紙は河北・膠東の名産である。

高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。

高楼紅粉の才媛が念入りに校勘して魯魚の誤りを正し、書中には麝香の薬剤をはさんで一応蛙損を防いである。

⒀§4-2

靈飛太甲、高擅玉函、

あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。

鴻烈仙方、長推丹枕。

それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。

至如靑牛帳裏、餘曲終、

これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。

朱鳥窓前、新粧已竟、

南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。

方當開玆縹帙、散此繩、

そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。

永對翫於書幃、長循環於纎手、

それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。

竇專黃老、金丹之術不成。

漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、

むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。

東儲甲觀、流詠止於洞簫。

漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。

孌彼諸、聊同棄日、

麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。

猗歟彤管、無或譏焉。

彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

 

⑿§4-1

是に於て麗【つ】くるに金箱を以てし、之を瑶軸に裝す。 

三臺の妙迹は、龍伸 蠖屈の書、

五色の花牋は、河北 膠東の紙。

高樓の紅粉は、仍りて魚魯の文を定め辟惡の生香、聊さか羽陵の蠹を防ぐ。

⒀§4-2

靈飛の太甲は、高く玉函を擅【ほしい】ままにし、鴻烈 仙方し、長えに丹枕を推す。

靑牛の帳裏、餘曲 終え、朱鳥の窓前、新粧 已に竟るが至るが如し。

方に玆の縹帙を開くに當り、此の繩を散じ、

永く書幃に對翫し、長えに纎手に循環す。

⒁§4-3

豈に鄧の春秋を學び、儒者の功 習い難く、竇 黃老に專らにして、金丹の術 成らざるが如くならんや。

固より西蜀の豪家、情を託する魯殿に窮まり、東儲の甲觀、流詠 洞簫に止まるに勝る。

孌たる彼の諸、聊か同じく日を棄て、

猗歟【ああ】彤管【とうかん】、或いは焉を譏る無からん。

 

玉臺新詠序の字解集

 

 


《玉臺新詠集序》現代語訳と訳註解説
(本文)

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、

竇專黃老、金丹之術不成。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、

東儲甲觀、流詠止於洞簫。

孌彼諸、聊同棄日、

猗歟彤管、無或譏焉。

 

 

 (下し文)

⒁§4-3

豈に鄧の春秋を學び、儒者の功 習い難く、竇 黃老に專らにして、金丹の術 成らざるが如くならんや。

固より西蜀の豪家、情を託する魯殿に窮まり、東儲の甲觀、流詠 洞簫に止まるに勝る。

孌たる彼の諸、聊か同じく日を棄て、

猗歟【ああ】彤管【とうかん】、或いは焉を譏る無からん。

 

 (現代語訳)

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。

漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。

むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。

漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。

麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。

彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

 

 (訳注)

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。

81.  鄧學春秋、儒者之功難習 「鄧學春秋」とは『後漢書』「鄧皇后伝」に、「宮掖に入りしより、曹大家【こ】(班昭)に従ひて経書と天文算数を受く。昼は王政を省み、夜は則ち祥誦読す。而して其の謬誤を患へ、典章に乖かんことを懼れ、廼ち博く諸儒劉珍等及び博士議郎四府掾史五十余人を選び、東観に詣り伝記を双校せしむ。事畢り奏御す。葛布を賜ふ各と差あり。又中宮の近臣に詔して東観に於て経伝を受読せしめ、以て宮人に教授せしむ」とある。「儒者之功難習儒」とは『史記』「太史公自序」に司馬談が六家の要旨を論じた一節があり、その中に、「夫れ儒者は六芸を以て法と為す。六芸の経伝は千万を以て数ふ。累世其の学に通ずる能はず、当年其の礼を究むる能はず。故に日く、博にして要寡く、労して功少しと」とあるのをさす。

 

 

竇專黃老、金丹之術不成。

漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。

82. 貸専黄老、金丹之術不成 「」は専心これを学ぶこと。一に「伝」 に作る。「伝わりて」とよめば、それでも通ずる。「黄老」は黄帝と老子。つまり道家の言をさす。・「金丹之術」は道士などが調する不老不死の薬を作る法。『陰符経』に、「金丹の術は百もて数ふ。其の要は神水・華池に在り」とある。『抱朴子』に「金丹篇」がある。『漢書』「外戚伝」に、「筆太后(文帝の皇后)黄帝老子の言を好む。景帝及び諸琴老子を読まざるを得ず、其の術を尊ぶ」とある。

・「金丹之術」は紫金經のことであり 煉丹の書のことである。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。・紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。

 

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、

むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。

83. 西濁豪家、託情窮於魯殿 「西蜀豪家」は三国時代の蜀の劉琰をさす。「魯殿」は後漢の王延寿の「魯霊光殿の賦」(『文選』に見ゆ)をさす。『三国志』の「蜀書」に、劉琰が車騎将軍となり、軍服飲食移靡を極め、侍牌数十人、皆声楽を善くし、悉く教えて「魯霊光殿の賦」を誦読せしめたとある。「託情」は情を寄せること。「窮」はそれだけに止まる意。

 

 

東儲甲觀、流詠止於洞簫。

漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。

84. 東儲甲観、流詠止干洞篇 「東儲」は皇太子で、漢の元帝の皇太子であった時をさす。一に「東台」に作る。「甲観」は甲第と同じ。かみやしき。『漢書』「成帝紀」に、「元帝太子たりし時、成帝を甲観に生む」とある。甲は甲乙丙丁を以て順序をつけられていたのでいう。「洞簫の賦」(もと「洞簫の頒」といった)は漢の王裏の作(亦『文選』に見ゆ)。『漢書』「王褒伝」に、「元帝太子たりしとき、褒が為る所の洞爺の項を嘉し、後宮の貴人をして皆之を詞託せしむ」とある。

 

 

孌彼諸、聊同棄日、

麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。

85.  孌彼諸、聊同棄日 『詩経』「邶風泉水篇」に、「孌たる彼の諸姫、之と謀るを聊(ねが)ふ」とあり、『毛伝』に、「孌は好き貌。聊は願ふなり」といい、『鄭箋』には、「聊は且略の辞」とあるから、「いささか」とよませるつもり。「棄日」は日を空しく過ごすこと。『南史』「徐勉伝」に、「嘗て書を為り其の子崧を戒めて日く、汝当に自ら勛【つと】めて、賢を見ては斉しからんことを思ひ、宜しく忽略にして以て日を棄つ可からざるなりと」とある。「聊同棄日」とは、聊か消遣(時間つぶしに興をやる)の具となるであろうの意。

 

 

猗歟彤管、無或譏焉。

彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

86.  猗歟彤管、無或譏焉 「猗歟」は猗与と同じ。ああ。感嘆の声。『詩経』「周頌潜篇」に、「猗与漆阻、潜に多魚有り」とあり、班固の「東都の賦」には、「猗歟【ああ】緝煕、允に多福を懐ふ」とある。「彤管」は朱塗りの軸の筆。女史用筆。『詩経』「邶風静女篇」に、「静女其れ孌【かおよし】我に彤管を貽る」とある。「無或譏焉」は一に「麗矣香奩」に作るが、「聊同棄日」と対句になる処で、「無或譏焉」がよい。「或」は「有」と同じに見てもよいとされている。

 

玉臺新詠序の字解集