-巻二18 詠懷詩二首 其一二妃遊江濱 -#1〔阮籍〕

 

 

2017526

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-112#3 寄韓諫議#3 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8791

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-巻二18 詠懷詩二首 其一二妃遊江濱 -#1〔阮籍〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8781

(江妃の二女は漢水の辺で鄭交甫にであいむすばれた二妃は珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて去った。二妃はこれを悲しみ恨めしく思った)

二人の仙女が漢江の辺に遊んでいた、そこで、ぶらぶらと風のまにまに散策をしていた。

そのそぞろ歩きに鄭交甫と出遭って佩び玉を思いの人と決め贈ったのであるが、鄭交甫はそれを受け止めて懐におさめたのである。仙女妃のその若さある美しく艶めかしさにくわえ、あたりに馨しい芳醇をたたえていた。

しなやかに寄り添い、なびき、心嬉しく愛し合い、そして睦あった、、そして千年先まで愛し続けようと互いに忘れないとの契りをしたのである。

 

 

 

 

玉臺新詠 巻二

 

 


白貯舞005

詠懷詩  作者:阮籍
  

《昭明文選·卷二十三》

《玉臺新詠 巻二》

 

詠懷詩 其一(二妃遊江濱)

二妃遊江濱,消遙順風翔。交甫懷環珮,婉孌有芬芳。

猗靡情歡愛,千載不相忘。

傾城迷下蔡,容好結中腸。感激生憂思,諼草樹蘭房。

膏沐為誰施?其雨怨朝陽。如何金石交,一旦更離傷?

 

 

詠懷詩 其二(昔日繁華子)

昔日繁華子,安陵與龍陽。夭夭桃李花,灼灼有輝光。

悅懌若九春,磬折似秋霜。

流盻發姿媚,言笑吐芬芳。攜手等歡愛,宿昔同衣裳。

願為雙飛鳥,比翼共翔。丹青著明誓,永世不相忘。

雨上がりの花07
 

玉臺新詠 61

詠懷詩二首 其一二妃遊江濱  -#1

巻二18

〔阮籍〕

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ8781

 

玉臺新詠タイトル002
詠懷詩 其一

(江妃の二女は漢水の辺で鄭交甫にであいむすばれた二妃は珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて去った。二妃はこれを悲しみ恨めしく思った)

二妃遊江濱,消遙順風翔。

二人の仙女が漢江の辺に遊んでいた、そこで、ぶらぶらと風のまにまに散策をしていた。

交甫懷環珮,婉孌有芬芳。

そのそぞろ歩きに鄭交甫と出遭って佩び玉を思いの人と決め贈ったのであるが、鄭交甫はそれを受け止めて懐におさめたのである。仙女妃のその若さある美しく艶めかしさにくわえ、あたりに馨しい芳醇をたたえていた。

猗靡情歡愛,千載不相忘。

しなやかに寄り添い、なびき、心嬉しく愛し合い、そして睦あった、、そして千年先まで愛し続けようと互いに忘れないとの契りをしたのである。

#2

傾城迷下蔡,容好結中腸。

感激生憂思,諼草樹蘭房。

膏沐為誰施?其雨怨朝陽。

如何金石交,一旦更離傷?

 

(詠懷詩 其の一)

二妃 江濱に遊び,消遙して風に順って翔る。

交甫 環珮を懷く,婉として芬芳有り。

猗靡として情に歓愛し、千載相ひ忘れず。

 

 

《詠懷詩 其一》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
詠懷詩 其一(二妃遊江濱)

二妃遊江濱,消遙順風翔。

交甫懷環珮,婉孌有芬芳。

猗靡情歡愛,千載不相忘。

 

(下し文)
(詠懷詩 其の一)

二妃 江濱に遊び,消遙して風に順って翔る。

交甫 環珮を懷く,婉として芬芳有り。

猗靡として情に歓愛し、千載相ひ忘れず。

 

(現代語訳)

(江妃の二女は漢水の辺で鄭交甫にであいむすばれた二妃は珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて去った。二妃はこれを悲しみ恨めしく思った)

二人の仙女が漢江の辺に遊んでいた、そこで、ぶらぶらと風のまにまに散策をしていた。

そのそぞろ歩きに鄭交甫と出遭って佩び玉を思いの人と決め贈ったのであるが、鄭交甫はそれを受け止めて懐におさめたのである。仙女妃のその若さある美しく艶めかしさにくわえ、あたりに馨しい芳醇をたたえていた。

しなやかに寄り添い、なびき、心嬉しく愛し合い、そして睦あった、、そして千年先まで愛し続けようと互いに忘れないとの契りをしたのである。

 

(訳注) 
詠懷詩 其一(二妃遊江濱)

1. (江妃の二女は漢水の辺で鄭交甫にであいむすばれた二妃は珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて去った。二妃はこれを悲しみ恨めしく思った)

2. 【要旨】二妃は江妃の二女、「江」は漢水である。《韓詩外傳》に、鄭交甫というものが、楚に行く途中二女に遭った。二女は鶏卵ほどの珠を二つ佩びていた。その註によるとその二女は、珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて数歩歩むと女は消え、珠なくなった、と見える。詩は、この話を踏まえて、二女は、鄭交甫を忘れずいるのに、鄭交甫は二女との交わりを断って帰ろうとしたものだと述べたもので、阮籍はこれを以て政治批判をしたものであろうが、ここではそれには触れない。《韓詩傳》曰:「鄭交甫遵彼漢皋臺下,遇二女,與言曰:『願請子之珮。』二女與交甫,交甫受而懷之,超然而去,十步循探之,即亡矣。迴顧二女,亦即亡矣。」とある。

3. 詠懷詩 阮籍「詠懷詩」について、顏延年は「阮籍は晉の文の代に在り、常に禍患を慮る。故に此の詠を發するのみ」と注をした。李善もまたこれを承け、 「嗣宗、身は亂朝に仕え、常に謗りに罹り禍に遇うを恐る、茲に因りて詠を發す、故に每に憂生の嗟有り」という。

ただでさえ脆い人の生が、よりいっそう危險にさらされる亂世に詠われた「詠懷詩」には、李善の言葉を借りるならば「憂生の嗟」があるという。

八十二首の「詠懷詩」を見渡すと、實に多くの篇にわたって、生命短促への嘆きや生きる苦惱が詠われている。阮籍以前、例えば、「古詩十九首」や建安の詩にも、 「詠懷詩」と同じように人生への憂いが吐露されている。しかし、阮籍「詠懷詩」とこれらを比べてみると、大きな違いがあることに氣づく。

既に、吉川幸次郎氏はその論著『阮籍の「詠懷詩」について』において、 「八十二首のすべてが、悲哀の歌であ」り、そこに詠われた悲しみは、從來に比べより「深」いものがあると述べている。また、大上正美氏はその論著『阮籍・嵇康の文學』において、 「詠懷詩」の表現構造について、 「敗北の構造を表現が獲得」していると述べる。氏は、現實から逸脱することを詠んだ「詠懷詩」の作品に目を向け、阮籍は現實から逸脱することを志向するが、しかし更なる憂思を抱え、再び現實の中に回歸していくという。これを「敗北の構造」と理解する。そして、表現者としての阮籍が絶えず現實に振り戻されることで、八十二首の「詠懷詩」が存在し得たのだと指摘する。

これらは、 「詠懷詩」に詠われた憂いをめぐっての特質を述べたものであるが、本稿では、 「古詩十九首」や建安の詩を比較對象として取り上げ、 「詠懷詩」に詠まれた逃避という行爲から浮かび上がる「場」について見ていく。そして、そこから見えてくる「詠懷詩」における「憂生の嗟」の深さを明らかにしたいが、ここでは、阮籍の二首の紹介にとどめる。

4. 阮籍210年(建安15年)― 263年(景元4年))は、中国三国時代の思想家である。字は嗣宗、兗州陳留郡尉氏県の人で、竹林の七賢の指導者的人物である。父は阮瑀(建安七子の一人)。兄は阮煕。子は阮渾。甥は阮咸(竹林の七賢の一人)である。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した有名な虎児がある。その阮籍も、はじめ蒋済が召し出そうとするも応じず、蒋済の怒りを買ったが、親類に説得されたためやむなく仕官した。しかし病気のため辞職した。曹爽に参軍として召し出されたが、これも病気を理由に辞職した。司馬懿がクーデターを起こして実権を握ると従事中郎に任じられたが、ただ給料分の働きをするだけだった。歩兵校尉の役所に酒が大量に貯蔵されていると聞いて、希望してその職になり、竹林の七賢の一人の劉伶と酒を飲んでいたといわれる。そのため阮歩兵と呼ばれることもあった。その上、当時の礼法では、喪中には酒や肉を断つ義務があったが、母の葬儀の日にも大酒を飲んで肉を食い、母の棺と別れた後、もうだめだと言って血を吐いて倒れた。何曾が司馬昭に対し、礼に反する阮籍を左遷するよう言上したが、司馬昭は阮籍がやせ衰えているのを見て不問に付した。司馬昭の幕僚となっていたが、いつも酔っぱらっていた。鍾会は彼を陥れようと、何回か時事問題を問いかけたが、いつも抽象的で難解な返事ばかりだったため、失言を得られなかった。司馬昭が息子(司馬炎)の嫁に、彼の娘をもらおうと使者を送ると、それを察したのか、彼は60日間酔っぱらい続けた。このため使者は用件を言い出せず、諦めて帰った。また、あてもなく馬車を駆って遠出するのが好きで、行き止まりにあうと慟哭して帰った。竹林の七賢の一人で、阮籍と仲のよかった嵆康もまた、鍾会に陥れられ殺された。そのこともあって、阮籍は政争に関与せず、酒浸りの生活をする道を選んだという。司馬昭はそんな阮籍を「至慎(もっとも慎み深い)」と評した。老荘思想を理想とし、その著作の『大人先生伝』・『達荘論』に老荘思想が十分に見て取れる。詩では「詠懐詩」82首が有名で、陶淵明の「飲酒」・李白の「古風」など、五言詩の連作の先駆けである。深い思索に基づき格調高く、全編が人間社会の悲哀に満ちている。また、琴をよく弾いた。

 

二妃遊江濱,消遙順風翔。

二人の仙女が漢江の辺に遊んでいた、そこで、ぶらぶらと風のまにまに散策をしていた。

5. 二妃 鄭交甫が女神から約束を反故にされた故事であり、鄭交甫は、漢水のほとりで江妃二女(長江の女神)と言葉を交わし、佩玉を貰い受けたが、数十歩あるいたところで懐の佩玉は消え失せ、女神の姿も見えなくなった(『列仙伝』)。

《卷159_39 「萬山潭作」》孟浩然 「垂釣坐磐石,水清心亦閑。魚行潭樹下,猿掛島藤間。游女昔解佩,傳聞於此山。求之不可得,沿月棹歌還。」(釣を垂れて盤石に坐す、水清らかにして心も亦閑なり。 魚は行く潭樹の下、猿は掛かる島藤の間。 游女 昔 佩を解きしは、伝え聞く 此の山に於いてすと。 之を求むるも得べからず、月に沿い棹歌して還る。)

盛唐詩 萬山潭作 孟浩然<42> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -349

6. 消遙 あてもなくぶらぶらとする。

 

交甫懷環珮,婉孌有芬芳。

そのそぞろ歩きに鄭交甫と出遭って佩び玉を思いの人と決め贈ったのであるが、鄭交甫はそれを受け止めて懐におさめたのである。仙女妃のその若さある美しく艶めかしさにくわえ、あたりに馨しい芳醇をたたえていた。

7. 交甫 鄭交甫,人物生平不詳,據傳為周朝人,有漢江遇游女之事。

8. 婉孌 美貌。若さある美しく艶めかしさ。《詩経·齊風·甫田》「婉兮孌兮,總角丱兮。」鄭玄箋:“婉孌,少好貌。

 

猗靡情歡愛,千載不相忘。

しなやかに寄り添い、なびき、心嬉しく愛し合い、そして睦あった、そして千年先まで愛し続けようと互いに忘れないとの契りをしたのである。

9. 猗靡 ①しなやかで美しいさま。 ②風になびくさま。 ③女子の容姿のたおやかなさま。 ④互いに思いあって忘れないさま。

情歡愛 三文字とも、情交を表す。心嬉しく愛し合い、そして睦あったという意味。