玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首

 

 

2017530

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-025-#2巻180-35 登廣武古戰場懷古(卷二一(二)一二五八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8801

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

孟浩然

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謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

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楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-98 先生-巻八-01#17城南聯句 §3 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8802

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-114七絶 解悶十二首其二(卷一七(四)頁一五一二)七絶 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8815

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767年-集-16 【字解集】  ・i.-別崔因寄薛據孟雲卿  ・j-寄韓諫議 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8804

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (206)回目張泌 《巻四33 浣渓沙十首 其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8804 (05/30)

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花間集 訳注解説 (199)回目巻四 牛嶠-3 【字解集】 a.菩薩蠻七首  b.酒泉子 c.定西番 d.玉樓春 e.西溪子 f.江城子二首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8762 (05/24)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8805

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玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8746

●薛濤の全詩

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玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8805

 

玉臺新詠60 ・ 61

【字解集】樂府二首 【字解集】詠懷詩二首   

-014【字解集】 

〔阮籍〕〔魏明帝〕

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ8805

 

玉臺新詠タイトル

 

【字解集】樂府二首 

 

楽府二首昭昭篇
1その一(遠行している夫を思う妻の閨怨の情を述べている詩)

2. 【解説】《文選》及び樂府詩集》にあっては、古詞《怨歌行》とだいしている。然るに《藝文類聚》および、このブログにおいて魏明帝詩とする。詩は、遠行している夫を思う妻の閨怨の情を述べているが、これを文選では、「傷歌」「怨歌行」賭したのであろう。

3. 作者、魏明帝(204239)文帝曹丕の長男。曹叡、字は元仲。生母は甄氏。220年、数え15歳で武徳侯、翌年に斉公、222年には平原王に封ぜられた。
曹叡は生まれつきの美貌に加え、床に届くほどの長い髪を持ち、「天姿秀出」と絶賛された、という話を古老から聞いたという。16歳の時、母の甄氏は、父の曹丕に殺された。226年、父の曹丕が病床で重体に陥ってから、皇太子に立てられた。母の甄氏が曹丕の勘気に触れて死を賜っていたこともあり、即位以前の曹叡は公の場に出ることが少なく、曹叡の人物を知る者は司馬懿など限られた人々しかいなかったという。同年5月に曹丕が亡くなると皇帝に即位した。
曹叡は即位後、真っ先に母の名誉回復を行うべく行動し、甄氏は文昭皇后という諡号を与えられ、諡された。

4. ・素明月 真っ白で明るい仲秋の名月。

5. ・耿耿 光が明るく輝くさま。気にかかることがあって、心が安らかでないさま。『詩経、柏舟』「耿耿」耿耿不寐、如有隱憂。」(耿耿として寐ねられず、隱憂あるが如し)とみえる。

6. ・闥 闥は小門あるいは門扉。

7. ・攬衣曳長帶 この句は残された妻の様子をいう。
8.
 ・屣履 草履。
9.
 ・高堂 高楼のある建物の奥座敷。

10. 徘徊 ① 目的もなく,うろうろと歩きまわること。うろつくこと。  ② 葛藤からの逃避,精神病・認知症などにより,無意識のうちに目的なく歩きまわること。

11. 彷徨 1(書き言葉に用い)行ったり来たりする,さまよう,うろつく,徘徊する.≡旁皇.2(書き言葉に用い)ためらう,迷って決めかねる.≡旁皇.

12. 春鳥 春からいた鳥。ツバメを意味し、春に来て巣作り子作りをする。仲の良い鳥が秋になり、南へ飛ぶ。

13. ・翩翩 1形容詞 (人・チョウなどが)軽快に舞う,ひらひらと舞う.2((文語文[昔の書き言葉])) (多く若者が)しょうしゃである,あか抜けしている.

14. ・ 動詞 (翼を広げたまま)旋回する,滑空する.

15. ・儔匹 ともがら。なかま。この場合つがいの相手。

16. ・舒憤 “いきどおるいきどおる。いきどおり。「憤慨・憤激・憤然・憤怒 (ふんぬ・ふんど・憤懣 (ふんまん/鬱憤 (うっぷん・義憤・私憤・痛憤・悲憤」ふるい立つ。「感憤・発憤」”の気持ちを“(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.⑶息をつく,一息つく.”

17. ・穹蒼 《弓形で青々しているところから》おおぞら。青空。蒼穹 (そうきゅう

19. 魏明帝 (建安10(205)―景初3(239).1.1.)三国時代の魏第2代の皇帝 (在位 226239) 。姓名は曹叡 (そうえい。字は元仲。文帝の太子。黄初7 (226) 年即位。父の遺詔により曹真,曹休,司馬懿 (しばい,陳群が補佐した。彼は沈毅果断な人柄で,浮華の徒を退け,みずから政治を行なった。即位当初,呉と蜀が連合し魏を攻めたが,彼は司馬懿らの武将を派遣し,みずからも呉との戦いに出陣して撃退。しかし晩年には奢侈にふけり,斉王芳を養子にしたが,彼の死にあたり,芳を補佐する者をめぐり内紛があり,司馬氏専権の道を開いた。

李白《古風、五十九詩、其九》「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 邵平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。

20. ・種瓜 種瓜の植え込みは春であること。瓜は勤勉実直な人を云う。五色瓜:邵平青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -317

21. ・東井 家の東方には井戸を掘らないので家から、庭、園があり所の一角に畑があるか、あるいは砧をたたくための井戸端であるがそのほとりであろう
22.
 ・冉冉 しだいに進んでいくさま。また、徐々に侵していくさま。
23.
 ・垣 周囲を囲むように作られた工作物や植栽で,材料,形式によって多くの種類がある。

24. ・る【あやかる】1 影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。ふつう、よい状態になりたい意に用いられる。2 影響を受けて変化する。動揺する。
25.
 ・太山 泰山。五岳の東岳。この山に寄り添うように5つの山が連なる。泰山は、山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

26. ・兎絲 兎絲子(としし)基 原ヒルガオ科兎絲 (ハマネナシカズラ)の成熟種子を乾燥したもの。ネナシカズラ。

27. ・萍藻 浮草と藻

28. ・丘山 丘は孔子が生まれた尼丘山から孔子の事さす。
29.
 ・拳拳 うやうやしく掌り守っていく。

30. 倶然 “【倶】とは、ともにそろって。ともに。「不倶戴天 (ふぐたいてん」”と“【然】とは。[接尾]名詞に付いて、そのもののようなようすであるということを表す。「紳士―とした人」”

相和歌003
 

 

【字解集】詠懷詩二首

 

詠懷詩 其一(二妃遊江濱)

1. (江妃の二女は漢水の辺で鄭交甫にであいむすばれた二妃は珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて去った。二妃はこれを悲しみ恨めしく思った)

2. 【要旨】二妃は江妃の二女、「江」は漢水である。《韓詩外傳》に、鄭交甫というものが、楚に行く途中二女に遭った。二女は鶏卵ほどの珠を二つ佩びていた。その註によるとその二女は、珠を解いて、鄭交甫に贈ったので、鄭交甫はこれを懐に入れて数歩歩むと女は消え、珠なくなった、と見える。詩は、この話を踏まえて、二女は、鄭交甫を忘れずいるのに、鄭交甫は二女との交わりを断って帰ろうとしたものだと述べたもので、阮籍はこれを以て政治批判をしたものであろうが、ここではそれには触れない。《韓詩傳》曰:「鄭交甫遵彼漢皋臺下,遇二女,與言曰:『願請子之珮。』二女與交甫,交甫受而懷之,超然而去,十步循探之,即亡矣。迴顧二女,亦即亡矣。」とある。

3. 詠懷詩 阮籍「詠懷詩」について、顏延年は「阮籍は晉の文の代に在り、常に禍患を慮る。故に此の詠を發するのみ」と注をした。李善もまたこれを承け、 「嗣宗、身は亂朝に仕え、常に謗りに罹り禍に遇うを恐る、茲に因りて詠を發す、故に每に憂生の嗟有り」という。

ただでさえ脆い人の生が、よりいっそう危險にさらされる亂世に詠われた「詠懷詩」には、李善の言葉を借りるならば「憂生の嗟」があるという。

八十二首の「詠懷詩」を見渡すと、實に多くの篇にわたって、生命短促への嘆きや生きる苦惱が詠われている。阮籍以前、例えば、「古詩十九首」や建安の詩にも、 「詠懷詩」と同じように人生への憂いが吐露されている。しかし、阮籍「詠懷詩」とこれらを比べてみると、大きな違いがあることに氣づく。

既に、吉川幸次郎氏はその論著『阮籍の「詠懷詩」について』において、 「八十二首のすべてが、悲哀の歌であ」り、そこに詠われた悲しみは、從來に比べより「深」いものがあると述べている。また、大上正美氏はその論著『阮籍・嵇康の文學』において、 「詠懷詩」の表現構造について、 「敗北の構造を表現が獲得」していると述べる。氏は、現實から逸脱することを詠んだ「詠懷詩」の作品に目を向け、阮籍は現實から逸脱することを志向するが、しかし更なる憂思を抱え、再び現實の中に回歸していくという。これを「敗北の構造」と理解する。そして、表現者としての阮籍が絶えず現實に振り戻されることで、八十二首の「詠懷詩」が存在し得たのだと指摘する。

これらは、 「詠懷詩」に詠われた憂いをめぐっての特質を述べたものであるが、本稿では、 「古詩十九首」や建安の詩を比較對象として取り上げ、 「詠懷詩」に詠まれた逃避という行爲から浮かび上がる「場」について見ていく。そして、そこから見えてくる「詠懷詩」における「憂生の嗟」の深さを明らかにしたいが、ここでは、阮籍の二首の紹介にとどめる。

4. 阮籍210年(建安15年)― 263年(景元4年))は、中国三国時代の思想家である。字は嗣宗、兗州陳留郡尉氏県の人で、竹林の七賢の指導者的人物である。父は阮瑀(建安七子の一人)。兄は阮煕。子は阮渾。甥は阮咸(竹林の七賢の一人)である。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した有名な虎児がある。その阮籍も、はじめ蒋済が召し出そうとするも応じず、蒋済の怒りを買ったが、親類に説得されたためやむなく仕官した。しかし病気のため辞職した。曹爽に参軍として召し出されたが、これも病気を理由に辞職した。司馬懿がクーデターを起こして実権を握ると従事中郎に任じられたが、ただ給料分の働きをするだけだった。歩兵校尉の役所に酒が大量に貯蔵されていると聞いて、希望してその職になり、竹林の七賢の一人の劉伶と酒を飲んでいたといわれる。そのため阮歩兵と呼ばれることもあった。その上、当時の礼法では、喪中には酒や肉を断つ義務があったが、母の葬儀の日にも大酒を飲んで肉を食い、母の棺と別れた後、もうだめだと言って血を吐いて倒れた。何曾が司馬昭に対し、礼に反する阮籍を左遷するよう言上したが、司馬昭は阮籍がやせ衰えているのを見て不問に付した。司馬昭の幕僚となっていたが、いつも酔っぱらっていた。鍾会は彼を陥れようと、何回か時事問題を問いかけたが、いつも抽象的で難解な返事ばかりだったため、失言を得られなかった。司馬昭が息子(司馬炎)の嫁に、彼の娘をもらおうと使者を送ると、それを察したのか、彼は60日間酔っぱらい続けた。このため使者は用件を言い出せず、諦めて帰った。また、あてもなく馬車を駆って遠出するのが好きで、行き止まりにあうと慟哭して帰った。竹林の七賢の一人で、阮籍と仲のよかった嵆康もまた、鍾会に陥れられ殺された。そのこともあって、阮籍は政争に関与せず、酒浸りの生活をする道を選んだという。司馬昭はそんな阮籍を「至慎(もっとも慎み深い)」と評した。老荘思想を理想とし、その著作の『大人先生伝』・『達荘論』に老荘思想が十分に見て取れる。詩では「詠懐詩」82首が有名で、陶淵明の「飲酒」・李白の「古風」など、五言詩の連作の先駆けである。深い思索に基づき格調高く、全編が人間社会の悲哀に満ちている。また、琴をよく弾いた。

5. 二妃 鄭交甫が女神から約束を反故にされた故事であり、鄭交甫は、漢水のほとりで江妃二女(長江の女神)と言葉を交わし、佩玉を貰い受けたが、数十歩あるいたところで懐の佩玉は消え失せ、女神の姿も見えなくなった(『列仙伝』)。

《卷159_39 「萬山潭作」》孟浩然 「垂釣坐磐石,水清心亦閑。魚行潭樹下,猿掛島藤間。游女昔解佩,傳聞於此山。求之不可得,沿月棹歌還。」(釣を垂れて盤石に坐す、水清らかにして心も亦閑なり。 魚は行く潭樹の下、猿は掛かる島藤の間。 游女 昔 佩を解きしは、伝え聞く 此の山に於いてすと。 之を求むるも得べからず、月に沿い棹歌して還る。)

盛唐詩 萬山潭作 孟浩然<42> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -349

6. 消遙 あてもなくぶらぶらとする。

7. 交甫 鄭交甫,人物生平不詳,據傳為周朝人,有漢江遇游女之事。

8. 婉孌 美貌。若さある美しく艶めかしさ。《詩経·齊風·甫田》「婉兮孌兮,總角丱兮。」鄭玄箋:“婉孌,少好貌。

9. 猗靡 ①しなやかで美しいさま。 ②風になびくさま。 ③女子の容姿のたおやかなさま。 ④互いに思いあって忘れないさま。

情歡愛 三文字とも、情交を表す。心嬉しく愛し合い、そして睦あったという意味。

10. 傾城 美人の意,および遊女の意。漢書に美人を「一顧傾人城,再顧傾人国」と表現したのに基づき,古来君主の寵愛を受けて国 (を滅ぼす (傾けるほどの美女をさし,のちに遊女の同義語となった。

11. 迷下蔡 「下蔡」は地名。「東家の子、嫣然として一笑すれば,陽城を惑わし,下蔡を迷わす」とある。戰國  宋玉 《登徒子好色賦》: “東家之子, 增之一分則太長, 減之一太短;著粉則太白,施朱則太赤;眉如翠羽, 肌如白雪, 腰如束素, 齒如含貝;嫣然一笑,  陽城   下蔡 

12. 容好 美容。

13. 諼草 ワスレグサ、ユリ科の多年草.

14. 樹蘭房 妃婦人の閨に植える。。

14. 其雨 情意:多情=多雨。宋玉『高唐賦』にいう、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、「朝雲暮雨」のように交わったことを示す。詩經·國風·衛風·伯兮上一篇に「其雨其雨,杲杲出日。」とある。機体の裏切られた喩えである。

15. 金石交 どれだけの時間がたっても変わることの無い、かたい友情のこと。 「金石」は非常に硬いということから、永遠に変わらないものの象徴。

16. 一旦 一朝。

詠懷詩 其二(昔日繁華子)

17. (かつて手を取り合い仲良く過ごした美男子が、君子につかえ、やがて、男色を売り、媚びをうるすがたをみるにつけてむかしを思い歎いたもの)

18. 繁華子 花の咲いたようなあでやかさをもった美男子。

19. 安陵與龍陽 共に男色を以て君主につかえた人。楚の恭王は安陵を寵し、かって王は、狩に出て危ない命を助かったことがあった。その時、王が「わが死後、誰と楽しみを共にするか」と問うたところ、「わたしは、王に殉死します。」(説苑・権謀篇)と答えて、厚く封ぜられたという。龍陽は魏安釐王の男寵のものであった。かつて魚十餘尾を釣って鳴くので、王が湧けを聞くと、「私は後に釣った魚ほどよく見えて、前の魚が棄てたくなりました。自分もこの魚と同じ身の上ではないかと思うと悲しくなるのです」という。それからは王は、美人の話を言うものには厳罰を加えたという。(国策・魏策)とあるように、ふたりは、男色を以て君主につかえたのである。

20. 夭夭・灼灼 若くて美しいさま。・ひかりかがやくさま。詩經、桃夭篇に「桃之夭夭。灼灼其華。之子于帰、宜其室家。」(桃の夭夭たる。灼灼たる其の華。之の子于き帰ぐ、其の室家に宜しからん)とあるにもとづく。

21. 九春 春の盛りの九十日の間に鮮やかに咲く花「九春の花」をいう。

22. 磬折 立ったまま腰を「へ」の字形に深く折り曲げてする礼。

23.  流盻 流し目。

24. 芬芳 よい香り。また、よい香りをただよわせること。

25. 宿昔 昔から今までの間。従来。また、むかし。以前。

26. 翔 (翼を広げたまま)旋回する,滑空する.

27. 丹青著明 赤と青の絵の具を用いて新たな誓いを修正して新たにすること。