-巻二20 樂府詩七首 其一靑靑河邊草篇 -#1〔傳玄〕

 

 

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-巻二20 樂府詩七首 其一靑靑河邊草篇 -#1〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8811

(留守居の妻の征夫を思う詩である。)

河辺の草は青々と茂っているが、夫の去った万里の道ははるばるとはてしなくつづいている。

春にもなれば草は生えるし人の心にも春を迎えることに心躍らせるもの、だから遠く旅立った人も当然春の心情が生じ、還るには時期をまもるものと思っているのである。

だから、春が訪れても私の心には萌えいずる草は生えず、約束した帰りの期限が尽きてもここを訪れのないのはなげかわしくて、まるっきり声にすることもできない。

 

 

 

 

玉臺新詠 巻二

 


 

新楽府に対して,六朝時代以前につくられた古い楽府をいう。

楽府(がふ)とは、漢詩の一形式で、古体詩の一種。その文体を楽府体(がふたい)ともいう。

前漢の時、民間歌謡の採集のため楽府という音楽官署(音楽取調所)が設立されたが、楽府において集められた歌謡そのものをさす言葉となった。以後、民間歌謡全般を楽府と称することがあり、宋元の詞や曲も楽府と呼ばれることがあった。文学史上のいわゆる楽府の形式は晋代以降に呼ばれるようになったもので、漢魏の古曲に基づく楽府を楽府古辞、六朝時代の民間歌謡にもとづくものを楽府民歌といい、これらを古楽府という。唐代になると古楽府はほとんど演奏されなくなり、古楽府の形式に沿って作られたりし、朗読される詩歌となっていった。また中唐以降になると、白居易を始めとして新しい題(新題)を創始して楽府が作られるようになり、これを新楽府という。

北宋の郭茂倩の『楽府詩集』では漢から唐に至るまでの歌謡、または文人がその題(古題)を借りて創作したり、その体裁を模倣して作った歌詞、新楽府が収録されている。

 

城郭と門
 

 

 

 

樂府七首

 

 相和歌002

1.青青河邊草篇

青青河邊草、悠悠萬里道。草生在春時、遠道還有期。春至草不生、期盡歎無聲。

感物懷思心、夢想發中情。夢君如鴛鴦、比翼雲間翔。既覺寂無見、曠如參與商。

夢君結同心、比翼遊北林。既覺寂無見、曠如商與參。河洛自用固、不如中岳安。

回流不及反、浮雲往自還。悲風動思心、悠悠誰知者。懸景無停居、忽如馳駟馬。

傾耳懷音響、轉目淚雙墮。生存無會期、要君黃泉下。

 

2.苦相篇 豫章行

苦相身為女、卑陋難再陳。男兒當門、墮地自生神。雄心志四海、萬里望風塵。

女育無欣愛、不為家所珍。長大避深室、藏頭羞見人。垂淚適他、忽如雨雲。

低頭和顏色、素齒結朱唇。跪拜無復數、婢妾如嚴情合同雲漢、葵藿仰陽春。

心乖甚水火、百惡集其身。玉顏隨年變、丈夫多好新。昔為形與影、今為胡與秦。

胡秦時相見、一踰參辰。

 

3.有女篇 豔歌行

有女懷芬芳、提提步東箱。蛾眉分翠羽、明目發清揚。丹脣翳皓齒、秀色若珪璋。

巧笑露權靨、衆媚不可詳。容儀希世出、無乃古毛嬙。頭安金步搖、耳繫明月璫。

珠環約素腕、翠爵垂鮮光。文袍綴藻黼、玉體映羅裳。容華既以豔、志節擬秋霜。

徽音貫青雲、聲響流四方。玅哉英媛德、宜配侯與王。靈應萬世合、日月時相望。

媒氏陳束帛、羔雁鳴前堂。百兩盈中路、起若鸞鳳翔。凡夫徒踴躍、望殊參商。

 

4.朝時篇 怨歌行

昭昭朝時日、皎皎晨明月。十五入君門、一別終華髮。同心忽異離、曠如胡與越。

胡越有會時、參辰遼且闊。形影無髣髴、音聲寂無達。纎絃感促柱、觸之哀聲發。

情思如循環、憂來不可遏。塗山有餘恨、詩人詠採葛。蜻蛚吟牀下、回風起幽闥。

春榮隨露落、芙蓉生木末。自傷命不遇、良辰永乖別。已尒可奈何、譬如紈素裂。

孤雌翔故巢、星流光景魂神馳萬里、甘心要同穴。

 

5.明月篇

皎皎明月光、灼灼朝日暉。昔為春繭絲、今為秋女衣。丹脣列素齒、翠彩發蛾眉。

嬌子多好言、歡合易為姿。玉顏盛有時、秀色隨年衰。常恐新間舊、變故興細微。

浮萍無根本、非水將何依。憂喜更相接、樂極還自悲。

 

6.秋蘭篇

秋蘭蔭玉池、池水清且芳。芙蓉隨風發、中有雙鴛鴦。

雙魚自踴躍、兩鳥時迴翔。君期歷九秋、與妾同衣裳。

 

7.西長安行

所思兮何在、乃在西長安。何用存問妾、香橙雙珠環。何用重存問、羽爵翠琅玕。

今我兮聞君、更有兮異心。香亦不何燒、環亦不可沉。香燒日有歇、環沉日自深。

 

玉臺新詠タイトル002
 

玉臺新詠 62

樂府詩七首 其一
靑靑河邊草篇 

巻二20

〔傳玄〕

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ8811

《玉臺新詠》作者:傅玄

青青河邊草篇 #1

(留守居の妻の征夫を思う詩である。)

青青河邊草、悠悠萬里道。

河辺の草は青々と茂っているが、夫の去った万里の道ははるばるとはてしなくつづいている。

草生在春時、遠道還有期。

春にもなれば草は生えるし人の心にも春を迎えることに心躍らせるもの、だから遠く旅立った人も当然春の心情が生じ、還るには時期をまもるものと思っているのである。

春至草不生、期盡歎無聲。

だから、春が訪れても私の心には萌えいずる草は生えず、約束した帰りの期限が尽きてもここを訪れのないのはなげかわしくて、まるっきり声にすることもできない。

#2

感物懷思心、夢想發中情。

夢君如鴛鴦、比翼雲間翔。

既覺寂無見、曠如參與商。

#3

夢君結同心、比翼遊北林。

既覺寂無見、曠如商與參。

河洛自用固、不如中岳安。

回流不及反、浮雲往自還。

#4

悲風動思心、悠悠誰知者。

懸景無停居、忽如馳駟馬。

傾耳懷音響、轉目淚雙墮。

生存無會期、要君黃泉下。

 

(青青たり河邊の草 篇) #1

青青たり河邊の草、悠悠たり萬里の道。

草 生ずるは春時に在り、遠道 還るに期有り。

春 至るも 草 生ぜず、期 盡きて 聲 無きを歎ず。

 

 

《青青河邊草篇》現代語訳と訳註解説
(
本文)

青青河邊草篇

#1

青青河邊草、悠悠萬里道。

草生在春時、遠道還有期。

春至草不生、期盡歎無聲。

 

(下し文)
(青青たり河邊の草 篇) #1

青青たり河邊の草、悠悠たり萬里の道。

草 生ずるは春時に在り、遠道 還るに期有り。

春 至るも 草 生ぜず、期 盡きて 聲 無きを歎ず。

 

(現代語訳)

(留守居の妻の征夫を思う詩である。)

河辺の草は青々と茂っているが、夫の去った万里の道ははるばるとはてしなくつづいている。

春にもなれば草は生えるし人の心にも春を迎えることに心躍らせるもの、だから遠く旅立った人も当然春の心情が生じ、還るには時期をまもるものと思っているのである。

だから、春が訪れても私の心には萌えいずる草は生えず、約束した帰りの期限が尽きてもここを訪れのないのはなげかわしくて、まるっきり声にすることもできない。

 

(訳注)
青青河邊草篇 #1

1. (留守居の妻の征夫を思う詩である。)

2. 【要旨】巻一蔡邕の 「飲馬長城窟行」に擬した作で、留守居の妻の征夫を思う詩である。

3. 【傅玄】ふ げん、(217 - 278年)は、中国三国時代から晋にかけての人物。魏・西晋の政治家・文学者・学者。字は休奕。雍州北地郡泥陽県(現陝西省)の出身。祖父は傅燮。父は傅幹。子は傅咸。

若くして父を失い困窮していたが、博学で文章と音楽に長じていた。人柄は剛直で、他人の過失を見逃すことができなかった。州の秀才に挙げられて郎中になり、当時の評判によって著作の官に推挙され、『魏書』の編纂を担当した。その後、司馬昭の参軍(幕僚)となり、さらに温県(現河南省)令・弘農太守・典農校尉などを歴任し、いずれの官でも職務に適い、上書して多くの政治の不備を矯正した。265年、司馬炎が晋王となると、傅玄は散騎常侍に任じられ、爵位を子爵に引き上げられた上で、さらに駙馬都尉を加えられた。

同年、司馬炎が即位すると諫官となった。傅玄は上奏して朝廷の綱紀粛正を訴え、司馬炎に賞賛された。まもなく侍中に遷ったが、同僚と諍いを起こしたことを有司に報告されて免官となった。268年、御史中丞に任じられ、269年には太僕になった。当時、水害や辺境の異民族の侵入などが相次ぎ、傅玄はこれに対して上書して意見を述べた。それらのすべてが実行されたわけではなかったが、いつもお褒めの言葉を受けたという。その後、司隷校尉に転じた。

278年、献皇后羊氏が弘訓宮で死去し、葬礼が行われた。旧来の制度では、端門(宮城の正門)の外における司隷校尉の席次は諸卿の上で、しかも別席であるのが決まりであったが、謁者は弘訓宮を宮殿内と見なし、その決まりに従って傅玄を諸卿の下座に置いた。傅玄はこの処置に激怒し、謁者や尚書以下の官を面罵したため、御史中丞の庾純の上奏によって免官とされた。まもなく無官のまま死去した。享年62。諡は剛。後に清泉侯を追封された。

傅玄は非常にせっかちな性格で、弾劾の上奏をする際は、日が暮れて翌日回しにされると、正装のまま徹夜して夜明けを待つことがあった。貴族たちは彼を恐れ、これにより朝廷の風紀が改まったという。

『晋書』本伝によると、傅玄は「文集百余巻」の他、『傅子』120巻などの著述を残したが、現存するものはその一部に過ぎない。『三国志』の裴松之注などに残る『傅子』は、傅玄が司馬昭の側近であったことから、曹爽ら反司馬氏の人士を非難する傾向が強い。『傅子』詩歌では楽府の詩が多く、女性の感情を詠んだ作品や宮廷の雅楽の歌詞を手がけている点に特色がある。

 

青青河邊草、悠悠萬里道。

河辺の草は青々と茂っているが、夫の去った万里の道ははるばるとはてしなくつづいている。

4. 青青河邊草 この句は、蔡邕の「飲馬長城窟行」と全く同じ。

5. 悠悠萬里道 この句は、蔡邕の「綿綿思遠道。」悠悠:1 はるかに遠いさま。限りなく続くさま。「―たる大空」「―たる時の流れ」2 ゆったりと落ち着いたさま。

下に、

 

草生在春時、遠道還有期。

春にもなれば草は生えるし人の心にも春を迎えることに心躍らせるもの、だから遠く旅立った人も当然春の心情が生じ、還るには時期をまもるものと思っているのである。

6. 期 約束の日。春になったら帰ると約束したもの。

7. 草生在春 南史に謝霊運は夢に族弟謝蕙連を見てこの名句を得たという、謝靈運《登池上樓》「池塘生春草,園柳變鳴禽。」(池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

 

春至草不生、期盡歎無聲。

だから、春が訪れても私の心には萌えいずる草は生えず、約束した帰りの期限が尽きてもここを訪れのないのはなげかわしくて、まるっきり声にすることもできない。

 

 

-036 飲馬長城窟行一首   -#1 〔蔡 邕〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8103

-036 飲馬長城窟行一首  〔蔡 邕

飲馬長城窟行  

靑靑河邊草、綿綿思遠道。遠道不可思、宿昔夢見之。

夢見在我旁、忽覺在他鄕。他鄕各異展、縣轉不相見。

枯桑知天風、海水知天寒。

2

入門各自媚、誰肯相爲言。客從遠方來、潰我雙鯉魚。

呼兒烹鯉魚、中有尺素書。長跪讀素書、書上竟何如。

上有加飱食、下有長相思。

(馬を長城の窟に飲【みづか】ふ行【うた】)

靑靑たる河邊の草、綿綿として遠道を思う。

遠道 思う可からず、宿昔 夢に之を見る。

夢に見れば 我が旁に在り、忽ち覺れば 他鄕に在る。

他鄕 各おの異展し、縣轉 相い見ず。

枯桑は 天風を知り、海水は 天寒を知る。

2

門に入りて各おの自ら媚ぶ、誰か肯て相い為に言はん。

客遠方より来る、我に雙鯉魚を遺【おく】る。

兒を呼んで鯉魚を烹しむれば、中に尺素の書有り。

長跪して素書を読む、書中竟に何如。

上には餐食を加えよと有り、下には長く相い思うと有り。

(夫が国境のまもり、万里の長城のようなところの空にこたえるほどの冷たい水を飲んでいることだろう、夫を心配して詠う)

河辺の草は青々ともえ出る春の時節であるのに、夫は帰ってこない。わが想いは絶えることなく続いて、その事にそって、はるばると遠い地にある夫の身を思いやるのである。

しかし遠方のことゆえ、いくら案じていても、遠地の事で、どんなに思ってもそのかいもなく、平生夢に見るのみである。

その夢の中ではあの人はわたしの傍にいるのであるが、その夢も覚めたとたんにもう他郷の人となってしまう。

他郷というものはそれぞれずっと続いてまったく違っていることだし、その違って県を転々としていることを思いなやんでも、そこに行ってお目にかかることはできない。

枝葉の枯れた桑の木を見ては、空吹く風の強さを知り、海の水の冷たさを知っては、夫のいる地方の空の寒さが思いやられる。

#2

ひとり身で留守を守っていると、いろんなことに心配もあり、、門にはいって訪ねくる人たちは、自分勝手のご媚びた愛想をならべるけれど、誰も私のために親身になって慰めてはくれるのではない。

時には、遠隔地からのお客がわざわざ来てくれ、わたしに一匹の鯉を届けてくださったこともある。

子供たちを呼んで鯉を烹ようとしたら中から、例によって一尺ほどの白絹に書いた手紙が出てきた。

ありがたくて、ひざまずいて、それを読むと、書状には、さて、いかなることが書いてあったか。

それはつまりこんなように書かれていた、まず始めに「きちんと食事をしてからだを大切にするように」とあり、終わりには 「いつまでもだがいに結同心を忘れてはなるまい」と。