-巻二28 情詩五首 其一北方有佳人 -#1 〔張華〕

 

 

2017826

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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(夫と別れて暮らす美人のおもいをのべたもの)

北方にむかってくらす一人の美人がいて、彼女は端正に坐って琴をかなでて居る。朝から絃をなでているのだが、夕方になってもよい音がでない。それは心の憂いが結ばれて解けぬためである。その物思いというのは愛する夫についてのことである。夫は公の仕事のためにでかけ、ひとり残されたわたしは独り心を苦しめている。

 

 

 

 

 

玉臺新詠 巻二

 

 

 

情詩五首 張華

   其一

北方有佳人、端坐鼓鳴琴。終晨撫管絃、日夕不成音。

憂來結不觧、我思存所欽。君子尋時役、幽妾懷苦心。

初爲三載於今久滯淫。昔柳生牖、庭内自成隂。

翔鳥鳴翠偶、草虫相和吟。心悲易感激、俛仰淚流衿。

願託晨風翼、束帶侍衣衾。

   其二

明月曜清景、曨光照玄墀。幽人守靜夜、廻身入空帷。

束帶俟將朝、廓落晨星稀。寐假交精爽、覿我佳人姿。

巧笑媚歡靨、縣娟眸與眉。寐言増長歎、悽然心獨悲。

   其三

清風動帷簾、晨月燭幽房。佳人處遐遠、蘭室無容光。

衿懷擁虚景、輕衾覆空牀。居歡惜夜促、在慼怨宵長。

撫枕獨吟歎、綿綿心内傷。

   其四

君居北海陽、妾在江南隂。懸邈脩途遠、山川阻且深。

承歡注隆愛、結分投所欽。恩守篤義、萬里託徵心。

   其五

目四野外、逍遥獨延佇。蘭蕙緣清渠、繫華䕃綠墅。

佳人不在玆、取此欲誰與。巢居風飄、穴處識隂雨。

未曽遠離、安知慕儔侶。


 

  張華  情詩五首

北方有佳人端坐鼓鳴琴終晨撫管絃琴有絃而無管/管字與上句不

叶管須吹而不須撫撫字與本句亦不叶/此句必有訛字然諸本並同闕疑俟考

日夕不成音

憂來結不觧我思存所欽君子尋時役幽妾懐苦心初

為三載於今滯淫昔邪生牖庭内自成林翔

鳴翠隅翠隅二字未詳詩紀作翠偶亦不/可觧疑為率偶二字以形似而訛草蟲相和吟

心悲易感激俯仰淚流衿願托晨風翼束帶侍衣衾

其二

明月曜清景曨光照元墀幽人守靜夜囘身入空帷束

帶俟将朝廓落晨星稀寐假交精爽覿我佳人姿巧笑

媚權靨聯娟眸與眉聨娟宋刻作聨媚按眉聨娟以蛾/揚本宋玉神女賦語宋刻悞也

寤言増長嘆寤宋刻/作寐悞悽然心獨悲

其三

清風動帷簾晨月燭幽房佳人處遐遠蘭室無容光襟

懐擁虚景輕衾覆空牀居歡惜夜促在慼怨宵長撫枕

獨吟嘆緜緜心内傷

其四

君居北海陽妾在南江隂南江諸本作江南然水南即/是水隂于義為複今從宋刻

懸邈極修途山川阻且深承歡注隆愛結分投所欽銜

恩守篤義萬里託微心

其五

游目四野外逍遥獨延竚蘭蕙縁清渠繁華䕃緑渚佳

人不在取此欲誰與巢居覺風飄風飄文選作風寒/藝文類聚作寒風

穴處識隂雨未曽遠離安知慕儔

 

 王昭君02

情詩五首其一

(夫と別れて暮らす美人のおもいをのべたもの)

北方有佳人、端坐鼓鳴琴。

北方にむかってくらす一人の美人がいて、彼女は端正に坐って琴をかなでて居る。

終晨撫管絃、日夕不成音。

朝から絃をなでているのだが、夕方になってもよい音がでない。

憂來結不觧、我思存所欽。

それは心の憂いが結ばれて解けぬためである。その物思いというのは愛する夫についてのことである。

君子尋時役、幽妾懷苦心。

夫は公の仕事のためにでかけ、ひとり残されたわたしは独り心を苦しめている。

2

初爲三載於今久滯淫。昔柳生牖、庭内自成隂。

翔鳥鳴翠偶、草虫相和吟。心悲易感激、俛仰淚流衿。

願託晨風翼、束帶侍衣衾。

 

(情詩五首、其の一)

北方には 佳人有り、端坐して 鳴琴を鼓す。

終晨 管絃を撫するも、日夕 音を成さず。

憂 來りて 結び觧けず、我が思い欽する所に存す。

君子 時役を尋ね、幽妾 苦心を懷く。

 

《情詩五首其一》現代語訳と訳註解説
(本文)
 
情詩五首其一

北方有佳人、端坐鼓鳴琴。

終晨撫管絃、日夕不成音。

憂來結不觧、我思存所欽。

君子尋時役、幽妾懷苦心。

 

(下し文)
(情詩五首、其の一)

北方には 佳人有り、端坐して 鳴琴を鼓す。

終晨 管絃を撫するも、日夕 音を成さず。

憂 來りて 結び觧けず、我が思い欽する所に存す。

君子 時役を尋ね、幽妾 苦心を懷く。

 

(現代語訳)

(夫と別れて暮らす美人のおもいをのべたもの)

北方にむかってくらす一人の美人がいて、彼女は端正に坐って琴をかなでて居る。

朝から絃をなでているのだが、夕方になってもよい音がでない。

それは心の憂いが結ばれて解けぬためである。その物思いというのは愛する夫についてのことである。

夫は公の仕事のためにでかけ、ひとり残されたわたしは独り心を苦しめている。

開聞岳003
 

(訳注)

情詩五首其一

(夫と別れて暮らす美人のおもいをのべたもの)

1. 情詩五首は、いずれも男女の情を叙べた詩である。この中、『文選』には、第三首と第五首とが収められている。作者の張華(232300)字は茂先、箔陽(河北) の人、太常博士に挙げられ、後に太子少傳に任ぜられたが、趙王綸の変に会って殺害された。博覧にして児女の情を

言うことに長じ、張載・張協と共に三張の名を以てよばれた。

集めた『博物志』四十巻の著がある。その平淡の叙述が彼の長技である。その作、詩・賦の外別に奇事・逸聞を集めた《博物志》四十巻の著がある。

2. 張華(ちょうか、 太和6年(232年) - 永康元年(300年))は、三国時代から西晋の政治家。魏、晋に仕えた。字は茂先。范陽方城(今の河北省固安県)の人。晋書に伝がある。妻は劉放の娘。

『鷦鷯賦』という作品を著すと、それを見て感銘を受けた阮籍から「王佐の才なり」と賞賛され、声名が世に広がるようになった。やがて魏に仕え、歴史編纂を任務とする著作郎となり、さらに宮中の事案に関与する中書郎となり、長史を兼任した。晋が禅譲により興ると、黄門侍郎となり、関内侯となった。記憶力にすぐれていたため、武帝(司馬炎)の信任を受け、中書令、散騎乗侍となった。

羊祜の要請で武帝が呉の征伐を諮ると、朝廷の群臣皆が反対する中で唯一張華だけは賛成を示した。張華は羊祜のもとへ派遣され、呉征伐の作戦計画を練った。咸寧5年(279年)、呉征伐が実行に移されるに及んで度支尚書に任命され、運漕(水路で物資を運ぶこと)を担当した。呉征伐がやや停滞すると、呉征伐に反対していた賈充は張華を誅するよう進言したが、武帝は張華を庇った。

無事に晋が呉を滅ぼすと、武帝は張華の功績を賞し、広武県侯を与えるなど褒美を手厚く与えた。これによって張華の名声は高まり、三公の位に上ることが期待された。しかし、権臣の賈充と荀勗らは、張華の躍進を快く思わず、あるとき張華が武帝の実弟の斉王・司馬攸を賞賛するような発言で武帝の不興を買ったことを知り、張華を外鎮として中央から遠ざけるよう武帝に進言した。この結果、張華は安北将軍・都督幽州諸軍事として辺境に赴任することになったが、そこで異民族を慰撫して心服させ、歴代にわたって中華王朝への従属を拒んできた二十数ヶ国から朝貢の使者を得ることに成功した。朝廷は張華の功績を認め、中央に召し返して再度宰相としようという意見が強まったが、馮恢が反乱を起こした鍾会を例に武帝に対し張華を讒言したため、張華は一時太常とされ、さらにまもなく理由をつけて罷免された。

永熙元年(290年)に武帝が崩じて恵帝が即位すると、太子少博となった。元康元年(291年)に賈后が国政を掌る汝南王・司馬亮と録尚書事・衛瓘を排除するために楚王・司馬瑋に密詔を下して彼らを殺させるという事件が起きた。張華は恵帝に進言して騶虞幡(停戦を指図する皇帝の旗)を遣わして軍を解散させ、さらに事後処理として司馬瑋が詔勅を偽造したことにして処刑するよう勧めて政変の混乱を鎮めた。これによって賈后の信任を得た張華は中書監を拝命して国政を補佐した。これ以降の元康年間(291-299年)は賈后や賈謐が専横しながらも国内は一時的な平穏を保つことができたが、これは張華と尚書左僕射・裴頠らの尽力によるものだったという。数年して司空へ進んだが、元康9年(299年)、賈后が皇太子司馬遹の殺害を謀るとこれを諌めたため、免職となった。永康元年(300年)、趙王司馬倫のクーデターで賈后が殺害されると、かつて司馬倫の不興を買っていたことから張華も捕らえられ、三族皆殺しとされた。朝廷と民衆の者で悲しまない者はなく、推挙の恩がある陸機は『詠徳の賦』を作ってその死を悼んだ。のちに司馬倫が失脚すると名誉回復がなされた。

 

北方有佳人、端坐鼓鳴琴。

北方にむかってくらす一人の美人がいて、彼女は端正に坐って琴をかなでて居る。

3. 北方 洛陽の北方向ということで夫のいる辺地を意識させる。

4. 佳人 美しい女性。美人。

 

終晨撫管絃、日夕不成音。

朝から絃をなでているのだが、夕方になってもよい音がでない。

5. 撫管絃 琴には紋があるけれども管はない。上旬と相応ぜず。誤りがあるらしいが、諸本みな同じであるとは『考異』の説である。

 

憂來結不觧、我思存所欽。

それは心の憂いが結ばれて解けぬためである。その物思いというのは愛する夫についてのことである。

 

君子尋時役、幽妾懷苦心。
夫は公の仕事のためにでかけ、ひとり残されたわたしは独り心を苦しめている。

6. 時役 中国の税制での無償の労働で納付する税の形態をいう。中国の税制度の中で、公権力に対して人民が負う、無償の労働提供(労働地代ともいう)のことである。徴兵される場合、3年が義務であったが、西域、北方の守りの場合長期にわたり帰らないことが多かった。隋唐の律令制度のもとでは、均田農民(口分田を給付される農民=自作農)に対し、租庸調制の税制が定められた。租・調などの現物(生産物地代)の他、中央官庁での年間20日間の労働である正役(通常は絹または麻布を代納する=庸)と、地方官庁での年間50日(40日説もあり)の労働である雑徭(代納なし)があり、農民の大きな負担であった。また府兵制のもとでの兵役も一種の労働地代であった。これらを併せて、役(徭役、力役などとも言う)である。

租税形態も時代により変化した。役(徭役)はおそらく都市国家段階からの最も原初的な税の形態であり、直接人民を使役する古代国家に広く見られるものである。都城や長城、運河などの造営はこのような労働でまかなわれたと思われる。税の主体は次第に生産物(現物納)に移り、さらに貨幣流通に応じて金銭納(貨幣地代)が始まり、現代においては基本的には徭役は無くなっている。中国史でも土地税(地代、地税)である現物納と人頭税である徭役(労働地代)の二本立ての税体系は、租庸調制がくずれた両税法のもとでも長く続き、徭役が地税に組み込まれるのが明の一条鞭法の時であり、清の地丁銀で徭役は完全に消滅する。

7. 幽妾 夫を邊地に送り出しただれもおとずれないさびしいへやでくらすつま。